桃色の災難
薄く色付いた桃色の頬をかく。
ふう。
何故に自分はこうもピンクなんだ。彼は嘆息する。彼はとても嫌いだったのだ、自分の色が。この色はどこまで自分を陥れれば気が済むのだろうか? 常々、彼はそう思っている。
目を眇めた。
風があたり周辺を渦巻いている事に気付いた。苛立ったように葉をグルグルと翻弄している様は、とてもおもしろい。竜巻になるのだろうか?
自身の家から、外を覗く。
彼はキョトンと目を丸くした。外は晴天、青空はキレイで風が気持ちがよさそうだ。散歩が無性にしたい。
いや、まて、ならばこの風は何だ?
彼は辺りを見回した。
風が轟く。
彼はあごが外れるのではないかというくらい、口をこれでもかとあける。
家が壊れる。寝床が破壊される。
風の咆哮する様は恐ろしい。
彼は慄いた。何が起こると言うのだ。
目をギュッとつぶった。
凍え死にそうな様子で、まるで地震が起きたかのように、この世の終わりだとでも言うかのように、彼は震えた。
怖い。恐ろしい。何故こんなにも不可思議な事が起こるのだ。自分はなにか悪いことをしたのか、天罰を受けなくてはならないほどの何かを。
無から声がする。
「異世界トリップなんて初めてだ」
彼は愉快そうな、神の声を聞いた。
ん?
彼は首を傾げた。何かがおかしい。
神の声はこんなにもトーンが高かっただろうか? ついでに能天気そうだったろうか? 底なしに明るいというか、元気と言うか、正直彼の中で二番目に苦手なタイプだ。
そろそろと目を開く。
ポカンとした表情を浮かべた。彼の目の前の存在も、同音同意語で表せる表情を浮かべている。こちらのほうはすぐに笑顔になった。
なんだあれ?
彼は目を凝らす。
人だ。少女だ。彼の五分の一にも満たないのではないかと推測される人間だ、これ事態は彼にとって珍しい事ではない。
目の前に立つ少女が、異様としか言いようがない熱気で一心に彼を凝視し、顔を満面に輝かせながら叫んだ。
「ネタの巣窟キター!!」
彼は瞬時に目頭を押さえた。妙なのが湧いて出たらしい。勘弁してほしい。なにか自分は取り返しのできない事を仕出かしたのだろうか? 前世に。
「え? 夢? これ、夢?」
顔と言わず、体すべてを使って、オーラも交えて、嬉しそうに少女は言葉を重ねた。
「現実? わたしって今、もしかして寝ているの?」
問いかけは、少女自身に向かってなのか、彼に向ってなのか、彼女本人でさえわからない。
でも彼は、これだけは言える。
少女は確実に自分を見ながら言った、と。だからこの問いかけには、自分が答えなくてはいけないだろうと思い彼は口を開く。
「紛う事なき現実だろう。少なくとも俺自身は寝た覚えがまるでないんだが」
「だよね! アナタも現実よね、うん」
「……」
唖然。
夢か現かと、聞くものなのか?
何だこの人間。彼はマジマジと少女を見つめた。人間の女の子をここまで間近で観察したのは初めてかもしれない。少女は目に輝きを放ったまま、彼を見つめ返す。その顔に恐怖も嘲りも焦りさえも、存在しない。
彼女はにっこり、花が咲き誇るように微笑んだ。
「ね、ドラゴンさん」
彼はゆっくりと額を押さえた。頭が痛い。
なんだこの女。
彼は――ドラゴンだ。
背中にはきちんと堅そうな羽がある。皮膚だって固いし、爪も鋭く長い。口を開ければ、少女など簡単に丸飲みにできる。
彼の国ではドラゴンは畏れられる。その存在は神と同位か。
彼自身がその恩恵に与れるのはそう多くはない。
彼は無言で少女を見つめた。
間違っても突然目に入ったドラゴンを相手に、嬉々として話の相手にしようなどとは通常の人間であれば思うまい。
「本物に遭遇しちゃったわ。うわあ、メチャ嬉しいんだけど!」
ドラゴンは首を傾げた。本物に遭遇とはどういう意味だ。
少女はその仕草で彼の疑問を理解したらしい。
「ドラゴンって存在しないんですよ、わたしの世界って」
つまらないでしょう? 少女は愛想良くそう言った。
やはり彼女と自分の世界は、別モノらしい。ドラゴンは、苦いものを気付かずに食べた後のような顔をした。
「でも想像上にはいるのよ」
笑顔のままに言う。
想像という事は、そこにないという事だ。現実ではない。どうやら少女のいる世界には自分のような姿の存在はいないらしい。
ドラゴンは情けない表情であたりを見渡した。
家中がボロボロである。
「すごく面白い世界でしょ。この世にいない生物を想像して、それが公になっているの。皆が知っている。どの国の人だって、テレビや絵本がない国じゃないかぎり、知っている。頭のいかれた変人あつかいもされずに。不思議でしょう?」
少女の笑顔が彼には空恐ろしく感じた。
彼女は存在しない生物と普通に話しているのか。
ドラゴンは途方に暮れたように呟く。いっそ食っちゃダメかと思いながら。だが彼にそのような度胸があるはずもない。
「未確認生命体……」
彼は少女に対してそう称した。
別に人間が存在しないという意味ではけっしてないし、女性がいないわけでもなければ、幼児が存在しないわけでもない。少女という固有名詞はきちんとあるし、ある特定の年代性別が存在しないという意味でもさえもない。ただただ単純に、初対面のドラゴンに嬉々として、お前は現実かと聞く者が本来いないという事と先に自分の頭具合を心配するだろうという現実を、とりあえず逃避気味の、彼の脳内でなんとか発掘できた常識を元に考えた結果である。
彼の不安に合わせるように、桃色の尻尾が忙しなく動く。
怖くは、ないのだろうか?
自分は怖い。だって自分は桃色だし、気が弱いし、でも見かけは立派なドラゴンだ。他のドラゴンと比べても、彼は大きい方だ。
少女が怖い。でも他の存在よりは怖くない。そこで彼は友人を思い浮かべた。あいつのほうが見た目も中身も怖い、だったら少女はそれほど怖くはないのではないか?
彼の呼吸に合わせ、尻尾も踊る。
その尻尾の動きを、涎を垂らしながら観察していた少女は呟いた。彼はその言葉に仰天することになる。
なにせ、彼自身の存続の危機なのだから。
「おかしいなあ……トカゲの料理が食べたいなんて言ったおぼえ、ないのに」
「は?」
彼は少女を凝視する。いまなんと言ったかこの娘。
「トカゲ?」
今トカゲの料理って言ったか。
トカゲとはなんだっただろうか。彼はしばらく停止した頭を駆使して考える。
尻尾が切れてもまた生えてくるアレだ。彼にとっては、見つめるには小さくてとても重労働がいる存在だ。空を飛ぶわけでもない。
何故トカゲが出てくるのだろうか。
彼は目を細めた。
ここはドラゴンの住みかだ。
彼は天井を仰ぐ。ああ、暗いなあ。先程の風騒動で穴が開くんじゃないかと心配していたのだが、無用だったようだ。
人間の娘を見る。
ああ、とっとと消えてくれないだろうか。
彼の住みかは突然、変な空間に仕上がった。主にこの小娘のせいで。ああ、帰りたい。いやここが彼の住みかなのだ。住みかということはここが彼の帰る場所だ。
彼はガックリと項垂れた。
「焼き鳥が食べたかっただけなのに、なんでトカゲになるんだろう」
それは俺もぜひ聞きたい。彼は慎重に少女の言葉を待つ。嫌な予感しかしない。
「おっきいトカゲで食べ応えはありそうだけど……ドラゴンさんはマズそうだし」
「まてまてまてまて」
慌てて少女に声をかける。声が不自然に震えたのは、彼の気のせいではないだろう。
「お前が、トカゲを連想しているのは、俺、でか?」
「うん」
下を呆然と見た。
赤茶、焦げ茶、影で辺りを隠すように主張する黒色。そして己のピンク色の皮膚。馬鹿にされることはあれど、トカゲに見られた事はない。それも食用ときた。
次に何を言い出すのやら、想像がつかない。
「桃が食べたい」
ジッとドラゴンを見ながら少女は言う。
彼女は一体何が言いたいのだろうか?
そんなにもドラゴンを食したいのか。それとも食えるものを用意しろという暗黙の意思か、どちらであろうとも、ドラゴンには解せない。何故こちらを見て、桃が出てくるのだ。
「桃は白だろう」
「ピンクに薄ピンクでしょ。それに白。中身は薄く色づいているんじゃなかったかな」
少女は不思議そうな顔をし、そしてドラゴンの顔を見据える。
正直なところ、ドラゴンは視線を少女に向けると窮屈だ。一般的にいう動作、上を見上げるというものも首が痛いらしいが、下を見続けるというのも中々つらい。
「ドラゴンさん以外も、皆その色なの?」
ふっと外を見た。ドラゴンは目を細め、口元を歪める。
ドラゴンは皆、黒や青、白銀だ。
人が人と違う存在を廃するなら、他の生き物もまた、己と違う存在を忌み嫌うのだ。
少女もまた、外を見た。こちらは口元を緩める。
「異世界トリップ初体験なんだけどさ」
「異世界トリップ?」
最初もそう言っていたな。ドラゴンは少女を見つめた。少女は朗々と語る。その表情はいつになく真剣だ。少なくとも今まで話した中では、真面目だ。
「道を歩いていたら、あら不思議、ここはどこ? そこは今まで見ていた場所ではなかった。見知らぬ空気、見知らぬ景色。彼女は慄いた!」
「彼女って誰だ?」
「さあ?」
「……」
真面目な顔でいい加減に喋らないで欲しい。
「そして定番は!」
くわっ、と少女は目を見開いた。その勢いに思わず後ずさる。でもここはそんなに広くはない。すぐに壁に背があたる。
彼女の存在感が一気に濃くなった。
「王子様!!」
髪があちこちに揺れる様は少し怖い。
「第一王子かなにかで権力争いをしてる王子様! もしくは皇帝」
「定番が王族?」
「そして少女と王子様は恋に落ちるの」
「畏れ多いな」
「それが恋よ、落ちるのよ、お互いに」
「奈落の底に?」
「そう!」
「そうなのか!?」
いいのかそれで。
「ヒロインにはヒーローが付き物なのよ!」
ドラゴンは眉間のあたりを、人間相手なら簡単に裂いてしまう長めの鋭い爪で少し押さえ、息を吐き出した。この少女はいっそ、友人である本物の『王子様』に押し付けるべきか。いや待て、あの他称王子、あいつも大概変な奴だった。
ううむ、押しつける事が不可能だったら、とりあえず引っ越すべきかな? ドラゴンは遠い目をしながら、結構本気で思案した。
少女の頬を見る。
「桃食べようかな」
いつのまにか彼はポツリとそう呟いていた。
物語の始まりというのは、理不尽で珍妙なのだ。彼はのちにそう語る。




