選ばれなかった者
暁華ノ戦域 (ぎょうかのせんいき)と読みます。
拙いですが、よろしくお願いいたします。
2050年、東京都上空に裂け目が出現した。
地球上のあちこちに現れた"滲域"と呼ばれる区域では、大気が濁り、時間がゆがみ、人が人であることを保つことすら困難になっていた。
その中心にいるのが"滲獣"――マナ汚染によって自然界から滲み出た異形の存在。
この日もまた、ひとつの滲域に、新たな戦場が生まれようとしていた。
現場は旧多摩圏。今では滲域A-14と呼ばれている。
雑多な瓦礫と剥き出しのアスファルト。街だった痕跡はほとんどない。
そこへ送られたのは、第302小隊――寄せ集めの雑兵部隊。
その中に、ひとりの少年がいた。
名は花守朝陽。
適性判定は最低。マナ反応値ゼロ。
正式な戦闘職ではなく、従軍補助として登録されていた。
役目は搬送、掃除、記録、死体処理。
戦う者ではない。ただ、そこにいる者。
「……死にに行くようなもんだな」
前方を歩く兵士のひとりがぼそりと呟く。
「黙れ。あいつに聞こえる」
別の兵士が言うが、朝陽は気にした様子もなく、ただ静かに支給された防弾ベストの裾を直していた。
「いいよ、別に。間違ってないし」
その口調は穏やかで、むしろ兵士たちを困惑させた。
行軍の指示が出た。部隊は建物の影に広がり、最低限の布陣を敷く。
滲獣が現れる気配はまだなかった。
その時、突如として警報が鳴る。
滲域の濃度が上昇。
空が赤く染まる。
B級以上の反応。
本来、この区域に現れるはずのない上位体。
「嘘だろ……B級なんて聞いてねぇぞ」
「撤退要請! 早く本部に──っ、くそ、通信が……っ」
数分後、異音が響く。
空気を裂く音。重く、湿っていて、生命を殺すためだけに存在する振動。
その中から、それは現れた。
巨大な四肢。腕のようで腕でない。骨のようで肉のような質感。
《滲核体・號 (しんかくたい・ごう)》。
司令部でAクラス指定されている上位滲獣。
部隊は一瞬で混乱した。
「撃て! 撃てぇっ!」
「駄目だ、弾が通らねぇ……っ!」
「指示は!? 指揮官はどこだっ……」
獣が咆哮を放つ。音ではない。脳に直接響くような“圧”だった。
兵士のひとりが膝をつき、頭を抱えながら倒れる。
数発の銃弾が放たれるが、滲核体の表皮に吸われ、何の手応えもない。
獣の腕が振り下ろされ、三名が一瞬で叩き潰される。
その血と肉が、まるで花弁のように周囲へ散った。
朝陽は叫び声や爆発音の中で、何もできずに立ち尽くしていた。
近くで兵士が倒れた。彼の足元に転がる折れた鉄パイプ。
意識するより早く、彼はそれを拾っていた。
滲核体がこちらを向く。
眼が合った気がした。、そう“感じさせられた”。
異形の存在と対峙しているというより、重圧そのものと向き合っているような錯覚。
その瞬間、空気が変わる。
周囲の音がフェードアウトしていく。
時間の流れが、少しだけ遅くなった気がした。
「……こっちにくる」
獣が踏み込む。
視界に映るその脚の動き。
砕ける地面。浮いた瓦礫の粒子。圧縮された空気の帯。
右へ跳んだ。足裏に伝わる砂利の感触。滑りそうになる足首を角度調整。
身体が傾き、獣の爪が数センチ先を切り裂く。
視線を逸らさず、切り返す。
全身をひねり、鉄パイプを振るう。
振動が手首に走る。鈍い感触の先に、柔らかくも抵抗のある何かを感じる。
異形の目が割れる。
獣が叫ぶ。だが今度は、音が届く前に、朝陽の身体が次の動作に入っていた。
回避。反転。息を整える。
だが、敵は倒れていた。
裂ける音と共に、滲核体が崩れた。
全身が震える。
呼吸が荒い。だが、立っている。
「俺……やったのか……?」
視界の隅に、何かが表示されたような錯覚が走る。
スキル獲得
《臨戦華》
花:ナズナ
花言葉:「あなたにすべてを捧げます」
効果:身体が生存に最適化される
鉄パイプを持つ手が震える。
「なんだよこれ……スキル? いや、俺は……」
それでも、彼は立っていた。
「……花守! 無事か!?」
「え? あ、はい……俺は……」
誰かが名を呼んでいた。
音が戻る。
銃声。悲鳴。命令。足音。
だが、その中心にいた彼だけが、別の時を生きていた。
その夜の戦いで、生き残ったのはわずか3名。
朝陽を除けば、全員が重傷者。
彼の体には傷ひとつなかった。
帰還後、司令部の記録官が呟いた。
「マナ適性ゼロ……? 冗談だろ」
「本当にスキャンミスじゃないのか?」
「……歪みの反応だけが記録されている。あれは、何なんだ……」
翌日、彼の戦闘記録は“適性判定不能”として保留される。
正式な分類は、まだ決まらない。
だが、彼の体には確かに“花”が咲いていた。