第一章|青山、午後四時の硝子(ガラス)
南青山のカフェは、放課後の生徒には少し背伸びをした場所だった。
でも制服のまま入っても、とくに浮くこともなく、誰にも見られず、必要以上に構われることもない。
それが、この街のいいところだ。
カウンター席のガラス越しに見える道は、整えられすぎていて、まるでCGみたいに歪みがなかった。
街路樹がつくる影のかたちが、車道に静かに揺れている。
3月の終わり、風はまだ冷たいけど、日差しだけは明らかに春を告げている。
私は、アイスラテのストローをくるくる回しながら、スマホを机に伏せて置いた。
視界の端には、対面に座る先生のグレーのシャツの袖口と、銀の細い腕時計。
先生はコーヒーを飲んでいたけど、砂糖もミルクも使わない。
― この人、感情の調味料みたいなものは、全部、自分で封印してるんだろうな。
「今日は陽射しが綺麗ですね」
わたしが言うと、先生は窓の外を一瞥して、ただ「うん」と頷いた。
その「うん」に、脈拍はなかった。
たぶんそれは、先生の肯定というよりは、情報の確認だった。
「……わたし、病気なんです。白血病。もう、あんまり時間ないらしくて」
その瞬間、先生の手元がほんの少しだけ止まった。
コーヒーのカップの底が、ソーサーの陶器と擦れて、かすかに音を立てる。
私の声も、あの音も、透明なガラスで仕切られた外の世界には届かない。
「……そうか」
その一言のあと、先生は視線を上げた。
けれど、目は少し曇っていた
【モノローグ】
なぜ、こんな嘘をついたのか、説明できない。
ただ、見たかっただけ。
この人の、ちゃんとした“反応”。
いつも論理の裏に隠してるくせに、
私が死ぬかもって言ったら、
少しくらい、心が揺れるんじゃないかって。
ガラス越しに見える青山通りに、黒いワンピースの女性が通り過ぎていく。
先生はそれを目で追うように見ていたけど、たぶん、何も見ていなかった