第0章 軌道の外側で
【Prologue|六階の理科準備室】
私立麻布南高校、本館の六階にある理科準備室は、午後になると廊下の窓から西日が差し込んで、床が斜めにオレンジ色に染まる。
この学校の生徒は、誰もそのことを気にしない。だけど、私はそれが好きだった。
理系の先生たちは、だいたい無口で忙しい。
でも、物理の犀川先生は、忙しさのなかに沈黙を飼っているような人だった。
その日、私は課題のことで準備室を訪れた。
「先生、わたし、物理苦手なんですよね」
何気なく言ったつもりだった。たぶん、話の糸口。
「知ってる。でも、たぶん好きではある」
「……なんで分かるんですか」
「苦手だと感じてる人間ほど、法則を理解しようとする。君は、それを“操作”しようとする」
その言葉は、私の内側のどこかを正確に突いた。
― 操作する、っていうのは、たぶん私がずっとしてきたことだ。
数式も、人間関係も、空気も。
わかることと、支配することの境目で、ずっと立ち止まってる。
先生は一切こっちを見ずに、テーブルの上の回路模型をいじっていた。
「物理って、いつも正しいことしか言わないですね」
「……人間よりはな」
【モノローグ補足】
たぶん、私はこの人のそういうところが好きなのかもしれない。
好きって言葉を、まだちゃんと定義できてないけど。
でも、何かを“操作”しようとして失敗したとき、
きっと一番、怒ってくれるのはこの人なんだって思ってた