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ファーストキッス

作者: 岩隈大介

「まだ終わっていねぇのか? もたもたしてねぇでさっさと作れ」職場のリーダーから小松に怒号が飛んでくる。周りのキャストは見て見ぬ振り、人件費削除のため一人にかかる仕事の負担が増えて他人の事などかまってられないようだ。

「また小松が怒られている」と誰かがヒソヒソと話しているのが、小松本人に聞こえたが、怒鳴られた事で極度の恐怖心が体を硬直させ目の前の作業がますます遅くなってしまっていた。それをじっと見つめてミスを起こすのを待っているシェフ。

ますます指が動かない。「あぁー、またミスをしてしまった」

待ってましたとばかりに、それを見届けたシェフはリーダーを呼びつけ、小松を注意するよう促す。目の前の小松本人にはその会話が聞こえてくる。

「目の前にいるんだから、直接注意してくれれば良いのに」といつも思うが実にいやらしシェフ。

 職場にとんでもないパワハラシェフがいて、小松はいつもその餌食になってしまう。周りのキャストは、小松を助ける事などなく、シェフのことは陰で悪く言っているくせに表では「小松の作業は遅いからね。イライラするのもわかりますよ。困ったさん、小松さん」などには媚びを売るキャストもいた。職場には誰も自分に味方してくれる人はいなかったが、一人だけさりげなく手助けしてくれる阿部。小松は阿部にいつもありがとうと言えない事に情けなく思っている。心の中ではいつも「阿部さんありがとう」と思っているにに

小松は上司にシェフのパワハラのことを直訴した。上司からかえってきた言葉は

「あなたからの一方的な訴えでは、何もできないのでその行為が行われたとき呼んでほしい」だった。上司はいつも現場にはいないので呼べと言ったって無理な話だった。

 上司からの子供だましの返答にはあきれ諦めるしかないのか。会社には相談室というところがありそこへもそのパワハラ行為を相談した。それからもシェフからのパワハラは収まることもなく、それどころか掲示板には「小松真莉愛」他店舗へ異動辞令が発表された。まさに正直者が馬鹿を見る出来事だった。異動先にもわたしの作業の遅さが申し送りされているのだろうか、「困ったさん小松さん」とヒソヒソとわたしの耳に陰口の言葉が聞こえてきた。ここは外から見れば憧れの夢の国なのに、作業が遅かったり覚えが悪いと、作業をあおられ、ますます遅くなってしまい悪循環が生まれてしまう。精神的に追い込まれたた小松は、自分自身の個性が失われた気持ちになり退職を決めた。その最終日に従業員食堂でわたしの作業をさりげなく手伝ってくれた阿部大輔が同じテーブルの目の前に座った。

小松は退職することを伝えるため、目の前にいる阿部に緊張して「阿部大輔」さんと言ったところで、阿部は「こんな、みんなの前でだめだよ」と口元に人差し指で「シィー、僕もだから」と言った。

小松はこのとき阿部も退職するのかと思った。

阿部は「阿部大好き」と言われたと思ったようだった。

「フルネームで言うから、勘違いしちゃったよ」

「わたし今日で退職します」

「偶然だな、俺もだよ。次の仕事きまったのか?」

「いいえ、精神的に限界を感じて突発的にやめる事にしちゃった」

「そうか、だったら次の仕事が決まるまではデートに誘えるな」

「えっ それってデートの誘いですか?」

「まあそんなところだよ。俺もさ精神的に追い込まれていたんで、どこかのんびりできるとこへ行こうかなと思っていたんだ、一人より二人で行けば嬉しいもな」

「そうね、じゃあ、気が変わらないうちに明日行きませんか?」

「えっ。 急だね。どこへ?」

「わたしね、明日妖怪に会いに行こうとしていたの」

「妖怪? そんなのどこにいるんだ」

「妖怪はウソよ、深大寺に行き、心を落ち着かせようと思っていたの、雑誌の記事に深大寺の鬼太郎茶屋の写真が載っていたのでつい妖怪って言っちゃった」

「深大寺って蕎麦で有名なところだろ」

「そうよ、蕎麦だけじゃなく自然豊かな良いところだって」

 小松は精神的に不安定だからぶらぶらと深大寺の自然の中を散策しようと思っていた。仕事を辞める最後の日に少し気になっていた阿部を誘うことになり、とても嬉しかった。最後の日にだ。まさしくラストチャンス。

 阿部とは吉祥寺で待ち合わせバスで深大寺へ行くことに。バス停には五から六人ほどの人が並んでいた。後尾に並ぶとバスはすぐに来た。座席はまんべんなく空いていて、阿部はここへ座ろうと二つ空いていた一人掛けの席に手を指したが、小松はその後ろの二人掛けに座ろうと。

阿部は「えっ」と言う顔をしていたが嫌がらず狭い二人掛けの窮屈な席に座り世間話をしていたので、時間の過ぎるのがやけに早かった。次は神代植物公園のアナウンスが「もうすぐ深大寺だね。なぜ深大植物公園と書かずに神代植物公園なのかな?」

「そういえば呼び方は一緒なのに漢字は違うもな」

 そんな会話をしていたら、いつの間にか終点の深大寺の停留場に到着していた。バスを降り深大寺観光案内所で散策マップを二部もらい一部を阿部に渡すと「一部を二人で見ようよ、その方が二人の距離が近くなるからね」と照れながらわたしの目を見ている。

小松もその言葉に何の抵抗もなく「うん」と阿部の腕に吸い寄せられていた。

 散策マップには、深大寺の見どころがわかりやすく解説されていた。

 メインの境内を抜け森の中を歩いて行くと、木が揺れ葉っぱのこすれ会う音。スゥーと漂う風がとても不思議な感触で、心の中にあった悪い嫌な思いを取り除き頭の中をリセットされていくような気持ちになっていた。阿部も同じ状態になっているようだった。

 地図を見ながら深大寺への山門を抜けるとゆるく反った屋根の中央に金色の宝珠、四方にある降棟の先には金色に輝くものがあり、豊かな湧き水が流れ出て緑と水の調和が頭の中の悪いものを洗い流してくれている。本堂を正面に見た阿部は「屋根がかぶとのようだ」小松は「髭男爵のひげのようね」と近寄ると左右に「木」とかたどったものが、その時「ゴーン」と鐘が鳴り響いた。二人の背中に稲妻のように鐘の響きが走った。

 腕時計を見ると十一時三十分を指していた「お腹空いてきたね」「蕎麦食べに行こう」と二人はほおずきのお守りを購入して、どこの蕎麦店に入ろうか? と歩き出していた。

メインストリートに来ると鬼太郎茶屋の看板が見えた、看板と言うより屋根に大きな下駄がありわかった。茶屋の前にある木の幹に下駄が、その上には小さな小屋の中から鬼太郎と目玉おやじが「ようこそ」と深大寺へと言っている。小松の頭の中にはこの小さな小屋の周りにたくさんの妖怪たちが見える。

「妖怪たちにどこの蕎屋がいいの?」と問いかけると「どこも美味しいから店の数だけ深大寺に足を運んで」と鬼太郎の声が聞こえた。小松は阿部と手をつなぎながら「この先まで行ってみよう」と蕎店の並ぶ道を歩いて行くがお店が途切れはじめ緑が多くなってきた。

「もう少し歩いてUターンしよう」としたとき「雀のお宿」と書かれた古風な門が見えた。阿部は門の中を覗き「ここへ入ろう」と「泊まるの?」と聞く小松に「食べるんだよ、お蕎麦」「えっ ここ旅館じゃないの」「お宿って書いてあるけどお蕎麦やさんだよ」綺麗な中庭を進み食券を購入した二人は一番奥の離れのような部屋へ行くよう店員から言われた。離れの部屋は真ん中に大きなテーブルがあり、その周りにいくつかの四人掛けのテーブルが設置されていた。お冷をテーブルに持ってきた店員が食券をちぎり半券を持ちながら部屋を出て行き二人だけになった。小松はさきほど買ってきたほおずきのお守りを取り出し、ショルダーバックに取り付けだした。それを見ていた阿部も同じようにスマホに取り付けた。そして小松の前に座っていた阿部がするっと小松の隣に座り写真を撮ろうと右手にスマホを握り、左手で小松の体を寄せながらパシャっとツーショットの写真を撮った。その一瞬、小松の頬と阿部の頬が触れた。撮れた画像を見た二人は「あれっ」同時に声を出した。

「二人のほっぺたが真っ赤でまるでほおずきみたい」

今買ってきたほおずきのお守りみたいな画像になっていた。そしてその画像には二人の頭の上に棚に置かれた雀の置物が二人を見つめていた。

「ほおずきのお守りは僕たちの恋の始まりのお守りだね」

「急にあらたまって、何変な事言うのよ」

「深大寺って、縁結びでの御利益で有名なんだよな」

「わたしもそれ思っていたのよ」

「今まで思っていたこと言えないでいたけど、ここへ来たら自分に正直になれた気分。これからもよろしくな」

「わたしこそよろしくお願いします」

 この時、小松の唇には、阿部の唇が重ね合っていた。うれしいファーストキス。

「深大寺に来て良かった。ほおずきさんありがとう」

 阿部は少し真剣な顔になって首をかしげていた「小松の名前は真莉愛だったよな」

「何よ。突然」

「いや。俺たち結婚したら君はアベマリアになるんだなと思っていたのさ」   



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