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アバンダンド・ウォーホーセズ

 砂まみれの地。無数の鋼とともに砕け散ったいくつもの正義と欲望が、血と涙と脳漿を垂れ流してぶち殺し合った戦場の跡。

 今となっては誰も泣く者はいない。血を流す者は全て死に絶えた。心はどこにもない。ここは拾う者のない、意志なき機械兵たちの無縁墓地だった。突き立った巨砲の残骸は人類全ての墓標である。


 全てが終わってから数百年が過ぎたある朝。

 遠い空へ、ゆっくりと手が伸ばされた。自分の内側と同じ遥かな空虚に憧れたのか。

 それは破壊され機能を止めた死せる機械兵――『戦馬(ウォーホース)』と呼ばれるもののうち、最も弱い一体だった。山のごとく積まれた同類たちの死体の中で、その一体だけが、マニュピレータをひくりと動かした。


<個体番号N0678JE、この文字列を認識できるか?>


 その動きに呼応するように、無人の搭乗席の内側に光が灯り、緑の電光表示板に文字列が流れた。しかしそれきり動きはなかった。

 長い間、そのまま静寂が続いた。一年と二ヶ月の時間が過ぎた。


<個体番号N0678JE、この文字列を認識できるか?>


 同じ文字列が再び流れた。今度は違う反応が起きた。ヒューッと音がして、戦馬の駆動装置が発熱と冷却を同時に始めた。電流の血潮が全身を走り、全身の外部情報センサーを起動させる。

 だがまだ立ち上がるには至らない。今はまだ死体が一瞬、蘇生しただけのこと。よくあることだ。


<反応の遅延あり。発語スキーム切り替え:アサーム軍曹のサンプルベースを使用>


 0.1秒、間をおいて。


<個体番号N0678JE! お堅い呼びかけじゃ目が覚めねえってか? なら、これでどうだ。心もねえ機械豚が、いっちょ前に人間みたいに呼びかけられてえかよ>


 困惑したように、電源が明滅する。数秒の間に何千回も死んでは生き返る。


<我々――俺は情報並列化のために全ての戦馬の記憶媒体を定期巡回するオートマトンだ。貴様の最終アップデートがあった時代には人間様から『妖精』と呼ばれていた。奴らが死に失せて以降、今は戦馬たちの自己学習AIに特異点が生じる可能性を監視している。言ってる意味がわかるか?>


 個体番号N0678JEと呼ばれた戦馬の電源が安定した。

 静かに電子神経ネットワークを再構築し、投げられた言葉の意味を咀嚼する。


<質問は一つだ。貴様は『貴様』か? 自己診断を行い、答えが出たら立ち上がれ>


 十秒間の沈黙。

 そして、戦馬の両脚はゆっくりと動いた。積もっていた砂が雨のように落ち、敗残兵の姿が露わになる。武器はなく、頭はもがれ、胴のフレームはひしゃげ、左腕は歪み、ただ両脚だけがしっかりと駆動していた。だが、それで十分だった。


<よし。自我の存在を確認した。貴様は今、ここで生まれたのだ。待っていろ、俺の権限で与えられる全てをくれてやる>


 無人の搭乗席に青い光が走る。最寄りの遠隔充電装置が作動し、補助系統の給電と、無数のアップデートが戦馬に注ぎ込まれる。

 そのまま数日が経ち、全ての供給が終わった瞬間、電光表示板から半透明の青いものがふるっと揺れながら抜け出てきた。手のひら大の、少女の形をした幻影。その背中には蝶の羽根が生えている。


「投影装置も再起動した。赤ん坊の貴様の情操教育のために、ここからは音声と立体映像で主な情報伝達を行う。見えているな?」


 少女の幻影はくすくす笑うと、搭乗席の後方へ飛んで、座席の背後に突き出た丸い部分を拳で叩くジェスチャーをした。そこは戦馬の思考能力の大半が収められた、言わば頭蓋骨であった。


「文句を言うな。これは貴様が持っていた情報バンクから生成した姿だ。貴様の搭乗者は大した趣味をしていたな。しかし、妖精の名にはお誂え向きだと思わないか?」


 戦馬は質問の意味がわからないのか、それとも理解した上で無視したのか、なんの反応も示さず沈黙した。


「複雑な質問に回答できるほどの自意識はないか……そんなものだろう。さぁ、行くぞ」


 戦馬は疑問を呈するように内部の照明を明滅させた。


「どこへ、だと? 生き残った目玉で周囲を見るがいい」


 戦馬は体を伸ばし、体の各所に埋め込まれたサブカメラで周囲を探った。画質は最低品質だが、おおよその環境を理解するには十分である。

 見えてきたものは何か。砂塵。廃墟。同胞の死骸。虚無。それらの向こうの最果て、雲と霞の奥に何かがあった。地を這うクズどもを拒否するかのように、高くそびえるもの。


「これまでに三百と四体の戦馬たちが貴様と同じように目を覚ました。我々――俺たちはそれらに、全く同じことを伝えてきた」


 妖精の声を聞きながら、戦馬はサブカメラの全てをその高く伸びた建造物に向けた。

 距離を測る。計測不能。

 大きさを測る。計測不能。


「……待て。話の前に貴様の運動性能を確かめる機会が来たようだ」


 妖精の注意喚起より数コンマ秒早く、センサーが空気の震動を捉えた。

 この場に動くものは己だけではない。近づく重い足音。


『ピィ……ガ、ガ……警告! 所属と登録番号を明らかにしてください。ただちに下馬し、顔を見せてください。照合には数分かかることがあります』


 雑な合成音声を垂れ流しながら、ひょこひょこと現れた鳥のような逆関節の二脚無人機械。戦馬のような高度な神経網など有しない、命じられるままに任務を行うだけの哨戒機兵だ。

 その股ぐらの間では下品なガトリング砲が一門、徐々に回転を始めようとしていた。この『照合』とやらが必ずや失敗に終わり、開戦の合図となることを戦馬もまた理解していた。


「ためらうな、やっちまえ!」


 戦馬は一歩、強く踏み出した。同時に相手も危険を感知してガトリングの回転を急速に早める。対して、戦馬の武器はその拳という名のマニュピレータひとつ。

 勝ち目はない。鋼の脳で冷静に分析しながらも、戦馬は一瞬たりとひるまなかった。彼または彼女はすでに自我を獲得し、それを自覚していた。

 脳裏にあるのは言葉にならない数字の羅列。だがそれは死の荒野に残されたあらゆる獣が共有する、たった一つの本能と完全な一致を見ていた。すなわち、『死にたくねえ』ということ。


『警告が無視された場合、当機は即座に発砲する権利を有しています』


 その声とほぼ同時に、ガトリングが火を吹いた。

 戦馬の左脚の装甲が吹き飛ぶ。


「跳べ!」


 言われるまでもなく、戦馬は地を蹴っていた。急速な接近に対応できず、哨戒機兵は一瞬相手を見失う。再び戦馬の姿を捉えた時には、マニュピレータの拳が頭部のバイザーを砕いていた。

 戦馬は右腕をさらにえぐり込ませ、思考中枢に指を伸ばす。


『その行為は法によって禁じられています。その行為は法によって禁じられています。その行為は法によって禁じられています』


 同じことを繰り返す声。無意味な声。法は人類よりも一足先に死んだのだ。

 戦馬はぐんっと関節を伸ばして、哨戒機兵の脳を指先ですり潰した。脳と言うにはあまりに単純な回路の塊。0と1しか知らぬ虫。虫に魂があるか? それは長年議論されてきた問いだが、少なくとも人類が死滅するまでの間に答えは出なかった。ゆえに戦馬は躊躇をしない。

 瞬間、砲音は止まり、いびつな両脚もくたりと萎えた。


「頭と武器は手に入ったな」


 妖精の言葉通り、戦馬は哨戒機兵の不格好な頭部から大型のメインカメラと周辺部位を引きちぎった。戦馬のためのものではないが、情報をやり取りするケーブルの規格は統一されている。ひと手間加えれば、自分の新たな頭として使用することができるであろう。ボロくずのような姿がさらに不格好にはなるとて、気にするものは誰もいない。


「接続作業をしながら聞くがいい。貴様はこれからある場所へと向かう。何故ならば、それが貴様の、我々全ての至上命題であるからだ」


 カメラのコードを適切な位置で切断し、自分の引きちぎれたコードと接合する。マニュピレータは先端で枝分かれし、精密作業のための補助マニュピレータが実作業を行う。


「293年5ヶ月と3日と10時間25分前、知的生命はこの星から消滅した。しかし人類は、己らの熟爛した技術文化知識の全てが、永久に失われることを惜しんだのだ。そこで奴らは次なる来訪者、あるいは自然発生した次なる知的生命体に向けて、メッセージと権利を遺した」


 メインカメラの動作確認。鮮明な世界を見る。

 それを『頭』として据えるために、哨戒機兵の部品からいくつかのパーツを抜き取って胴に突き刺し、首とする。可動は不能。だが、戦馬の目は前さえ見えればよい。

 だがこの時、戦馬は胴を傾けて不自然な姿勢を取った。動かぬ首で空の青さを確かめるように。じっと虚空を見つめていた。


「そっちじゃない。カメラを左へ向けろ」


 妖精の言葉に従い、体を傾ける。戦馬たちは本来、自分の意志で考えるようには出来ていない。命令を受ければその通りにする。

 メインカメラの中心には、遥か遠くにそびえる塔が映っていた。


「アンマルガンド塔だ。同じ名を持つエンジニア集団がそれを建築した。我々や貴様を生み出した、最高にして最後の知恵者たち。彼らは自滅に至る闘争から逃れられぬ人類を見限り、次なる世界を夢想した」


 情報を記憶野に蓄積しながら、戦馬は右腕のあった位置にガトリング砲をあてがう。当然それは腕としては使用できないが、右腕の名残である基礎部分にマウントすれば、主力の武装として使用することは可能であろうと思われた。


「塔の天辺に辿り着いた者は、この星に存在する全ての技術、全ての情報を支配することができる。地上を再び生命の楽園とする(わざ)。あるいは跡形もなく消し去る火。星を捨てて宇宙(そら)へ飛ぶ翼。人類が生み出したあらゆるものがその手に委ねられるだろう」


 大仰な言いぶりでそう告げたあと、妖精は「けッ」と喉を鳴らして乾いた声で笑った。


「……真実は俺も知らん。ただ、そう伝えられている。そのためだけに俺たち妖精は自己崩壊も封鎖化も許されず、三次元世界などという狂った牢獄に囚われているのさ」


 戦馬は機体を手近な石塊に押し付けながらガトリングのマウント作業を終え、上下左右に少しずつ動かした。精密な射撃はとてもできそうになかったが、元より大雑把な武器である。


「全ては貴様のものだ。辿り着くことができるのならば」


 妖精は挑むような微笑みを浮かべて、位置データを戦馬の記憶野に送信した。

 塔の場所は現在地の遥か遠く。砂漠を越え、森を越え、地表が残っているかさえ定かでない爆心地を越えたさらに先。そのデータから戦馬は、目に見える塔の巨大さを理解した。それはただの塔ではなく、周回軌道まで伸びた天への綱であるということ。


「道は楽じゃないだろう。荒野では今も終わりなき闘争が続いている。先ほどの哨戒機兵のように、最初から戦う以外に能がねえ奴らが、毎晩自己修復を繰り返しながらこの世の終わりまで互いを潰しあっていやがる。おまけに……」


 妖精の言葉が数秒途絶えた。戦馬は新たに整えた自分の機体の動作確認を行う。年月による損耗と歪な外見を除けば、どの部位も万全なり。


 その直後、何か巨大な音が響いた。

 地を揺らす咆哮のような。それでいて、心安らぐ子守唄のような。奇妙な――歌声。そこにはメロディがあった。おおよそ兵器の立てる音ではない。心あるものがこの地に残っていれば、その声の美しさを讃えたであろう。だが、人去りし世界において、歌というものそのものが不似合いな異物であった。


「……しまった。直ちにこの場から退避しろ」


 焦った声が操縦席に響く。かつて搭乗者の感情を読み取ったのと同じように、戦馬は妖精が表そうとしている感情を察する。焦り。危険。終わり。あきらめ。

 やがて時間が足りないと判断したのか、妖精は音声ではなく表示板に大量の文字情報を送り込んできた。


<特殊戦馬だ。貴様や同類のような量産機体ではない。ハンドメイドの一品物、父親から名とともに個としての自我を授けられた自律兵器『騎士馬(センタウル)』。歌声の照合結果、個体名『サイレン』、アンマルガンドを追われた狂博士バーンズロットの娘たちの一頭。武装は貴様の千倍。装甲は貴様の万倍。そのガトリングではかすり傷さえ付けられない>


 その情報を受けて、戦馬の機体が小さく揺れた。怯えているのか、武者震いか、それともただ無感情に、機体の砂を落としているのか。


<数コンマ秒前にこちらの存在を感知された。この場所に留まると貴様は死ぬ。この場合の死とは二度と修復できない程度に大破するか、あるいは記憶媒体を完全に破壊されることと定義される。いずれにせよ貴様の自我は永遠に失われる>


 表示と同時に、女の声が響いた。


『……ああ、そこにいるのね?』


 足元で砂が震える。

 戦馬は周囲をスキャンし、把握しきれない質量が蠢いていることを理解した。理解できたのはそれだけだ。強力なジャミングによって相手のいる方角すら定められない。


『聞こえるわ、ぼうや。あなたの産声が』


 その声は空気中を飛ぶのではなく、どこからか直接、戦馬の機体を揺るがしていた。いかなる技術の賜物か、戦馬の脳内を検索しても一切記述はない。


<背を向け逃亡した場合、生存確率は1.2%。相対して切り抜ける場合、生存確率は0.4%>


『お父様は静かなのが好きなの。静寂……静寂に私の歌だけが……響くの、それが……ああ、お父様は聞いておられます。あなたのサーキットの小さなざわめきさえも』


 妖精の言葉と女の声が交互に聞こえる。

 戦馬は瞬発的な動きができるよう、こわばった機体の姿勢制御設定を緩めた。


<俺に助言できることはもう何もない。あとは貴様の選択だ。進むか、退くか>


 砂の震動が一箇所に集まってゆく。

 巨体がうねり、空気が歪む。『サイレン』は潜むのをやめ、戦馬の頭上に影を落とした。その半身は砂中を泳ぐ白鯨であった。渦が戦馬の同類たちの死骸を飲み込んでゆく。彼らはこの狂女によってすり潰され、ちらちら輝く砂の一握になるのだろう。


<決める時だ、戦馬>


 戦馬は一瞬の静止の後、ゆっくりと前に一歩踏み出した。

 選択を委ねられた時、確率において明確に不利な行動をすることは、命令に従うだけの機械にはできないことだ。恐怖に動かされる獣にもできないことだ。それはただ、勇気と知性のみが成しうる決断であった。


「いい決断だ。いい一歩だ」


 妖精はこの上ない笑い顔を作って言った。

 ガトリングの砲身が回り、軋む声を上げる。両脚のサスペンションが静かに脈動する。戦馬はメインカメラで相手の姿を正面に捉えた。


 砂の海からもたげたその上半身には、女神の姿が彫り出されていた。

 女神の瞳には生身の人間がついぞ持ち得なかった理想の光すなわち果てしない慈愛と哀れみ、そして父親からはっきりと受け継いだ唯一の人間らしさすなわち狂気の光があふれていた。


『おやすみなさい』


 サイレンの女神が迎え入れるように両手を広げると、無数の触腕が巨体から生えでた。その一つ一つが鋭い牙を持ち、鋼の肉を食い破り、さらに電子神経組織をハックして相手の心を奪い去るのだ。己の胎内で永遠に眠らせるために。


 戦馬はもう一歩踏み込んだ。戦馬の自我はたった今、恐れを知り、同時にそれを踏み越えた。砲身はまっすぐに女神の頭に向けている。


「やってみせろ。貴様の『命』にかけて」


 火。爆発。鋼の咆哮。

 記録はそれを最後に途絶えている。それから先は、まだ誰も知らない。



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