今までありがとう。さようなら。
小学五年生の頃、ミユキは奇妙な夢を見た。
気づくと知らない商店街に立っている。明るい時間帯だというのに通行人は誰もいない。店には服や食べ物などの商品は並んでいるが、なぜか店員の姿もない。
ミユキは心細さを感じながら、当てもなく道の真ん中を歩いていた。すると、プルルルルと電話の音が聞こえてくる。音のする方を見ると、電話ボックスがあった。どうして公衆電話が鳴るんだろうと、不思議に思いながらボックスの中に入った。受話器を取って、耳にあてがう。
「もしもし、ハルカだけど」
聞き慣れた声がした。友達のハルカだ。心細さが和らいだのも束の間、信じられない言葉が続いた。
「私、もうすぐ死ぬみたいなの。だからお別れを言いたくて。今までありがとう。さようなら」
「どういうこと?」
ハルカの返事は無く、ガチャンという音がして、電話は切れた。
そして、目が覚めた。
気味が悪い夢だなと思ったが、そのときはたいして気にも留めなかった。
その日、学校に着くとハルカの姿がなかった。嫌な予感がした。そして、それは的中した。担任の先生からハルカの訃報を聞いた。昨夜、交通事故で亡くなったらしい。ミユキは夢の内容を思い出した。ハルカは夢を通してお別れを言ってくれたのだろう。ミユキは涙が止まらなかった。
それから二年後、ミユキが中学生になった頃、またあの夢を見た。
見知らぬ商店街に立っている。いや、もはや見知らぬ場所ではなかった。二年前の夢を思い出す。
商店街にはあのときと同じように誰もいない。
しばらく歩いていると、例の電話ボックスを見つけた。また誰かが電話をかけてきて、別れを告げられるのだろうか。
仲が良い人の訃報じゃありませんように、とミユキは心の中で祈りながら、電話ボックスの隣にしゃがんだ。
しかし、いつまで経っても電話が鳴らない。夢が覚めることもない。
ミユキはぼーっと商店街を眺めていたが、次第に退屈になって立ち上がった。もしかしたら電話が壊れているのかもしれない。それか、電話線が切れているのかも。
そう考え、とりあえず電話ボックスに入ってみた。機器の周辺を確認してみると、妙なものを見つけた。電話の隣に十円玉が五枚、積み重ねられていたのだ。
こんなものは前に来たときになかった。誰かの忘れ物だろうか。いや、違う。これは自分の夢なのだから。
あれこれ考えていると、一つの可能性が頭に浮かんだ。
(私が電話をかけろってことなのかな)
信じたくない可能性だった。もしそうだとすれば、自分はハルカのように、もうすぐ死んでしまうということだ。そして、死の訪れを誰かに伝えなくてはならない。いや、伝えなくてはならない、というよりも、伝えることができるといった方が正しいのだろう。この電話は、神様の贈り物なのだ。
自分はどのような死を迎えるのだろうか。ハルカと同じ交通事故だろうか。だとしたら大きな苦痛を伴う。そんなの絶対に嫌だ。目が覚めたら、できるだけ楽に死ねる方法を探そう。
ミユキは死の恐怖をなんとか抑えると、電話をかける人間を誰にするのか考えることにした。お別れを言えるのは五人だけ。一緒に暮らしている両親と姉は絶対だ。あと三人は誰にしようか。候補者がたくさんいる。ミユキはしばらく考えて、特に仲がいい友達二人に電話をかけることに決めた。
受話器を取り、震える手で十円玉を入れる。番号のボタンを押すと、電話はすぐに繋がった。相手は母だ。最初に言うことはもう決まっている。
「もしもし、ミユキだけど。私、もうすぐ死ぬみたいなの。だからお別れを言いたくて。今までありがとう。さようなら」
ハルカと同じことを言うと、電話は勝手にガチャンと切れた。長話はできないらしい。でも、これでいいのだと思った。長話をしだすと終わらなくなるのだから。
父にも姉にも、友達のカエデとミサキにも電話をかけ、同じ言葉を告げた。
五人目の電話が切れたとき、うしろからガシャンッと大きな音が聞こえた。見ると、誰もいない店のシャッターが降りていた。他の店のシャッターもひとりでに音をたてて降りていく。
電話をかけ終れば、てっきり目が覚めると思っていた。だがまだ夢は続くようだ。新しい展開というより、舞台の幕引きを見せられている感じがする。目が覚めないまま、夢が終わる。これは何を意味するのだろうか。もしかすると、自分はこのまま目を覚まさず、死んでいくのではないだろうか。
ミユキは夢を見る直前の出来事を思い出すことにした。見知らぬ男の顔が頭に浮かぶ。その男に突然襲われ、首を絞められたのだ。そのまま気を失い、ここに来た。
空が薄暗くなってきた。これから訪れる死の苦しみがどんなものか心配だったが、既に経験していたらしい。もう怖がる必要はないのだ。
空は見る見るうちに暗くなって、最後は何も見えなくなった。商店街も。電話ボックスも。自分の手も。何もかも。
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