勇者の生まれ変わりだと豪語する隣の席の女子が、俺のことを魔王扱いしてくる ~まったく勘弁してくれよ……ガチだから~
その日は突然訪れた。
何気ない朝。
いつものように学校へ行き、教室の窓際、一番後ろの席へ座る。
クラス全体を見渡せるベストポジション、そこが俺の席だった。
しばらくたってぞろぞろとクラスメイト達が登校してくる。
何となく窓の外を見ていると、隣からドサッという音がした。
隣の席のクラスメイトが登校したのだろう。
俺の隣の席は、メガネをかけた地味目の女の子だった。
大人しくて目立たない子だけど、よく見ると顔立ちも整っていて可愛い。
礼儀正しくて、毎朝必ず俺に、おはようと挨拶をしてくれる。
いつも彼女から挨拶をしてくれるし、偶には俺のほうから言ってあげるのもいいかもしれない。
微妙な気遣いを思いつき、俺はゆっくり振り向こうとする。
「――ようやく見つけたぞ」
ん?
見つけた?
俺に言っているのか?
ピタリと振り向きを途中停止する。
いつものように小さな声で、遠慮がちな挨拶じゃなかった。
実は隣の席じゃなくて、他の席の奴がからかいにきただけか?
それとも俺の勘違いで、俺に対する挨拶じゃなかったのか。
だけど、聞こえた声はいつもの声だった。
間違いなく彼女の声だし、彼女が朝に挨拶の言葉を交わすのは、基本的に隣の席の俺だけだった。
人違いでも聞き間違いでもない。
だったらなんだ?
今の言葉は……。
俺は恐る恐る、疑問を解消するために振り返る。
そこに立っていたのは、案の定彼女だった。
だけど、いつも通りじゃない。
メガネを外し、長くゴワゴワしていた髪もさっぱり短くして、今まで見せたことのない笑みを浮かべている。
彼女はびしっと、俺の顔に指をさす。
「魔王サタン!」
「――え?」
誰ですか、あなた……。
それは、高校最初の夏休みが明けた初めての登校日のことだった。
◇◇◇
時は経ち、俺は高校二年生になった。
新しいクラス、新しい教室。
席は一年の時と同じ、窓際の最後尾を無事に獲得した。
場所は同じでも、見える景色は違ってくる。
一年生の時に同じクラスだった奴もいれば、新しいクラスで一緒になった人もいる。
半々、といったところだろう。
こういう何気ない変化にワクワクする。
だが!
新しいクラスになっても尚、俺には最大にしてクソ面倒な問題をぶら下げていた。
もうすぐ来るぞ。
俺はあえて窓のほうを見ながら、気づかないふりをする。
ガサガサと音をたて、ドサッとカバンを置く音がする。
来たか……。
「――また会ったな! 魔王サタン!」
「……」
「おい、おい!」
「……」
無視を続けていると、ガシッと肩を掴まれて、ぐわんぐわんと揺さぶられる。
「ちょっと! 無視しないでよ!」
「……うるさいな。普通に挨拶できないのかよ」
仕方がないので振り返る。
すると彼女は満面の笑みを向け、得意げな表情で腰に手を当てる。
「やっとこっちを見たな!」
「お前が揺さぶるから仕方なく、な」
「はっはっはっ! つまりこの勝負は私の勝ちってことだ!」
「はいはい。負けでいいですよー」
「ちょっ、もうちょっと真面目に相手してよ!」
「真面目にって……」
俺はじとーっと彼女を見上げる。
「無理だろ。他人のこと魔王とかテキトー言う奴とどうやって真面目な会話をすればいいんだ?」
「テキトーじゃないよ! 君は魔王サタンだ! そして私は!」
トンっと、彼女は自分の胸に拳を当てる。
「勇者エイリンだ!」
「……ソウデスカ。スゴイデスネ」
「魂が入ってない! 本当だからね!」
「じゃあ証拠見せてくれ。勇者なら聖剣とか、特別な力の一つもあるだろ?」
「それは……今は無理だけど」
彼女はもじもじしながら目を逸らす。
俺はため息をこぼす。
「はぁ……じゃあ信じられないな」
「本当だもん! 私は勇者の生まれ変わりで、君は魔王サタンだったんだよ!」
「生憎俺にそんな記憶はない。妄想は勝手だけど、俺を巻き込むのは止めてくれよ」
「妄想じゃないってばー!」
ムキーっとわかりやすく駄々をこねる。
まるで子供みたいだ。
去年の夏ごろまではこんな性格の女の子じゃなかったのに……。
彼女の名前は一ノ瀬コノハ。
小柄で物静かな彼女は、図書館で本を読んでいるのが似合いそうな女の子だった。
それが今や、自分を勇者の生まれ変わりだとか豪語する変わり者になってしまった。
変化があったのは高校一年の夏休み明けだ。
初めての夏休み中に何かあったのか?
俺だけじゃなくて、周りのクラスメイトたちも疑問を抱いた。
もっとも今は……。
「お、またやってるよ」
「朝から仲がいいわね。異世界夫婦は」
「頑張れ勇者ー、魔王に負けるなー」
「お前ら……」
すっかり馴染んでしまっている。
みんなにとって俺たちのやり取りは、見ていて面白い二人にしか映らない。
名物コンビみたいな扱いをされている。
クラス外でも有名になったから、新しいクラスになってもこの扱いは継続中らしい。
変に嫌われたり、腫物扱いされないだけマシだと思おう。
キーンコーンカーンコーン。
俺を助ける様に、始業のベルが鳴った。
みんなが自分の席に戻り、ホームルームの開始に備える。
彼女もちょこんと隣の席に座る。
「魔王! 君が悪さをしないか……今日も見張ってるからね!」
「ガンバッテネ」
「テキトーな返事するなー!」
プンプン怒る彼女を横目に、俺は頬杖をついて窓から空を見上げる。
今日も特大のため息が漏れた。
何が勇者の生まれ変わりだ。
誰が魔王サタンだ。
まったく勘弁してくれよ……マジで当たってるから。
初めて言われた日、俺は内心ドキッとしていた。
魔王サタンの名を、この世界で聞くことになるとは思っていなかった。
まさか、かつて自分が呼ばれた名を、人間に転生したこの世界で聞くことになるなんてな。
すでに告白したようなものだが、俺は異なる世界で魔王だったことがある。
激しい戦いの末、勇者に敗れた俺は望んだ。
戦い、争うのはもうコリゴリだ。
平和でのんびりとした世界に、何の役割もない存在として生まれ変わりたい……と。
その願いは聞き届けられた。
神の気まぐれか、魔王としての最後の力が成した奇跡か。
どちらにしろ、俺は元の世界とは全く異なる平和な世界で、一般人として生を受けた。
そして俺は、望んだ通りの平和で穏やかな日々を過ごし、成長していった。
このまま人として生き、人として死ぬのも悪くない。
そんなことを思っていた矢先、俺のことを魔王サタンだという頭の可笑しな奴が現れた。
ホームルームが始まる。
俺はちらっと隣の席の彼女に視線を向ける。
彼女は真面目に先生の話を聞いていた。
勇者エイリン……その名を忘れたことはない。
かつて俺と敵対し、魔王だった俺をうち滅ぼした勇者の名前だ。
奴も女だった。
俺という実例があるように、奴もまた人間としてこの世界に転生したのか。
と思ったが、すぐには納得できなかった。
改めて考えると、疑問がいくつか浮かんだからだ。
まず、なぜ今なんだ?
俺は生まれ変わった直後から記憶があって、意識があった。
同じなら、彼女も最初から記憶を持っているはずだ。
そして一年の春、出会った時に俺が魔王の生まれ変わりだと気付けていたはずなんだ。
人間として生まれ変わった今の俺にも、魔王時代に蓄えていた魔力はそのまま引き継がれている。
残念ながらこの世界では魔力補充の術がない。
消費すれば回復できないため、なるべく使わないようにしている。
それでも、わかる奴にはわかる。
隠していても、俺に宿る膨大な魔力を感じ取れれば……。
だから彼女が気づけたというなら、今さら指摘してくる理由がわからない。
そしてもう一つ……。
彼女からは、勇者の力をまったく感じない。
俺と同じように転生したなら、かつての力を持っているはずだ。
しかし、彼女からは何も感じない。
ただの非力な人間だ。
転生した後に力を失った?
ならば、どうやって俺の存在に気付ける?
勇者の力なくして、俺を魔王だと見抜くことはできるだろうか?
できたとしても、一つ目の疑問に戻る。
結論、わからない。
彼女が本物なのか、妄想大好きな偽者なのか。
真偽はつけられなかった。
だが、どちらもでよかった。
なぜなら、どちらにしても、俺にとって面倒な相手であることに違いはないからだ。
仮に彼女が本物だとしても、俺が魔王だと認めるわけにはいかない。
そんなことをすればきっと争いに発展する。
かつてそうだったように。
偽物だったとしても、俺が真実を語ればどうなるか?
文字通りの同類、妄想癖のある変な奴だと周りから思われるだろう。
学生生活は残り二年、大学も行くなら倍以上ある。
その期間を変人として過ごすのはまっぴらだ。
つまり……。
知らぬ存ぜずを通すことがベスト!
俺は彼女をテキトーにあしらうことにした。
偽者なら、しばらく続ければ相手にされないことを理解して諦めると思った。
けど……。
「昼休みだぞ魔王!」
「知ってるよ」
半年以上たった今も継続中なわけで……。
少し慣れてきちゃった自分に呆れてしまう。
「今日も食堂に行くの?」
「そうだけど」
「わかった!」
「……いつも思うけど、なんでついてくるんだ?」
「魔王が悪さしないか見張るために決まってるよ!」
「……はぁ、もう好きにしてくれ」
これじゃ授業中が一番平和だ。
彼女が勇者だと言い始めてから、どこへ行くにも引っ付いてくる。
移動教室、昼食、放課後、下校中もだ。
偶然帰る方向が同じらしくて、毎日俺が学校を出るとしれっと隣にいる。
学校での俺の自由はないのか。
ただ、ここまで頑なに自分を勇者だというなら、本物なのだろうか?
改めてじっくり観察する。
勉強はできるほうだ。
元の見た目からも頭は良さそうだったし、変人になってからもテストではいつも上位にいる。
俺より上にいるのは正直ムカつく。
運動は……。
ちょうど午後から体育がある。
男子はバスケで、女子はバレー。
同じ体育館を半分に分けて左右で授業を受ける。
「一ノ瀬さん!」
「まかせっ、うわっと!」
思いっきりスパイクをスカした彼女は、綺麗に着地に失敗してしりもちをついた。
「だ、大丈夫?」
「平気へーき! 全然大丈夫!」
「ほ、本当に?」
「当然だよ!」
とか言いながら涙目だった。
お尻を思いっきり打ち付けていたからな。
普通に痛いだろう。
勇者とは思えないくらいどんくさい。
運動は得意ではないらしい。
「……うーん。正直わからん」
結局、彼女はどっちなんだ?
どっちでも面倒なことに変わりはないけど、いつまでも真実がわからないのはモヤモヤする。
かといって、俺が魔王であることがバレるのはダメだ。
変に過去を聞いたり、力を見せれば確定してしまう。
おかげで今もわからないまま、悶々と悩み続けている。
「ぅう……」
「やっぱり痛かった?」
「だ、大丈夫! これくらいで勇者はへこたれないよ!」
「あははっ、さっすが勇者ちゃん」
「……意外と馴染んでるんだよなぁ」
楽しそうにクラスメイトと話す姿を見ながら、ふと思う。
もしも本物なら、彼女も俺と同じように、生まれ変わることを望んだのだろうか。
魔王である俺を打ち倒し、世界を救った英雄。
そんな彼女がどうして、この平和で何もない世界に生まれ変わったのだろう。
「……まぁ、俺にはもう関係ないか」
理由なんて知ったところで、俺には何もできない。
俺が死んだ後の世界がどうなったか少し興味はあるけど、所詮は過去だ。
もうあの世界に戻る気はない。
今の俺は人間だ。
人として生きて、人として死ぬ。
魔王として君臨することは、二度とない。
だから……。
「帰るのか? 今日も寄り道せずにまっすぐ帰るんだぞ! 見張ってるから!」
「……いい加減自由にさせてくれ」
俺は魔王じゃない。
少なくとも今は、ただの人間だ。
「いつまで一緒にいるつもりだよ」
「魔王が悪さしなくなるまで」
「あのさ? ここ半年ずっとひっついてるけど、俺が何か悪さしたか? 一度もしてないだろ?」
「うん、してない!」
「だったらもういいだろ」
「ダメだよ。私が目を離した隙に悪さするかもしれないから!」
下校中、彼女はいつも隣にいる。
俺が気にせず歩いて、彼女が頑張って俺の歩幅に合わせる。
なんとなく気が引けて、彼女の歩幅に俺のほうが自然と合わせる様になっていた。
「その理屈だと、高校卒業して大学に入って、社会人になっても続ける気か?」
「うん!」
即答しやがったぞこいつ……。
「はぁ……お前、俺と結婚でもする気か」
「え――」
ピタリと、彼女が立ち止まる。
冗談のつもりで口にした。
予想外の反応を見せた彼女に、俺のほうが動揺する。
「え?」
彼女は顔を赤くしていた。
まさかこいつ、俺に気がある……?
勇者とか言い出したのも、俺の気を引くためだった……とか?
いや意味がわからないけど!
でもこの反応……もしそうなら……。
「あ、あのさ――」
ププー!
突然背後からクラクションが鳴る。
俺たちが話している隣には横断歩道があった。
信号は赤になっている。
もちろん、俺たちは渡っていない。
だが、幼稚園児くらいの男の子が、転がったボールを追いかけて横断歩道に入ってしまっている。
トラックが迫り、クラクションを鳴らしていた。
「危ない!」
そう、心で思う。
と同時に、いやそれよりも早く、彼女は飛び出していた。
迷いなど一切ない。
迫るトラックの前に、男の子を守るために飛び出し、男の子の腕を引っ張った。
「魔王!」
そのまま男の子を強引に引っ張り、俺のほうへと投げ飛ばす。
小さな子供だから非力な女の子でも投げ飛ばせた。
強引だが、あの状況では最善だ。
これで男の子は助かる。
けど――
お前はどうするんだよ?
トラックはすぐ目の前に来ている。
もう逃げる時間はない。
あと一秒もすればぶつかって、吹き飛ばされて、人間の身体なんて弱いから死ぬぞ。
勇者だから大丈夫なのか?
本当は力を隠していて、トラック程度なんてことはないんだよな?
一瞬。
本当に一瞬だけ、彼女と目が合う。
諦めたような、安堵したような顔をしていた。
その表情が重なる。
こことは別の世界で、人々のために血を流し、傷つきながら戦い続けた人間に。
魔王である俺が最も恐れ、最も敬意を表した存在に。
「――時よ、加速しろ」
無意識だった。
この時、俺の頭は空っぽで、気づけば魔法を使っていた。
俺の時間が加速し、周囲の時間がゆっくり進む。
投げ飛ばされた男の子をキャッチし、そのまま地面に座らせる。
続けて彼女のところへ。
バランスを崩して倒れそうになる彼女を抱きかかえて、トラックに向けて指を振る。
「え……?」
直後、トラックは右にハンドルを切った。
ギリギリのところで俺たちを避けて、回転しながら歩道で停車する。
自分を抱きかかえている俺を、彼女はじっと見つめていた。
「……」
この至近距離での魔法の行使。
幸い周りには男の子以外誰もいなかったから見られてはいない。
けど、彼女には見られた。
この世界の人間に魔法を使う力はない。
それができるということは、俺が普通ではないことの証明。
彼女が本物なら、これで正体も……。
「な、何してるの? 轢かれちゃうところだったんだよ!」
「……は?」
彼女はなぜか怒っていた。
「なんでこんな危ないことしたの!」
「お前……お前が言うなよ!」
さすがの俺もツッコミを入れた。
自分が飛び出したことは棚上げして、俺に怒っている意味がわからない。
「トラックがギリギリ方向転換してくれなかったどうするつもりだったのさ!」
「お前が先に考えなしに飛び出したんだろ!」
何なんだこいつは……。
というか、今の魔法に気付いていない?
見逃したわけでもあるまいし、やっぱり偽者だったのか?
ただの人間が、死ぬとわかっていながら赤の他人を躊躇なく助けたと?
勇者ならともかく、そんなことできるのか?
「だ、だって……身体が勝手に動いちゃったんだもん。助けなきゃって!」
「――!」
「そうだ! 男の子は?」
「無事だ。ほら」
道端で男の子は涙目になっていた。
怖い思いをしたから当然だ。
けど、怪我はしていない。
ちゃんと生きている。
トラックの運転手も、気を失っているだけみたいだ。
「よかったぁ」
また、重なる。
彼女と、勇者が。
「……ったく、とんだ間抜けだな」
本物か、偽者か。
真実は未だにわからない。
ただ――
「けどまぁ、さっきのお前は勇者らしかったよ」
自分を危険にさらしてでも他人を救う。
その姿は、行動は、まさしく勇者のそれだった。
俺がそう言うと、彼女はほんの少しだけ瞳を潤ませて……。
「当然だよ! 私は勇者だから!」
いつものように、自信たっぷりな笑顔でそう言った。
「これで一つ貸しだからね! 必ず返すから、覚悟しておいてよ! 魔王!」
「……はいはい。期待しておく」
◇◇◇
「魔王!」
「なんだよ」
「私は考えたんだ! 命を助けてもらったお返しに何をすればいいのか! いっぱい考えて、思いついた!」
なんだか嫌な予感がする。
「魔王サタン! 私が君の彼女になってあげるよ!」
「……は?」
やっぱり理解不能、意味不明。
こいつは、面倒な相手だ。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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一応こちら、連載候補の短編ではありますが、どうするかは未定です。
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