II・狼戻の科学者
雪の降る 遠い北の向うの国
あらゆる科学を極めた 一人の男がいた
その国は ある一人の青年によって革命をした国
その国は 王族の命を約束に革命をした国
その国に 一人の科学者が野心を持つ
その国で 一人の科学者が可能性を見出す
彼は泥から妙薬を作り
彼は石を黄金に変え
彼は花を宝石にし
彼はまやかしで人を弄ぶ 科学の頂点に立つ男
そんな彼が夢見ているのは 誰も挑戦したことのない果ての科学
技術で新たな国を目指す人々から支援を受け ただ一人で
錬金術の先を見つめる
それは たとえ神でも触れてはいけないこととも知らず
雪の降る 遠い北の向うの国
異質の魔女を生み出した 一人の異端者がいた
そう 彼の望みは 人造の命
草や水や鋼鉄から
果たして人は生み出せるのかと
技術に驕る科学者は 技術に盲目になった科学者は
その全ての知識を使い 一人の女を生み出した
彼女の瞳は 硝子から
彼女の髪は 風と草から
彼女の肌は 絹綾から
彼女の臓器は 泥と砂から
けれど彼女は魔女だった
異質なものから生み出された 異質なもの持つ魔女だった
彼女は無知ゆえ 力を持て余す
彼女は無垢ゆえ 何も知らない
娘がその手で何かを触れば
それはたちまち灰と化した
娘がその声で何かを捕まえれば
それはたちまち石となった
それは次第に恐ろしいものへと 科学者にさえ抑えられないものへと
変わってゆく…
人々は怒りに身を震わせる
何故 そんな恐ろしい生き物を造り上げた
何故 自分たちはそんな奴を支援した
彼は詐欺師だ 彼は悪魔だ 異端者だ
そう言って 掌を返し
科学者は一人 身を隠す…
科学者は一人 魔女滅ぼす術を捜す…
自分の過ちのために
雪の降る 遠い北の向うの国
威厳を失い死に絶えた 愚かな一族がいた
魔女は恐れを知らない故に
次々と踊った 次々と歌った
彼女を鎮めるべく唸りをあげて襲い掛かる矢も弾も
彼女の前では灰になる 石になる
無機質な色 ガラクタと化す
彼女は踊り 家を亡くした
彼女は歩き 路を崩した
彼女は笑い 木々を枯らした
彼女は歌い 命を消した
もはや革命どころではない もはや新しい国家どころではない
人々は怒りすら恐怖に変え 次々と舟に飛び乗った
哀れなのは王族と科学者
王族は城に監禁の身となっており
科学者は皆から罵られる身となっており
誰からも思い出されはしなかったのだ
科学者は悔いの涙を流す 懺悔の言葉を叫ぶ
魔女を生み出した罪の その穢れに身を掻き毟る
けれど 時は決して戻らないもの
運命であり 必然である 冷酷な定め
やがて魔女は科学者の思いも知らず その声震わせ
何も知らない無垢のまま 城へと足を踏み入れた
魔女は足を踏み入れ 珍しい王宮の様子に目を輝かせる
そして次々とその素晴らしさを称えはじめる
けれど その声は呪いの言葉
その輝きは破壊の光
彼女が見るたび それはつまらないガラクタになる
彼女がほめるたび それは塵の如き灰になる
魔女は不思議に思い そして不満足に怒り
新しいものを求め より奥深くへと入っていった
叫び声 泣き声 許しを請う声
すべて王族たちの叫ぶ声
嗚呼
かつての王族の威厳 どこにある
かつての逆賊を粛清し 堂々と権力を降りたその冷静さ どこにある
革命の民すら恐れをなして処刑できなかった一族は
一体その強さをどこに置き去りにした
彼らはたちまち 石になる 灰になる
叫び声 泣き声 許しを請う声
それらすべてが 石になる 灰になる…
すべては魔女の所為で
雪の降る 遠い北の向うの国
ただ一人死なずにいた 一人の娘がいた
魔女が部屋を渡れば
その部屋は輝きを失う
魔女が声を轟かせれば
その人は皆崩れてしまう
けれど
魔女はただ一人
その人だけは 石にも灰にもできなかった
彼女はかつての王女で 国王の妹で
無邪気で哀れな美しい娘
愛する人を失った娘
だから 彼女は魔女など恐れない
もうとっくに 絶望の底までを知っているから
だから 彼女は魔女から逃げはしない
もうとっくに 逃げた所為で苦しい思いをしていたから
けれど
彼女は……
無垢で 自分の所業を何もわかっていない娘は
異質の魔女は
ただ閉ざされている扉を開けてみたい故に
王女の部屋へと足を踏み入れた
刹那 灰色へと 硬い無機質な石へと変わる部屋
魔女は其処に 美しい娘を見つける
興味をもち 歩こうと 思った
けれど
彼女は……
突然 響く足音 石を駆ける 男の足音
そう 未だ灰と朽ちていない 科学者
彼は叫ぶ
これ以上犠牲を出すのはやめてくれ、と…
彼は叫ぶ
俺の命を絶やして お前を還す、と…
俺が死ねば お前を繋いでいた力は失せて
俺が石になれば お前は再び元の姿に戻るから、と…
その声に振り向く魔女
美しい硝子の瞳
それは残酷にも 彼女が慕い 唯一従ってきた人さえも変える
その目を直に受け止めて
ついに 科学者は
魔女の目の前で 灰色に還った
それを見て 王女は震える
自分もああなってしまうのかと 思い
そして 意識が遠のくのを感じる
自分はああなってしまうのかと 絶望し
けれど
彼女は……
科学者が崩れ落ちた刹那
魔女の髪は風と草に
魔女の肌は絹綾に
魔女の瞳は硝子に
魔女の臓器は泥と砂に
そう 科学の根源を失った その異質な生き物は
繋ぎ合わせていたものを失い 再び自然へ還った
そして王女は その意識を混沌としたまま
深い深い 眠りに落ちた
王女ただ一人だけは 魔女を見 声を聞きつつも
石にも灰にも ならなかったのである
それはかつて 彼女が一人の青年と真実の愛を育んだから
それはかつて 彼女を愛した青年の想いがその身を護ったから
そう たった一人の真実の愛が 彼女の鎧となり
そう たった一人の真実の絆が 彼女の盾となり
王女だけは 石にならず 灰にならず
いつ果てるともわからない 深い混沌の眠りに落ちたのである
その後 王女がどうなったか
科学者や魔女がどうなったか
それらは此処に記されていない
だが 王女の物語はまた別の場所で
謡われていると 聞いている
雪の降る 遠い北の向うの国
今やもう 忘却に沈んだ都
国は如何にして滅びたか。