-Prologue-
夜の山間地に暗緑色の森が横たわるように広がっている。
立ち並ぶ唐檜の幹はどれも白っぽい砂色だ。暗闇でもその色や、ギザギザの葉も詳しくわかる高精度な“目”が、木立の間に動いた長い首のほっそりとした姿を映し出す。この土地が紛争地帯となる以前の、景勝地だった三年前を偲ばせるその動物の姿を目にするのはこれで何回目だろうか。
コンソールの端のデジタル表示を見ると、現在時刻は二十時四十六分。割拠する軍閥らのレーダー網を掻い潜る低空飛行で、森の間隙の草原にこの作戦統制艇が着陸しておよそ十分が経つ。艇内中心部にある作戦指揮室で彼の“目”が見るものを確認する私は、時間の経過速度を遅く感じながら、マイクが捉えられないぐらいの小声で呟いていた。
「また麒竜……。人間は少なくなったのに皮肉ね」
目の前の空中に浮かぶ画面の一つには同心円状のスケーリング・ゲージが設けられたレーダーモニターが表示されている。モニター上にいくつか表示されている緑に点滅する光点の一つは同心円の中心と距離が近くなっていく。
「“シュヴァルツ・ヴォルフ”大尉、遍在波レーダーに感あり。一時の方向、U2Fです」
「こちらでも確認した。本当にやけに多い。軍閥同士の戦いでむしろ自然が回復するとはな」
“彼”をナビゲートしてヘッドセットのマイクに向かって大型の草食動物を示す暗号名でその接近を伝えると、耳のスピーカーから渋みのある男の声が答えを返す。私の呟きに同調するような言い回しに常人より高い聴力を持つ彼には聞こえていたのかとハッとなる。
コンソールに設置されているのはオペレーターに情報を伝える複合情報端末である。遍在波レーダーモニターの他、各種機器のモニタリング・グラフ画像や極彩色のサーマルイメージング映像、そしてリアルタイムに“彼”が見たものを表示する映像が多面空中表示画面システムというガジェットを介して作戦に必要な情報を私に与えてくれる。
したがって“彼”の視界を再現した映像にて褐色の毛皮に包まれた爬虫類と哺乳類の中間のような姿が確かに見えた。いまもまた後方に流れていく木々の間に細長い尻尾を立てて、二足の太い後足からイオンの光を発し猛スピードで逃げる二頭が確認できる。おとなしく臆病なベルクたちは時速六十二マイルで突進してきた特戦機に大そう驚いたのだろう、後足に有するイオノクラフト器官のホバリングはそのマシンに匹敵するスピードだった。
「そうだ、作戦前会議でも言ったけど、ここ三年の紛争を避けてこのあたりの民間人はほとんどいなくなった。その為に逆に野生動物が増えている、ぶつからないように気を付けてくれよ、“ヴォルフ”」
そう同時通信で述べたのは、私の隣りの席に座る博学そうな眼鏡の男性だ。
「この土地に残っている人間は時代錯誤な戦国時代の意識しか持たない軍閥どもだけか。ああ、こちらでも遍在波レーダーをモニタリングしているが、万が一にも俺が竜のひき肉を作らないようにしっかりとナビゲートを頼むぞ」
「任せてください、大尉。……それにしても、戦争は最大の環境破壊ですけど、たまに自然に優しい状況を作ってしまうっていうのは、なんとも言えませんね」
“彼”、ヴォルフ大尉に返答したついでに、私はそんなことを述べた。軍務における通信内容にしてはピクニック中の会話のようにのんびりしたものだが、これまでも何度か経験した人類の存亡が掛かった重大任務の際でも我がチームの雰囲気はこんなものだ。
一人戦地に赴いている大尉の緊張をほぐすのも我々、オペレーターの務めだった。
そうだな、違いない、と同時通信網に付いているメンバーからの声を背景に、博学そうに眼鏡を指でくいと上げる仕草をしながら隣の男性はこちらを見て言う。
「こんな状況だけど、僕たちはまだ運が良いって思うよ、“キーン・アリシア”」
小隊で最年少の私より年齢は四つほど上であるはずだが、柔らかい物腰とインテリな雰囲気のためか随分と若く見える。名前を呼び掛けられて、私は少しの間だけグレーの瞳を見詰め返した。
「ここが號竜ではなく麒竜の棲息地だからってことですよね、“ドクター・オルソン”」
「その通り。もし棲息している竜が號竜だったなら、ヴォルフはなるべく出くわさないように迂回するルートを強いられた。そうなると“ビルゲスト・エナ”への到着時間が何倍にも遅れてしまう」
作戦前会議でドクターはこの地域の自然環境について説明した。麒竜と號竜は近い種だが、後者は二倍以上巨大で気が荒い恐るべき捕食動物だ。そのことは私も知っていたが、この東エウロペアで二者は近隣で棲息するも、領域が重複することはなく接触は捕食者の狩りの際のみである、などの知識を蓄えているのは専門家ならではだろう。
「號竜に出くわせば、いかに特戦機と言えど排除に相当に手古摺りますし、むしろ無事でいられるかどうかもわかりませんものね」
ヴォルフの“目”が捉える視界は多面空中表示画面システムに連動しており、彼が身に纏うマルチ・タクティカル・スーツのヘルメットに設けられるサブカメラがとらえた映像もコンソール端のサブモニターに反映されている。MTSの着用者である超兵士はそれらサブカメラの映像も直接的に自身の目として神経接続されているため三百六十度死角のない視界を維持しているが、生身の肉体しか持たないオペレーターの私はディスプレイを肉眼で確認するしかない。三百六十度をいっぺんに見ることのできる視界とはいったいどのような感覚なのだろうか。
ともあれ、空中に浮く実体のないディスプレイで二頭の竜が小さくなっていく映像を確認した私は、画面をタッチ操作してレーダーモニターを拡大し、新たな麒竜の影がないか確認した。なにせ號竜より小さいとはいえ、それでも四百キログラムの巨体なのだ。
「平均的なやつで体長五メートル、体重七百キロの化け物だ。イオノクラフト器官で空を飛び、電磁器官で10万ボルトの雷を呼びやがる。俺が整備した特戦機と“ターンカーフ”を着用するヴォルフならタイマンで負けねぇだろうが、複数を相手にすればわかんねぇな。どのみちそんな悠長な喧嘩をしている暇はねぇが」
後方の席から聞こえてきた低く野太い声は兵装整備長の“マスター・ファレグ”だ。口髭を蓄えた壮年の偉丈夫は兵器全般に詳しく、本作戦におけるアドバイザーとして作戦指揮室に常駐している。
「“マスター”、大尉の射撃の腕ならGRガンでたちまち竜肉のソテーだ。怪獣退治も俺たちの仕事、違うのか?」
「バカ野郎、竜どもの皮膚は耐レーザー複合装甲並みに堅牢ってことを知らねぇのか? おまけに老成した號竜は電磁障壁を持ってやがる。それにな、閃殻炉を臨界させればさせるほど“山賊”どもの遍在波レーダーに見つかる可能性が上がる。そうなれば作戦はおじゃん。俺もテメェも痴呆化する人類のうちの一人にめでたく仲間入りってわけだ、わかったか新人!」
作戦指揮室の照明は薄暗く、ディスプレイの照り返しが主な光源となっているほどだが、彼の黒い肌を艶やかに光らせるぐらいの光量はある。円卓型のコンソールの席の一つに座る彼をちらと見ると目が合った。カリフィア系を先祖に持つという丸っこい髭面は、にやりと白い歯を見せ、片目を瞑って人懐っこいジェスチャーを見せる。ディスプレイ群を注視することが仕事である私たちの会話は、ほぼ互いの顔を見ることもなく行われているのであるが、剽軽な調子で言葉を被せてきた作戦指揮室スタッフの一人に返した“マスター”の乱暴な口調が、いつもの調子であることが世界破滅の危機にあるいまだからこそか、より温かみがあるように思えて内心ほっとした。
「そう言えば私、竜のお肉って食べたことないですけれど、美味しいんですか?」
「牛肉ほどじゃないけど鉄分が多く含まれていて不味くはないよ、僕は鶏肉より好きだね。彼らの細胞には空気中のイオンを操る性質から鉄だけじゃない金属分子が多く含まれている。そうそう、いいかいアリシア……」
たぶんドクターは続く言葉で得意の自然環境学に基づいた知見を講釈しようとしたのだろう。しかしその言葉はヘッドセットのスピーカーから入る深みのある声に遮られた。
「おいおい、お前たち。まさか俺に竜肉を狩ってこいって言うわけじゃないだろうな。怪獣退治も俺たちの仕事だが、今回の仕事はテロリスト討伐だろう?」
私がこのゼランスハイド連合国陸軍第七師団特殊戦術第三小隊、通称「屠龍部隊」に配属されてもう一年が過ぎた。対テロ、そして世界で頻発し始めた“竜”による獣害に対応する特殊部隊として編成された本隊はこの一年だけでも五件以上のテロ事件の鎮圧、十一件以上の“竜”の駆除などの任務を達成している。世界随一の軍事力を持つZH連合国の特殊部隊は国内のみならず諸外国からの要請に応じ、世界各地へと出動することが任務として課せられており、私も部隊の軍人として様々な修羅場を経験した。
三か月前、華やかなスラフ国首都リィパに突如出現し、全長三百メートルの巨体で暴れ、二百万人の生活に被害を与え八千人に及ぶ犠牲者を生み出した、鬼蛇竜の“竜害”を各国討伐部隊に先駆けて鎮圧したのは我が部隊であった。弾道ミサイルも凌ぐ電磁障壁を展開する竜の懐に入って転送ビーコンを設置するチームに人員不足のためオペレーターの私までが駆り出され、死ぬ思いで任務を達成した。
また一か月前、宇宙ステーションを地上に落下させようとする暴挙に出た犯罪集団との戦いでは、やむを得ずヴォルフたち実働隊員に協力して船外活動を行うことになったが、勃発した武力衝突により宇宙空間に放り出された。結果、宇宙服の酸素残量が尽きるぎりぎり直前に救出され九死に一生を得て私の心にトラウマを残しながらも犯人たちを捕らえることが出来たのはまだ記憶に新しい。
「すまないね、ヴォルフ。君のことを忘れていたわけじゃないんだ。そうだろう、アリシア?」
「そ、そうですとも! そろそろ“ビルゲスト・エナ”の遍在波レーダー高分解能圏内ですっ、ヴォルフ大尉。認識迷彩のレベルを上げてください」
西暦2078年、人の心、意思を直接作用させる機械が登場し始めてからすでに十年ほどの年月が経過しようとしていた。
昨今、遍在波と呼ばれるようになったそれは、ある種の陽電子短波である。それを利用したレーダー技術は障害物や物標の固有振動数に陽電子矩形波を調律して物質レベルのターゲット・トラッキングを行うことで、多次元的な反射エコーをキャッチすることが可能となった。つまり、電波の透過・反射・回析・干渉を高い次元でコントロールすることが、建物などの障害物を透かして内部の固有の物体、人間の体までもを含む物標を遠く離れた場所からでも精密に探査できる高分解能装置として陽電子短波レーダー、今では遍在波レーダーと名付けられているその装置の実現に繋がったのである。また透過性も制御される陽電子矩形波は従来の技術では成し得なかった遠距離への電波到達も可能としている。
そもそものはじまりは、そうだった。陽電子短波を利用した通信技術の確立、それにともなう高分解能レーダーの開発、それだけのはずだった。しかし陽電子短波通信が実用化されて数ヵ月、不可解な現象が世界各地で起こりはじめる。
「あまりこいつは使いたくないんだがな。亡霊に出会うのはもうたくさんだ」
「近年ではもうかなりの精度でバグは取り除かれていますし……。それに、そうも言ってられませんよ」
ホバリング走行させていた特戦機を停止させたヴォルフはタルガストの森の土を踏んだ。彼が軍用であるバイク型の慣性制御機に枝葉を積んでカモフラージュする様子をモニターしていた私の脳裏に、いかに高度に機械技術が進歩してもこういった手作業が一番実用的であり、人類は本質は発祥のころから変わらないのかも知れない、などという思いがよぎる。
GR火器装備が充実する機体は高い戦力を誇るが、主機である閃殻炉を目的地である軍事基地の遍在波レーダーの高分解能圏域下でこれ以上起動することは危険だった。いかに認識迷彩の効果強度を上げたところで、高出力の閃殻炉が副次的に発生させてしまう陽電子波動を隠し通せることはできない。
「まぁ、アリシア少尉の言う通りだが……、私は弩竜のフィレ肉よりやはりシャトーブリアンかな」
「ネイド少佐、やっと口を開いたな。ずいぶん大人しかったじゃあないか」
作戦指揮室の最後列、一段高く設けてあるデッキ席に座る初老の男性は大尉の言葉を受けて続けて言った。
「指揮官は関係各所との連絡が忙しいんだ。ともかくだ、ヴォルフ。やつらが提示した時間まであと六時間弱、あまり十分に時間があるとは言えんな」
「屠龍部隊」の総指揮官であるセレティスの貴族に血筋を持つらしい老紳士は他方の仕事が一段落付いたのか、落ち着いた風格のある声で作戦の指揮を執りはじめた。
「それに、ここからは身一つが頼りだぞ。オートマタやドローンも哨戒しているだろう、十分に気を付けろ」
「ああ、武装も限られるからな。隠し玉はあってもそう簡単に使える代物じゃあない」
彼が身に付ける装備はFR-55Dショートスパーシル“シュヴァルツ‐スケル/ハティ”の二丁、G7遍在波感応起爆式爆弾1ダース。あと一つ、大尉自身も述べた隠し玉があるのだが、それも作動に際しては陽電子波動を発生させてしまう。
「なぁにお前さんならやれる。なんたって二度も世界を救った英雄だ」
「ああ、二度あることは三度あるって言うしね。僕たちも全力を尽くしてサポートするから、頑張ってくれ、ヴォルフ」
マスターそしてドクターをはじめ、口々に作戦指令室の面々が大尉に声を掛けた。客観視点で彼を見ることはできないが、画面が揺れたので首を振っていることはわかる。やれやれというポーズを取っていることが目に浮かぶ。
「大尉、特戦機VB-28KSジェヴォーダンに装備してあるGRカノンは取り外して携行武器として使用できます。持って行きますか?」
「いや……この大きさは潜入任務には不向きだ。派手にぶちかましたいところだが、俺には地道な任務が似合っている、アリシア」
そう言って、彼は夜の森の一点を見詰めた。彼の視界が映し出されるディスプレイで、針葉樹の枝葉の隙間に小さな光点が覗いている様子を私も見た。
星ではない。位置からして、このディエル州の山間部に建設されたグリアス共和国の大規模軍事基地、“ビルゲスト・エナ”が光源であることに間違いはないだろう。
映像が光点を中心にたちまちズームされていく。望遠視はヴォルフ大尉の眼球に組み込まれている機能だ。光点はただっ広い駐機場に投げかけられるいくつかの照明だった。下方を照らす何本かの光の帯が流れては交差し、駐機してある戦闘用慣性制御機が地面に落とす影を生き物のように蠢かす。駐機場の向こうがさらにズームアップされた。
白壁の建屋の中心から空に伸びるのは司令塔だろう。その屋上はおそらくヘリポートなのか、柵が設けてある屋上の縁からMTS着用の兵がサーチライトを一定の間隔で右に左に回している。スリングを肩にかけて背負っている銃はKA-74Sアサルトスパーシル・ヴィルシラカ、東エウロペア諸国ではメジャーなGRスパーシルだ。
「連中の人数、武装の規模を把握したいが……もう少し近寄らないと正確なレーダー情報を得るのは難しいな」
「そうですね、大尉。でも気を付けてください、十時の方向、MGF7、“ガンダーシュダック”の反応です」
大尉が中腰の姿勢となったのだろう。礫質の素地を疎らに剥きだす草に覆われた地面が視界の半分を埋める。密集して茂る木々の向こうがまたズームされ、木の間に見えるずんぐりとした黒鉄色の装甲の塊が映し出された。なめらかに曲線を描く蟹のような装甲の機体は巨大で鈍重そうだが、人の歩く速さ以上で索敵哨戒しているところを見ると意外と機動性は高いのかも知れない。
「目視確認した、BOD-M45b-W“ウォーガー”だ。距離、約六百ヤード……向こうはまだこちらを探知していないな。我が軍の認識迷彩と遍在波レーダーの性能の高さに乾杯だ」
「推定理論値では五十ヤードまでの隠密接近が可能ですが、ここは先を急ぎましょう」
彼が上を仰ぎ見たのか枝木に囲まれた夜空が映像に広がる。深呼吸をしたらしく、深い吐息が聞こえた。機械と生体が限りなく融合している“閃殻体”の身体を持つ彼であるが、通常の体活動は限りなく“人”に近い。
「ああ、残念ながらオートマタと力比べをしている暇はないからな」
それもほんの僅かのことで、世界を二度救った英雄は再び彼方の光点を見据える。
そして、ゆっくりと山道を進む一歩を踏み出し、歩み始めた。