02-4.待合
こちらは「自由への讃歌」視点です。特に読まなくても差し支えはございません。
時系列としては 序章 02.当選のお知らせ と平行ですので、サブタイトルのナンバリングを02-1から続きの02-4としています。
左右に避けつつ、立ち止まりつつ。
時間をかけてアリアとハルヴァリは手綱をさばき、屋台の中心を抜けた。すると人が少し減り、周囲にあまり気を遣わなくても良くなった。
早駆けさせるのは無理だが、普通に歩かせても問題ない。海沿いの景色を眺めながら対岸の島を見遣ると、何艘もの船が往来していた。
海面はきらきらと輝いている。
しばらくはこの好天が続くらしく、慶事に相応しい天候だ。
「この道を右……ですね」
目の前に分かれ道がある。
アリアは地図を確認しつつ進行方向を見た。海とは反対側にそびえる山があり、その奥に向かう方だ。道が狭まり、通行人が誰もいない。一方で、左の太い街道にはまだまだ多くの人間が行き交っている。
本当にこの道で合っているのだろうか。
若干の不安を覚えつつ、アリアは地図と目の前の道を見比べた。
道案内の看板は出ていないが、目印の大きな岩がある。間違ってはいなさそうだ。
「他にも招待がいるらしいですが、姿が見えませんね」
「殿下直々の招待だろう? 来賓位としてはかなり上になるから、そもそも数が少ないんじゃないか」
同じく地図に目を落としながらハルヴァリが言う。そして、警備の兼ね合いで一くくりに来賓といっても滞在場所を数ヶ所に分けているはずだ、と続いた。
さすが元中央騎士団長、目の付け所が違う。
アリアはそうですね、と相槌を打って、自信を持って右、山の裾野へと進んだ。
道は黒毛と芦毛が横に並ぶとぎりぎりの広さだった。
舗装はされておらず、田舎道のように土がむき出しだ。ところどころに小石も落ちていて、それを踏まないように気を遣っていると、徐々に勾配がきつくなってきた。
馬たちの息が上がり始める。
少しばかり歩様を緩めながらゆっくりと進む。いつしか裾野から本山に入っており、道の両脇は木々が立ち並んでいた。
高い梢。
生い茂る葉は、日のほとんどを遮っている。街道を通っていた時には暑いくらいだったが、今は逆に涼しさを感じる。
どれくらい進んだであろうか。
左右に曲がりくねる道をしばらく行くと、やがて大きな宿が目の前に迫ってきた。
周囲は濃い生垣と石塀に囲まれていて、中は窺えない。
しんと静まり返っている。
気付けば明るい海沿いから一転、周囲は背の高い樹々が立ち並ぶ、深い森に入っていた。それなりに標高が上がったのか、はたまた澄んだ空気のせいか、涼しいを通り越して肌寒い。
そのまま生垣沿いに進んでいくと、見慣れぬ建築が見えてきた。
「見事だな」
ハルヴァリが嘆息する。
その視線の先には、朱色と金で華麗に塗られた木造の社殿があった。
高さはおよそ三階ほどだろうか。
アリアの故郷にある大聖堂よりは低い。が、社殿そのものにかなり奥行があり、果てが見えなかった。
「これほど大きいなんて……建築資材を運ぶだけで一苦労してそうですね」
元来た道を振り返りながらアリアは感想を述べる。
ところが霧が出てきたらしく、背後の道は視界が限られていた。街道からはさして離れていないはずだが、やはり山、天候は変わりやすいようだ。
「どうやって建てたのか訊いてみるのも一興だ。まずは行こう」
ハルヴァリが手綱を動かすと黒毛が歩を進める。草に侵食された道が、蹄の音をくぐもらせた。
宿の正面にはやはり壮麗な門構えが設えられていた。
特に門番らしい人間はいない。しかし門扉は大きく開かれていたため、アリアとハルヴァリはそのまま中へと進んだ。
幻想的な絵が広がる。
入口の前には大きな池があり、澄んだ水の中を赤、白、黒といった艶やかな模様の魚が悠々と泳いでいた。そこにかかる橋を渡る。重馬種の巨体に木が軋んだ。
進むにつれ霧が濃さを増す。
池の周囲には庭園が広がっている。やはり人の姿はない。丁寧に刈り揃えられた植栽が高低入り混じっているが、たなびく霧がその姿をところどころ隠していた。
やがて社殿の正面へと着く。
威容は迫るほどだ。華麗な塗りもさることながら、軒下に彫られている像が見たことのない東国の獣や神々で、まるで別世界にきたように感じる。
社殿の中には灯りが入っている。
薄らと漏れてくる光に僅か安堵しつつ、アリアは芦毛から降りた。そして荷を降ろす。本来はここで馬たちを預けたいところだったが、誰の姿も見えないのでやむなく二頭を一緒に繋いだ。
中で宿の人間に声を掛ければ良いだろう。
長旅を労い、芦毛の首筋を叩いてやる。彼女は大きな鼻梁をすり寄せてきた。
* * * *
中へ入ると、社殿の外と同じように木造の調度が品よく並べられていた。
低めの真四角は、椅子兼荷置きだろうか。同じものが幾つかあり、数組が同時に到着しても休めるようになっていた。
その奥にカウンターがある。
アリアはそこも不在なのではと疑っていたが、その予想は外れた。
にこやかな笑みを浮かべた東国人が、アリアたちを見て礼をとってくる。胸の前で拳を作り、反対の手のひらで包む、東国独自の礼だ。彼は「ようこそおいでくださいました」と流暢に話しかけてきた。
アリアとハルヴァリは荷を床に置く。
それから、王女から受け取っていた招待状を胸元から取り出して、受付の人間に差し出した。
「ルツ王女殿下より招待賜りました。ライヴァ公国中央騎士団のものです」
流れるようにハルヴァリが言う。
実際の所属は中央ではなく極北なのだが、招待時点では中央のままになっているのでこの名乗りだ。
受付は紫色の招待状をうやうやしく両手で受け取り、「承ってございます」と答えた。
「長旅でございましたでしょう。お部屋にご案内致します前に、どうぞあちらへ」
「ああ、いえ。すぐにまた出ますので」
「お出迎えのおもてなしをするよう、殿下よりいいつかっておりますゆえ」
「それは、……では有難くお受けします」
まさかの特別待遇に、さすがのハルヴァリも驚きを隠さない。
が、ルツ王女直々の差配ということであれば断る選択肢はない。そのままアリアとハルヴァリは荷を持ち、指し示された奥へと向かうことにした。
アリアはふと入口を振り返る。
するといつの間に来ていたのか、若い東国人の男女が後ろで待っていた。他にも招待客がいたことに僅か安堵する。アリアは彼らに対して会釈をしてから、奥へと向かった。
衝立で仕切られた先はいくつもの卓と椅子が並べられていた。
庭園が見えており、仕切りが全て開け放たれている。吹き込む風が心地よい。いつの間にかかかっていた霧は晴れていて、遥か彼方に海が見下ろせた。
本当に山の天気は良く変わる。
そんなことを考えながら適当な席にかけると、ややあって女官らしき女性が飲み物と軽食を運んできてくれた。
「どうぞ。お口に合いますれば嬉しいのですが」
ふわりと焼き上げられた菓子は、東国でよく食べられている菓子をルツ王女が気に入り、そこにライヴァ風のアレンジを加えたものだという。
こちらの方が取っつきやすかろうということで、わざわざ準備されたらしい。
説明された経緯に恐縮しつつ、アリアはそれを一口食べた。軽く柔らかな口当たり、溶けるように消えていく。舌に広がる優しい甘さは、どことなく王女を彷彿とさせた。
腹が減っていたこともあってか、つい食が進む。
気付けば自分の皿はすっかり空になっていて、気付いたハルヴァリが彼の皿を差し出してきた。
なんとも恥ずかしいことだ。
自戒を込めてアリアはそれを断ったが、しかしハルヴァリは諦めなかった。大して人がいないのを良いことに、フォークを向けてきたのだ。
アリアは狼狽する。
先ほど後ろにいた東国人の二人が、同じくここで休んでいる。こんな餌付けのような場面を見られたらどう思われるか。
しかし。
「ほら」
まったく意に介さずにハルヴァリが勧めてくる。
アリアは色々考えた。
これを強硬に断ると空気が悪くなる。女官も口に合わなかったのかと気を揉むだろう。せっかくの慶事にそれは本意ではない。実際にこの菓子は大変美味であって、「公開処刑のごとくアリアだけが恥ずかしい」というただその一点を除けば、この一口はむしろ喜んで頂きたいのだ。
そしてアリアは陥落した。
恥ずかしいながらも口を開け、食べさせてもらう。
ハルヴァリがにやりと悪い笑みを浮かべる。そのまま二口目を差し出してきたが、アリアはそれを華麗に躱して皿そのものをひったくり、餌付けを強制終了させた。
この夫には本当に困ったものだ。
たまにこうして悪ふざけしながら、アリアのことを甘やかしてくるのだから。