02-2.親書
こちらは「自由への讃歌」視点です。特に読まなくても差し支えはございません。
時系列としては 序章 02.当選のお知らせ と平行ですので、サブタイトルのナンバリングを02-1から続きの02-2としています。
アリアは手元の手紙をもう一度確かめた。
しなやかな手触りだ。東国からライヴァ王都、そしてこのガルシア最北までの長旅で角が折れ、皺も見える。が、破れや傷はついぞない。
東国は上質な紙の産地として名高い。
そんなことを考えて、ようやくこの手紙が本当にあのルツ王女からなのだと実感が湧いた。
「嫁した王女からわざわざ個人的な手紙だと? お前、本当に色男だな」
普通はあり得んぞ、とハルヴァリが呆気に取られている。
「俺の知らんところで随分宜しくやってたようだな」
「そういうわけでは……」
「自覚がないから困る。そこがまた良いと評判にもなっていたが」
団長時代、その手の話を何度も耳にしてはどうしたものかと気を揉んでいた。そうハルヴァリから聞かされ、アリアとしては返す言葉がなかった。
とりあえず気を取り直し、アリアは手紙の封を切った。
中からなめらかな手触りの便せんを取り出す。冷たい水のような、上質な布のような、不思議な紙だ。数枚まとめて折りたたまれていたそれを広げた時、ふわりと優しい香がアリアの鼻を掠めた。
表書きと同じ、美しい文字が並ぶ。
全部で五枚にわたったそれを読み終えた時、アリアは驚きのあまりため息を吐いた。
「殿下はご壮健であらせられるようです」
手紙には、王女の新生活がどのように始まったか、夫となる東国の春宮──皇太子との仲など書かれており、抱えていた不安が雲散霧消するほど、手厚く遇されている様子だった。
見慣れぬ食べ物と食習慣も、皇太子がこれは美味こちらはのど越しを楽しむもの、などと逐一教えてくれるらしい。
それは新しい環境に王女が馴染めるよう尽くしてくれる数多の手の一つであり、積み重ねられるその心遣いに、王女も皇太子への尊敬と親愛が募っているという。
良いことだ。
あの可憐な王女の笑顔は、きっと東国でも萎れずほころんでいるのだろう。
「ご懐妊の報も近いかもしれんな」
アリアが読んで聞かせた手紙の内容に、ハルヴァリもまた喜びを露わにする。
輿入れに関する一連の姿を知っているので、感慨もひとしおだ。
そうしてアリアとハルヴァリが安堵を漏らしあっていると、横からエルドが「それで?」と口を挟んできた。
「まさか本当に近況報告だけなのか? 内容を聞くに、とりあえず亡命の相談じゃなさそうで良かったが」
「亡命だなんてまさか」
「嫁した王女からの親書だろ。万が一とはいえそういう可能性もある」
悪い知らせではない、とは思っていたが、場合によっては色々と動かねばならないかもしれない。
親書ゆえ中身を見ることが叶わなかったエルドは、ガルシアまでの道中ずっとその可能性を考えていたのだという。いきおい、馬の足も速くなったわけだ。
そんな可能性など夢にも思わなかったアリアは、はあなるほど、と頷きつつも手紙の本題を告げた。
「ひらたく言うと招待を受けました。私と団長……ええと、ハルヴァリに」
どうにも仕事口調になっていけない。
呼び直したアリアに対し、微妙に眉を下げつつハルヴァリが首を傾げた。
「招待とはどういうことだ」
「東の国都は海沿いにありますよね。そのほど近くに、東国始祖の神々を祀る島があるそうです。通常は禁域で皇族以外は立ち入れないようなのですが」
その島を期間限定で民にも解放するのだと手紙には書かれていた。
東国の祭事にあたるのだという。
ライヴァとの婚姻関係が成立したことを、先祖に対して正式に報告するらしい。ルツ王女が嫁してすぐに、とはならなかったのは、東国には暦を見る習慣があり、佳き日を占いその結果に合わせたからとのことだった。
島はさほど大きくないが、風光明媚で有名らしい。
皇族の慶事のたびにこうして解放されるようで、一度訪えば次も必ず、と心に決める民が多いそうだ。
「神々を祀る社周辺はさすがに無理なようですが、島の中には宿も用意されるとか」
手紙を読みながら、アリアは封書の中に指を入れた。
異なる質感を感じる。それを引きだすと、細長い三つ折りの紙が二枚出てきた。
明るく柔らかな紫の紙だ。中央が白い紐で結ばれている。
「このお色がルツ殿下のものと定められたそうです。我々の知るライラスの花色だとか」
「そういえば東国の皇族方にはそれぞれ色が定められるんだったか。忍びの逢瀬時などは名前を伏せつつ自身の色を文に使うとも聞くが、こういうことか。なんとも雅な話だ」
「……逢瀬ではありません。署名もしっかりついています」
「悪かった、そう怒るなよ。風流だということが言いたかっただけだ」
笑いながらハルヴァリが手を伸ばしてくる。
あまり反省の色は見えないが、それ以上追及しても良いことはないので、アリアは大人しく招待状の一つを手渡した。
ルツ王女はアリアたちの去就を知らない。
ゆえに未だ騎士団勤めであるとの前提で、さすがにアリア一人を招待するのは名目が立たないことを分かってか、騎士団長も一緒にと書き添えられていた。
これがアール=レーヴのままのアリアだったら、絶対にハルヴァリには見せなかった。
親書は燃やすか飲み込むか、どうあれ誰にも露見しないよう証拠隠滅を図っていたに違いない。
そんなことを密かにアリアは考える。
東国で再会したら、報告せねばならないことが沢山ある。きっと王女は驚くだろう。どんな反応を頂くものか、想像するだけでなんとも面映ゆかった。
向かいでハルヴァリが白い紐を解き、三つ折りを開く。
同じようにアリアも倣って中を読むと、島への地図や用意されている宿の場所などの詳細が書かれていた。解放されている期間を見ると、春の終わりまでらしい。
「折角だ、行ってみるか?」
紙面から顔を上げたハルヴァリが持ち掛けてくる。
「ライヴァからならともかく、ガルシアから行くとなるとすぐ出発しなきゃならん。ぎりぎりだ」
「それはそうですが、でも仕事は」
「どうせヒュスタスがいるから問題ない。団長不在で半年も騎士団を預かった男だ、一ヶ月やそこら適当に差配する」
本人の承諾を取ったわけでもないのに、丸投げの評である。
それでいいのかとアリアは首を捻る。が、その日の夕方、懸念は払拭された。
エルドが挨拶に行って話を聞いたヒュスタスがわざわざ邸まで来て、「こっちは適宜やっておくから」と二つ返事をくれたのだ。
新婚旅行ついでに羽を伸ばしておいで、と言って。
* * * *
すったもんだの末に、東国への出立は三日後になった。
ちょうどエルドがそこで王都へ戻るというので、それならばと同じ日にしたのだ。
アリアは朝から旅の支度を整え、荷を芦毛の背にしっかりと固定した。どこまで持っていくかで悩んだのだが、フル装備の大鎧と盾はハルヴァリから止められた。
一体どこに行軍しにいくつもりだ、と小言を食らったのである。
アリアとしては長旅ゆえ盗賊などどんな輩と出くわすか分からないと主張した。しかしハルヴァリが自分たち二人で返り討ちできない輩などほぼいない、と断言したのだ。
言われてアリアは考えた。
一理ある。
素手で複数人を半殺しにできる夫だ。大口でもなんでもない、実績に基づく判断である。結果、装備は必要最低限、長剣と軽鎧のみと相成った。長旅であるからこそ荷は軽い方が機動性も上がるというものだ。
芦毛の準備が完了した時、邸からハルヴァリとエルドが出てきた。
ハルヴァリが戸締りをしている間に、エルドが自分の馬のところへやってくる。彼は単騎で早駆けできることもあって、荷はほとんどない。
さっさと鐙に足をかけたエルドを、アリアは呼び止めた。
何ごとかとエルドが振り返る。その鼻先に、アリアは手紙を突きつけた。
「なんだよこれ」
「届けてほしい。東区画の殿堂に」
「管理人のじいさんにか?」
「そうだ」
アリアは簡潔に頷いた。
一から説明しなくとも、ハルヴァリの私兵として騎士団内の動向を掴んでいたエルドはこの手紙の意味を分かっている。
中央騎士団の殉職者を祀る殿堂。
その隣には小さな事務所があり、退役した傷痍騎士が管理人としてそこにいる。人の訪れのほとんどない静かな暮らしの老人だ。
王都にいた頃、ハルヴァリは彼の元へ不定期ながら顔を出していた。
ハルヴァリが忙しくなってからは、アリアが代わりに。
仲間の死にずっと寄り添う残された人。彼と色々なことを話しながら、アリアは静かに時が過ぎ行くのをそこで感じていた。それはきっとハルヴァリも一緒だっただろう。
「……なぜ俺に?」
僅かな間を置いてから、エルドが問うてきた。
真剣な顔だ。が、アリアは気付かぬふりでさっさと答えた。
「その方が早い」
「大事な手紙だろう。中を盗み見られたらどうする」
俺はスパイだぞ、と言外に含んでいる。
それはエルドの謝罪を示していた。かつて、ハルヴァリに対してアリアの素性を報告したことの。再会した時には軽い口調だったが、エルドはずっと気にしていたのだろう。
そうでなければわざわざ謝るわけがない。
どうでも良いのならとうに忘れて話題にもしないはずだ。
アリアは全てを──エルドの仕事も、そのために動いたことも──理解した上で、敢えてこの手紙を託すのだ。
「仕事じゃない。友人として頼んでいる」
「お前ってやつは……不器用だな」
その時だけは、人当たりの良いいつもの笑顔は出なかった。
ふい、とエルドが顔を背ける。
「頼んだぞ」
その背に向かってアリアは投げかける。
「年上をこき使いやがって」
まるで捨て台詞さながらだ。
そしてエルドはそのままさっさと駆けだしていった。
戸締りを終えて表に来たハルヴァリが「もう行ったのか」と驚いていた。
アリアは余計なことは言わず、「またすぐに来ると思いますよ」とだけ返しておいた。