36.王手
「魔王様、いい加減お休みになられた方が宜しいかと」
「何を寝言を申しておる。まだ昼の日中だぞ」
「三日三晩寝ずに働き詰めの御方が言って良い台詞ではありませんぞ。さすがの魔王様でもそろそろお身体に障ります」
「今まさに侵略を受けているところだ。ここでやらねばいつやる? 我々がこの地に築こうとしている自由はどうなる? こんな時に上の者が休んでいるとなれば士気にも関わる」
「ですから、そやつらは私めが城の地下に送り込みましたゆえ」
「送りはしたが生死の確認はしていない。そうだろう?」
「……」
「先ほどの揺れも気になる。一階が崩されたらしいが、その者どもの仕業ではないのか」
「分かりませぬが、……確認して参ります」
「いい。気乗りしていないのであろう。行くなら最初の揺れの時に行った、お前はそういう奴だ」
「魔王様、私めは決して気乗りしないというわけでは」
「弁明もいらぬぞ。どうせお前は我の身を案じてここにいるのだろう。それも知れたことだ」
「魔王様」
「それにな」
「はい」
「彼奴らの目的は私なのであろう? 伝承が真ならばこちらから動かずとも、じきここに来ようて。そら」
「!?」
投げやりに指し示した魔王の指先、それを追って紫老人が振り返る。
「なっ、まさか――!」
驚愕に絶句する魔王の右腕。
一方で奥に座す魔王本人は、左手の指は奥を差したまま、まったく動じずに右手の羽ペンをせっせと動かしていた。
幸たちは少し前から物陰――というか、階段の壁――から様子を窺っていたのだが、どうもバレていたらしい。
これ以上身を隠すのは無意味だ。
アークが無言のまま肩を竦め、次に堂々と隠れていた壁から離れて歩き出した。それを見た幸たちも後に倣う。そのまま広く設えられた魔王の執務フロアを進み、ややあって一行は真正面から魔王と対峙した。
眉根を寄せ、僅かに不機嫌そうな顔で幸たちを見つめてくる魔王。
対する総司令官アークは間合いを読むような、相手の底を見極めるような、そんな視線を返している。間に挟まれている紫老人だけが、左右に視線を走らせただひたすら焦っている。
分かる。
紫老人の反応が本来正しいというか普通なのだ。
どうしてこの魔王といい総司令官といい、初対面にもかかわらず当たり前の顔でこうして見つめあっているのだろう。この旅の間に幸の感性は色々と鍛えられたと自負しているが、正直言うと目の前の光景まで「まあそういうこともありますよね、そんなもんですよね」と片付けようとは流石に思えないし思っちゃいけない気がしている。
ともあれ。
ここで幸が口火を切るのも明らかに場違いすぎるので、黙って成り行きを見守る一択である。
ちらと窺うと、丁度アークが動くところだった。
「お前が魔王とやらか?」
問いながら右手で抜刀し、左手に極光が宿る。
初手から臨戦態勢だ。
しかし幸には分かる。これは絶対に休暇を取ろうとして、一分一秒を短縮しようとしてのことである。溢れ出る気迫は凄いものの、決して問答無用でどうこうしようとしているわけではないはずだ。
尚、そんなアークを目にしても魔王は一歩も動かなかった。それどころか心底嫌そうに顔を歪め、深いため息を吐く。
「短絡的かつ実に押しつけがましい呼び名だ。本当にセンスのかけらもない。親の顔が見たいほどだ」
「たかが呼称ごときにこだわってんのか。小せえのは背だけじゃなかったんだな」
鼻で笑ったアークに対し、魔王の額に青筋が浮かび上がった。どうやら的確に過ぎる悪口だったらしい。
魔王は確かに背が低い。
というか、そもそも見た目がどう見ても十歳くらいなのだ。そんな少年と言っても過言ではない存在が、このだだっ広い執務フロア、その真ん中に置かれている執務机にちょこんと座り、山のような書類やら巻物やらに埋もれそうになっているのである。
違和感しかない。
まして傍に控えている紫老人との対比でよりその幼さが際立つ。いっそ、紫老人の方が魔王だと言われた方がまだ納得できそうな感じでさえある。
「齢八百を超えた吾が分からぬか。人を見た目で判断すると痛い目を見ると習わなかったか小僧」
「生前何歳であろうと今死んでんだから八百も千も変わらんだろうが。過去の栄光にしがみつくのはみっともねえぞ」
「今確信した。うぬらはやはり伝承の邪魔者らしい」
と、魔王がそれまで座っていた立派な椅子から立ち上がった。
そのまま座面から机の上に立つ。書きかけの書類がくしゃりと音を立てたが、魔王は全く気にしていない。
「去ね。さもなくば塵と消してやろうぞ」
魔王の両手が俄かに色づく。
渦を巻くように黒い光がゆらりと立ち込めた。全てを吸い込みそうな漆黒の光に、幸の背筋が粟立つ。
「歳食ってる割に短気すぎねえかお前。そんなんだから全方位敵だらけになるんだろうが。部下が苦労するぞ」
「うぬに言われる筋でないわ!」
言うが早いか、激昂した魔王の手から闇が広がった。
不気味な咆哮が響く。
どこか恨めしげなそれに幸が耳を塞ぐと同時、闇はその縁が幾つにも分かれ始めた。大小様々、まるで指が何本も生えてくるようだ。
こちらを捕まえようとしているのか。
幸は身を固くしたが、次の瞬間その存在に気付いてしまい思わず絶叫した。
「ひゃああぁあなんですかあれぇえ!?」
分かれた闇のそれぞれに、小さな赤い丸がぽつりぽつりと浮かんでいる。
血の涙を流すような目。
血を吐くような口。
それらの一つ一つから、怨嗟の唸り声が漏れてくる。
怖すぎる。
見ているだけで呪われそうだ。
あんな異形を前に幸にできることなど一ミリもない。
思わず隣に立っていた真澄に抱きついてしまう。受け止めてくれるように真澄の腕が幸の背に回ってきたが、しっかりと力が篭っている。いかな姐さんといえども緊張しているらしい。
「さすがにあれは悪趣味すぎ……!」
うわぁ、と言いたげな真澄の評だ。
完全に戦力外二人で縮こまっていると、不意にもふ、というふかふかの感触に包まれた。
「……キンさん!」
覗き込んでくる大きな顔、笑った三日月の紫の目。
幸と真澄は金色の毛皮と何本もある尻尾に巻かれ、安心感が段違いになった。
少し落ち着けば周りを窺う余裕も出る。
同じく非戦闘員の稜は、すぐ傍にシロが陣取り毛を逆立てている。
彼に向かってくる闇の顔は、基本的につーさんがスパスパスパスパ神剣で紙切れ同然に斬り捨てているのだが、たまに斬り漏らしたやつもシロが全て蹴散らしていて盤石すぎる守りとなっている。幸たちはさらにその奥にいるので、最も守られている形だ。
つーさんの前にはハルヴァリとアリアがいる。
アリアの聖剣はここにきて水を得た魚さながら、眩い光を放ちながら一振りごとに闇の顔を切り裂いている。
むしろ光が強烈すぎて、聖剣そのものが触れる前から闇の顔が蒸発して消滅していく勢いである。
「すご……ああいうの、種族特攻ってやつですかね……」
「なにそれ?」
「なんかもうゲームみたいだなと思っちゃってつい」
もふもふの毛皮に包まれながら幸は真澄に答えるが、言った後で思い直す。みたいじゃなくて、まさにそのものだよなあ、と。
大体にして相手が魔王なのだ。
これをゲームと呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。返す返すもとんだ新婚旅行である。
「ほら、つーさんのは神剣だし、アリアさんのは聖剣って言ってたじゃないですか。だから闇の存在に強いのかなって思ったんです」
「あーなるほどそういう話ね。私ヴァイオリン一辺倒でゲームとか全然しなかったからなー」
「まあ魔王さんが闇の存在なのかどうかは分かりませんけど」
「どうなのかしらねー。ところで闇の存在同士が戦うとああなるの?」
「え」
真澄が指差す先には驚愕の光景が広がっていた。
左翼を守るアリアの反対側、右翼にいるハルヴァリだ。
ハルヴァリの魔剣は振り抜けばその靄で闇の顔を覆い、逆に塗り潰してさらに靄の勢いが増している。
そのせいか、いわゆる間合いがどんどん広がっている。近くにいる闇の顔は次から次へと靄に取り込まれ、物凄い速さで広がる靄はまるで闇の顔を食い散らかすかのようだ。
あまりの勢いにハルヴァリ周りの闇の顔が若干泣き顔になりながら退いていく。アリアやつーさんに対してはまだ闇の顔も戦おうという感じで向かっていくのだが、ハルヴァリ側はもうそんな段ではないらしい。
あれはむしろ反則なんじゃないだろうか。
べそかきながら逃げる怨念の顔とか普通はお目にかかれない光景である。
「あれですかね、同じ属性同士だと単純にもうどっちがより強いか勝負なんでしょうか」
もはや考えても分からないので、幸は毒にも薬にもならない平凡な回答しかできなかった。
と、ここまできて気になるのは最前線のアークである。
幸と真澄が「そういえば」と視線を向けると、こちらはこちらで大立ち回りとなっていた。
「いきなり攻撃してくるたあいい度胸だ! 少しは話し合いに応じようって気はねえのか!」
弾ける青い極光。
揺れる壁。
「スパイを潜り込ませた挙げ句に防衛線の森消すわ宝物殿荒らすわ城崩すわ、そんな奴の話に聞く耳なぞ持たんわ!」
勢いを増し膨らむ闇。
ひび割れる床。
「魔王様お下がりください! 今黒竜を、……なにいいない!? どこに行った!? では黄竜……こっちも駄目か! 竹の間――オーディエンスとして参加だと!? 梅の間は総撤退!? ……うぬう小癪な! 忌々しい邪魔者たちめ!」
来ない援軍、慌てる参謀。
その合間にも響く轟音である。
「……なんかアークさんて本当にすごいんですね」
思ったままの感想が幸の口からぽろりと溢れる。
見る限り、全く危なげなく魔王と戦っているからだ。
魔王が放つ闇や黒い光など、その全てを青い防御壁が防いでいる。かといって防戦一方というわけでもなく、魔王の攻撃をさばきながら時折大きな火球で応戦。その度に壁や床が大きく損壊していく。
青い弾幕に押され、苦しげに下がる魔王。
徐々に間合いを詰めるアーク。
「まあ腐っても第四騎士団総司令官だしねえ」
一応あんなんでもやる時はやる男だ、と真澄が頬に手を当てながら言う。
魔王が苦戦している様子を悟ったか、紫老人が「魔王様! お下がりください!」と叫びながら間に入ろうと動く。しかしそれを止めたのはハルヴァリだった。
大きく魔剣を振り抜く。
魔王の闇を取り込み膨らんだ靄が、これまでにない巨大な斬撃となって飛んだ。
床と天井を削りながら神速で迫る。
直前で気付いた紫老人が振り返り、防御の手印を結ぶ。が、衝撃はあまりに強く、受けきれなかった紫老人は後方の壁まで弾き飛ばされた。
「助太刀はさせん」
魔剣を構えたハルヴァリが立ちはだかる。
その奥で、「王手だ!」と声が上がった。
青い極光が膨らみ、そして弾けた。




