04.出会いのロビー
大きなホテルだが、チェックインカウンターの受付は一人だけだった。必然的に前の二人組が終わるまで待たねばならず、幸と稜はガイドロープに従って少し距離を開けて並んだ。
真後ろではなく、横に並ぶ形だ。
となると他に客もいないので、自然とチェックイン中の二人に視線がいく。そして幸はびっくりした。
「ちょっ、稜さんあの人たち俳優さんですかね!?」
前方に目が釘付けのまま、幸は稜の腕を引っ張った。
「すごいなー……」
思わず感嘆の息が漏れる。
その二人はマントに帯剣という姿で、おまけに鎧のような胸当てを着けている。
ただの銀色ではなく少し青みがかって綺麗だ。
天井のシャンデリアを反射して、それはきらきらと輝いていた。
中世の騎士がいたならこんな風貌だろうか。
まるで物語の中から出てきたような二人は、それから二言三言をフロント係と交わしてからチェックインカウンターを離れた。床に置かれていた荷物はくすんだ皮袋で、大きなそれを男性が片手で造作もなく持ち上げる。
歩き始めた彼らは並んでいた幸たちに気付くとわざわざ会釈を寄越してから、奥にあるラウンジへと去っていった。
「わー……見たことないけど、すっごく格好いい俳優さんとめちゃくちゃ綺麗な女優さんでしたね。ハリウッドの新人さんなのかな? 撮影、ちょこっとでいいから覗いてみたいなあ」
チェックインカウンターに進みつつ、幸の口からは思ったことがだだ漏れとなる。
俳優は180cmある稜よりもさらに頭一つ分も背が高かった。
金髪碧眼そして彫りの深い顔。
明らかに日本人ではないのでその恵まれた体格はさもありなんなのだが、片目に大きな傷があった。特殊メイクなのだろうが、せっかくの綺麗な青い目、片目であれだけ格好いいなら両目ならどれだけだろう。
一方で女優もすらりと上背があり、実にお似合いだ。
顎のあたりで切り揃えた銀色の髪。月のような瞳に意志の強そうな眼差しで、格好良い以外の言葉が思い浮かばない。
どんなストーリーを演じるのだろう。
サインは無理にしても、映画の名前くらいなら教えてもらえるだろうか。小さな期待で幸の胸は膨らんだ。
「撮影?」
レセプションシートに住所を書き込みながら稜が呟く。
「……機材とかあったか?」
「……や、それはスタッフさんが持つんじゃないですかね」
さすがだ。
日本で俳優をやれそうな造形を持つこの夫は、あの二人の姿かたちにはまったくなにも感動していないらしい。それどころかスタッフ扱いするあたりが純粋にすごい。
幸は不躾にならない程度にラウンジを見遣る。
そこには先ほどの二人が座って休んでいるだけで、機材はもちろんのことカメラスタッフなどの姿もまだなかった。
「まあこれだけ大きなリゾート施設だ。上手くいけば見学どころかエキストラで映り込めるかもしれないぞ」
「もしそうなったら映画見に行って、DVDも買いましょうね!」
「日本で公開されればいいけどな」
新人なんだろう、と稜が苦笑する。
既に有名な大物俳優ならばいざ知らず、無名の役者が出演する映画は本国のみの公開かもしれない。そんな冷静な分析に、幸は「それならアメリカに行きましょう、結ちゃんと三人で」とさらに押した。
「記念です、記念」
「お前英語できるのか」
稜の眉が上がった。
珍しい所作だ。そして続いたのは「俺は読み書きできるが話すのはどうにも」という日本人らしい台詞だった。
「見直した」
「ありがとうございます。でも私も英語話せませんよ?」
「は?」
「ていうか多分、読み書きも稜さんの方が確実にできると思いますし」
頭の出来が違うことは知れている。
幸はテストの度におよそ平均点かそれより少し上くらいが常だったが、稜は満点近かったはずだ。なんといっても彼は最高学府の最高峰、東京大学を卒業している。
怪訝な顔をしている稜に、思わず幸は笑った。
「なので、いざ行くとなったら辞書と会話ブック持っていきます」
「道中それで良くても肝心の映画が分からないんじゃないのか」
「現地では雰囲気だけ楽しむんですよ! で、DVD買って帰って字幕見ながら内容理解するつもりです!」
一時停止と辞書を駆使すればいける。
力説する幸に、稜の口からは本日二度目の「好きにしてくれ」が転がり出てきたのだった。
チェックインはほどなくして終わった。
最後に部屋のキーを受け取ろうという段になって、フロントマンが柔和な笑みを浮かべて「お部屋に入る前にあちらのラウンジへどうぞ」と勧めてきた。
「ウェルカムドリンクのサービスがございます。海岸を一望できる当ホテル自慢のラウンジでして、ドリンクも南国フルーツのジュースなど三十種類からお選びになれます」
「えっすごい!」
魅力的な単語に幸の目が輝いた。
先ほどの俳優組もそのつもりでラウンジに腰を落ち着けたのだろう。今からなら、彼らの綺麗な顔をもう少し拝めるかもしれない。
南国ドリンクにも胸踊らせつつ、幸は稜の背中をぺしぺしと叩いた。
「早く行きましょう、稜さん!」
「まあ待て。部屋のキーは?」
逸る幸の横で、どこまでも冷静な稜である。
しかしフロントマンは笑顔のまま空の手をラウンジへと向けた。
「まずは旅のお疲れをお取りください。お部屋のキーは後ほどお持ち致しますので」
丁寧な言葉、その内容。至れり尽くせりだ。
稜は小首を傾げていたが、三十種類のドリンクに釣られた幸がその腕を引き、カウンターでのやりとりはそこで終わったのだった。
さて、早速ラウンジである。
ウェルカムドリンクと銘打ちながら実際は軽食まで選べるという太っ腹なサービスに、幸はひたすら喜んだ。
選んだのはライチソーダとパイナップルタルト。
一面の窓には穏やかに寄せては返す波と、遠浅の青とも碧ともつかない綺麗な海が広がっている。絵画さながらの景色を堪能しながらタルトに舌づつみを打つ。爽やかな甘酸っぱさがさっくり焼かれた生地とまことによく合い、給仕からの「お代わりいかがですか」との誘いに幸はありがたく乗った。
やがて喉が潤い腹が満たされる。
そうなると気になってくるのは斜め前に座る件のハリウッド組だ。そっと窺ってみると、二人はどちらもオーソドックスなパウンドケーキを食べていた。
意外だ。
幸の感想はその一言に尽きた。
彼らの会話は聞こえない。俳優は無言のまま頬杖をついて遠く海を眺めている。この時点で絵になりすぎの感は否めない。うっかり「写真撮らせてください」と喉まで出かかり、慌てて幸はストローに口をつけた。
その一方で、女優は無表情ながら出されたパウンドケーキを完食していた。
俳優が海から彼女へと視線を移す。
綺麗に白くなった皿に気付いたのか、彼はまだ口をつけていない自身の分を差し出した。しかし彼女は首を縦に振らない。すると彼はフォークを手に取り、一口をそこに乗せた。
「ほら」
艶やかに低い肉声が届く。
目の前に差し出されたそれを、とうとう彼女は恥ずかしげに食べた。
なにか、こう、ズキューン、と。
完全に撃ち抜かれて、幸はテーブルに悶え伏した。
「す、すごい……」
なんたる甘さ。
挙動不審になった幸の視線を稜が追う。するとその先では二口目の「あーん」が展開されていたが、先ほどとは違って彼女は頬を染めたまま彼の皿を引ったくっていた。
まあどうあれ絵になっている。
映画のワンシーンで流れたら間違いなく憧れるだろう。ため息をもらす幸を見て、稜が笑った。
「やってやろうか?」
「勘弁してください……」
申し出は嬉しいが即答でお断りである。
公衆の面前であーんなんて、美男美女だから絵になるのだ。稜はまだしも幸ではとんだお笑い草である。どうせ恋人同士とかそれ以前の問題で、多分、餌付けにしかみえない。
ライチソーダを飲み干す勢いで口角泡を飛ばして力説する幸だが、稜は面白そうに笑うばかりだった。
それにしても実に開放的な気分だ。
ゆったりと寛ぐ時間に、フロントマンの言うとおり旅の疲れが飛んでいく。うきうきで幸が飲み物のお代わりにシークワーサージュースを貰っていると、さらにもう一組、このラウンジに入ってくる男女がいた。
広いラウンジに少ない客。
必然、幸の意識は彼らに向かう。
そしてその姿を目に入れてから数秒後、幸はテーブルの上に置かれていた稜の手を叩いた。
「大変です、稜さん」
「どうした」
「ここってやっぱりセレブ御用達ですよ」
っていうか、うわー……と、続いて感嘆の息。
思ったことが本当に逐一だだ漏れになるのだが、これはもう致し方ない。
三組目はどちらも黒髪黒目の二人だ。
剣やマントといった特徴あるいでたちではないものの、やたらと上質な、強いて言うのならば王族のような美しくきらびやかな衣装を着ている。
庶民の幸でも一目で分かる、生地の光沢。
彼らもまた目を引くほど背が高い。先ほどのハリウッド組は質実剛健な感じだったが、こちらは威風堂々という言葉がしっくりくる。
彼らの放つ威容に周りが霞んで見えるほどだ。
「あの人たちと同じホテルとか、場違い感が半端ないんですけど」
「お前はいちいち反応が新鮮だな」
真顔の幸に、稜が真顔で返してくる。
「だって仕方ないじゃないですか」
何度も言うようだが平凡庶民の幸には芸能人の知り合いなどいないし、由緒正しい誰かしらとの繋がりもない。
稜が動じなさすぎなのだ。
そんなことを幸が言ってみても稜は「はてそうか?」と首を傾げるだけで、話が通じないったらありゃしない。
そうやって二人で会話をしていると、黒髪黒目の男女が幸たちの後ろのテーブルに陣取った。
「海がきれいね」
女性の声は嬉しそうに弾んでいる。
ウェイターから飲み物を尋ねられて、彼女は「レモネードを」と即答した。ちらりと窺った限りではその風格もさることながら、落ち着きもあって、幸より少し歳上のようだ。
大人の女性とはこういうものか。
飲み物の種類にはしゃいだりなどせず、エスコートを優雅に受ける。そんな姿に、つい幸の憧れが募った。
「遠かったな」
もっと適当な服を着てくるべきだった。
肩が凝った、と襟を寛げながら男性が座る。籐でできた椅子がギシリと鳴って、本当に身体全体を預けたのだろうことが知れた。
「それも含めての新婚旅行でしょ」
わがままを言うな、と女性が息を吐く気配がする。
幸はそっと背後を窺った。
長く艶やかな黒髪の女性は椅子の背に手をかけながら立ったままで、まだ海を眺めていた。横顔は明らかに日本人だ。しかしその夫の容貌は髭こそ生えていないがエキゾチックで、切れ長の鋭い目は中東あたりの部族長を想起させた。
どうやら国際結婚らしい。
随分と流暢に日本語を操るその姿に驚くが、そこで幸は違和感に気付いた。
あれ、と思い黒髪組から目を離す。そのまま斜め前方にもう一度視線を向けると、ハリウッド組が「後で海に行こう」と談笑していた。
「……稜さん、すごいことに気付きました」
「すごいこと?」
「ここにいる人たち、みんな日本語しゃべってます」
「まあここは日本だからな」
「でもハリウッドの人たちもって、やっぱりすごいですよ。普通なら英語しゃべりますよ。日本で撮る映画だから、日本語が堪能な人を配役に選んだのかな」
幸が首を傾げるたその瞬間、稜が弾かれたように顔を上げた。
そのままハリウッド組を振り返る。次いで幸の後ろに視線が飛ぶ。思わず幸もそれを追うと、黒髪の女性がちょうど椅子にかけようとしていた。
キシ、と。
籐が軋むと同時、周囲の景色が暗転した。




