20.魔王城攻略の尖兵
『目的地、周辺へ、到着しました。案内を終了します』
ポン、と音が鳴り、カーナビがそこで沈黙した。それを皮切りにエンジンが切られ、一行は車から降りた。
確かにここは目的地周辺である。
目の前には大きな水堀、その奥に孤島さながら建設途中の魔王城が見えている。
ひっきりなしに空を往復するのは小型の竜や鳥らしく、手足で大きな袋を掴んでいる。建築資材のようだ。
工事の音もひっきりなしに聞こえてくる。トンカントンカン打ち付ける音、ザカザカと木材を切る音。何かしらを叫んでいるような声も混ざるが、それは遠すぎてはっきりとは聞き取れなかった。
「こんなもんでいいだろ」
と、アークが口を開く。
眺めていた魔王城から目を離し幸が振り返ると、乗ってきたグランエースは沢山の葉や木の枝で覆われ、森と同化していた。同じく作業をしていたハルヴァリとアリアも、頷き合っている。
何をするにしても仕事の早い軍人三人組みだ。
「さて、ここからどうやって浸透していくかだな」
「浸透、ですか? 進軍ではなく?」
アークの呟きに、思わず幸は訊いていた。浸透とはなんだろう、という純粋な疑問が浮かび上がってのことだ。
するとアークが幸に向き直った。
「進軍はする。が、そのやり方のことだな、浸透ってのは」
「はあ、やり方」
「真正面からぶつかって良いのは同規模の部隊同士だけなんだよ。今みたいに戦力差がある場合はそんなことしても勝ち目がないわけで、その場合はどうするかってえと敵方の警戒網だとか防衛線をすり抜けて、敵方陣地に侵入する。それを浸透、と専門用語で呼んでいる」
「へえー、勉強になります」
「勉強か……多分お前の日常生活上は、二度と使うことはないと思うが」
幸の反応に、アークが苦笑を返してくる。
確かに軍事作戦上の単語など、今この時を除いて未来永劫関わりがあるとは思えないが、そこはそれ。ある意味、旅の思い出にはなる。
そこでアークが胸元から折りたたんだ紙を取り出した。例の求人広告だ。宣伝の為か職場イメージを湧かせる為か、そこには大まかな魔王城の敷地地図と、幾つかの建物の絵が載っている。
アークの指が大外の水色をす、となぞった。
「この水堀を突破して、今日のうちに第三防衛線を抜け、建築途中のこの支城まで到達する。第二防衛線は明日、森林区画があるからここは一日見ておいた方が良いだろう。第一防衛線は明後日に突破するぞ。第一防衛線を越えれば、魔王のいる本城は近い。ここでチェック――王手だ」
これは旅行の日程か何かだろうか。
あまりにも淀みなく話される進軍予定に、幸は絶句するしかない。
とりあえず、最初の「水堀突破」だけでもどうやってやるのか皆目見当がつかず、足手まといになる未来しか見えないがどうなのだろう。
「あの、アークさん。水堀突破ってやったことないっていうか、正直できる気がしないんですけど」
「できるかどうかで考えるんじゃねえ。絶対にやる、その為にはどうするかを考えるんだ」
「えええそんな無茶な……!」
「そもそも魔王城への入口は現時点であの跳ね橋しかない。それを三日で落とす為の水堀突破だ。どうせ落とす城相手だ、ご丁寧に入口から行ってやる必要なんぞどこにもない」
剛毅な発言である。もはやこの総司令官を止められる人間はここにいない。
その横で紙を覗き込んでいたハルヴァリが、ふむ、と顎に手をかけた。
「堀突破、夜まで待ちますか? 日中はさすがに監視されているでしょうし、工事の関係者も近い。見咎められるとさすがにまずいかと」
ハルヴァリが指差す先には、水堀の上の支城、その外壁を塗装しているらしい作業者がいた。小舟に乗って、黙々と働いている。
そのまま視線を上にずらすと、物見窓だろうか、切り取られた外壁の一角から油断なく周囲に目を光らせている者がいる。人間のように見えるが、頭に角が生えており、肌も真っ赤、口から牙も覗いている。
どこからどう見ても戦闘員だ。
あんなのと真正面から戦うなど無理難題すぎる。ハルヴァリの言う通り、絶対に夜陰に乗じた方が良い。
しかしそんな幸の切なる願いは、次の瞬間アークに一刀両断された。
「時間が惜しい、今すぐ突破する」
「待ってください私無理です絶対見つかっちゃいますよ!?」
幸からはもはや悲鳴に近い叫びしか出ない。
が、何を思っているのかアークが「お前なら大丈夫だ」と無駄に太鼓判を押してくる始末である。
「むしろサチ、お前の協力がなきゃ水堀は突破できん」
「……へっ?」
「浸透するには隠密行動が基本だ。それこそハルヴァリの言うとおり、夜に動くが定石でもある。それはあくまでもこちらの動きを察知されづらくする為であって、目くらましをかけられればまあなんでも良いわけだ。現実、浸透時には支援部隊が陽動したり飽和攻撃で敵方の注意を引くこともよくある」
「は、はあ……いやでも、なんでそこで私」
「連れてきてるだろ。支援部隊」
「支援ぶ……まさかシロさんたちのことですか!?」
「おう。こっちの世界の存在だから、姿を見せるも消すも自在なんだろ? ある程度あそこで暴れてもらって、機を見てまた姿を消せばいい」
アークが水堀全体を眺めつつ、とある点を指し示す。
ここから少し離れた場所に跳ね橋がある。
今は水堀の上にしっかりと架けられていて、その上を工事業者らしい風体の者たちや、荷車などが結構な頻度で行き交っている。
他方、水堀に視線をずらす。
水面は静かだ。波はおろか魚影の一つも見えない。水草などもなく、生き物の気配は薄い。が、色は濃く、それなりの深さがありそうだ。
一応、幸は泳げる。
運動神経としては並も並だが、夏の暑い盛りに行われるプール授業は好きだった。それから、海の経験もある。毎年家族で行く海岸は決まっていて、そこでも浮き輪などなしでも楽しめてはいた。
「ひ、人を襲ってくる魚とか、いないですよね……?」
恐る恐る口に出す。
いわゆるただの水であれば、きっと幸でもどうにか渡れるだろう。しかしここは魔王城。普通に考えて、というか、どう考えてもただの水堀であるはずがないと思うのだが。
全身全霊でビビり倒している幸の横で、「それなら」と声が上がった。ハルヴァリだ。
「サチは陽動をかける都合で、どうあれ最後までここに残らねばならないだろう。いっそ全員ここで待っていてくれ。俺が一人であちら側に渡って、船を調達してこよう」
「えっ、ハルヴァリさん一人でって、でも」
「泳ぎは得意だ。水中戦もまあ、小型中型くらいの相手ならばいけるだろう。大型獣が潜んでいたら、その時はさすがに援護を頼みたいが」
言いながらハルヴァリが見遣るのはアークである。
この場で唯一の遠隔攻撃ができる人材なのでその依頼は妥当なのだが、それにしても。
幸が窺うと、想像に違わぬ顔で力強くアークが頷いた。
「非戦闘員を泳がせるのは確かに避けたい。一人で乗り込めるならそれがいい、頼んだ」
「はい」
「後は陽動だな。さて、」
くるりとアークが幸に向き直る。
そしてそこで言葉が途切れた。「……おお」と、驚きの声と共に黒曜石の目を瞬く。それと同時、幸は膝下に柔らかな毛皮を感じた。ふかふかの尾が巻きついている。横を見ると、凛々しい顔としか表現できないシロが姿を見せていた。
そのサファイアの青い瞳がアークを真正面から射貫く。
「やる気満々か? 話が早くて助かる」
人でも獣でもおかまいなし、アークが当たり前のように尋ねる。
受けたシロが白い牙を剥いた。
『力は貸す。ただし、――私たちが不在の間、サチにかすり傷一つでもつけたら許さない』
「分かった、任せとけ。お前も手伝ってくれるのか?」
シロに対して請け合いつつ、アークがふと稜を見る。
全員の視線が集まったそこには、稜の背後に大きな金色の塊――キンがお行儀よくお座りしていた。彼は特に言葉は返してこなかったが、優しく輝くアメジストの瞳をきゅ、と細めた。
「決まりだ、動くぞ」
アークが全員に向き直る。
「ハルヴァリは帯剣で堀付近に待機。シロとキンだったか、一旦姿を消してからあの正面入り口を突破しろ。できる限り派手に暴れて注意を引き付けてくれ。捕獲されないよう気を付けて、危なくなったらそこで切り上げていい」
指示を受けたハルヴァリが、ためらいなく服を脱ぎ捨てていく。早すぎる展開と下履きのパンツ一丁になった彼のそれでも変わらぬ男ぶりの良さに、幸はただただ呆然とするしかなかった。
鍛え上げられた肉体。がっちり割れた腹に、直接革ベルトを巻き締める。
そこに小ぶりの剣を下げた後、さらに同じような大きさだが抜き身の剣を、ハルヴァリが口に銜えた。そのまま藪の中を進み、堀に飛び込める近さの場所で待機する。動きがなければ姿は長尺の草に隠され、そこに誰かが潜んでいるとは到底思えなかった。
水堀の向こうでは、のんびりと業者が工事を進めている。
今まさに、城攻めを受けようとしていることは一切気付いていないだろう。ある種平和な光景を目に映しつつ、幸は固唾を飲んで跳ね橋を見ていた。
「よし。今この時刻を以って魔王城攻略を開始する。シロ、キン――いけ」
総司令官から作戦開始の号令が出される。
ひゅん、と一陣の風が抜ける。
白い風と金の光が、跳ね橋に向けて宙を裂いていった。




