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03.旅は楽しい! ……はず


 やたらと力強い当選のお知らせから二週間後、沖縄への出発日がやってきた。

 空港まで見送ってくれた慶次と結に手を振り、幸と稜は手荷物検査を抜けて出発ロビーへと向かう。飛行機に乗ったのは高校の修学旅行以来、四年ぶり二回目である幸は、途中にある土産物店が既に物珍しく楽しい。期間限定のラスクが特設ワゴンに山積みになっていてつい覗いたり、ガラス戸のオーブンで焼かれる長いバームクーヘンに思わず見入ったり。

 一方の稜はといえば仕事でもそれなりに飛行機を使うらしく、進んでは足を止める幸を見て呆れ顔だ。

 曰く、「ただの土産でそれほど楽しめるのは才能だ」と。

 しかし楽しいものは楽しいのだから仕方がない。さすがに土産は買わなかったが機内でのおやつをしこたま買い込んで、旅は始まりから心躍るものだった。



 二時間以上のフライトはあっという間だった。

 現地では宿泊先のホテルを拠点にレンタカーで自由行動が基本となっているので、追加で買ったガイドブックを再び広げてあれが見たいこれを食べようと復習していたのだ。

ちなみに九割九分は幸が喋って稜がひたすら頷くという状態だったが、いつものことである。

 そうして着いた南の島は、日差しがことのほか眩しかった。

「わー暑い! でも空がすごい、真っ青!」

 目庇(まびさし)の向こうには写真よりずっと冴えた色の空が続く。肌に感じる暑ささえ爽やかというか、いつもと違うようだ。吸い込む空気も熱帯に色づいている。

 初めての沖縄。

 降り注ぐ日差しに何もかもが輝いて見える。堪能している間に稜が手際よくレンタカーの手続きを済ませてくれたので、深呼吸もそこそこに幸は助手席へと乗り込んだ。

「ホテルまで小一時間くらいかかる。どこかで昼飯食べていくか?」

 慣れない土地でも変わらず流麗なハンドルさばきを見せながら、稜が言った。

 車内時計は正午過ぎを指している。

 確かに良い時間だが、少し考えて幸は首を横に振った。

「チェックインしてから食べに出たいです! 稜さんお腹もちますか?」

「腹は問題ない……というか、そんなに意気込む何があるんだ」

「あのですねー、ホテルの近くに地元民御用達、知る人ぞ知る伝説のソーキそば屋さんがあるらしいんですよね!」

 麺は上品な薄黄色、スープは黄金色に光輝き、分厚いソーキはこんがり焼き目がついてそれでいて中まで秘伝の煮込み汁が染み渡った逸品。

 写真付きでそんな記事を読んだからには、是が非でも食べてみたいと思うのが人情なのである。

「伝説ですよ、伝説!」

「分かった分かった」

「なんでそんな反応薄いんですか」

「どうせ元祖とか初代とかその手の謳い文句と一緒だろう」

 つまりどうあれ大差ない、と一刀両断。

 さすがだ。冷静が服着て歩いているといっても過言ではない稜らしい台詞である。

 日常会話はずっとこんな感じで、婚前とまるで変わらない。単純な幸と頭の切れる稜。甘さが増えないことを氷室の義両親からは謝られたりもするが、幸の方も雇われていた時の癖が抜けず未だに敬語だから、まあおあいこか。

「言いましたね。じゃあ昼ごはんは毎日ソーキそばの食べ比べしましょ」

 他にも「珠玉」や「最高峰」などと銘打たれている店がいくつもあって、これはまたとないチャンスだ。

 この旅行のために買って鞄にしまいこんであるソーキそば大全、その魅惑のページが幸の頭に浮かんでは消えていく。

「毎日?」

「行ってみたいお店が十軒ほどあるんですよね」

「……別に構わんが、七日間の滞在だから七軒しか行けないぞ」

 毎日のソーキそば祭りに一瞬怯んだらしい稜。珍しく舌戦に勝ったと思いガッツポーズを決めたくなった幸だったが、直後に四則演算が大丈夫か、と暗に馬鹿にされあえなく撃沈した。

 結局どう頑張っても幸は稜に勝てないのである。

 頬を膨らませつつ、幸は「残りは今度、結ちゃんと三人で来る時の楽しみにとっておきます」と白旗を上げた。

「それにしても珍しい旅程だよな」

 市街地を抜け、海沿いの道路を走っている時に稜が呟いた。

「なにがですか?」

 那覇空港で早速買い込んだドライマンゴーで小腹を満たしながら、幸は会話を拾う。

 ハンドルを握る稜はちらりと幸に目線を寄越し、「普通なら」と続けた。

「ホテルチェックインは初日の夕方だ」

「あー。確かにせっかく市内通るから、どこか二、三ヶ所くらいは回りたかったですねえ」

 言われて幸もそういえば、と唸る。

 航空券と共に届いた詳細案内に「初日は十四時までに一度ホテルにチェックインしてください」と注意書きがあったのだ。あまり深くは考えていなかったが、そういうわけで初日は予定をほとんど入れていなかった。

 幸は鞄の中からホテルパンフレットを取り出す。

 三つ折りの厚紙、表紙には名前と広く豪華絢爛なロビーの写真が見える。中を開ければ自慢のビーチと、それぞれの部屋の内装が綺麗な文章と共に散りばめられていた。

「んー……プライベートビーチ付きホテルだから、なにかサプライズイベントがあったりとかですかね!」

「お前、プライベートビーチを勘違いしてないか」

「だってVIP御用達っぽいじゃないですか、このホテル」

 ロビーの豪奢なシャンデリアからして格調高い。

 自分で手配する旅行ならば入口から腰が引けてまず選ばない高級さだ。それゆえ、わざわざチェックイン時間を指定してきたことも相まって、ウェルカムなんたらなどが用意されているのでは、と期待する次第なのである。

 想像はたくましくなるばかりだ。

 幸はパンフレットを折り畳み、再び鞄に放り込んだ。

「市内は明日とかでもいいし、今日はホテルそのものを楽しみます!」

「いいのかそれで」

「え、稜さんて探検とかしない派ですか?」

「探検? ホテルを?」

「そうです。まあ旅館とかでもやりますけど」

「……慶次たちのお()りでついて回るばかりだったか、そういえば」

 どこか懐かしさを滲ませる声音。

 稜は四人兄弟の長男で、下に慶次と颯真(そうま)という弟が二人、それに(まゆみ)という名の妹がいる。

 三者三様の顔を思い浮かべ、幸は彼らにどんなお土産を買おうかと思案を巡らせた。

「やっぱり最初はビーチかな!」

「好きにしてくれ」

 どこでも付き合うから、と稜が苦笑した。

 フロントガラスの先には一面に青い海が広がっている。果ては空と溶け合っていて、鮮やかな夏がそこにあった。


*     *     *     *


「はー、すご……」

 (くだん)のホテルに到着してすぐのこと。屋内に入る前から、幸はただただ感嘆の吐息を漏らすばかりだった。

「口、開きっぱなしだぞ」

 荷物を車のトランクから降ろした稜から早速つっこみが入る。が、開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、幸はそのまま遠くに見える正面玄関を指差した。

「だって稜さん見てくださいよ、あのシーサー。ライオンどころか象くらいありそうですよ? どうやって焼いたんだろ」

「パーツ毎に分けて、後で組み合わせるか接着してるんだろう」

「あーそっか、その手がありましたね。さすが稜さん、焼き物にも詳しいんですねー」

「お前、……」

 憐れみの視線が飛んでくるが、いつものことなので幸は気にせず歩を進めた。

 白い貝殻が敷き詰められた明るい遊歩道。左右には南国の木々がそこかしこに青々と葉を伸ばしている。足元に目を転じると、写真でも見た赤いハイビスカスが道沿いに咲き誇っていた。

 良く手入れされた植栽に、一つとしてゴミもない。

 これだけで温かな歓迎の意が伝わってくる。

 東京の有名どころとは違い、このホテルは車を降りてすぐに入口ではなく、こうしてゆったりと散策できる小道が百メートルほども続いている。照りつける日差しは強烈だが、海から時折吹いてくる風が心地よかった。

「しかしここまで大きいとは正直思ってなかった」

 スーツケースを引きながら稜が額の汗を拭う。

「随分と立派なホテルだな」

「稜さんでもそんなこと思うんですね」

「日本家屋は確かに見慣れてるが、洋風建築は教会くらいしか馴染みがないからな」

「や、普通は教会にも馴染みなんてありませんよ」

 氷室の家が古くから続く神社で、その(つて)で由緒正しい老舗旅館やカトリック教会などと繋がりがあるのだ。ごく普通のサラリーマン家庭に育った幸は、こういう話が出る度に異世界を垣間見るような気持ちになる。

 そうして二人で南国の小道を楽しんだ後は、写真と寸分違わぬロビーに驚くのである。

 むしろ写真で見るより倍ほども広く感じられるだろうか。

 おそらくそれは、天井が高くて奥行きがあること、まばゆい大理石の床が周囲の景色を映していることなどによるのだろう。チェックインカウンターが奥まっているらしく、ロビーに入ってすぐには見えないというのも大きい。

 かなり大型のホテルだが客らしき人影はない。

 よくよく思い返してみれば、そもそも敷地に入ってからずっと従業員含めて誰とも会っていなかった。

「もっと混んでるかと思ってたけど、そうじゃないんですね」

 夏の沖縄などハイシーズンも良いところだ。

 招待に近いとはいえ、きっと人混みだらけだろうと予想していた幸は、ホテルの静けさに小首を傾げた。

「貸し切り……なわけないか。まさか訳ありとかだったりして」

「さてどうかな。慶次がいたら分かっただろうが」

 幸のおふざけに意外と真面目な回答が返ってきた。

「よくある話らしいぞ。その入口から向こうは別世界だった、っていうのは」

「え」

「いわゆる神隠しだな。誘い方がかなり巧妙らしくて、途中で違和感に気付いて引き返せば助かるが、そのまま引きずり込まれる奴もまあ、いる」

 そうでなければ日本各地に伝承など残らない。

 真顔で稜が追い討ちをかけてくる。ただの悪ふざけならいざ知らず、逆にそのテの類を相手にする家業の人間が言うと洒落にならない。

 言い出しっぺのくせに幸の足が止まる。

 なぜか気温が急に下がったように感じて、幸は半袖から覗く二の腕を撫でた。

「あのう……後学というかあくまでも参考のために聞いておきたいんですけど、ちなみに引きずり込まれたらどうなるんですか」

「……聞きたいのか?」

 溜めたっぷり。

 この時点で聞かなきゃ良かったと泣きが入りそうになるが、かといってこの状態で聞かなかったらそれはそれで気になり続けて精神衛生上よろしくない。

 そんな葛藤の末に幸が選んだのは、

「梅コースでお願いします」

「は?」

「松竹梅の梅です。後生なんで初心者に一番やさしい話を選んでください」

 ビビりながらも注文をつける幸に、稜が吹き出した。

「俺も直接視える人間じゃない。親父や慶次から聞いただけでそこまで詳しくないから大丈夫だ」

 そんな前置きから話されたのは、ひとくちに神隠しといっても実際には二種類あるのだということだった。


 まず、そのつもりなどないのにうっかり迷いこむパターン。

 たまたま神域の山に踏み込んでそこの主の縄張りに入るとか、逢魔時(おうまがとき)とも呼ばれる夕方に繋がりやすくなったあちらの世界に立ち入る、など。

 これらの場合は生還できる可能性が高い。

 よほど傍若無人な振る舞いをしない限り、あちらの住人の方が関わりを避けようとするのがほとんどだ。気まぐれに多少の戯れ――たとえば一瞬のはずが帰ったらなぜか三日も経っていた、自宅近くにいたはずが全く別の場所にいた、など――を受けることはあっても、害意を向けられてはいないので大事には至らない。

 厄介なのがもう一つのパターンである。

 あちら側に何かしらの目的があって接触を図られると、それを達成しない限り自由にはなれないのだ。それが「お命頂戴系」だと非常に面倒な事態であり、否応にも戦わねばならなくなる。


「まあ誘いが巧妙というのは二つ目の話だな」

「今さりげなく『戦う』とか言ってましたけど、それできるの氷室の家の人くらいですからね!?」

 もっとこう、万が一に備えて一般人にも有益な対処法を。

 とりすがる勢いで幸が詰め寄るも、稜は肩を竦めるだけだった。あまつさえ、

「そういえば詳しくどうしたらいいかは聞いたことがない」

 と、これである。

「なんで!? そこ一番大事なのに!」

「どうせ俺は戦えないから」

「そうくるか……! でも稜さんが戦えなくたって、後ろの用心棒が大暴れするから問題ないとかそんな感じなんですよねどうせ!?」

「良く分かったな」

「ああーもうこれだから……!」

 幸は額に手を当てて天を仰いだ。

 氷室の血筋は、数々の異能を持つ者が生まれる。あちらの世界のものを視る目であったり、相手を捉えて直接戦う――平たくいうと殴ることができる――力であったり。その中にあって稜は珍しく視えない目であり、しかしそれを補うようにやたらと豪気な守り人がついているのである。

 有り体にいえば、守護霊だ。

 神格級の獣が二匹とご先祖さまが一人、稜に仇なす輩は彼らが千切っては投げ千切っては投げ片付ける仕様となっている。

 守り人は普通であれば一人、せいぜい二人つくのが関の山らしいので、頭数だけみても破格なのだ。慶次曰く夫婦となった幸もその恩恵は受けられるらしいが、それでも不安は不安である。なんせ幸は凡人らしく霊感はゼロ感であって、相手がいるんだかいないんだかそれさえ分からない。


 訳も分からず戸惑っているうちにとり殺される。

 それこそ冗談じゃない。


 出端から渋い顔になるが、そんな幸の背中を稜が優しく押した。

「まあそう心配するな。神隠しなんてそうそうあるものじゃない。ほら、俺たち以外にも客がいるみたいだぞ」

 稜が指差す先。

 そこには長身の男女がチェックインカウンターの前に立っていた。



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