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02.当選のお知らせ


 セミの盛りを迎えた夏、風は未だにぬるい夕方。

 年齢二十一歳、性別は女、都内にあるそれなりに名の知れた某大学に通っている何の変哲もない学生──でありながら、実は十一も年上の夫がいて、さらにその連れ子の娘もいて、さらにさらにその義理の弟が家政婦として住み込んでいる──そんな、学生と妻と母と兄嫁という四足のわらじを履いている氷室(ひむろ) (さち)は、とりあえず新居マンションの玄関先で固まっていた。

 郵便受けにたった一通だけ届いていた封筒。

 右手に握った白いそれには差出人が書かれていない。

 が、宛名はしっかりと幸宛になっている。それもやたらと力強い毛筆で。今日日(きょうび)よくある印刷やシールなどではなくて、無駄に自己主張が強い気がするのがなんとも微妙である。

「……なんでこんな時間に?」

 家の鍵を開けながら呟くも、相槌などあろうはずもない。

 時は夕方。

 普通の郵便であれば午前中に届いていて、家政婦であるところの義弟、つまり慶次(けいじ)が受け取っているのが慣例だ。

 首を捻りながらも幸はとりあえず家の中へと入った。左手に持っているスーパーの袋が重くて、指が千切れそうになったからである。



 ただいま、と声をかけながらリビングに直行すると、誰もいなかった。

「あれ?」

 ダイナミックにプロレスごっこをしているか、あるいは本格的なおままごと──という名の晩御飯の支度──をしているかと思いきや、娘のゆいと慶次の姿がない。

 物音一つしないがしかしあの二人のこと、真剣勝負のかくれんぼ中という可能性も否定できない。急に飛び出てこられても寿命が縮むだけなので、幸は念のため家中くまなく捜し回った。

 リビング、台所、寝室から浴室そしてトイレ。

 念には念を入れて便座の蓋の裏まで確認し、そこでようやく娘と義弟はやはり外に出ていると知れた。

 なんせ日頃から体力の有り余っている二人。結は幼稚園だけでは飽きたらず、慶次にせがんで公園にでも遊びに行ったのだろう。慶次は慶次で山籠り修行など普通にやる御仁なので、子供の底なし体力にもいくらでも付き合うのだ。

 相変わらず仲良しで、良いことである。

 放っておいても日が暮れる前には帰ってくるだろう。

 思いがけず時間に余裕ができたので、とりあえず幸は買い込んできた生鮮食品を冷蔵庫に放り込んでからダイニングテーブルに腰かけた。

 そして先ほどの封筒を手に取る。

 表書きにはやはり何度見ても達筆な字で「氷室 幸様」と書かれている。間違いなく自分宛だ。だが裏返してみてもやはり差出人はない。もう一ついうと、切手も貼られていない。怪しさ満点、マウンテンだ。

「不幸の手紙とかじゃないよね……?」

 基本的にビビりなので、どうもこのテの類に腰が引ける。しかしまあ爆弾が入っていそうな雰囲気、というか厚さはないので、幸は思いきって封筒の端をハサミで切り取り中身を出した。

「……当選?」

 なんの変哲もない白い三つ折りの紙。恐る恐る開くと、そこにはこれまた達筆な字で題名が書かれていた。


 当選のご案内、と。


 本文まで毛筆なその内容を読むと、どうやらペアで南の島旅行が当たったらしい。

 憧れの沖縄である。

 それもまさかの一週間。

 封筒の中にはさらに宿泊先のホテルパンフレットに加え、沖縄の名所百選のような観光案内までご丁寧に同封されていた。

 思わずページをめくる。

 白く輝く砂浜、どこまでも青く透き通った海。晴れた空に鮮やかに咲き誇る赤い花が映える。平屋の屋根に対のシーサー、家々を囲むのは大小様々の石積みで、古くからこの土地で発展してきた独自の文化が見てとれる。熟れたパイナップルのデザート、とりどりのアイスクリームが目に彩だ。

 ページをめくる度その美しさにため息が出た。

 裏表紙まで行き着いた時、ふと気付けば部屋の中が薄暗くなっていた。

「やだ何時って七時!?」

 時計を見て幸が慌てるのと同時、玄関からは「ただいまー」と元気な声が二つ届いた。


*     *     *     *


「それで? 慌てすぎてこの惨状か」

 夏の夜、藍の夜空にぽっかりと満月が浮かぶ時間。

 最後に帰宅した(りょう)──幸の夫であり、結の父であり、慶次の実兄──は、ずらりと皮一枚で繋がったきゅうりのぬか漬けを箸でつまみ上げた。

「ここまでくると見事だな」

 稜の指摘ももっともである。繋がっているのはきゅうりだけではないのだ。

 晩酌用のいか刺しも、メインの冷やし中華に乗っているハムと卵の薄焼きも、果ては味噌汁の中の揚げとネギまで。およそ包丁を使った全てが紙一重で切れていない。もはや匠の技の域に達している、といっても過言ではない状態だ。

「さすがさっちゃん。やろうと思っても逆にできないよ、これ」

 からからと笑いながら慶次は豪快に中華めんをすする。

 結はというと、繋がっているせいで一口分が大きくなったハムをものも言わずに一生懸命食べている。というか、話したくても口の中が一杯でできないのだ。

「大変失礼致しました……」

 もはや言い訳もできない。

 四人で囲む食卓の中、幸は四歳の結よりも小さくなりながら味噌汁に口をつけた。

「で、プライベートビーチ付きホテルで一週間のご滞在、だっけ?」

 口をもぐもぐさせる慶次の視線は、ダイニングテーブルの隅に向けられている。そこには今般の残念夕飯の元凶となった手紙が鎮座ましましていた。

「折角だし行ってきたら? 新婚旅行、まだだったろ?」

 慶次は簡単に勧めてくるが、軽いにも程がある。

 確かに幸と稜が結婚したのはつい二月(ふたつき)ほど前、六月末のこと。途中までは偽装結婚だったというちょっと見ないレベルでの紆余曲折を経てゴールインだったものだから、当面の生活を整えるのに精一杯で確かに新婚旅行どころではなかった。


 南の島、一週間、それもタダで。


 実は婚家の氷室家は特殊な家業──戦う神主を擁する神社──を営んでいることもあって底知れないお金持ちだったりするのだが、生まれも育ちも庶民の幸には大変魅力的な誘い文句だ。

 が、しかし。

「旅行は確かにまだなんですけど」

 歯切れの悪い幸を見て、慶次がビール片手に小首を傾げた。

「もしかして他に行きたいとこあんの? やっぱ王道にヨーロッパとか?」

「あ、いえそういうわけでは」

「意表を突いてアメリカ大陸? 北か南か中央かで随分変わるけど、まあどこでも楽しめるか。あ、北米以外は余裕で麻薬売買とか強盗人さらいなんでもござれだから気をつけてね。路地裏とか大通りとか関係ないよ、人を見たら泥棒と思えってね」

「そうなんですかっていうか随分詳しくないですか」

「昔修行にいったんだよ」

 出た。

 氷室家あるあるでもう慣れたとはいえ、幸の頬はひきつった。

「国内だけじゃなかったんですね……」

 この義弟、今は家政婦として同居してくれているが、本職は戦う神主なのである。


 何と戦うのか。

 それはこの世の常ならざるものたち、だったりする。


 あまりにもぶっ飛んだ話すぎて、幸は最初ついていけなかった。

 だがその後、稜との結婚までに経た紆余曲折の間にいろいろと──本当にいろいろ、たとえば車ほどの大きさの金色の狐だの、風のように馳せる白い狼だの、小山ほどある黒い猪だの、その他諸々──を、目の当たりにして、悟りを開いた。

 ああ、そういう世界もあるのか、と。

 いちいちまともに考えるのを放棄した、ともいう。


 考えるな、感じろ。


 そんな台詞を胸のうちで何度呟いたことか。今となっては懐かしい記憶だ。

 ちなみに日常生活を送るにあたって凡人の幸はあちらの世界の彼らを『視る』目を持っていないので、特に肝を冷やすような場面には遭遇したことがない。


 話が逸れた。


 ともあれ慶次はそういった特殊すぎる職業ゆえ、精進するためにあれこれやっているのだ。それがまさか国外にまで及んでいるとは恐れ入った、という話である。

「場所はどこでもいいんですけどね。沖縄も行ったことないし」

「じゃあ夏休み中だし、本当に丁度良いじゃん」

「でも結ちゃん」

 純粋な厚意で勧めてくれる慶次に、幸は渋る理由を端的に述べた。

 結と幸は血が繋がっていない。

 それは結が稜の前々妻との間にできた子だからだ。こうして今一緒に暮らしているのは最初から円満に事が運んだからではなく、結がその前々妻に置き去りにされたという苦い経験に端を発している。結果として事なきを得て同居しているものの、そういう経緯もあって幸と稜だけで、という選択肢を幸は取りたくなかった。

 行くなら三人で。

 そう主張する幸を、しかし慶次は「それじゃ新婚旅行にならんでしょ」と一蹴した。

「大丈夫大丈夫! その間は氷室の実家に戻るから。なー結、ちょっとくらいお留守番できるもんなー?」

「うん、できるよ!」

 元気なのは宜しい。返事が良いのも大変結構だ。

 が、仲良し凸凹コンビは「お魚釣りにいく!」「よっしゃ、今度は百匹釣るか!」などと早くも盛り上がっている。

 この生活が始まって、もうすぐ二ヶ月。

 不安定だった結が落ち着いてきたのは喜ばしいが、幸としてはそれでいいのかとはなはだ疑問だ。そんな考えが顔に出ていたか、見透かしたように慶次が笑った。

「二人っきりで旅行なんて、これから先何年もできないよ。弟や妹が産まれたら余計にね」

 だから心置きなく行ってらっしゃい。

 もう一人の当人である稜の都合など確認もせず慶次が話をまとめてしまった。幸が窺うと、稜はいか刺しを食べつつ一つ頷いてくれた。


 こうして幸と稜の南の島行きは決まったのだった。




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