06.巻き込まれました
あれ?
黒髪組はどこに行ったのだろう。
不思議に思い幸が洞窟内を見回すと、彼らはなんとおっさんに詰め寄っていた。
「ちょっとあんた冗談じゃないわよ契約もなしにただ働きしろっていってんの? 私はそれで痛い目見たんだから書面にしない限り絶対に信じないわよ」
「おいふざけんな、人にもの頼む時には相応の態度ってのがあって然るべきじゃねえのか」
ものすごい瞬発力だ。
しかも相手の胸倉を掴んでいるのはまさかの女性側である。男性は男性で腕組みしながら仁王立ちで凄んでいる。そしてなにより驚くべきは、彼らは二人が二人ともすごいところに突っ込んでいる。
幸としてはどうしても言いたい。
今ここでそれか、と。
そんな空気ではないので飲み込む一択だが、まあともあれ男性の主張する相手の態度については分からんでもない。ものの頼みかたというのは大事だ。
それより気になるのは、契約云々の前に他に気にするべき部分が沢山あるような気がするのだが、あのお姉さんは順応するのが早すぎではないだろうか。
一体どんな修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
疑問に思うが、今はそれどころじゃない。おっさんが泡を吹いている。慌てて幸は二人を止めに入った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいもう少し穏便に!」
「おうっふ、げほっ、ごほっ」
その小ささゆえ胸ぐらを掴まれて宙吊りになっていたおっさん。とりすがる形でなんとか女性の力を緩め、幸は彼を救出した。
むせながらも紫色になりかけていた顔色が元に戻っていく。
背中をさすってやると、やがてその呼吸は落ち着きを取り戻した。
「大丈夫ですか?」
「おお、かたじけない」
幸が手を差し出すと、おっさんはふうふう言いながらそれを取って立ち上がった。
そしてやおら真正面を見上げて、
「ぬう、なかなかやるな、おぬし」
と、そこに立っていた黒髪の女性に言い放った。
それを聞いた彼女は片眉を上げる。
「……あんた本当にこの世界の統治者なの? 小物臭半端ないけど」
「うっ」
「図星? やっぱりね。私の手も振りほどけないんだもの、どうせ下っ端なんでしょう。話の分かる担当者を出しなさい。事と次第によっちゃ聞いてやらんこともないわよ」
当たり前のように話を進める女性。交渉に慣れているというか、動じなさすぎだ。展開についていけてない幸とは大違いである。
当のおっさんはどう出るのだろう。
幸が横を窺うと、そこでおっさんはぶんぶんと首を横に振った。
「担当は私だ」
「嘘おっしゃい」
「本当だ! ……ただ、統治者というのは確かに話を盛った。反省している。実際はただの管理人です、はい」
「いきなりそれらしくなったわね」
呆れ顔で女性が頬に手を当てる。
するとおっさんは、傍目に分かるほどがっくりと肩を落とした。
「だからなんの力もないんですうぅぅ……」
そして聞くも涙、語るも涙のおっさんの境遇が明かされた。
* * * *
曰く、この空間そのものは本当に『交差点』と『休憩所』の役割を果たす重要な場所らしい。
なぜそんなところが存在するのか、そもそも論から話は始まる。
そもそも世界は一つではない。
世界どころか宇宙も次元も一つではなくて、重なり合うようにそれらは在る。
幾つも存在するそれらは神々が創るものだ。
今もどこかで力を得た若い神の手によって新しい世界が産声を上げている。同時に、久遠の時を越えた古い神の引退と共に終焉を迎える世界もある。
と、口で説明するのは簡単だが、終わった世界の後始末というものがあるし、一方で世界を創るには当然、材料がいる。ついでに言うと現役世界の維持管理もしなければならない。
その辺りを解決するのがまさにここ。
属する世界によって呼び名は様々──桃源郷、天国、彼岸、黄昏の地、など──だが、いずれもこの場所を指している。
ここは寿命を迎えた世界の残骸を受け入れ、休ませ、整える。現役世界の代謝についても同様。そして新しい世界ができる時にはそこに送り出す、そんな場所なのだ。
さて、大変に重要な役割を果たすここを、なぜおっさんが管理しているのか。
それはひとえに公平さを重んじた、というのが答えである。
世界は数多あれどもその行き着く先は同じ。そんないわゆる公共の場所をどこかの世界の神が管理してしまうと、材料供給に「ひいき」という名の偏りが生じてしまう。
実際、遥か昔にはそれが原因で神々が戦争さえ起こした。
まだ神々が持ち回りでこの場所を管理していた頃のことだ。その時の様子はあらゆる世界でそれこそ神話となって残っている。
いずれにせよ、毎度毎度大戦争を起こしてしまうと、文字通り世界がいくつあっても足りない。
というより、世界を創るための場所を巡って世界が滅ぼされるという訳の分からない状態に終止符を打つべく、考案されたのがこの「管理者制度」なのだ。
やり方は簡単。
全ての神々の力を均等に注いだ存在を創り、その者にこの世界が滞りなく続くよう維持管理を任せる。完全に拮抗した状態の存在なので、それはどの神にも肩入れしない。
つまり、公平に振る舞えるのだ。
そして管理者制度になってからというもの神々の争いはなくなり、あらゆる世界の新陳代謝が滞りなく進むようになり、全ての宇宙が平穏を取り戻した。
めでたしめでたし。
──と、言いたいところだがそうは問屋が卸さない。
この「何者にも属さない」という管理者の特質が新たな問題を引き起こした。
鉄拳制裁を下せないのである。
誰にって、この世界で次の生まれ変わりを待つ者たちに、だ。
とある世界の存在だったものはその世界の影響を色濃く受けている。
平たく言うとアクが強い。
そのままだと転生したところで新しい世界に馴染まないので、ここで休憩させつつ色々とまっさらに戻すのだ。たまーにクリーニングが不十分で前の世界の記憶を持ったまま生まれ変わってしまうものも中にはいるが、まあそこは本題ではないので横に置く。
ともあれ、そのアクの強いのがここでもそれを発揮しだすとまずい。
どこぞの竜が縄張りを主張する程度ならまだしも、元の世界で勇者に退治された魔王がここで一念発起したりするともう手に負えない、という話なのである。
* * * *
「だから私はね、中立の存在だからどの神様の言いなりにもならないんですけどね。その代わりなんの力も持ってなくて、神様の子分たちに手を焼いてるというわけでして」
それゆえ助けてほしい、そう言っておっさんは肩を落とした。
中間管理職の悲哀とはこのことか。
窓際さながらの姿に可哀想な空気が広がる。
元気だせよ、とはとても言えない境遇だ。
そんなおっさんにどう声をかけたものか幸が迷っていると、黒髪姐さんが「それにしたって」と沈黙を破った。
「さっき私たちを召喚したって胸張ったじゃない。結構大層な力だと思うけど?」
「あれは神頼みなの」
すらっと答えたおっさんに、その場にいる三組全員が思わず怪訝な顔になった。
「は?」
そして当たり前の返しを姐さんがぶつける。
するとおっさんの眉毛が力一杯八の字になった。
「凄まないでくださいよぅ。今言ったとおり私にはなんの力もないから、困ったときに神様から力を貸してもらえることになっとるんです」
「待って。それと私たちがどう繋がるのか本気で分かんないんだけど。借りた力でおたくがその魔王とやらを成敗したらいいんじゃないの?」
「それがですねえ、この世界にいるみんなに対して私が直接なにかをすることはできないんです。ほら、私って中立の存在だから。下手に手を出すとまたひいきだなんだって喧嘩になっちゃいますから」
「……は?」
「てなわけで、力を借りるといっても代行者を派遣してもらうって話でしてね」
それが今回はあなたたちでした、と。
おっさんが満面の笑みを浮かべながら、丸くぽっちゃりした手で拍手をする。
ぱちぱちぱちぱち。
乾いた音が洞窟に響く。
おっさんによる説明のあまりの雑さに黒髪姐さんが絶句しているので、傍にいた幸が続きを引き取ってみることにした。
「あのー」
「はい、なんでしょう。あ、あなた三億とんで二十一番宇宙のさっちゃんですね。どうもどうも、この度は当選おめでとうございました」
すごい呼ばれ方に幸の頬は思いっきりひきつる。
もしかしてあの当選のお知らせって、と今に至って思い至るももう遅い。
が、ここで尻込みしていては文字どおり話にならないので、幸は大前提となる大きな疑問をぶつけた。
「その当選ってやつなんですけど、なんで私たちなんですか?」
一応この場にいる全員に当てはまる言い方をしてみたが、本音としては他の二組はともかく、幸と稜ではどう考えても魔王退治なんてできるわけがない。
それがどうまかり間違って当選となったのか。
戦闘力が明らかに高そうな他二組もそれは気になるようで、おっさんへの注目がさらに高まった。
さあ、どう出る。
微妙に固唾を飲んで待っていると、「それはね」とおっさんは破顔した。
「持ち回りなの」
またしてもすらっと言い放ったおっさんに、しかし幸はめげなかった。
「いやちょっと待ってください色々とおかしいと思うんですよねその答え!」
「え、なんで?」
「少なくとも私は魔王退治に駆り出されるような組織に所属した覚えは生まれてこのかた一度もないんですけど!」
見てくださいこの貧弱な形!
続けて熱弁をふるい、確実に人選ミスであろうことをアピールしてみる。
ところがおっさんは真顔で「人を見かけで判断してはいけないのよ」と聖人君子のような台詞を吐いた。
そして。
「あのね、持ち回りなのは神様が、なの。私は困ったときに神頼みするんだけど、応えてくれるのはランダムで三柱の神様って決まってて、私のお願いに対して誰を派遣するのかはその神様が決めるわけ。ちなみにこれまで百万回以上派遣してもらったけど人選ミスは一回もなかったから大丈夫!」
宝探しも竜討伐も魔王退治も実績あり。
おっさんの短い親指がぐっと持ち上げられる。無駄に力強いサムズアップに幸の心はとうとう折れた。
訊けば訊くほど突っ込みたくなる部分が増えるってどういうことだ。
「最初の失敗がまさに今回だと思いますよ……」
ひきつりながらも「絶対に間違っている」と念を押す幸。
しかしおっさんは「絶対に大丈夫」の一点張りで取り合ってくれない。挙げ句の果てには「充分強そうだから自信持って!」と意味不明の励ましを受ける始末だ。
もはや反駁する気力もなくなり幸が立ち尽くしていると、おっさんが「あ、いけない」と丸っちい手をぱちんと叩いた。
「すみませんね、私そろそろ行かなくては」
「えっちょっと待」
「クリーニング屋さんが来る時間なんですよ。後が詰まってるんで遅れちゃまずくて、そういうわけで皆さん後は宜しくどうぞ! とりあえず魔王を退治するまでが契約なんですけど、怪我しないよう気を付けてくださいね。今回はかなり気合入ってる魔王なもんですから。その辺含めて適任者の派遣をお願いしたんで大丈夫だとは思うんですけど、万が一ってこともありますし。油断大敵でお願いします。そうそう、出口はあちらです。魔王城最寄りの魔の森に繋がってますから、魔王まであっという間ですよ。至便でしょ? あ、いかん遅刻だ! それでは私はこれで!」
自分の言いたいことだけを余すことなく言って、おっさんはその場からさっさと消えた。
「ちょっ……嘘でしょ?」
呆然として転がり出た幸の呟き。
応えるものはなく、そこにはなんとも珍妙な沈黙だけが広がっていた。