02-12.集合か召集か・前
こちらは「ドロップアウトからの再就職先は、完全無欠のブラックでした」視点です。特に読まなくても差し支えはございません。
時系列としては 序章 02.当選のお知らせ と平行ですので、サブタイトルのナンバリングを02-5から続きの02-12としています。
真澄とアークが再び魔術研究機関の三階へ戻ると、受付のカウンターにハイリからのメモが残されていた。
作業をしているので、紙に書いてある手順と順路を守って、指定の部屋に来てほしいと書いてある。
不安しかない。
余計なことをするとどんな呪いに襲われるか、あるいは魔術に引っかかるか気が気ではない。それゆえ、真澄はしっかりとそのメモを握りしめつつ、アークの先導で慎重に進んだ。
幸い、特に何も起こらず指定の部屋には着いた。
ノックをして中に入ると、驚きの光景が広がっていた。
「うわ、すごい」
思わず感嘆が漏れる。
その部屋の中は綺麗に片付けられていた。机や椅子、戸棚など、およそ研究室らしい備品は一切ない。その代わり、切り出された大きな石が幾つも並べられていた。
一つ一つがかなり大きい。
いずれも正方形で、一辺が二メートルほどもあるだろうか。
厚さは二十センチメートルくらい。石そのものは遠目からはグレーに見えるが、近くに寄ると白と黒がモザイクのように入り混じっている。
真澄の知識で当てはめるとすれば、御影石がその印象に近い。
触れると冷やりとする。
ざらつく表面には法円の複雑な紋様が彫り込まれていた。しかし部屋全体を見渡すと、石そのものが彫られているのは三分の一ほどで、残りは法円を描いた羊皮紙がかけられている。
「仮通しといいましても、実はまだまだ作業途中でしてね」
ハイリが入口に最も近い石を指差す。
「せっかくですからご紹介しておきましょう。こちらが完成品ですね。まずはバソリス石を切り出してきて、正方形に整えます。それから法円紋様をこうして彫り込んでいくのですが、この加工に時間がかかるんですよ」
そもそもバソリス石それ自体がかなりの硬度で、これを扱える石工が限られるらしい。
なぜ加工難度の高いこの石が選ばれたのか。
それは耐久性が重視されたからだ。
単発の転移とは違い、この指定転移は常に道が開かれていることが前提とされている。必要な時にいつでも確実に使えることが期待されている、と言い換えても良い。
一般人が使うわけではないが、アルバリーク帝国軍がその能力を発揮するための重要な装備になるのだ。
それゆえ、硬く風化に強い、かつ容易に持ち去られる恐れのない重量のある石が求められたという。
「産地によって色味が変わるので、白バソリスだとか黒バソリス、珍しいものだと浅緋色のバソリスもあります」
ちなみにここにあるのは、中央大陸で最も産出量の多い白バソリスだという。
「少なくとも指定転移法円そのものは、ご覧のとおり全て完成しておりましてね。あとは彫り待ちなんです。お二人を各分団にお送りする分には特に問題はありませんのでご心配なく」
「なんていうか、壮大な事業ですね」
「まだまだ先は長いですけどね。目下の悩みは石工職人の親方がたいそう気難しくて、彼の眼鏡に適う石材を調達するのが大変というところでしょうか。他にも、完成した石板の設置場所や方法、それに輸送ルートも検討中です。イアンもあれこれ考えてくれていますが、一つ解決すると一つ懸念が浮かび上がる有様でして」
「なるほど。だから宮廷騎士団長は疲れている風だったんですね」
「おや、イアンったらそんな素振りでしたか?」
「ええ。珍しくこの人が心配する程度には」
そこで真澄はアークを指差した。
アークは肩を竦めつつも、言われたことそのものは否定しなかった。やはり多少は気にしていたらしい。
その様子を見たハイリはとびきり嬉しそうに破顔した。
「それはさぞイアンが喜んだでしょうね! ははーんなるほど、だから餞別代わりに指定転移使用の許可をお二人に出したんですね。どうしてだろうと不思議だったんですよ。仮通しとはいえこの特級研究そのものはまだ機密指定解除されておりませんから」
なるほどなるほど。
呟きながら何度もうんうんと頷くハイリだったが、真澄たちとしては「そんな馬鹿な」という思いが拭い去れない。
「話の順番的には最初から俺を実験台にするつもりだったみたいですがね」
胡乱な目でアークが疑問を呈す。
成婚休暇うんぬんを言い出す前に、いきなり「七日間しか留守を認めない」としたのはあちらの方だ。
しかしそれを聞いたハイリはぷるぷると首を横に振った。
「いつも通りの嫌がらせならば、そのまま七日間を押し通して終わりだったでしょう。なんらかの交換条件をあなたから引きだして、初めて日数延長を認めたと思われます。イアンはね、素直に相手の言う事をきいたら負けだと思っている節がありますから」
「あー……本っ当に面倒くせえなあいつ」
「面倒くさいですよ、イアンは。昔からです。でも憎めないんですよねー」
「憎めないって……あなたの域には生涯辿り着けませんね、俺は」
「ひねくれ方は一貫してますから、その点さえ押さえればかなり扱いやすいですよ」
うふふふふ、とハイリが笑う。
これは付き合いの長さがそうさせるのか、はたまた大魔術士としての観察眼がものを言ったのか。いずれにしても真似できそうになく、真澄とアークは力なく首を横に振った。
「さて、あんまりおしゃべりするのも時間がもったいないですし、そろそろ参りましょうか。お忘れ物はございませんね?」
並べられた石板法円を横に見ながらハイリが確認してきた。
真澄とアークは互いを見比べたのち、「大丈夫です」と返事をする。
ハイリから渡された辺境からの戻りに使う指定法円の羊皮紙は、しっかりアークの荷物の中に入れた。それ以外は、真澄もアークもほとんど持ち物はない。
真澄がヴァイオリンケースを背負い、アークが真澄の分もまとめて一つの荷袋を肩にかけている。
「そういえば行先なんですが、首府アルラタウではなくアルゼタにできますか」
もし可能ならば、とアークが問う。
するとハイリがひょいと眉を上げた。
「アルゼタといいますと、海沿いの?」
「はい。休暇の目的は湯治なもので。首府は帰りに寄ろうかと」
「いいですねえ、湯治。アルゼタは女神デーアもその傷を癒した名湯中の名湯ですからね。中央大陸平定時に傷ついた六枚羽、折れたものや深く切られたもの、食い千切られかけたものもありながら、全てが綺麗に癒えたそうです。きっとお二人の溜まった疲れも取れるでしょう」
「……詳しいですね」
「実はたまに行くんです。研究が煮詰まってどうしても進まない時に。ついでに歴史やら調べるうちに詳しくなりました」
ちょうどお役に立てて良かった。
そう言って頬を綻ばせながら、ハイリが宙に指で文字を書いていく。やがてそれは琥珀の光を放ちながら、空中で円を描いた。
自由転移の法円だ。
それからハイリに促され、真澄とアークは法円をくぐった。
* * * *
「わー、眩しい」
アルゼタ、と呼ばれるその景勝地に到着してすぐ、真澄は目庇を作って呟いた。
ちょうど真昼時。
頭の上から降り注ぐ日はただ白い。暦上で明日からとはいえ、既にここは夏の気配が漂っている。
目の前には大きく弧を描く海岸線が延びている。
真澄たちはアルゼタの端、小高い丘にいた。転移をつかうために人目を避けたのだ。街道から一本外れた道で、丘といいつつ周囲には畑が広がっている。
実にのどかだ。
眼下に広がっているのは弧状の海岸線に並走する街道で、道には等間隔で木が植えられている。同じ木がちょうどこの丘の道脇にも植えられていて、ちょっとした木陰を作ってくれているのがありがたい。
街路樹のようだが背は低めで、葉の合間に紫色の花がいくつも集まり、大きな塊を成して咲いている。
ちょうどこの初夏に咲く花だそうだ。
その樹はアルゼタの代名詞らしい。原産は南大陸だというが、ここアルゼタは豊富な湯脈で年中温かく、中央大陸で唯一移入が成功したという。
海岸沿いの街道を中心に、大小様々な旅籠が点在している。
建物の傍には必ず湯気が立っていて、それぞれに湯脈を引いているのだと知れた。まさに温泉街の風情である。
「ちょうどタルコの木の花が見頃で良かったですね。ここを下って少し進んだところに馬屋があります。足はそこで調達するのが宜しいでしょう。観光客向けに安く統一されてますから。それでは私はこちらで失礼致しますね」
「えっ、もう帰っちゃうんですか?」
せっかく来たんだから足湯くらい入っていけばいいのに。
そもそも足湯文化があるかどうかは別にして、真澄はハイリを引き留めた。温泉は好きだと言っていたし、研究名目ならば一日くらいどうとでも理由をつけられそうな気がする。
しかし大魔術士は「いえいえ」と首をぷるぷる振った。
「成婚旅行を邪魔するほど無粋ではありません」
「でもわざわざ来たのにとんぼ返りっていうのももったいないですよ」
「逆です、逆。私はいつでも来れますから」
「あー……なるほど。確かにそう言われればそうですね」
才能あふれすぎる目の前のおっさんは、確かに思い立ったらすぐに行動できる能力を持つ偉人だ。
今だってそうなのである。
その力を頼りに、こうして真澄とアークは一瞬でアルゼタへ来ることができた。
「それにね、今日中にやらなきゃいけない仕事があるんです」
「あっ、ごめんなさい。そうですよね、お仕事中に突然押しかけてしまって」
残念そうに眉を下げたハイリに対し、真澄は慌てて謝った。これ以上邪魔をしては良くない。
しかし彼はそれを遮る勢いで両手を振った。
「いいんですいいんです、締切がどうとかではないので! 恋なすびを活き締めするだけです! あれはですね、収穫したその日のうちに処理しないと毒の純度が悪くなってしまいましてね、呪いに使うにはちょっと適さなくなってしまうものでして」
「本っ当にブレねえな……」
途中から妙に活き活きと語り始めたハイリを見て、やはりアークが呟いた。
ここまでくるともう仕様だ。彼は誰にも止められない。
そして大魔術士ハイリはぱたぱたと手を振りながら、自由転移で帝都へと戻っていった。
それから真澄とアークはまず丘を下ることにした。
ハイリの助言を受けて、馬を借りるためである。真澄は歩きながら、点在するタルコの木を見て花の美しさに目を細めた。
「本当にきれいな花ね。持って帰りたいけど、帝都は湯脈がないから枯れちゃうだろうなー残念」
「そんなに気に入ったか?」
「うん。赤とか黄色なら沢山見るけど、紫ってあんまりないでしょ。だから」
幾度となく花束を贈られたことのある人生だったが、思い返せば紫の花はほとんどなかった。馴染みは雨の時期に咲くあじさいくらいだろうか。
そんな話を真澄がすると、アークが「見直した」と言ってきた。
「ヴィラードに関しちゃ傑物のくせに、そういう感性もあったか」
「なにそれ」
「花に詳しかったんだな」
感心しきりでアークが見下ろしてくる。
が、真澄はそれを首を振って否定した。
「や、それは誤解」
「あ?」
「本っ当に、数えきれないくらい花束ってもらってきたけど、名前とか種類なんて全然分かんない。もう『きれいだなー』で終わり」
「それはお前、思い切りっつーか割り切りが良すぎだろ。覚える気なしかよ」
そんなんじゃ俺と大差ねえぞ、と言いながらアークが笑う。
しかし事実なので、そこは言い返さずに真澄も一緒に笑った。
二人でゆっくりと歩を進める。
海からの風がさあ、と吹きあがってきて、真澄とアークの黒髪を揺らした。
汗ばんでいた首筋が冷える。けれど露わになったそこに降り注ぐ陽射しは熱くて、ああ新しい季節が始まるんだな、と真澄はどこか嬉しくなった。