02-10.ブレざること山の如し・後
こちらは「ドロップアウトからの再就職先は、完全無欠のブラックでした」視点です。特に読まなくても差し支えはございません。
時系列としては 序章 02.当選のお知らせ と平行ですので、サブタイトルのナンバリングを02-5から続きの02-10としています。
ある意味でたらめな自由転移で戻ったのは、ハイリの研究室だった。
廊下などは経由せず直通だ。
先ほど覗いた受付とはまた別の部屋で、かなり広いがものがあふれており魔窟である。物珍しさに真澄はしげしげと周囲を見渡すが、とある椅子の上にエルストラスで見たあの呪いの藁人形がしっかり座っているのを見つけてしまった。
首元の赤いリボンは相変わらずだ。
大切にされているようで何よりである。そんな真澄の内心など露知らず、大きな卓の上に積み重なっている本と紙の中から、ハイリは一枚を抜き出してきた。
「えーと、国境視察とおっしゃってましたよね。どこの分団ですか?」
「全部だ」
「第四騎士団総司令官ですもんねえ。とすると十四分団ですね」
「一日に二分団の視察をしたいんだが」
つまり七日間で全てを完了させたい。
そうアークが持ち掛けると、丸眼鏡の奥、つぶらな瞳が驚きに見開かれた。
「ううん……! さすが第四騎士団総司令官、剛毅なことをおっしゃいますね……! 実は試験運用だけあって、かなり魔力を食うんですよ。この部分の改善ができない限り本運用に入れないくらい、大飯食らいでしてね。一日一本ならまだしも、二本となると……うーん、魔力繰りをどうしようかなあ……」
「無理そうなら」
「あーいえ、ここで諦めては大魔術士の名が廃るというものです! お急ぎの理由を伺っても?」
うんうん唸りつつもハイリは粘り腰の姿勢を崩さない。
そこでアークが、そもそも帝都を不在にする期間は半月として期限を切られたこと、その上で成婚休暇を取り国境視察を片付けねばならないこと、成婚休暇はアークの故郷でもある辺境に赴く予定であるため滞在に七日間は欲しいこと、それらの実情を明かした。
「第五分団への転移を使えば、辺境への移動日は実質ないものだと考えてます。それでもぎりぎりであることに変わりはない」
「むむむ……そうですね」
聞き終えたハイリはむう、と頬を膨らませる。
この話の一体どこが大魔術士の癇に障ったというのだろう。
しかしその懸念を抱いたのも束の間、ハイリは「良く分かりましたまったくもう」とぷんすか怒りだした。
「つまり時間がないのはイアンのせいですね。小さい頃からああなんですよ、好きな人の気を引きたくてわざといじわるするから困ったもんです」
「……ええ!?」
あまりのことに思わず真澄は素っ頓狂な声を出してしまった。
「あれが好意の裏返しってのはさすがにちょっと人としてどうかと思うんですけど」
そして思ったことを率直に口に出す。
するとハイリは「そうなんです人として完全に駄目です」と全力で肯定してきた。
「好きであればあるほど嫌がらせが過ぎるんですよねーイアンは。大抵はやりすぎて嫌われて終わりか、そもそも最初から怖がって近寄られないかなんですけど」
「好きであればあるほどって……いやちょっと嘘でしょそれ」
「嘘じゃありませんよ。奥方との馴れ初めがそれですもの。幼馴染でしてね、昔は私もよく一緒に遊びました。イアンは最初から好きだったんじゃないかしら。それで例によってイアンがしつこくあれこれしては奥方を泣かしてばかりだったんです。でもいつだったかな、確か成人する前くらいに、とうとう奥方が怒ってイアンを殴って叱りつけたんですよ。拳で。ええそうです、拳で。『いい加減にしろこのクソガキ大人になってもそうやって暴力暴言で人にいうこときかせようとするのかこの最低野郎それで人の上に立てると思ってるなら即刻考えを改めろお前はそれでも王族か!』だったかな。あ、そうですそうです、奥方の方が二つ年上でして、彼女はもう成人していた時分です」
そこで真澄は思わず拍手をした。
かなり前のこととはいえ、奥方の切った啖呵が素晴らしすぎた。
宮廷騎士団長イアンセルバートの奥方、つまり専属楽士を、真澄は一度だけ見たことがある。
あれは昨年の晩秋、第一騎士団がエルストラス遠征に出た日だ。
出征式典前に控えていた幕の中から会場へ向かう時、彼の隣に並ぶ楽士がいたことを覚えている。真面目な表情と堅い雰囲気の女性だった。言葉や視線を交わしたわけではないが、確かに宮廷騎士団長に比肩する雰囲気、見劣りしない貫禄だった。
こんな逸話を聞いてしまうと、直接話をしてみたくなる。
いつかその機会が来たら良いなと期待して、真澄は少し楽しみになった。
「知られざる宮廷騎士団長の過去ですね」
「うふふふ、お仕置きです。こんなところで恥ずかしい話を披露されてるとはイアンも夢にも思わないでしょうね。今度なにか難癖をつけられたら『奥方に殴られたくせに』と言っておやりなさい」
「ありがとうございます、そうします」
「さて。それはそれとして、時間のなさは私がどうにかしますので、今回は私に免じてイアンを許してやってくださいませんか」
ひょ、とハイリがアークを覗きこむ。身長差のある二人、ハイリが下から窺う態だ。
披露された話に絶句していたアークだったが、そこでようやく「……ええ、はい」と言葉少なに答えた。さしものアークも、稀代の大魔術士相手には無駄に突っ張ることはしない。命を救ってくれた恩人でもある。
そんな様子のアークを見て思うところがあったらしい。ハイリが「イアンはね」と続けた。
「出来の良いお兄さんがいますでしょう?」
ほら、アスルバートが。
王太子の名前を出して、ハイリは困ったように眉を下げた。
「注目されるのはいつもアスル兄さんの方で、弟のイアンはあまり手をかけられてはこなかったんです。無視されていたわけではもちろんありませんし、比べる相手を変えれば衣食住に足りてそれ以上は望み過ぎだともいえますが、そこは本題ではありませんので横に置いて。ともかく、両親を含む周囲の人との関わりが薄すぎたことで、イアンは暴言暴力に頼るようになってしまったんです」
兄と同じように普通に接しても、反応が返ってこない。
その寂しさがやがて、より強い言葉選び、より強く相手に働きかける手段に繋がっていってしまった。相手からの反応を得るがために。
「だからイアンはね、普通に接してくれる相手を好きになるんです。好きになるんですけど、『自分から興味を失くされるかもしれない』という疑念を拭い去れない。あれはもはや強迫観念ですね。イアンは絶対に認めないでしょうけど」
暴力に関しては、今は心配ない。
奥方から強くたしなめられたことに加え、成人して宮廷騎士団長に就任し、その立場から己を律することを覚えたからだ。
その一方で、暴言はかなり抑えられるようにはなったものの、相手によって端々に出てきてしまう。そうハイリは言った。
「あれで末の弟君が大好きなんですよ、イアンは。あなたが生まれてからはなにくれとなく自慢していました。髪の黒さでさえ『さすが戦女神の子、俺の弟は絶対に強い』だなんて喜んで。あなたの母上が亡くなられた時には、あなたを迎えに行こうとしていましたよ。宮廷騎士団で面倒を見ようとしてね」
「俺を宮廷騎士団で? ……初耳です」
「でしょうね。最終的には後見人の関係などで、公になる前にその話は無くなりましたから」
「そうですか……」
「気にする必要はありません。宮廷騎士団で面倒を見られても、イアンはあのとおりですから、それはそれであなたが面倒だったと思いますし」
「そう言われると確かにご免被りたいですね」
「ええ、それが正解です。なので、これからも変わらずに言い返してやってください。それで充分です。あんまり酷い時は私に教えてください。一撃でイアンが黙る恥ずかしい話を伝授して差し上げます」
「それは……どうも」
そこまで言って、アークがふ、と軽く噴き出した。
どれだけあるやら楽しみだ、と。
そう呟いたアークを見て、ハイリがにっこりと笑った。
「さて、イアンの話はここまでにして。ものは相談ですが、最初に成婚休暇を取っていただけませんか?」
「それは構いませんが」
「良かった。お二人が休暇中に、分団への転移用魔力を溜めて準備しておきます。そうすれば、一日二本を使えるようになりますから」
「お手数おかけします」
「なんのこれしき手数でもなんでもありません。むしろ慰謝料です」
ぱちり、とハイリが片目を瞑る。
その仕草を見て、なんだかんだあの宮廷騎士団長も愛されているな、と真澄は思ったのだった。
「……そういえばなんですけどハイリさん」
「はい、なんでしょう」
真澄の語りかけに、曇りなき良い笑顔が返ってくる。
慰謝料ついでとは言わないが、真澄は気になったことを訊ねてみた。
「宮廷騎士団長って、あなたにはすごく丁寧というか、暴言は吐かなさそうに思えるんですよね。すごく信頼してそうなのに」
昨年の武楽会選考会での様子が浮かぶ。
宮廷騎士団長にとって、この大魔術士はどうでも良い相手でないことは確実だ。それでいて暴言なしに宮廷騎士団長からあの振舞いを引きだすには、どうしたら良いのだろう。
複雑な生い立ちは分かった。
しかしできれば嫌味小言は避けて通りたいわけで、その極意があれば知りたい所存なのである。
真澄の真意を理解したのか、ハイリは「なるほどその件ですか」と頷いた。
「確かに小さい頃は私もあれこれ言われたんですが」
「大人になってからは言われていない?」
「言われてないですねえ」
「やっぱり殴ったんですか、奥方みたいに」
単刀直入に訊いてみる。
ところがハイリは「いえいえ、殴ったりはしていません」と首を横に振った。
とすると、何かしら有効な対策があるということか。
否応にも期待が膨らむ。
そうして真澄は続きを促したのだが、なんとも想定外の答えが返ってきた。
「言われるたびに呪いをかけただけです。暴言度合いに応じて強弱を変えていたら、いつの間にか暴言は吐かれなくなりましたね。私の研鑽ついで、実験台としては最高だったんですが」
「……ブレねえな」
完全に呆れた口調でアークが呟いた。
魔術士とは誰も彼もこうなのだろうか。
イアンが長兄アスルバートの魔術実験台になればよかったのに、とかつてアークは言った。その役は今は亡き第一騎士団長ルカウスが担っていたのだが、まさか別の魔術士の実験台にされていたとは。
自業自得の部分は大きい。
しかし考えるだにおぞましい呪いの数々をかけられたことを思えば、宮廷騎士団長に対して同情を禁じ得ない。
そして同時に理解する。
ハイリのような反則級の対応は、アークにも真澄にもできないと。
結局、これまで同様に付き合わねばならないという結論に達し、真澄はそれ以上訊くのをやめた。