茶会、計画の秋2
忙しい合間を縫ってアドリエンヌに会える時が、俺の至福のひと時だ。
俺が自ら厳選した茶葉と茶器で、アドリエンヌのために紅茶を淹れる。差し出した紅茶を飲んだアドリエンヌが、天使のような微笑みで美味しいと褒めてくれるのだ。頑張らない理由など、一つもない。
アドリエンヌが俺に与えた影響は大きい。生まれた時から決まっていた婚約だったが、アドリエンヌは王太子の婚約者として相応しくあろうと努力していた。決して弱音を吐かず全力を尽くす姿を見ているうちに、ただの悪ガキだった俺は己が恥ずかしくなったのだ。
年下の女の子が頑張っているのに。
落胆されたくなかった。誰もが羨む美貌と性格の王妃の隣に、愚王が並ぶなんて。優しいアドリエンヌは俺を支えてくれるだろうが、俺のせいでアドリエンヌが苦労するのは嫌だった。
彼女の夫として相応しくありたい。王になる者としては失格だけど。彼女が笑って暮らせる国を作りたいと思った。
成長して反抗期なるものが訪れた時もあったが、淑女として成長を続けるアドリエンヌに置いていかれますよ、と囁く教育係の一言で終焉した。今にして思えば、あれは教育係の作戦勝ちだ。まんまと騙された俺は、それまで以上に王子としての教養を吸収していったのだから。
俺は焼き菓子を一つ取った。口に入れると上品な甘さとバターの香りが広がる。生地に練り込まれた果実は、我が国で収穫されたものだ。
「今日の菓子も美味しいよ。アドリエンヌは菓子作りも上手いんだね」
「ありがとうございます」
アドリエンヌは恥ずかしそうに微笑んだ。無理にでも時間を捻出して良かった。アドリエンヌが手作りしてくれた菓子と天使の微笑みで、急速に心が癒されてゆく。
この後に待っている仕事については、今は考えないでおこう。
「アドリエンヌ」
「はい」
「その……結婚、してからのことだけど」
「……はい」
俺と結婚するということは、王太子妃になるということだ。そしてそう遠くない未来には王妃になる。当然ながらアドリエンヌも理解している。
だが俺は迷っていた。王妃になる女性に、騎士としての夢を諦めてもらわないといけない。不可能だと知っていても努力を続ける彼女に、いつか辞めろと言う日が来るのだ。
騎士と王妃は両立できない。武力をまとめるのは王の権力の一つだ。確かに王妃は王の部下でもあるのだろう。けれど王妃の力は国内の、貴族女性を掌握することに比重が置かれている。彼女達を通じて貴族の繋がりを強くし、国内が安定するよう尽力する。
戦う舞台が違う。
俺はアドリエンヌがいたから、人として成長することができた。それなのに、俺は彼女の努力を無駄にするようなことを強制しようとしている。
諦めろと言うのは容易い。聡明な彼女は、夢を捨てて王妃として生きてくれるだろう。
「えっと……俺と結婚したら、騎士の教育に参加してほしいな」
うん、諦めろなんて言うのは無理だ。
俺はアドリエンヌの最大の理解者でありたい。
「私が……?」
驚いているアドリエンヌに、俺は笑顔で時間を稼ぐ。どうしよう。思わず言っちゃったから、詳細なんて考えてない。
考えろ俺。国賓の名前をど忘れした時に比べれば、簡単なはず。
優雅に紅茶なんぞを飲み、ありったけの知恵を絞る。悪戯と知恵の神よ、我に力を。
「騎士の教育、ですか?」
目線の先にはメイドが控えている。壁と一体化したかのように、静かに立っていた。己の仕事に徹する姿を見ているうちに、俺の脳裏に朧げな案が浮かぶ。
「貴婦人の警護に、女性で構成された部隊を作ろうと思ってね。彼女達なら、寝室や浴室へも入っていけるから」
我ながら妙案ではないだろうか。
今の警備体制では、貴婦人と護衛の間にはメイドがいる。貴婦人に何かあっても、まずメイドしか室内に入れない。夫や幼い子供以外の男がみだりに入室してはいけない、というのが規則だからだ。中に不審者がいたとしても、貴婦人が人前に出られる格好であることを確認してからじゃないと動けないのだ。
平和な国だったから、これでも良かったとも言える。
「その騎士の教育を、私に?」
「アドリエンヌは騎士と令嬢のことをよく知っているから。いいかな?」
「クリストフ様……」
感極まったアドリエンヌは、そっとイスから立ち上がり、俺の前に跪いた。
「承りました。私にお任せ下さい」
うん、騎士の礼だね。今日も完璧だよ。
「まずは私の実家にいる者を使って、試験的に構成してみましょう」
聡明な令嬢の脳裏には、すでにお披露目までの教育計画が構築されつつあるのだろう。
「クリストフ様の名に恥じぬ、精強な部隊を用意いたしますわ」
俺は道を誤ったのかもしれない。
祈る神を間違えた。
*
後日、アドリエンヌの実家へ遊びに行った俺は、彼女の本気に驚かされることになった。二人で庭を散策していると、内密に話があるのですがと打ち明けられる。
密会のお誘いか、プレゼントのおねだりだと思った俺を笑ってほしい。そして舞い上がっていたところに、騎士になれそうな精鋭を揃えましたと、冷や水を浴びせられた時の心情を察してほしい。
相手がアドリエンヌなんだから予想できるだろ、という正論はやめてくれ。今は心に刺さりすぎる。
「今から彼女達を紹介してもよろしいでしょうか?」
「頼むよ」
王子スマイルで催促する以外の選択肢があるだろうか。アドリエンヌは天使の微笑みを俺に返すと、手を叩いた。
「ルル」
音もなく現れたメイドが、俺とアドリエンヌの前に跪く。
「いかがでしょうか」
「うん、速いね」
速すぎて、どこから出てきたのか見えなかった。動体視力には自信があったんだけど、ただの自惚だったようだ。誰にも自慢しなくてよかった。
「有事の際にはこのように」
メイドの手にナイフが握られている。肉厚の、密林で活躍しそうな形状だ。やはり足首まであるスカートの中に収納しているのだろうか。出す瞬間が見えなくて残念――いや、何でもない。
「もちろん、メイドとしての技能も備えております」
ふわりと白い布が翻り、それはそれは見事な茶会の席が現れた。淹れたての紅茶からは湯気が立ち昇り、上品に皿に盛られた焼き菓子から甘い香りがしている。優雅に流れる音楽に小鳥の囀り――情報が多くてツッコミが追いつかない。
誰か助けて。
「毒の知識も備えておりますので、遊説先にも連れて行けます」
知りたいのはそこじゃない。
どこから出したの、このお茶。あと毒に精通したメイドって、何。言葉にならない疑問が脳内で吹き荒れている。
「表に出せるほどの者が、まだ一名だけでお恥ずかしいのですが……」
ということは、他にもいるのか。アサシンのようなメイドが。
「よくこの短期間に教育したね。アドリエンヌは凄いなあ」
「恐縮ですわ」
「せっかく用意してくれたんだ。お茶にしようか」
「はい」
悪戯と知恵の神に力を求めたのが間違いだった。今度からは、しっかり計画を立ててからアドリエンヌに提案しよう。
紅茶は俺が淹れたものよりも格段に美味しかった。
負けた。