茶会、計画の秋
アドリエンヌは俺の婚約者ということで、王妃――つまり俺の母親から茶会に誘われることがある。
別に嫁いびりなどという陰惨な目的ではなく、母上も見目麗しいアドリエンヌに会いたくて行っているのだ。俺が毎日のように彼女の素晴らしさを説いていた結果である。もちろん、彼女の性格が母上の好みだったこともあるだろうが。
王妃自慢のバラ園で、淑女が集まり噂話に花を咲かせていた。俺としては遠巻きに、できることなら関わりたくなかったのだが、運悪く母上に捕まり茶くみ係として抜擢されてしまった。
自分で言うのも何だが、俺が入れた紅茶は評判がいい。アドリエンヌの笑顔が見たくて磨いた技術だ。ただ味見役に両親を使っていたので、こうして事あるごとに呼び出されるようになってしまった。解せぬ。
こんなことなら補佐のローランを味見役にすれば良かった。遠慮を前世に捨ててきたような男なら、きっと忌憚なく不味いと感想を述べてくれたことだろう。
集まっている淑女達には、王子が淹れてくださるなんて光栄ですわ、というお決まりの挨拶をしたっきり、放置されている。女子会に紛れ込んだ男なんて、そんなものだ。
もう帰りたい。部屋に帰ってアドリエンヌの肖像画を眺める仕事に戻りたい。そんな仕事ないけど。
「アドリエンヌ様は殿下とお出かけなさるの?」
俺がいることはすっかり忘れ去られたらしい。話題は俺とアドリエンヌの仲へと変わった。俺は空気を読んで使用人の間に紛れ込み、気になる声に耳を傾ける。
「はい。よくジョレット湖の方へ」
「今の季節なら野バラが見頃よね。素敵だわぁ」
アドリエンヌを除いた令嬢は、花が咲き乱れる湖を思い浮かべてうっとりしている。確かにジョレット湖は我が国有数の絶景を誇る。美しい湖畔の風景は散策や絵画のモデルとして最適で、馬車道も整備されていることからデートを楽しみたい貴族階級にも人気だ。
ただ、俺の相手はあのアドリエンヌだ。もちろん目的地までは鎧を身につけて、軍馬で移動する。何だそれと思われるかもしれないが、ジョレット湖では鎧を着たまま水泳訓練をしている。
誰がって、アドリエンヌが。
もう水は冷たいはずなんだけどな。元気だよ、このお嬢さんは。
他の貴族と鉢合わせると色々とまずいので、俺とアドリエンヌが湖へ行く時はかなり気を遣う。特別手当を出した使用人を先行させ、誰もいないことを確認してから湖へ。さすがに着替えはテントを張って、その中でやってもらっているが。
彼女が泳いでいる時は、俺は勇姿を目に焼き付けるのに忙しい。当然だ。愛するアドリエンヌが自然と戯れているのに、見逃すなんてもったいないことはしたくない。
そしてアドリエンヌが着替えている間に俺が紅茶を淹れ、天幕から出てきた彼女へと差し出す。
うん、デートって名目で外出しているんだから、それぐらいはやらないと。護衛とか身の回りの世話だかでついてきている使用人に任せてもいいけれど。そうなると俺の存在意義が薄れる。
既に薄れているという正論は聞きたくない。
デートという名の訓練に、俺も思うところが無いわけじゃない。もっとこう、自然の花々を愛でるアドリエンヌが冷えないよう、そっとケープを肩にかけてあげたり、愛馬で二人乗りとかやってもいいんじゃないかと。
ええ、そんな初々しいデートを夢見ていた時もありましたよ。
綺麗な花が咲いていたからアドリエンヌへ教えたら、彼女、何て言ったと思う?
あら、あの花の根は優れた非常食になりますよ――だとさ。そんなことを満開の花のような笑顔で言われた俺の心を察してほしい。アドリエンヌは博識だね、と王子スマイルで褒めるしかないだろう。
嬉々として食える野草を教えてくれるアドリエンヌは、もちろん天使のように可愛らしかったけれども。デートの話題が兵糧って。
「まぁ、犬を飼っていらっしゃるの?」
「ええ。とても賢くて可愛いんです」
俺が意識を彼方へ飛ばしている間に、アドリエンヌの飼い犬の話題になっていた。
「子犬の頃から飼っていて、家族同然ですわ。殿下にもよく懐いていて」
もちろん軍用犬ですけどね。アドリエンヌに懐いていて、彼女が俺に敬意を払ってくれているから、犬も俺のことを上だと思っている。見た目が怖すぎて彼女と一緒じゃないと触れないけれど。
最近では犬の方が事情を察して側に座ってくれている。賢い犬だよ、本当に。犬に同情されたのは初めてだ。
「アドリエンヌ様は新婚旅行はもうお決めになって?」
「殿下にはまだ伝えておりませんが、コンヴィルを提案してみようと思っておりますの」
「ふふっ。質がいい香水の産地ですものね。街並みも美しくて、新婚旅行には最適ですわ」
いいえ、隣国との国境が近いからです。言ってみれば敵情視察ですわ。
表面上は穏やかかつ華やかに、俺の心のツッコミは決して表に漏れずに茶会は過ぎていった。
*
俺は悪戯と知恵の神の祠に来ていた。
本当は茶会で疲れて寝てしまいたかったが、王子の俺が自国の神を蔑ろにするのは非常にまずい。自分の国の文化を大切にしておかないと、いつ足元を掬われるか分からない。
どうせ死ぬならベッドの上で老衰したい、と言うのが俺の願いだ。
コシェ男爵が送ってくれた桃を祭壇に捧げていると、ふと弟とアドリエンヌの誕生日が同じと言うことを思い出した。
エクトルは爽やかな青年騎士という見た目の割に、穏やかで音楽を愛する性格だ。剣の腕どころか乗馬も苦手。ただ内政や研究の分野で貢献してくれている。
アドリエンヌは見た目も礼儀作法も完璧な令嬢。しかし内面では騎士としての魂が宿っており、並の男など簡単に倒してしまうほどの腕前。
「……あの二人に、何かしました?」
水盆の水が跳ねて、隣に置いてあった教典へと落ちた。水に濡れた文字を順番に拾うと、短い言葉になる。
――ゴメンね。
クソが。