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エクトル


 危なかった――エクトルは爆発で荒れた室内を見回した。研究成果を盗み取ろうとしていたスパイを発見した時は肝が冷えたが、どうやら上手く生捕りにすることが出来たようだ。


 スパイは多少の怪我を負ったものの、情報を聞き出す体力は残っているだろう。傷口だけを簡単に塞ぎ、エクトルは部屋を出た。


「エクトル様!」


 警備兵が血相を変えて集まってくる。彼らは勤務に忠実でよく働いてくれるが、増え続ける外国のスパイに振り回されつつあった。一度、警備体制を見直す必要がありそうだ。


「外国からの客人だ。連れていけ」

「はっ!」


 すぐさま数名が室内へと入り、怪我をしたスパイを運んでいく。あの男がこの城を出る時は、小さな箱に詰められているかもしれない。仕方がないことだ。末路を知らずにスパイになるような愚か者はいないのだから。


 彼らが去ってすぐに、兄のクリストフが剣を手に様子を見に来てくれた。


 エクトルは申し訳なく思っていた。王位継承者としての業務を果たす兄に、自由となる時間は少ない。スパイの始末などという細事に手を煩わせてしまうなど、兄の補佐役である自分の失態だ。


 しかもクリストフはエクトルを叱責せず、怪我の心配までしてくれる。


「兄上……」


 こんな自分の力が必要だと、クリストフは言う。お前がいなければ国が傾くとまで周囲に公言して、第二王子としての地位に傷がつかないように配慮しているのだ。


 ――兄上は、優しすぎる。


 エクトルは不甲斐ない自分が情けなかった。スパイなど、本来なら王城どころか国内にさえ入れてはいけないのに。


 王城を騒がせた謝罪と、裁きを受けるために王に謁見をしたとき、エクトルはまたしても兄に驚かされることになった。


 対外的には懲罰に見えるよう、コシェ男爵領への左遷を提言したのだ。



 *



 エクトルは廊下の先に目的の人物を見つけた。


「コシェ男爵」

「おお、エクトル様。お久しゅうございます。直接お会いするのは二年ぶりですな」


 人の良さそうな笑顔でコシェ男爵が臣下の礼をとった。焦茶色の瞳には親愛の情が溢れ、二回り以上も歳が離れたエクトルにも礼儀正しい。


 エクトルの貴重な研究仲間だ。専門分野は違うが、彼に相談していると新たな見解を得ることができる。


「領地の件、お聞きになりましたか?」

「早馬で知らせていだだきました」


 立場では王子であるエクトルの方が上だが、研究者として功績のある男爵を下に見る気はない。むしろ身分に関係なく師として尊敬している相手だ。


 エクトルはコシェ男爵を伴い、使用人に用意させていた談話室へと入った。中にいた令嬢がソファーから立ち上がり、完璧な淑女の礼をする。


「お招きいただき、ありがとうございます。エクトル様。コシェ男爵も息災なご様子で何よりです」

「礼を言うのはこちらの方ですよ。兄の婚約者である貴女に、わざわざお越し頂いたのですから」


 部屋で待っていたのはアドリエンヌだった。満開の花のような微笑みで、周囲が一気に華やかになった。


「会う度に美しくなられますな。我が家の娘たちも、貴女を目標に研鑽しておりますよ」

「光栄ですわ。幻滅されないよう、気を引き締めなければいけませんね」


 コシェ男爵の賛辞に、アドリエンヌはうっすらと頰を染めた。彼女は十分に令嬢として素晴らしいとエクトルは思うが、現状に満足することなく更に高みを目指すという。


 ――さすが、兄上が毎日のように称賛するだけのことはある。


 アドリエンヌの並々ならぬ努力を見て、俺も見習わねばと語る兄。エクトルにしてみれば、両者とも負けず劣らず素晴らしい。


 挨拶もそこそこに、三人は席についた。

 使用人が香り高い紅茶と茶菓子を用意し、壁際へと下がってゆく。会話を聞かないようにしつつ、主人からの命令にいち早く反応できる距離だ。


「まだ正式な命令が下ったわけではありませんが、僕はコシェ男爵領へと移動することになりました。代わりに、コシェ男爵には僕が統治していた地方を管理せよ、と」

「まぁ……」


 アドリエンヌの目が驚きに見開かれ、思案げな光が宿る。この才女の頭脳に、いくつかの道筋が見えているのだろう。


「コシェ男爵。あの荒野は、やはり」

「ええ、やはり燃える砂が埋蔵されておるようです」


 エクトルの言葉にコシェ男爵が続く。


「推定ですが、埋蔵量はこれまでの鉱山を遥かに上回る量になりそうです。おそらく一年で出回る量を一月で賄えるかと」

「たった一月で……」


 燃える砂は土や砂利の中に埋まっているものを選別する作業が難しい。そのため一掴みで庶民の家が建つほどの値段になり、高額の輸出品の一つだった。


「……危険だわ」


 アドリエンヌがつぶやく。

 大量に産出されるからといって、一度に掘り起こしてしまえば値崩れしてしまう。市場を混乱させないように産出量を調整しなければ、外国と摩擦が起きそうだ。


「本当に、領地移転の話は僥倖でございました。産出量の調整だけでなく、外国勢力への牽制ともなると、しがない男爵位では如何ともしがたく。クリストフ殿下が進言してくださらなければ、このまま砂の話は墓場まで持っていこうと思っていたところです」


 男爵はあえて言わなかったが、警戒すべき勢力は国内にもある。利益を狙う敵に国籍は関係ない。だが国内にいる相手は権力を振りかざしてくるため、立場が弱い男爵では敵わないのだ。


「兄上はこれを見越しておられたのでしょう。他の貴族ではなく、あえて僕を行かせることで、王家以外の者が手を出せないようにした」


 外国からの横槍は変わらないだろうが、あからさまに害する行為は抑えられるはずだ。利益を得たいからといって、真っ向から外国に喧嘩を売るような愚かな為政者はいない。戦争にまで発展してしまえば、どんな口実で他の国が介入してくるかわからない。砂を盗んで国土を奪われては元も子もないのだ。


 採掘場の警備も、エクトルが責任者となることで騎士団を引っ張って来られる。男爵が所有できる私兵とは、数も装備も桁違いに良い。


「さすがはクリストフ様ですわ」


 少女のように頰を赤め、うっとりとアドリエンヌが目を閉じる。ため息をつく姿も美しい。やがて薔薇色の唇が開き、小鳥のさえずりのような声音で男爵へ問う。


「コシェ男爵へ、クリストフ様は何か仰られましたか?」

「特に多くは語られず、温暖な地域なればこそ、はかどる研究もあるだろうな、と」

「研究、ですか……」


 コシェ男爵は植物研究の第一人者。作物を改良して病気に強い品種を広め、収穫量を増やした功績で爵位を得た異例の経歴を持つ。現在では農業指導にも力を入れており、決して肥沃とは言えない男爵領でも民衆が何とか生きていけるだけの収穫が出来るようになった。


 エクトルは己の領地に想いを馳せる。やはりコシェ男爵には植物研究の方面で期待されているのだろう。


「そういえば、山には厄介な植物があるのですが」

「ほう?」

「人や獣が近くを通ると、体に絡みついて捕食するのです。山の恵みを得ようとする庶民が毎年のように犠牲になってしまうので、何とか対策をしたいのですが……」

「もしやクリストフ様は、それを国防に活かせと仰っていたのでは?」


 アドリエンヌの言葉は、天啓のようにエクトルとコシェ男爵の間を駆け巡った。本人がその場にいれば、んなわけあるかとツッコミを入れたであろう発言も、彼に心酔する者には天上の音楽のように響いた。響いてしまった。残念なことに。


「なるほど……その植物を人の手で制御できるようになれば、正規の道以外で領地へ入ろうと画策する不届き者を始末できる!」

「おお、年甲斐もなく心が躍りますな! 荒野で見つけた植物にも、似たような特性のものがございます。これをエクトル様の領地で増やして国境に配置しておけば……」

「最終的には、この国を守る盾となるでしょう」


 三人はたどり着いた結論に、国の未来を見た。


「私も、それとなく父上には話を通しておきましょう。国益を損なう勢力には、今以上に目を光らせておいて下さいと」


 エクトルはアドリエンヌに明かしておいて良かったと心から思った。クリストフの言葉は、凡人の自分では推し量れない時がある。誰よりも深く理解しているアドリエンヌを経由して、ようやく意図に気がつくことができるのだ。


 ――やはり兄上が王位を継ぐことが望ましい。


 一部には自分を押し上げる勢力があるそうだが、視野が狭く研究しかできない自分に玉座など荷が重い。


「では、それぞれの為すべきことを」

「クリストフ様のために」

「栄光あれ」


 三人は貴族らしく優雅に、熱意を込めて述べる。


 談話室を出たエクトルは、廊下を歩きながら己の研究を思案した。


「そう言えば兄上が言っていたアイスとは、何だろう……?」


 食べたいと言っていた。

 そして氷を作る方法を使うといい、と。

 クリストフは本で得た知見をもとに、アイスの製造を依頼してきた。


「氷を使ったもの……」


 先ほどまで荒野での防衛を考えていたエクトルの脳裏に、ぼんやりとした像が現れる。


「そうか、氷を使った兵器を作れということか! そして僕の手で勝利の美酒を味合わせろと!」


 国を守るためには、植物という自然の力だけに頼るわけにはいかない。エクトルにしか出来ない戦い方を望まれているのだ。地形を利用し、敵の意表を突き、侵略の勢いを削る。クリストフが外交上で優位に立つための土台を作らなければいけない。


 燃える砂の採掘も重要だが、何もない荒野では気兼ねなく実験ができる。


「兄上、見ていて下さい。貴方が僕に出された課題、必ずやこなしてみせます!」


 将来は王の補佐として国政に参加することが決まっている。クリストフも、お前に何かあれば国が傾くと言っていたではないか。あれは補佐役が簡単に潰れるなという叱咤だったのだ。


 エクトルは自室へ戻るやいなや、頭に浮かぶ構想を次々に紙へ記していった。

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