報告、誕生の夏2
神に見放された俺は、アドリエンヌに癒してもらおうと午後のお茶に誘った。
彼女は、うん、あれだ。そばにいてくれるだけでいい。好きなことをして輝いているところも好きだけど。姿を見るだけで、俺の精神はゴリゴリと回復していく。
以前はどこで剣を振っているのかわからなかったアドリエンヌだが、近頃は王城にいることが多いようだ。魔獣が出没したと聞いても、騎士を見送るだけの日が続いている。
――あれ?
何かがおかしい。
「ああ、そういえばクリストフ様」
違和感の正体に気がつく前に、アドリエンヌが俺の思考を遮った。照れたように頬を赤く染めている。
「あの……申し上げにくいのですが……」
「アドリエンヌ。俺と君しかいないんだから、恥ずかしがらないで」
二人だけと言いつつ、見える範囲にメイドがいるんですけどね。
いいんだよ。彼女たちは勤勉だから情報を漏らさないし、置物になりきってくれている。だから実質二人きりだ。
「ポチの出産で忘れていたから、なかなか言い出しにくくて……」
「おや。そんな前から?」
ポチが卵を産んでから、かれこれ一ヶ月経っている。夏の真っ盛りだ。
アドリエンヌは幸せそうにはにかんで、俺の手をそっと握った。
「子供が、できました」
「それを早く言いなさい」
むしろポチよりも早く言うことじゃないか。俺にはペットの出産よりも、自分の子供のほうが大事だ。
「ですが、お忙しそうだったので」
「アドリエンヌ。そういうことはね、いつでも言っていいんだよ。仕事中でも、家族のことはちゃんと知っておきたいから」
俺が忙しかったのは、半分ぐらいは好戦的な国民のせいだけどな。領土が増えたぶん、仕事が増えるんだよ。
「次からはそうしますね」
「うん。じゃあルヴィエ夫妻にも知らせてあげようか」
「まあ。私の両親が最初でよろしいの?」
「いいんだよ」
俺の両親はまたどこかへ行ったからね。たぶん国内にいると思うんだが。
いるよね?
いると思いたい。外国で好き勝手にやってるって苦情が来ても、他人のふりをしておこう。
いつ帰ってくるのか見当もつかない親を待っていたら、きっと出産間近になる。それに義理の両親へ先に報告をしたからといって、不機嫌になるような親ではない。
ルヴィエ公爵と連絡をとるために、俺は執務室へ戻った。
要件を秘密にしたまま公爵と会うのは難しい。アドリエンヌの許可を得た俺は、ローランだけには伝えておいた。こいつなら適当な理由を捏造してくれるだろうという打算の結果だ。
「てっきり喜びのあまり騒ぐのかと思ったんですが」
聞き終えたローランはそう俺を評価した。
お前は俺を何だと思っているのか。
「今から騒いでいたら、胎教に悪いからね」
「陛下が冷静なので安心しました」
「国民への周知も産まれてからでいいかな」
「それだけの期間があれば、誕生をきっかけに隣国を攻めようとしても防げますね。対策を立てましょう」
怖いことを言うなよ。本当になったらどうするんだ。
「さて、ルヴィエ公爵が錯乱――じゃなくて喜びすぎたときの対策を考えておかないと」
待ち望んでいた孫だ。昼夜を問わず絵を描き続けるぐらいの奇行で終わればいいが。あの人の行動は読みにくい。初孫の誕生日に謀略で落とした隣国をプレゼントされたら、俺が困る。
いい対策を思いつかないまま、ルヴィエ公爵夫妻が俺の招きに応じて登城した。建国記念日の行事について知恵を借りたいと伝えたので、なんの疑問も持たずに来てくれたようだ。
本当に相談すべき両親は出奔中だからな。相談したいというのも嘘ではない。
出迎えた俺とアドリエンヌは、席についてすぐに打ち明けた。
夫妻は驚いた顔で沈黙し、ゆっくりと立ち上がる。
「ルヴィエ公爵?」
「おお……神よ……」
二人は揃って床に跪き、静かに祈りを捧げた。
思ってたんと違う。
これはこれで心配だ。
***
結論から述べると、アドリエンヌは元気な女の子を産んでくれた。
そこへ至るまでは色々あった。主に俺が。
まず陣痛が始まったと聞いたあたりで俺は仕事が手につかなくなり、もう帰れよと部下に言われてしまった。本音を言いあえる、素敵な職場だと思う。もう少し隠してくれても困らないんだけどね。
心配になってアドリエンヌがいる部屋の前でうろつくと、今度は産婆とメイドに邪魔だという目を向けられた。泣く泣く引き上げた俺を、誰か褒めてくれないだろうか。
無理だろうな。出産は女の戦争だから。
こんなとき、医者以外の男はやることがない。仕方がないので絵師を捕まえて愚痴を聞いてもらったら、彼は後日、我が子の誕生を神に祈る俺の絵を描いて届けてくれた。
この絵師、もう宮廷画家に指定してもいいだろうか。話の断片から描いた妄そ――筆力がすごい。ちょっと世間から隔離しておかないと、よろしくない大人向けの絵を描いて投獄されてしまう。
ちなみに余計なことをしそうな悪戯と知恵の神には祈っていない。余計なことすんなよと釘はさしておいたが。本当に聞き入れてくれたのかは未知数だ。
子供に関心が薄かった俺だが、どうやら我が子は別だったようだ。初めて対面したとたんに、溺愛する親の気持ちがわかった。
何をしても可愛く見える。
全体的な雰囲気は俺に似ているが、笑った顔がアドリエンヌそっくりで、とりあえず幸せすぎて離れたくない。ローランよ、オーギュストに命じて俺に拘束の魔法をかけようとするのはやめてくれないか。気が向いたら仕事するから。
赤子に話しかける俺の姿に部下はドン引きしていたが、世間にどう見られているのかなんて関係ない。お前もそのうちこっち側になるんだよと言ったら、護衛のケヴィンはあり得ないといった様子で苦笑していた。
お前がアサシンメイドと付き合い始めたのも、孤児院に寄付してるのも知ってるんだからな。孤児院の子供と遊んでやってる姿だって、目撃されてるんだぞ。ルヴィエ公爵の情報網をなめるなよ。
俺の情報網じゃないのに偉そうだな、という批判は甘んじて受ける。
「アドリエンヌ。俺はこの先、どう動けばいいんだろうな」
「クリストフ様?」
「いつも『いい国』について考えていた。国民が飢えなければ、それでいいのか? 国土が広ければ豊かになれるのかって」
どれだけ手を差し伸べても、必ずこぼれてしまうものがある。
見て見ぬふりをするのは簡単だ。
全て見つけて救済するのは不可能に近い。
俺は平凡な人間だから、誰かに助けてもらわないと、王としての体裁を取り繕えない。
じゃあ助けてくれる人がいない者は?
誰にも目をかけてもらえず、立ち上がることすらできずに潰される。生まれが違えば、俺もそうなっていただろう。
良かったと思ってしまった。
自分がその立場でなくて、良かったと。
皆が思い描いてくれている、高潔な俺なんていない。本当は浅ましくて、才能がある他人に嫉妬している、器の小さい男だ。
どんなに国民のためにあろうとしていても、根底は暗く濁っている。
「クリストフ様」
アドリエンヌは俺の手を握った。
「可能性を、選択肢があると国民に教えてくださいませ」
「選択肢?」
「なんでもいいのです。自分が変われると思うきっかけがあれば。武の道でも、学問の道でも、始まりの糸口すら見つけられずに迷う人が多いのですから」
私も同じです――アドリエンヌが言う。
「クリストフ様に選べる道があるのだと教えていただいて、道を整えてくださったからこそ、今の自分があるのです」
「それは、アドリエンヌが努力したから……」
「努力が報われる土壌があったからです。あなたが、私を認めてくれたから」
「アドリエンヌ」
「一人で戦わないで。あなたは、ただ道があると教えてくれるだけでいい。あとは私たちが選んで、成長するから。自分の力で歩かないと意味がないのです」
全て一人でやろうとして、空回っていた。
「問題があれば投げかけてください。私たちも解決するために走り回りますから。あなたは一人じゃないんです」
俺はアドリエンヌを抱きしめた。
ずっと支えてくれていたのに、いつの間にか見えなくなっていたようだ。
「……ありがとう」
返事の代わりに、アドリエンヌは俺を抱きしめ返した。
弱いところを見せてしまったが、相手はアドリエンヌだったから構わない。恥ずかしくないといえば嘘になるが、夫婦とはそういうものだ。
才能ある者たちに囲まれた凡人なのだから、どうしても眩しさで歪んでしまう。彼らと同じ場所に立とうとするから失敗したのだ。できないことは丸投げしてもいいよと言ってくれたわけだし、今度から遠慮なくこき使ってやろうと思う。
もちろん俺がやるべきことをやった上での話だ。
「子供のお披露目は穏やかに行いたいなあ」
賑やかなのも嫌いじゃないけど、祭りの陽気に浮かれて国民が余計なことをしないとも限らない。正しい祭りの過ごし方について、マニュアルでも作成すべきだろうか。きっと、ノリで外国を侵略してはいけませんという血生臭い文章から始まってるんだろうな。
考えがまとまらない。また父上の酒でも拝借して気分転換してみようか。俺は鍵付きのキャビネットから上等な酒を出した。
「あら、クリストフ様。また手合わせをしていただけるのですか?」
アドリエンヌが愛用の剣を抱え、瞳を輝かせている。
なんでそうなる。
「陛下。お酒を召すなら、訓練場でどうぞ」
ローランよ、訓練場はポチの巣だぞ。俺に死ねと言うのか。
「兄上。山の中で竜の卵を発見したのですが、孵化させてもいいですか?」
いいわけあるか。自然に返してこい。
「陛下、どこで飲むのか決めたら教えてくださいね」
どうしてオーギュストは嫌そうな顔で結界をはる準備をしているのか。
俺が酒を手にしただけで、どこからともなく人が集まってくる。背後ではケヴィンが剣に手をかけて警戒しているし、アサシンメイドらしき影がちらっと見えた。まるで魔人召喚の儀式を阻止するかのような空気だ。
俺は酒を棚に戻した。
「休憩したいな。誰かお茶を――」
ふわりと目の前でテーブルクロスが翻った。瞬く間にテーブルが現れ、誰が見ても完璧なアフタヌーンティーが用意されている。淹れたての紅茶に焼きたての菓子。見えないところにいる楽団が、優雅な音楽まで流し始めた。
せめて最後まで言わせろ。
こうして俺の飲酒は阻止された。過去の俺は多大な迷惑をかけたらしい。謝って許してもらえ――ないだろうな。ごめんで済むことなら、全力で止められていないはずだ。
複雑な気持ちで茶を堪能していると、どこかから桃が食べたいと訴えている気配がした。
黙ってろ。祭壇に桃型魔獣ぶつけんぞ。
子供の性別はくじ引きで決めたので、深い意味はありません。




