報告、誕生の夏
2000pt到達記念SS
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竜が卵を産んだ。
仔牛が丸ごと一頭入りそうな、縦に長い卵だ。淡い黄色の表面を見ていると、オムレツが食べたくなってくるのは俺だけではないはず。昼食は卵料理にすべきだという、心の食欲神に従うべきか。
「お前、メスだったのか……」
思わずつぶやいた言葉に、竜は不満げな唸り声をあげた。
俺が悪かったから、ちょっとその牙をしまえ。
最初から知っていれば、ポチではなくタマと名付けたのに。由緒正しいメスの名前だと聞いたことがある。
「ところで竜の子育ては、どうすればいいんだ」
一緒に卵を眺めていたアドリエンヌに尋ねると、聖母のような慈悲深い笑みで俺を振り返った。
危うく俺の心が浄化されて天に召されそうになったんだが。最近のアドリエンヌは美しさの中に別の何かが混ざっている。油断すると向こう側へ持っていかれそうで怖い。
神よ、俺は老衰してベッドの上で死にたいのです。俺が天の国に迷いこんだら、遠慮なく叩き落としてください。
「竜は子育てが可能と判断したところで卵を産みます」
アドリエンヌは俺が呼吸を整えている間に、そんなことを言った。
王城は今日から竜の巣になったらしい。敵が攻めてきても安心だけど、危険と常に隣り合わせじゃないか。
「仔に与える餌は、ポチが自分で調達するでしょう。家畜を狙わないように教えましたから、訓練場に近づかなければ被害は出ませんわ」
言葉が通じない竜に、どうやって教えたんですかアドリエンヌさん。
あれか。肉体言語ってやつか。君と竜は拳で友情を深めた仲ですものね。
「ポチは放置していても問題なさそうだな。あとは訓練場の代わりになる場所を決めないと……」
ちゃんと騎士に暴れられる広場を与えておかないと、勝手に隣国へ行きそうだ。ちょっとバカンスへと言いながら、フル装備で王都を出ていく集団なんだから。もちろん即座に発見して、未遂で終わらせたが。
隣国を攻め落とす行為のどこがバカンスなんだよ。俺の仕事を増やすな。国内に引きこもってろ。
竜は俺たちが危害を加えないと察したのか、訓練場の真ん中で昼寝を始めた。大切な卵は竜が抱えている。魔力を分け与えて成長を促進しているらしい。
異常なしと判断した俺は、詳細を待つ皆のところへ戻ることにした。
普通は俺が報告を待つ側だと思うのだが。竜の飼い主の伴侶という理由で、国王を調査員にする国はコルヴィエだけだろう。
***
卵は一週間ほどで孵った。
エクトルによると、竜種の卵は羽化する寸前まで、母親が腹の中で守っているらしい。無精卵なら産んですぐに母竜が食べてますよと言っていたが、なぜあいつはそんなことを知っているのだろうか。
あいつのことだから、きっとどこかの山で観察したのだろう。研究熱心な者は知識を求めるあまり、己の命を軽視する傾向にある。
エクトルは父上に似て頑丈だから、全く心配していない。あいつの場合は心配するだけ損だ。どうせマグマの中に落としても服すら焦げずに帰ってくる。
「で、お前はそれでいいのか」
俺は執務室で転がっている仔竜を見ないように、ローランに言った。
「ええ、まあ。そのうち巣立ちますから」
ローランは冷静に答える。
卵から仔竜が孵ったとき、ポチはたまたま食料調達のためにどこかへ行っていた。仔竜は母親を探して訓練場から出たところで、ローランに遭遇してしまった。鳥と同じく刷り込み効果により、仔竜はローランを母親と認識してしまったらしい。
生まれて初めて見た生き物が、ローラン。よりにもよってと言うべきか。
母親の座を奪われたポチはといえば、気にした様子はなく仔竜に餌をあげている。仔竜も気にせず与えられた餌を食べているようだ。
いいのか、それで。
親子とは何かを考えさせられる光景だった。
「竜の生態もさまざまですからね。育てる種族がいれば、産みっぱなしの種族もいます。群れで子育てをする種族だっていると思いますよ」
そう助言してくれたのはエクトルだ。仔竜に触ろうとして威嚇されている。
領地経営のことで相談があると聞いているのだが、お前はいつ本題に入ってくれるのかな。かわいいなぁ、なんてデレた弟の顔を見ても俺は嬉しくない。小さな羽を広げてキュイキュイ鳴く仔竜はかわいいと思わないこともないが。
尖った歯がびっしり並んだ口を見たら、そんな考えなんて吹き飛ぶけどな。
なんだあれ。ノコギリか。
「竜が自分で餌を調達してくれるなら楽でいいか」
ローランを親と思いこんでいる仔竜は、常に彼の後ろをついて回っていた。構ってくれない時はキュイと鳴いて、気を引こうとする。手が空いていればボールという名の鉄球を投げて遊んでやっているローランに、周囲は軽く引いていた。
あいつ、生き物の世話ができたのか――そんな心の声が聞こえてくるようだ。
唐突に発生した異種族の親子が王城を混乱させる一方で、竜の生態を観察したいエクトルが彼らをストーキングする事態も発生してた。害はないので俺もローランも放置している。
気になるのはエクトルと仔竜を連れたローランが一緒にいると、メイドが恍惚の目で観察していることだ。以前のような黄色い歓声はない。すごくねっとりとした重い視線だった。
クロスの前か後ろかで抗争が勃発する直前らしいが、聞かなかったことにした。
彼女たちには違う光景が見えている。俺には見えていない。そういうことだ。
啓蒙が足りなくてもいい。俺は平和に暮らしたいんだ。
さて王城で産み落とされた仔竜だが、ローランが歌を歌ってやると、体を左右に揺らしていることが増えた。ときに歌に合わせて鳴いている。ご機嫌なんだろうなということは、親ではない俺にもわかった。
今まで知らなかったが、ローランは意外と歌が上手い。娯楽なんて必要ありませんという顔をしているくせに、戯曲から酒場の歌まで知っている範囲も広い。
「ローラン。お前、歌を知っていたのか」
思わずポツリとこぼせば、異次元に遠慮を蹴飛ばした男が無表情に言った。
「何をおっしゃるのですか。歌なんて下町を歩けば、そこらじゅうから聞こえてきますよ」
それは自由に下町を歩けない俺への当てつけか。
「歩きたかったんですか?」
最近になって読心術まで習得したローランが、呆れたように尋ねる。
「お忍びは王族のロマンだぞ」
「寡聞にして聞いたことがありません」
「いつかアドリエンヌと下町デートしてやる」
「無理ですよ。お二人とも目立ちますから」
俺は変装の魔法を習得しようと決めた。我が神なら面白がって協力してくれる気がする。
思い立ったが吉日。異国から伝わったことわざに従い、俺は悪戯と知恵の神が祀られている祭壇へ向かった。もちろん手土産も忘れない。
桃から作ったジュースを祭壇へ備えると、即座に経典へ水が飛んだ。
――才能がない。
即答するなよ。嬉々として言葉を拾った俺が馬鹿みたいじゃないか。
「じゃあ俺に向いていることってなんですか」
盛大に凹まされた俺が恨みがましく言うと、水盆の水が震えた。
ぐるぐると旋回したかと思えば、中心から波打つ。どれくらいそうしていたのだろうか。水のゆらめきは唐突に止んでしまった。
清らかな水が注ぎこむ音しかしない。
こいつ、考えることを放棄しやがった。




