狂乱、襲来の春5
我が国では騎士の叙勲は謁見の間で行われる。由緒ある儀式の一つであり、騎士となった者に己の責任を自覚させるためだと聞いている。
俺が少しずつ計画を進めていたアドリエンヌの叙勲も謁見の間で行おうとしていたのだが、ここにきて問題が起きた。
竜が大きすぎて城の中に入らないのだ。
謁見の間自体は広く空間が設けられているし、天井も高いから入れないこともない。そこに至るまでの通路や扉が、人間に合わせて建築されているからだ。
普通は城の中に竜を入れようなんて考えないもんね。そんな王様がいたら、俺は正気を疑う。
一度しかない叙勲のために改築するのもなぁ。時間もかかるし。
叙勲に竜を同席させるには理由がある。
女性に、それも王妃を叙勲するという、全く前例がないことをやろうとしているためだった。アドリエンヌの関係者は彼女のことを知っているから、叙勲されることに疑問などない。むしろ、ようやく来たかと思っていることだろう。
竜を従えて叙勲を受けることは、それ以外の者に『彼女は普通ではない』と証明できる。
人間が飼い慣らすことは不可能と言われた竜が、アドリエンヌを背中に乗せている姿を見れば、納得せざるを得ない。人の噂は外へ外へ伝わっていく。わざわざ周知させずとも、衝撃的な話は勝手に広まっていくとルヴィエ公爵は語る。
だからスパイがいても見逃してくださいって言われたんだけど。まず俺には発見すらできないよ。護衛を信じて、見た目だけは堂々とするしかない。足の震えよ、鎮まりたまえ。
前置きが長くなったが、アドリエンヌの叙勲は訓練場で行われることになった。
「……曇ってるなあ」
俺は黒く分厚い雲を見上げた。嵐でも来るのか、冷たい風まで吹いてくる。
晴天になれとまでは言わないけど、せめて晴れ間は欲しかった。
「嵐の前触れでしょうか」
ローランは今日も俺が言葉にしなかった本音を言う。
「天気で悩んでいても仕方ありません。雨ではなかったことを喜ぶべき……おや?」
心なしか雲の色が薄くなった気がする。このまま晴れるように神に祈るべきだろうか。
でも俺の守護神って、悪戯と知恵の神だからな。さすがに天気を操ってほしいなんて言えない。面白いからって理由で、雪が降りそうだ。
俺が訓練場に並んで待つ騎士や文官の前に立つと、叙勲を受ける者の名前が読み上げられた。
遠くからでも分かる竜の巨体が、訓練場の壁を飛び越えて入ってきた。翼をたたみ、伏せた体からアドリエンヌが降りてくる。
彼女の体型に合わせた衣装と鎧。愛用している剣は腰に。ドレスと同じくらい着こなした姿は、どこから見ても立派な一人の騎士だった。
見計らっていたかのように、雲が途切れて太陽の光が差し込んできた。奇しくもアドリエンヌがいる場所に降り注ぎ、豪快な登場に非現実さを与えていた。
集まった者は自然に通路へ向かって膝をつく。新たな騎士を歓迎しているかのような動作は、打ち合わせなど全くしていない。アドリエンヌの姿が、皆に自然と畏敬の念を抱かせた。
晴れて良かったね、なんて考えていたのは俺だけか。俺だけ突っ立ってるままなんだけど、いいのか。
いや、いいんだよ。今から俺が叙勲するんだから。
ここで俺まで膝をついたら、新たな王を出迎える構図になってしまう。そんなことは死んでもやるなよと、入り口に控えているローランが睨んでいる。分かったから、ちょっとその殺気を捨てろ。
騎士の衣装に身を包んだアドリエンヌが俺に向かって歩いている間、なぜか荘厳な曲の幻聴が聞こえていた。聖歌っぽい曲調に誰かの合唱。舞い散る花びらと光の粒子――俺の代わりにツッコミを入れてくれる人はいないものか。
ふとアドリエンヌの後ろをついてくる竜を見ると、完全に諦めた目をしていた。死んだサバの方が、まだ生命力を感じただろう。
何があった。
完全に心が折れているじゃないか。
竜の虚無が伝染したのか、疲れきった俺は形式通りの叙勲を済ませた。ポチの待遇については気力が回復してから考えることにしよう。
絵師と名乗る男が何かを言っていたようだが、この光景を絵に残しておいて、とだけ言っておいた。
*
後日、壮大な連作の絵が出来上がった。なんでも感動した絵師が不眠不休で描き上げたという、念がこもった力作だ。
絵師は現在、非常に満足した顔で惰眠を貪っているらしい。後で誰かに生存確認をしてもらおう。絵の内容はともかく、構図と筆のタッチは素人の俺にも素晴らしいと分かる。遺作にならないよう、保護しなければ。
「……どういうことだ」
俺は絵画を前にうめいた。
なぜか竜を屈服させたのが俺のカリスマになっている。アドリエンヌは心が折れた竜に優しく語りかけ、この国に仕えることを約束させたというストーリーが出来上がっていた。
俺が持っていない能力で、俺がやったことがない偉業が描かれている。竜の心が折れたのは、どう考えてもアドリエンヌに負けたからだと思うが。
もし目の前に絵師がいたなら真意を問いただしたのに。残念ながら絵師は幸せな夢に浸っている最中だ。
「ローラン」
「すでに美術館での公開が決定しております。描き直す時間はございません」
「マジか」
さすがに功績の捏造はダメだろう。
俺が良心の呵責に胃を痛めていると、ローランは良いではないですかと言った。
「竜を制御できるのがアドリエンヌ様のみと知られる前に、陛下の力と思わせておくのです。あれ以外にも竜を従えることができると誤解させましょう。そんな物騒な国を攻める者はおりません」
物騒って言うな。
「いつもいつも、よくそんなことを思いつくな。ところで、お前の守護神は何だったっけ?」
「私ですか? 詐欺と真実の神です」
この国の守護神、ロクでもないのばっかりだな。悪戯も大概だけど、詐欺って。
窓の外で歓声が上がった。絵画を安置している部屋からは、訓練場が見下ろせる。訓練場の地面には、投擲用の槍が何本か刺さっていた。
槍を投げただけで歓声が上がるものなのかと不思議に思っていると、空から降ってきた槍が地面に突き刺さった。槍を投げた主は空の高みから見下ろしている。弧を描いて滑空し、訓練場の空いた場所に降りてきたのは、ポチとアドリエンヌだった。
「……攻撃が届かない範囲から槍が降ってくるって、怖いな」
「外国への牽制としては十分かと」
「むしろ悪の王国として目をつけられそうなんだが」
手出しされないなら、どちらでもいいかと考えるあたり、俺もだいぶ皆の考えに染まってきたようだ。
俺は窓を開けて訓練場へ手を振った。竜から降りたアドリエンヌは生き生きとした表情で、手を振り返してくれる。彼女と竜の力に頼らなくても済むように、これからも動くべきなのだろう。
「たまには仕事から逃げたいなぁ」
「アドリエンヌ様に頼めば竜の背中に乗せてもらえるかと」
誰が物理的に離れたいと言ったのか。
「俺がそのまま帰ってこなかったら、どうするつもりなんだよ」
「陛下が国を見捨てて逃げるとは思えません」
ローランに見抜かれた俺は、嫌々ながら窓を閉めた。
「……竜って乗り心地いいのかな」
「経験したことがないので、なんとも」
たまには俺も息抜きをしてもいいだろう。俺は少しだけ期待をしながら訓練場へと向かった。
後日、俺とアドリエンヌが竜に乗る姿を見ていたらしい外国の使者によって、コルヴィエは竜を飼い慣らす国だという噂が広がった。国境を接する国は、俺が直々に攻めてくるのではないかと震えているらしい。
とんだ風評被害だ。
俺ほど平和を愛する平凡な王はいないというのに。そう部下にこぼしたところ、また新しい国王ジョークですかと返された。
だから、俺の言葉をジョーク扱いするんじゃない。
またネタを思いついたら更新します




