狂乱、襲来の春3
うっかり泥酔した次の日、皆の様子がいつもと違った。俺に遭遇するなり、目を合わせないように挨拶をして、足早に去ってゆく。
ケヴィンはやけに堅苦しい敬語を使うし、俺から決裁をもらうために並んでいた文官は、死刑の宣告を受けた囚人のようだった。お茶を出すメイドに至っては、泣きそうな顔で手の震えが止まらない。あまりに可哀想なので、アドリエンヌが教育したアサシンメイドと交代したほどだ。
アサシンメイドは正確に仕事をしてくれるのはいいんだけど、姿を見せないまま用事を済ませてしまう。どこに控えているのかさえ分からない。小声でお茶が飲みたいと言ったら、いつの間にか机に置かれていた。
そんなに会いたくないのだろうか。それともこれが彼女たちの常識だろうか。どうか後者であってほしい。
ちょっと寂しさを抱えた俺は、被害者である父上に会いに行った。酒を飲み干したことを正直に詫びるためだ。
「父上。もうご存知だと思いますが」
「クリストフ、最後まで言わなくていい。そんな時もあるさ」
全てを理解している男の顔で肩を叩かれた。
そんな時ってどんな時だ。
「俺から言うことは何もない。次に酒が飲みたくなったら、遠慮なく俺に言え。心配すんな、いくらでも飲ませてやるよ」
親子の面会、終わり。
よく分からない間に全てを理解されて、分からないまま部屋を出された。
昨日の俺、何したんだよ。
「アドリエンヌ。俺は昨夜、何をやらかしたんだろうか」
困り果てて愛妻に尋ねてみれば、アドリエンヌは赤面してうつむいてしまった。
鮮やかなバラ色に頬を染めたアドリエンヌは、それはもう叫びたくなるほど可憐で美しかったけれども。泥酔事件がなければ、絵師を呼んで今すぐ描けと命令しただろう。
そろそろ蘇ってくれ、俺の記憶。
「ロ……ローラン! ローランはいるか!?」
こんな時は、頼れるあいつがいるじゃないか。
いくら悩んでも答が出てこないので、俺はローランを呼んだ。遠慮など要らぬと滅びの火山に投げ入れて処分したような男なら、昨夜の俺について正直に教えてくれることだろう。
執務室にやってきたローランは、いつもと変わらないように見えた。俺が昨夜の様子について尋ねると、わずかに眉間にシワが寄る。
「……遠く離れた島国に、知らぬが仏という言葉がございます」
「はっきり言ってくれ」
「陛下の部屋が賑やかでした。私は関わりたくなかったので、聞こえなかったフリをしました」
知らない方がいいって、俺に向けた言葉じゃなかったのか。
「自室へ引き下がろうとしましたが、オーギュストに見つかり、渋々、陛下のもとへ参ったのですが」
そんな仕方なく、みたいな対応されたら、ちょっと傷つく。
「……ストレス発散もほどほどにお願いします」
「そこ、今お前が省略した部分を知りたいんだよ」
「そんなことより本日の業務を始めてもよろしいか」
ローランは俺の要望をガン無視して仕事を始めた。あまりの対応の冷たさに、俺の心が凍りつきそうだ。
たびたび昨夜のことを聞き出そうとしてみたが、ローランの鉄壁は崩せなかった。終いには無言で見つめられ、居心地が悪くなった俺は、過去最高記録で午前中の業務を終えることになった。
*
頑丈な首輪をつけられた竜は、全てを諦めた顔をして訓練場に伏せていた。アドリエンヌに手を引かれた俺が近寄るにつれ、竜らしからぬ怯えが瞳に浮かんでいく。
竜が飛来して、まだ一週間しか経っていないのだが。あまりの変化に涙が出そうになった。
この短期間で何があった。俺はアドリエンヌが『躾けた』としか聞いていないぞ。凶悪な竜が怯えるほどの躾とは一体――俺は考えるのを止めた。
知らぬが仏。ローランも言っていたではないか。遠き島国に伝わるという、華麗なる現実逃避の精神を受け継ごう。元の意味は違うかもしれないが、俺はそう解釈することにした。
「怖くありませんよ」
俺がアドリエンヌの顔を見ると、彼女は竜に優しく話しかけた。慈愛あふれる神々しさが遺憾なく発揮されている。絵師よ、お前はなぜここにいないのか。この光景を絵にする画力がある者は、宮廷画家として末長く重宝させてもらうのに。
しかしアドリエンヌ、言う相手が違うのではなかろうか。むしろ、あの巨体を前にしている俺の方が怖いんだけど。一番大きな牙なんて、俺の胴体よりも太いよ。
よくこいつの顎を素手で触ろうと思ったね、アドリエンヌさん。
「撫でてみますか?」
ご無体な。
近寄るだけで精一杯な俺に、よりにもよって触れと。新手の懲罰ですか。酔って迷惑をかけた俺への無言の抗議ですか。謝罪しようにも罪状が判明しないんですが。緘口令を出したヤツ、怒らないから出てきなさい。
俺がただの兵士だったら、背中を向けて逃げている。だがしかし、俺は王だ。右手をアドリエンヌに掴まれているから、逃げられないわけではない。絶対に。
そういえば護衛のケヴィンはどこへ行ったのかと訓練場を見回すと、入り口のところで見学していた。一応、応援する気はあるのか口パクで『がんばれ』と伝えてくる。
よし、減給だ。
覚悟を決めた俺は、恐る恐る竜に触れた。
硬くて温かい。鱗は少しざらついている。
竜の視線が不安そうに俺とアドリエンヌの間を行き来した。
「ね、怖くないでしょう?」
そうアドリエンヌが言うと、竜は低く唸って俺を見た。盛大に困惑している目をしている。
分かるよ。俺のこと、さんざん強いって聞かされてたんだろ。でも実際に会ってみると、誰よりも弱いから混乱してるんだ。
「……色々、あきらめろ。俺にはどうすることも出来ない」
アドリエンヌの誤解を解くことは不可能だ。何度か俺は弱いって言ったのに、謙遜だと思われたままだった。
竜は観念したように唸り、目を閉じる。
マジかよ――俺にはそう言っているように見えた。
まさか俺と同意見になれる存在が竜だったとは。
世界は広い。




