交渉、決闘の春2
盛大に負けた。
誰がどう見ても、完膚なきまでにボロ負けした。訓練場に大の字になって寝転んだ俺は、春の空を見上げて息を吐いた。
「どうして」
俺のそばに膝をついたアドリエンヌが兜を取って言った。まとめた金髪が一房だけ顔に落ちてくる。アドリエンヌの髪が乱れても、それが正しい髪型に思えてくるから不思議だ。
「本気ではなかったのでしょう?」
「本気だったよ」
そう答えた俺に、アドリエンヌは無言で問う。
「本気で君が持っている剣を狙った。でも落とせなかった」
「なぜ、剣のみを?」
「君に剣は向けられない」
こう言うと傷つくんだろうな。
女だからって理由で夢を諦めろと言われて、師範になってくれる人もなかなか見つけられなくて、苦労してきたから。手を抜かれたと誤解しただろう。
俺は決して手を抜いたわけじゃない。
「アドリエンヌのおかげで、俺は変わりたいと思った。押し付けられた王子としてじゃなく、本気で国のことを考える王になろうって目標も生まれて。俺から見たアドリエンヌは、どんな壁があっても諦めずに挑戦する子で、いつも輝いていた」
「私は……」
そんな泣きそうな顔をしないでほしい。
俺は起き上がってアドリエンヌの頬に触れた。
「アドリエンヌの影響で物事に打ち込むようになってから、周囲の目が変わったよ。期待されていることは常に感じてた。ただの王子じゃなく王位継承者として見られるようになって、負担が増えて……嫌になることもあったけれど、君に無様な姿は晒したくなかったから」
「なぜです? 私では頼りになりませんか?」
「君が俺の騎士になるって言ってくれたからね。情けない主人にはなりたくないんだよ」
「情けないだなんて、そんな」
「俺にとって君は人生を変えてくれた恩人で、未来の姿を想像できる形にしてくれた。そんな恩人に、俺は剣を向けたくない。でもアドリエンヌの願いは可能な限り叶えてあげたい。体じゃなくて武器を狙ったのも、そんな理由だよ」
ずるいな、俺。
夢を応援すると言いながら、妻として王妃として支えてくれるアドリエンヌを手放したくない。本当に騎士になる夢を叶えるなら、結婚せずにいれば良かったのだ。俺には人事権があるんだから、私兵として抱え込むこともできた。
アドリエンヌとは戦いたくない。綺麗事を並べてみても、本心は彼女が好きだからの一言に集約される。彼女の方が強いと知っていても、万が一傷つけてしまったらと考えてしまって動きが鈍る。
情けないものだ。アドリエンヌが大切と言いながら、彼女の選択肢を狭めているなんて。
「アドリエンヌが騎士として生きたいなら、俺は止めない。もうアドリエンヌのことは知られたし、強いことも証明された。外国の騎士団へ入るとか言わないなら、出国してもいい」
コルヴィエの内情を知り尽くしている敵とか、脅威でしかないからね。そこだけは線引きしてほしい。
「クリストフ様は私のことを過大評価しておいでです」
アドリエンヌはそっと俺の手を握った。
「私が剣の道を極めようと思ったのは、クリストフ様が私の夢を笑わず、見守っていて下さったからこそ。実を申しますと、私はもう騎士には拘っておりません」
「そうなの?」
「クリストフ様のために剣を使えるなら、私の立場など何でも良いのです。ただの令嬢でも雑兵でも。一番はクリストフ様の妻ですけれど」
照れて笑うアドリエンヌは綺麗だった。元の、顔の造形だけの話じゃなくて、彼女の心がそのまま現れた表情がとても美しい。
真っ直ぐな生き方で、いつか折れてしまうのではないかと思ってしまう。
だから守りたいと思う。
「アドリエンヌはなぜ俺と戦いたかったの?」
見惚れていた俺は、気まずくなってアドリエンヌに尋ねた。
訓練場に誰も入れないよう人払をしていて良かった。今はきっと王としての顔が崩れているだろう。人前では俺個人の心情なんてさらけ出せない。王は感情で動いてはいけないから。
アドリエンヌは表情を引き締め、騎士が報告するように姿勢を正した。
「クリストフ様は強いとお聞きしていたので」
「それこそ過大評価だよ……」
誰だ。そんなデマを流した奴は。
凡人より少しだけ剣が使えるだけの俺が、強いわけないだろう。
アドリエンヌさん、そんな『ご冗談を』って顔しないで。俺はその辺の雑兵にすら負ける自信あるよ。
途中までいい話をしてた気がするんだけどな。いつも通りといえばいつも通りか。
「アドリエンヌ」
「はい」
「今更だけど、これからも側にいてくれるかな。君が好きな立場で。俺はこの国を平和に暮らせる国にしたい。外国から侵略されずに、皆が自分の好きな道を目指せるように」
「クリストフ様」
アドリエンヌは軽く頭を下げた。
「私も国のために微力を尽くす所存」
うん、騎士なら完璧な回答だね。今日も騎士の礼が決まっているよ。俺が女だったら惚れてたわ。
「私はもう夢を叶えられました。次は私がクリストフ様の夢を支える時です。そのために私の剣が必要なら、いつでもお申し付け下さい。私は、貴方の騎士ですから」
「ああ。君は最終手段だからね。必要にならないように頑張るよ」
コルヴィエの王妃は戦闘狂ですって書かれたくないからね。歴史書に残されるなら、もっとアドリエンヌを称える内容じゃないと嫌だ。
「戻ろうか」
「はい」
俺の強さへの誤解はともかく、約束通り決闘は終わった。俺がアドリエンヌに対して思っていることは伝わったし、アドリエンヌはこれからも王妃として俺を支えつつ剣の腕を磨いていくのだろう。
変わったことといえばアドリエンヌの強さが知れ渡って、騎士たちから訓練に参加して欲しいと嘆願書が届くようになったことぐらい。ある意味では、騎士になれたと言ってもいいのではないだろうか。
今すぐには無理だけど、もう少し、彼女が実績を積んだら、騎士として叙勲してもいいんじゃないかな。女性や王妃を一代限りの騎士に叙勲してはいけないって法律は、どこにも書いてなかったから。
まだ秘密。
タイミングを見計らって、彼女に内緒で話を進めてみようと画策していると、訓練場の入り口で待っていたローランと目が合った。
「クリストフ様」
「何かあったのか?」
「先王陛下より、火竜狩りの成果を送ると報せが」
「何やってんだアイツら」
「併合した土地に襲来してきたそうで」
喜んで狩りに行ったんだろうなあ。どこの蛮族だよ。
「……鱗は絵の具の材料になるんだっけ。ルヴィエ公爵にいくつか届けようか」
「まあ。父が喜びますわ。より一層、帝国での工作活動に熱が入りますわね」
「ん?」
さらっと怖いことを言いませんでしたか、アドリエンヌさん。帝国が少しごたついてるのって、あの人がわざと扇動してるせいなの?
「それからコシェ男爵より、桃の形に似た魔獣の量産に成功したと報告が」
「量産……?」
「人知れず始末したい者がいる時は、お知らせ下さいと申しておりました」
いつ使えと。
「最後にエクトル様より、凍った捕虜を奪還しに来た敵について相談があるそうです。見せしめに服を凍らせてから、全裸で敵の家族に送りつけても良いかと仰っておられましたが」
「悪魔か、アイツは」
殺さなければいいってもんでもないだろう。
「……風邪を引くと悪いから、腰にタオルを巻くぐらいは許してもよろしいか、と」
「なんで俺が言い出したみたいな流れになってんの。しないから。捕まえた敵については今まで通りの方法で扱って」
「クリストフ様、もしやグリーエンを攻める時でしょうか。国境守備隊はいつでも挙兵可能と連絡が来ております」
「アドリエンヌは後で話し合おうか。まず鎧を脱いで着替えてきなさい」
何で俺の知らないうちに国境守備隊まで手中に収めていらっしゃるのか。もう俺が王様しなくてもよくないか。
「ああ……平和って何だろう」
「戦いの間の休憩です」
俺に同情的な眼差しを向けているくせに、ローランは残酷なことを言う。そういえばローランには遠慮が欠落しているんだったか。
「部屋へお戻りください、クリストフ様。平和な世で大往生したいと仰るなら、まだまだ問題が山積みです」
「胃が痛い」
「胃に優しい料理を作れと料理人には通達済みです」
有能な補佐の仕事が早い。この調子でサボる口実を見つけても、一つ一つ潰されていくのだろう。
「くっ……こうなったのもコルヴィエに敵が攻めてきたせいだ」
「では殲滅しますか」
「アドリエンヌさん、落ち着きなさい」
本来なら俺を諌める立場の王妃が好戦的すぎる。迂闊なことを言えば、今度こそどこかの首都を献上されそうだ。
俺が落ち着いて暮らせるようになるには、何年かかるのだろうか。周囲にいる者はみな癖が強いし、俺の言葉を大袈裟に捉えるところがある。今のところ悪い方向へ向かっていないことだけが救いだ。
「……孤独じゃないだけましか」
「クリストフ様?」
訓練場から帰る道すがら、アドリエンヌが俺を見上げる。
うん、家族も臣下も癖が強くて暴走しがちだけど、それは王の俺を支えるためだ。拒否するのは簡単にできるけど、なるべく彼らの力が生かされるよう導くことも、俺の仕事だろう。
「この事態が落ち着いたら、アドリエンヌは何がしたい?」
「そうですわね……」
アドリエンヌは優しく笑った。
「その時は、また私を試合に出して下さいな。私の剣がクリストフ様を守るものであることを証明いたします」
「俺との決闘は、もういいのかな?」
「強さを示す方法は、いくらでもありますわ。それに」
そっとアドリエンヌに手を握られる。
「私も、クリストフ様に剣を向けられなくなりました。貴方は私の夢を叶えてくださった恩人ですから」
それなら仕方ない。
俺とアドリエンヌは仲良く歩きながら笑いあった。




