交渉、決闘の春
コルヴィエを侵略してきた国との交渉は呆気なく終わった。
まず食人植物に苦しめられたグリーエン王国は、不可侵条約を破ったとして領土を大幅に割譲。さらに毎年、上納金をコルヴィエに払うことになった。
奪った領土を誰が統治するか一悶着ありそうだけど、それは父上に押し付けようと思う。息子に報告せず戦場に乱入したんだから、それぐらいは責任取ってほしい。腐っても元王だ。人心掌握とか王のカリスマとか懐柔策とか、とにかくそんな訳の分からない能力で何とかするだろう。
それからグリーエンがまたしても人質として姫を輿入れさせようとしていたことを追記しておく。こちらはアドリエンヌの威圧に恐れをなして、交渉の機会すら与えられずに頓挫したが。
グリーエン側は姫を交渉の席に連れてきていたんだけどね。確かに噂通りの可愛らしい姫だったよ。絹糸のような銀髪に宝石に似た緑色の瞳。白磁に例えられる肌と、ふっくらとしたピンク色の唇。儚げな表情で上目遣いにお願いをされたら、断れない男は多そうだ。
同情を誘うためなのか、若い俺なら女の魅力で籠絡できると侮ってくれていたのかは知らないけれど。俺だって社交界で鍛えられて、女性の強かさは知っている。この状況で嫁ごうとする姫なんて、一癖も二癖もあるのが普通だ。
アドリエンヌの名誉のために言っておくと、彼女は最初から最後まで貴婦人の微笑みで座っていただけだ。それだけでグリーエンの姫は可哀想なほど青ざめて震えていたし、交渉を持ちかけた外交官は途中で気を失ってしまったので、話は自然消滅したと言った方が正しいだろうか。
美と恐怖は同時に存在できるって、初めて知った。こちら側の護衛まで恐怖で顔が引き攣っていたのは、見なかったことにしよう。俺だって怖かったから。
次にセルギニア帝国について。
こちらは帝国の名に相応しい、粘り強い交渉をしてきた。攻めてきたのは帝国の方だけど、あくまで友好国の支援だったから賠償はしないと仰る。
結局どうなったかと言えば、氷漬けにした奴ら全員人質だからな、と現実をお知らせしたら向こうが勝手に折れた。あの中に有能な将やら世継ぎやら、死んだら困る人が大勢いらっしゃったらしい。
出陣した者が全員死亡のような扱いだから、帝国で暴動でも起きたのかもしれない。ルヴィエ公爵が『ペンは武器にもなり得る』と言っていたし、何かしら働きかけてくれたのだろう。具体的に聞くと精神が削られそうだから聞きたくないが。
コルヴィエはそこまで強い国じゃない。だから帝国側は初陣に相応しいと判断して攻めてきた。逆の立場だったら、俺もそう思うよ。
でも残念、こちらには氷の悪魔がいました。
片っ端から凍らせ、領地の荒野に並べたらしい。人質の保護と窃盗を防ぐために運んだと主犯は供述している。
あの爽やかイケメン、地上に氷地獄を作り出しやがった。どう贔屓目に見ても地獄だよ。
何が『真夏でも解けませんよ』だ。おかげで交渉が有利になったから責めるに責められんわ。功績だけ俺に寄越すな。あれを作れって命令したのが俺だと誤解されるだろうが。
もう誤解されてて手遅れだけど。
「これ、ちゃんと元通りに解けるのか?」
「一週間は保証するよ。僕も間違えて左手を凍らせたけど、正しい魔法で解凍すると元通りに動くから。でも強制的に解除しようとしたり、凍っている時間が長いと分からないな。気をつけて扱わないと砕けるからね。あはは」
この兄弟の会話を聞いた帝国側の心情を察してあげてほしい。俺ですら背筋が凍ったんだから、推して知るべし。
そんな悪魔の発言もあり、帝国側も上納金を納める方向で話がついた。解放する人質は納めた金額で変わり、誤魔化した場合は人質の安全は保証しないという条件付きで。
これ、俺が提案したんじゃなくて臣下が提案した条件だ。最初はもっと残虐な案が出てたけど、俺が交渉してこの程度まで抑えた。何で交渉の席に引き摺り出した皇帝を放ったらかしにして、俺が自国の臣下と交渉しているのか意味が分からなかったが。
あれか、飴と鞭ってやつか。俺が最も話が通じる奴だと見せかける、高等テクニックか。
そうそう。あちらの皇帝はアドリエンヌを見てニヤけた顔をしていたが、彼女が帝国から金を搾り取る案を出すたびに口角が下がっていった。こんなところに連れてくる女性が、接待目的なわけないだろう。アドリエンヌを狙っていたという噂も聞いているし、気に食わない相手だ。
だいたい、五十過ぎたおっさんのところに未婚の国民を、それも側室として嫁がせるわけがない。最愛の女性なら尚更だ。
交渉が終盤に差し掛かった頃。何か失言か聞こえてこないだろうかと期待して聴覚を強化していた俺の耳に、皇帝のつぶやきが届いた。
「こんな女を誘拐して側室にするなんて、冗談じゃない。このままコルヴィエにくれてやる」
なるほど、あちらの皇帝は賠償金の増額をお望みらしい。
大国の望み通りに動くのが、弱小国家としての務めとも言っていたな。膨れ上がった賠償金額を見て、勝手に震えてろ。
*
交渉が終わり、支払いが滞りなく行われるようになったのは、春を過ぎた頃だった。帝国はまだごねているらしいが、ある日を境に素直に従うようになった。
芸術方面で帝国に伝があるルヴィエ公爵の働きかけか、アドリエンヌが派遣したアサシンメイドか。または俺が知らない工作が行われたのかは知らないが。
数年後とかに発覚するパターンだろうか。怖いなあ。
俺は悪戯と知恵の神に桃を捧げて報告した。
「そんなわけで火種を抱えつつも国としては存続していけるようです。こちらから戦争をふっかける気はないから、放っておいてほしいのになぁ」
領土を広げようとする覇権国家が近くにあると、安心して眠れないじゃないか。俺はコルヴィエ人らしく呑気に生きて、穏やかに老後を迎えたい。大半の国民もそう思っているだろう。戦火で焼け出されるのは、彼らの方が圧倒的に多いのだから。
「俺が王様をしている間は平和な国になるように頑張りますから、俺が死んだ後はよろしくお願いします」
俺が頻繁に神の祠へ足を運んでいる影響で、それぞれの守護神の祠へ通う国民が増えたと聞いている。ここの祭壇も俺以外が捧げた品が乗せられていた。神様が何を考えているのか人間の俺には想像がつかないけれど、きっと喜んでくれていると思う。
「あ、そうだ」
今日はもう一つ、貢物があった。
俺は美味しそうに焼けたサバを祭壇に乗せる。
「もし、俺とアドリエンヌの間に……その」
声に出すと恥ずかしいな。
けれど、これだけは言っておかないといけない。
「俺とアドリエンヌの間に子供が出来たら、大袈裟な加護とか与えないでください。特に面白そうだからって理由で余計なことをやらかしたら――」
俺は焼きサバを見つめた。
「国中にある悪戯と知恵の神の祭壇を、腐った魚で満たしてやる」
水盆に流れ込む水が止まった。怒りを表すかのように地鳴りが響き、体に圧力がかかる。理不尽な扱いを予告すれば、神が怒るのも無理はない。
「自分の子供に悪戯されたら、俺だって怒りますよ。あなただって、自分の子供を誘拐した国を滅ぼしたと神話に書いてありましたが」
地鳴りが止んだ。
水盆の水が跳ねて、教典に落ちる。
いつもの神託もどきだ。
――そうだったね。
理解してもらえたようで、何よりだ。
俺は焼きサバを取り下げ、桃のパイが入った箱を捧げた。料理人にお願いして焼いてもらった特注品だ。蓋を開けると甘く香ばしい香りが広がる。
水盆に流れ込む水がいつもより増え、俺は慌てて教典を避難させた。そうか、神は甘い菓子がお好みか。早く言ってくれれば、もっと用意したのに。
水の中には花びらまで混ざっている。テンション上げ過ぎじゃないのか。次は生クリームでデコレーションしたケーキとか捧げてみようかな。
「あ。水が止まりそう……」
生クリーム系は好みじゃないらしい。反応が分かりやすい神様だ。
床が濡れたので神官に詫びてから祠を出た。待っていた馬車に乗り、城へと戻る。城門を潜って中庭で降りると、アドリエンヌが待っていた。
「お帰りなさいませ」
俺が馬車を降りるところに合わせ、いつものように完璧な礼で出迎える。
「ただいま。待たせたね」
「いいえ。大切な公務ですので、お気になさらず」
あまり公務らしい気はしないけどね。手土産持って神様に愚痴を言っていることがほとんどだから。
俺はアドリエンヌを伴って城の中へと入る。
この後は新しく制定する法案についての会議だったっけ。それが終わったらエクトルが面会を求めていたなぁ。近いうちに増えた領土も見て回らないといけないし、もう少し休みが欲しい。
「クリストフ様。いつか、二人だけの時間をいただけますか?」
アドリエンヌから珍しい誘い方をされた。
これは、あれか。数分じゃ用事が終わらないから、しっかり時間を空けてくれと。彼女の様子からすると、色っぽい話じゃないんだろうな。
「分かった。でも、どうして?」
用件だけは聞かせてくれと頼むと、アドリエンヌは淑女とも騎士ともとれない表情で俺を見上げた。
「クリストフ様、私と決闘して下さい」
ああ、そういうこと。




