婚約破棄、馬上槍試合の春2
結論から言うと、駄目でした。
アドリエンヌは俺が用意した代理人をあっさりと下し、大会への出場権を勝ち取ってしまった。馬上にいるアドリエンヌは全身を鎧で包んでいるので表情は見えないが、きっと輝くような笑顔で喜んでいることだろう。
彼女の顔が見えないことが悔やまれる。天使のような微笑みも素敵だが、喜びを全面にした笑顔もまた素晴らしいことだろう。一日中、アドリエンヌの側にいたい。
婚約者なんだから、王城に住んでもいいじゃないか。そうすれば、おはようからおやすみまでアドリエンヌの側にいられるのに。
俺のアドリエンヌへの想いはともかく。
「マジか」
俺は立場も忘れてつぶやいた。王子たるもの、言葉遣いにも気をつけるべきなのだが、状況が状況だけに許してもらいたい。
「申し訳ありません」
負けた代理人が俺の前に膝をつく。鎧には落馬した際に泥がついていた。
俺が代理人として選んだ男、ケヴィンは護衛の中でも特に腕が立つ。歳は二十台半ば。精悍な顔つきと逞しい体格の持ち主で、ご婦人がたの評判もいい。
どんな相手に負けても心を病まない実力者を探していたところ、ケヴィンが引き受けてくれたのだ。
「何となく予想はつくけど、敗因は?」
「言い訳のようであまり言いたくないんですが、やはり的が小さいことかと」
「……そうだよな」
俺は馬を転回させて駆けてくるアドリエンヌを見た。アドリエンヌは平均的な女性の身長だ。ドレスを着ればたおやかな令嬢にしか見えない。そんなアドリエンヌが鎧を身につけたところで、屈強な騎士の体格からはかけ離れているのだ。
槍試合は直線の敷地内で行われる。両端から馬に乗って疾走し、近づいてくる相手を試合用の槍で倒す競技だ。両者の間には柵が設けられているので、槍以外がぶつかることはない。
説明だけだと簡単そうに思えるが、なかなか難しい。槍を当てる場所は胸部に限られ、相手の頭や馬に当てると失格になる。揺れる馬上で槍を保持し、相手の姿勢を崩す場所を的確に攻撃しなければ、勝ちとは認められないのだ。
「それともう一つ」
ケヴィンはため息をついた。
「深窓の令嬢にしか見えない相手に槍をぶっ刺すってのは、ちょっと」
「それについては申し訳なかった」
俺は試合前に正体を明かしていたことを深く謝罪した。
「いや、まあ、命令なら大抵のことはやるんですがね。殿下との打ち合いで実力があるってのは分かりましたし」
打ち合い、なんて言葉を選んでくれているが、俺は木剣を持って攻撃を捌いていただけ。適度に動くカカシだ。アドリエンヌのためなら、俺は喜んで的になる。
「せめて顔は隠しておいてほしかったっす」
「ほんとゴメン。報酬を追加しておくから許して」
「主人の願いなら仕方ない。胸の内に収めておきましょう」
ケヴィンは楽しげに笑った。歳が近いということもあるが、飾らない性格で話しやすい。
「アドリエンヌには、代理人が実力を認めないと出場させないと言ってあるが」
「実力なら問題ないでしょう。実力なら。新人の騎士なんかよりも、よっぽど強い」
含みがある言い方だ。
「そうだな。アドリエンヌには、決して正体を明かさないよう言っておかないと」
「それがよろしいかと。ええ、プライドを拗らせた男は厄介です。俺は違いますが」
幸いにもケヴィンは厄介な男の範疇には入らないようだ。彼にはアドリエンヌへの特別教育費として厳選した酒を数本、贈呈したのが効いたようだ。また何かあれば引き受けますよ、と男らしい笑みを浮かべた。プライドで飯は食えないと知っている顔だった。
*
念願の馬上槍試合に出場することになったアドリエンヌだが、俺が提示した条件には素直に従ってくれた。性別も顔も明かさずに出場した試合では数々の猛者を倒し、初登場ながら準優勝にまで上り詰めてしまった。
しかし試合を終えたアドリエンヌ本人は、己の成績に不満そうだった。鎧姿のまま俺の前に膝つき、首を垂れる。その所作に隙はなく、どこに出しても恥ずかしくない騎士だった。
俺はアドリエンヌという令嬢と会っているはずなのだが、前線で戦況報告を聞いている気分になるのは何故だろう。
「クリストフ様。優勝を勝ち取れずに申し訳ございません」
「いや、十分すごいよ……初登場で準優勝って、そうそう出来ることじゃないよ?」
俺は『大会で活躍した小柄な騎士』についての問い合わせを握りつぶした。斜め読みした手紙には、ぜひ我が家に招き入れたいので取り次いで欲しいという内容が書かれている。
もちろん却下だ。
中身がアドリエンヌだということは、彼らの精神のために伏せておくべきだ。自分の国の騎士団を精神面で追い詰めて瓦解させることがあってはならない。時代が追いついていない、そう言うことにしておこう。
「いいえ、クリストフ様には完全なる勝利が相応しい。より強くなれるよう出直して参りますので、婚約は――」
「結婚は延期するって言ったら、俺は君から剣を取り上げないといけないが」
アドリエンヌが泣きそうな顔で、それだけはと懇願した。危ないところだった。年に一回の試合に優勝するまで結婚しませんなんて言われたら、いつになるか分からない。
彼女との戦いは始まったばかりだ。