掌握、混乱の冬
「クリストフ様、剣が私を呼んでおります」
冬のある日のこと、アドリエンヌが物騒なことを言い出した。いつものことではあるけれど、今日は少し様子が違う。
まず覇気がない。目は虚ろで手が震えている。身なりは侍女によって整えられていたが、彼女たちの技術でも補えないほど、髪に艶がない。ついでに肌もくすんでいる。
禁断症状か。
少し様子が違うって言ったけど、だいぶ違うね。嘘ついてゴメン。アル中患者みたいってストレートに言えば良かった。
雪が降る前に視察を終え、一週間ぶりに帰ってきた俺は、アドリエンヌの変わり果てた姿に泣きそうになった。決して悪霊のような姿に怯えたからではない。あまりに……そう、不憫で!
「アドリエンヌ……」
作物を収穫する秋から冬にかけて。雪で閉ざされるまでの間は業務が盛り沢山だ。食料不足にならないよう集めた税から再分配したり、魔獣を狩って間引きする。
国民を飢えさせないようにした結果、回収する税金は毎年変わる。豊作なら多く取れるし、凶作なら低い。その税金を元にして、領地を持たない貴族や騎士、城で働く者への給料を出している。それから来年の予算を組んだり、公共事業の計画を立てたり。あとは領地から出てきて税金の申告に来た貴族と交流したりと忙しい。
面倒な話が続いたが、つまり忙しすぎて剣を振る時間が無いらしい。今までは隠れて寝室で振っていたけれど、予定が詰まっているせいでプライベートは睡眠ぐらいしか無いのだ。
王妃は王妃で仕事があるし、俺の不在間は代理として応対しないといけないからね。
「じゃあ、そこの護衛を使ってストレス発散してくる?」
「よろしいのですか……?」
ケヴィン、あからさまに嫌な顔をしないで。俺が相手出来ればいいけど、不在間に溜まった仕事を片付けないといけないから。さもないと補佐のローランが俺をイスに固定するんだよ。
俺はアドリエンヌにサーベルを持たせた。
「ケヴィン一人だと可哀想だから、訓練場にいる騎士と試合してて。でも人前で鎧は取らないでね。会話はケヴィンを通じてやること」
「クリストフ様……ありがとうございます!」
輝きが戻ったアドリエンヌは、用意して参りますわと言い残して去っていった。サーベルに触れた途端に輝きが戻り、大輪の花の幻影まで見えた。凄まじい超回復だ。あまりの美しさに眩暈がした。
何だあれ。室内なのに光が差して歌声の幻聴まで聴こえてきたよ。
ところで『用意』って言いながら奥へ行ったようだけど、鎧はどこに保管しているのだろうか。槍試合で使ったものは、小柄な彼女に合わせた特注品だ。まさか王妃専用の衣装部屋の中に紛れ込んでいるのか。
持ってきたのか。あれらを。嫁入り道具として。
「ドレスと鎧が並んでるって、想像したらすごい光景だよね。来年にはもう一揃い増えてそう」
「特殊合金に関する情報を集めておられるという噂を聞いたことが」
「聞かなかったことにしてもいい?」
ケヴィンからありがたくない情報がもたらされた。その特殊合金について知りたがっているのが誰か、特殊合金で何を作りたいのか、聞かなくても予想できる。彼女のことだから、王妃が使える予算の範囲内で作るに違いない。
「とりあえず訓練場にいる騎士には、飛び入り参加希望者がいるって伝えてきてくれ」
「よろしいのですか」
「あの復活ぶりを見ただろう? 公務に差し支えそうなレベルで弱ってたじゃないか。何なら、君が相手をする?」
「いいえ。すぐに伝えて参ります」
アドリエンヌの事情を知っているケヴィンは、惚れ惚れするほど見事な敬礼をしてから走り去っていった。よっぽど相手をしたくないらしい。気持ちは分かる。バーサーカーの化身かと思うぐらい強いんだよ。
執務室に戻った俺は、待っていた全身鎧の騎士と鉢合わせた。着替えるの早いな。新手の魔獣かと思って警戒したじゃないか。
ソワソワと落ち着きがないアドリエンヌ改め小柄な騎士に、訓練場へ向かうよう告げた。小柄な騎士は喜びを全身で表し、伝令から戻ってきたケヴィンと共に訓練場へと走っていく。
アドリエンヌよ。嬉しいのは分かったから、全速力で走らないで。軽装なのに置いて行かれたケヴィンの立場がないだろう。ケヴィンの身体能力と強化魔法の合わせ技でも追いつけないって、どんな速度なの。
あと侍従から全身鎧の不審者がいたと苦情が寄せられたんだけど、もう面倒だから幽霊だよって言ってもいいかな。
「クリストフ様、まずはこちらの決済から……」
「ああ、さっそく終わらせようか」
事情を知った上で完全に無視をすることに決めたローランが、書類の束の中から優先度順に並べていく。
こんな時は遠慮を知らない男の態度がありがたい。窓の外からいかに悲鳴や怒号が聞こえてこようとも、全く動じずに無言の圧力をかけてくる。早く仕事をしろという訴えのお陰で、俺の作業効率も上がった。
無表情で目に光がないって怖いね。ローランはもともと表情に乏しいと思っていたけれど、普段はいかに感情豊かなのかを思い知らされた。
しかし恐怖を感じたのも最初だけ。俺の帰還を待っていた文官から不在間の報告を聞いたり、決済待ちの案件にサインをしていると、段々と薄れてきた。事務能力が平凡な俺が効率よくできるよう、順番を差し替えたり注釈を入れてくれている。
早く終わらせて休みたいという本人の思惑もあるだろうが、俺としては助かっている。優秀な補佐がいると楽だなあ。こっそり給料を上げておくか。
ところで先代の父上と母上はどこへ行ったのだろうか。城にいたら仕事を押し付けようと思っていたのに。夏頃に旅行へ行くと言ったきり、姿を見ていない。どこに行こうが構わないけれど、人様に迷惑をかけることは止めてほしいなあ。
午後のお茶の時間になり、ようやく外が静かになってきた。あらかた片付いたことで、ローランも人間らしさを髪の毛一本分ほど取り戻し、休憩を提案してくる。
「そろそろアドリエンヌも満足しただろうし、様子を見てくる」
「応対した騎士への差し入れも必要かと」
「……そうだね」
会話はケヴィンを通せと言ったから、正体に気づかれてはいないはず。顔も知らない奴に蹂躙された側は、プライドが折れているかもしれない。プレゼント攻撃でどこまで回復するか分からないが、何もしないよりはマシだろう。
俺の名で適切な品を見繕うようローランに伝えてから、散歩を兼ねて訓練場へと向かった。進むにつれて人のざわめきが増えてゆき、訓練場の入り口には人だかりができていた。非番の騎士が集まっているらしい。
俺に気がついた者が周囲に促して、道を空けてくれる。存在感がなくて気がついてもらえなかったらどうしようと不安だったが、俺はちゃんと王として認識されているようだ。
だが周りに礼を言ってから訓練場をのぞいた俺は、見なかったことにして帰りたくなった。
まるで復活した魔王に対し、勇猛果敢に立ち向かう勇者たちのような光景だった。
不屈の強さを誇る小柄な騎士に対し、我が国の騎士はたやすくねじ伏せられている。しかし諦めることなく、斬り捨てられては起き上がり、蹴り飛ばされても味方の回復魔法を受けて復活、連携して襲いかかっていた。
うちの騎士団、そんなに団結力が高くないって聞いてたんだけどな。平民と貴族の差だとか、犬に食わせたいレベルのプライドだとか、主にそんな理由で。共通の敵が現れたことで、一致団結してしまったのか。
「……なるほど、帰ってもいいかな」
「駄目です」
俺を見つけて近寄ってきたケヴィンに即答された。最近ではローランの影響を受けて、遠慮を捨て始めている。危険な兆候だ。
「邪魔したら悪いだろう」
「回復役の魔力が尽きそうなので。警備の仕事に差し支えが出ますよ」
「それなら仕方ないな」
しかし熱中している奴らを止める方法などあるのだろうか。呼びかけても聞こえていないだろうし。よくある大きな音で気を引くことも考えられたが、あの興奮した様子では、敵襲と勘違いして襲いかかってきそうだ。
俺は悩んだ末に、最終手段に出ることにした。
「今すぐ試合を止めないと、訓練場への立ち入りを禁止にしちゃうぞ」
「お呼びですか、我が君」
俺の目の前に小柄な騎士が現れた。片膝をついて命令を待つ、完璧な姿だ。
突然の動きにケヴィンは剣に手をかけようとしており、集まっていたギャラリーは後ずさった。まだまだ甘いな。俺なんてびっくりしすぎて動けなかったよ。これが暗殺者だったら、知らないうちに死んでいる。
アドリエンヌは全身から揺らぎに似た魔力を発していた。身体強化魔法の影響か。
「……大丈夫?」
「ふ……予想の範囲内ですわ。酸素が不足して多少のふらつきはありますが、これもまた鍛錬」
なるほど、放置したら駄目なやつですね。俺が来るまで、休憩もせずに鎧姿で動き回っていたらしい。どんな体力だ。
俺は兜の留め金を外し、アドリエンヌの頭部を解放した。冬の外気に触れたアドリエンヌは、大きく呼吸をして新鮮な空気を取り入れる。
大量の汗をかいていても、彼女は輝いて見えた。好きなことに打ち込んでいることがよく分かる。少しも疲れた様子を見せず、むしろ物足りないといった顔だ。こんな表情を見せられて、辞めろなんて俺には言えない。
「冬の空気が心地よい……」
「アドリエンヌは適度に休憩することを覚えてね」
王妃としての業務をしっかりこなしてくれるからこそ、時間が許す限り好きなことを続けてほしい。俺が協力できる範囲で、という条件付きではあるが。
「陛下」
俺がアドリエンヌの顔をハンカチで拭いていると、ケヴィンが申し訳なさそうに会話に割り込んできた。
「何?」
「人前で取ってもよろしかったので?」
訓練場は静まりかえっていた。集まっている誰もがアドリエンヌに注目している。
「あ」
忘れてた。
小柄な騎士は謎の存在って設定だったっけ。




