オーギュスト
王族が生活をしている区画には、必ずと言っていいほど絵画が飾られている。
行政の場である『表』と違い、個人的な場である『裏』は歴代の王の好みで内装が変わる。クリストフはあまり美術品に興味はないらしく、王位を継いでも今までは内装に手を加えることはなかった。
「どうして急に内装を変える気になったんですかね?」
オーギュストは前にいるローランに小声で問いかけた。視線の先ではクリストフが面倒そうに絵画を選んでいる。クリストフなら直接話しかけても気軽に答えてくれるが、今は邪魔をしたくなかった。
「経済の活性化のためだ」
補佐役であるローランもまた、だるそうな顔で美術品を眺めていた。
「活性化、ですか?」
「そうだ。金を持つ者が金を使い、それを受け取った者が別のことに金を使う。経済とは金を使わねば停滞する。血液のようなものだ」
「はあ、そうなんですか」
オーギュストは難しい経済の話には興味が持てなかった。つまりどういうことだと思って、その時点で理解することを放棄する。これが魔法に関することなら、いくらでも考えてられるのに。
そんなオーギュストに生ぬるい目を向け、ローランは穏やかに言い直した。
「金を魔力と考えてみろ。魔力が欠乏して魔法が使えなくなっても、金という名の回復薬を投入すれば、また魔法が使えるようになるだろう」
「ああ、そういう事ですか」
貴族が金を使うことで、受け取った庶民が潤う。その庶民は生活のために金を使い、他の庶民の手に渡ってゆく。
「美術品へ投資することも経済活動の一つ。特に王が代わる頃は出費が多くなると睨んだ商人が取引を持ちかけてくるのだ」
「じゃあ美術品を買うってことですか?」
「いいや」
ローランはあっさりと否定した。
意味が分からない。オーギュストは結論が見えない疑問に首を傾げる。
三人がいるのは収集した美術品を保管している部屋だ。オーギュストは護衛兼運搬係として連れてこられた。美術品を買うなら城へ商人を呼びつけて選ぶが、その気配は全くない。
「予算には限りがあるからな。幸い、陛下は華美な装飾を好まないと知れ渡っている。しかし慣習として内装は変えなければいけない」
「もしかして、手持ちの美術品で誤魔化そうと……?」
「人聞きが悪いことを言うな。これらの品は価値を再評価されて表に出てくるのだよ。いいか、価値があるから飾られるのではない。陛下に選ばれたから価値ができるのだ」
ものは言いようだ。華やかに見える貴族文化だが、内情はどこも似たり寄ったりなのかもしれない。
「クリストフ様。微力ながら加勢に参りました」
ゆったりとした淑女らしい動作でアドリエンヌが現れた。美術品に囲まれた中にあっても存在感を失うことなく、むしろ全ての芸術が彼女の引き立て役かと錯覚を抱かせる。大輪の白バラのように微笑みながら、最愛の夫の隣へ並んだ。
そんなアドリエンヌに怯まず、側に立てるクリストフも凄いものだとオーギュストは思う。霞むどころか、伴侶であることに納得させられるほどの容姿と振る舞いで他者を圧倒している。ここまで外見に差があると、もはや嫉妬すら湧かない。
「アドリエンヌ。助かるよ」
クリストフは爽やかに微笑んでアドリエンヌを出迎えた。ローランによると表情筋が優秀すぎるだけで、中身はそこらの残念な男と変わらないらしい。とてもそうとは見えないが、長く補佐をしているローランが言うなら、そうなのだろう。
「これは……まあ、私の幼少時の肖像画。保管していらしたの?」
「君に関するものは全て保存したいからね」
あの王妃の幼少時、と聞いて興味が出てきた。
本のように並べられた絵画のうち一枚が引き出され、手前の床に立てかけられる。オーギュストは後ろから覗き見て、次いでアドリエンヌの横顔と見比べた。
己が見たものが信じられなくて、三度見したところでローランに止められた。
「気持ちは分かるが、真実だ」
「えっでも。え? 本人?」
そこには髪を短く切った子供が描かれていた。全体的に筋肉質かつふっくらとした体格で、健康的すぎる男の子にしか見えない。えんじ色のドレスを着ていたが、ふざけて姉妹のものを借りた悪ガキと言われたら納得してしまいそうだ。
現在のアドリエンヌとの共通点といえば、金色の髪だけ。薄青の瞳は、頰肉に押し上げられて糸目になっており、よく分からない色に塗られていた。
この子がこのまま成長すれば、それはそれは逞しい騎士になっているだろうなぁ――そんな輝く未来を感じさせる絵だった。
「昔の姿を陛下にお見せするのは恥ずかしいですわ」
「なぜ? 今も昔も君の魅力は変わっていないよ」
「正気か」
二人の世界を構築しているため、オーギュストの声は届かなかった。聞こえていたら不敬罪として処分されるかもしれない。
「あれで正気だよ、陛下は」
気持ちは分かる、と言いたげなローランがオーギュストを肖像画の前から引き剥がす。オーギュストを咎めなかったのは、彼もまた同じ感想を抱いているからだろう。
「懐かしいなぁ。初めて出会った頃のアドリエンヌだ。男の子と勘違いしてたんだよ」
「ふふっ。クリストフ様、間違いは誰にでもございます」
クリストフとアドリエンヌが昔を思い出しながら絵を眺めている。本人達にとっては美しい思い出なのだろう。
「こっちは二年後だね」
「あら。いつの間に描かせたの?」
引っ張り出された絵を見て、オーギュストは顔が引き攣った。
幼いながらも美しさを纏った少女がいる。肩にかかる金の髪に白い花をつけ、頬をバラ色に染めている。少し不安そうな瞳は澄んだ薄青色。同じ色のドレスからのぞく両手は華奢で、深窓の令嬢そのものだ。よほどひねくれている者でない限り、誰が見ても美少女だと称賛することだろう。
成長した姿がアドリエンヌになることは、容易に想像できる。
「二年間でいったい何が……?」
二枚の肖像画を見比べ、オーギュストは思わず口走ってしまった。今度はアドリエンヌに聞かれていたらしい。オーギュストを見上げ、困ったように微笑まれる。
「夢を応援してくださったクリストフ様と、釣り合うようになりたかったのよ」
「アドリエンヌは昔から努力家だからなぁ」
「だいぶ、その、印象が違うんですが。努力でどうにかなるもんなんですかね……?」
「言うなれば、愛の力ですわ」
「アイ」
人を別人レベルにまで改造してしまう愛とは。むしろ呪いの影響だと言われた方が信じられる。
「少しの節制と鍛錬で、人はどこまでも変われます。もちろん、クリストフ様のように支えてくださる方がいれば、なお効果がありますわ」
「いやいや、アドリエンヌが変わったところがあるとしたら、君が努力したからだよ」
クリストフは過去のアドリエンヌについて疎ましく思っている様子などないようだ。肖像画が劣化していないか点検し、二枚とも優しく棚へと戻している。彼にとってはどちらも過去のアドリエンヌなのだろう。外見で判断しがちなオーギュストには、なかなか真似できそうにない。
クリストフとアドリエンヌは風景画を収めている棚へ移動した。どの部屋に飾るのか二人で相談し、一枚ずつ選んでいく。仲睦まじい背中を見て、オーギュストはつぶやいた。
「愛と呪いって同じ分類なんですかね?」
「あの夫婦は例外中の例外だ」
遠慮を犬に食わせたと噂の男、ローランはあっさりと吐き捨てた。




