採取、芸術の秋
平和な時代が続くと文化が発展する。ここ数年は特に絵画への投資が目立つようになってきた。貴族が自分好みの絵を描く画家を囲うのはもちろんのこと、自ら筆をとり趣味として楽しむ者もいる。
アドリエンヌの父、ルヴィエ公爵もまた絵画の魅力に取り憑かれたうちの一人だ。自宅の庭にアトリエを設け、季節の移り変わりを描く優雅な時を楽しんでいるらしい。
以前、俺は仕事で訪れた画廊でオーナーに感想を求められ、大いに困ったことがあった。絵の良し悪しなどまるで興味がなく、苦し紛れに目の前にあった絵が一番好きだと言って訪問を終わらせたのだ。
俺が適当にイイネと言った絵。それはルヴィエ公爵が描いたものだったらしい。画廊でのエピソードは、俺が大絶賛していたとねじ曲がって本人に伝わり、いたく感激されたと人伝に聞いている。
仕方ないだろう。
まさか『ハチミツ大好きクマちゃん』というふざけた名前で活動しているのが、未来の義父だとは思わなかったんだから。古代語で名付けているから、教養のある人なんだろうなとは思ったけれども。
髭面のおっさんが、クマちゃんだぞ。クマちゃん。誕生日にハチミツ贈ったら喜ばれたわ畜生が。
それはともかく。
この『絵画絶賛事件』以降、アドリエンヌとの仲を認めてもらったのはいいが、同好の士と思われているのは辛い。慌てて絵画に関する知識を身につける羽目になり、一枚の絵に詰め込まれた情報の多さにドン引きしている。未だに絵の中に隠された意図を読み取るのは苦手だ。
何で隠すの。
明るい色彩で子供たちが輪になってる絵のくせに、影からガイコツが忍び寄ってるから政権の栄枯盛衰を表しているとか、ブローチをしていない子供の家は没落予定とか、後ろを向いている子供の家はクーデター準備しているとか、言われないと分からないよ。
堂々と表に出してくれよ。
絵の見方で教養が分かるなんて、そんな陰険な判別しないで。俺の薄っぺらい教養が剥がれる。
だから俺は多くを語らず、好きか嫌いかしか言わないことにしている。
*
久しぶりに訪れたルヴィエ公爵のアトリエには、何に使うのか分からない品で溢れていた。石や動物の骨、果ては宝石の原石まで、棚に入りきらずに床に置かれている。
「陛下をこちらへお招きできて光栄です」
アトリエの主人は、そう言って俺とアドリエンヌに椅子を勧めた。空いている場所に背もたれのない椅子が三つ用意してある。絵を描くときに座る、クッションがない形だ。
かしこまった部屋に通されるより、雑多なものに囲まれたアトリエの方が俺は好きだ。
「以前に来た時よりも、色々、増えているようですね」
俺がそう言うと、ルヴィエ公爵は嬉しそうに頷く。誰かに話を聞いてほしい人の反応だ。話が長くなる気がする。
「実は、絵の具を作ることに目覚めまして」
「なるほど、絵の具を」
コルヴィエで最も勢いがあるのは油絵だ。色の素となる顔料は粉状で、そのままだとキャンバスに定着させられない。そこで糊となる油と混ぜてから塗る技法だ。
色の素となる顔料は様々な材料から作り出されるが、好みの色を作るために混ぜ合わせたり、自作する画家もいる。優れた画家は色を作り出すのも上手いそうだ。
アトリエに転がっているのは、全て顔料を作るための材料だったらしい。
「たとえば、この白い貝殻。光の加減で輝いて見えるので、真珠を描くには最適ですよ」
ルヴィエ公爵は二枚貝をすり鉢に入れ、豪快に砕き始めた。控えめに言ってうるさい。
「こうやって丁寧に粉にするうちに、心の中にあった邪念が浄化されていくのです。終わらない仕事や妨害してくる敵も、こうしてすり潰せたらいいんですが」
「えぇ……」
「こちらの石の中にはサファイアの原石が隠れています。石を割って選別する作業は手間がかかりますが、これが美しい色へ変わると思えば疲れも吹き飛びますね。ええ、反抗的な敵兵も、これぐらい簡単に口を割ってくれたら楽なんですが」
駄目だこの人。病んでる。
もはや顔料を作ってストレス発散することが目的になっていないだろうか。
「陛下が今日つけておられるタイピンは、どちらでお求めに? なかなか素晴らしい品ですな」
「ああ、これはアドリエンヌから貰った物ですよ。気に入っているので、よく身につけてます」
銀細工に小さな蒼玉がついたタイピンだ。国王の服装には規定があるので公務中は着けられないが、個人的な外出ではよく使っている。
「見事な青色です。いい絵の具になる」
褒めるのそっちかよ。
「顔料にしたい時は、いつでもご相談ください。石を砕く、いい道具を知っておりますので」
どんな誘い文句だ。
「クリストフ様。気分転換が必要な時は、いつでもその石を使って下さいませ」
アドリエンヌよ、聖母のような微笑みでプレゼントを壊せと言わないで。ストレスは溜まってるけど、しないから。
「折角ですから、私達も絵の具を作ってみませんか?」
「おお、それは素晴らしい。絵の具は鮮度が一番だからね」
愛娘の提案に、ルヴィエ公爵は顔を綻ばせる。
鮮度。初めて聞いた。
いやしかし、時間の経過と共に褪せてしまう色もあると聞いたことがある。
「うん、面白そうだね」
俺が興味を持ったことで、義父はますますご機嫌になった。
「まずは行きつけの岩山へ行きましょう。黄色と一部の赤色は、あの岩山で集められます」
行きつけの岩山とは。庶民の飲み屋感覚で行くものなのか。
ルヴィエ家にとっては常識なのか、アドリエンヌは当然のような顔をして話を聞いている。
そうか、ここでは俺が異端か。
「緑色は私が育てている緑青をお見せいたしましょう」
「育て……え? 育てる?」
「いい青銅の塊を入手しましてね。屋敷の裏に置いて劣化させると、表面が青緑になるんです。それを削って集めているわけですな」
絵の具の材料を作ることを、育てるって言うのか。公爵独自の表現なのか、それとも画材界隈では当たり前の用語なのか。深入りしたくない世界が広がっている気がする。
「では、例えば……黒色はどのような素材を?」
「それは粉砕した動物の骨を焼くのです。私のお勧めは、やはりヘルホースの前脚かと」
それ魔獣です。
火山地帯に棲む二本の角が生えた馬型魔獣で、縄張り意識が強く、人を見ると高確率で襲ってくる。馬型だが飼い慣らすことは不可能。人里に出てくることは滅多にないが、たまに畑を荒らすので討伐対象になりやすい――コルヴィエ王国魔獣辞典より。
「火食い鳥の骨もいい艶が出ますが。陛下はどちらがお好みでしょうか?」
「見比べたことがないので何とも……」
知っていること前提で話を進めないで。どっちも凶悪な魔獣じゃねえか。調達することが、まず命懸けだ。
「お父様、赤色は何を材料としているのでしょうか?」
魔獣が材料と聞いて目を輝かせているアドリエンヌが、赤い顔料を指して言った。彼女は調達することに興味を持っているようだ。今から一狩り行きましょうと言わないことを願う。
「この赤は、虫から抽出したのだよ」
ルヴィエ公爵は黒い粒が入った瓶を棚から持ってきた。よく見ると小さな虫が入っている。虫と判明した途端に鳥肌が立ったが、長袖のお陰で知られずに済んだ。
「陛下、これは南国の植物につく虫です。他の材料が届いていれば、抽出作業を見学していただけたのですが」
俺にとっては朗報です。
「この虫以外だと、火竜の鱗を使うこともありますよ」
「まあ。火龍を?」
武闘派お嬢様が食いついた。俺がアクセサリーを贈った時よりも嬉しそうだ。悔しいから、今度は剣を見繕ってみようかな。
「火竜の鱗。危険では?」
俺が聞くと、ルヴィエ公爵は穏やかに首を振った。
「いえいえ、巣の近くに落ちている鱗を、竜に見つからないように集めてくるのです」
世間ではそれを危険と言うのだが。
「私も回収しに行きましたが、案外大丈夫なものですよ。ま、上着は使い物にならないほど焦がされてしまいましたがね。ははは」
「あら、お父様ったら。ふふっ」
誰か俺に笑うポイントを教えてほしい。
常々アドリエンヌの性格は誰に似たのかと思っていたが、父親譲りだったようだ。好きなものへ情熱を傾けるあまり、簡単に常識の範囲から逸脱している。
「竜の鱗のみを使って描くことは、画家の夢ですよ。赤い火竜の鱗に、青い水竜の鱗、雷を纏う竜の黄色。この三色で、理論上はあらゆる色を作り出せます」
「その色を調達する前に、いくつ命が必要なんだろうな……」
「陛下。芸術とは、常に命懸けなのです」
ずいっと迫るルヴィエ公爵が怖い。目から光を消さないで。
「陛下が私の絵を気に入って下さったお陰で、私が描いた絵は批判されずに済みました。ですが政権批判をした画家の多くは、裏の意味を読み解かれて世間から抹消されてしまうことがあるのです」
俺がルヴィエ公爵の絵を褒めたのは、一枚だけだ。確か花畑で蜂蜜を塗ったパンを、うっとりとした顔で眺めている熊だった。そんなご大層な意味があったのか。
「お父様は、あの絵にどのような意味を?」
アドリエンヌが尋ねると、ルヴィエ公爵は若気の至りだよと前置きをした。
彼は国のためになる政治をしようと常々公言している。時には父上と意見が衝突することもあったが、それは愛国ゆえのことだ。父上もそんなルヴィエ公爵のことは評価しており、わざわざ訪ねて行くこともあったという。
耳に心地よい意見ばかり言う奴は気をつけろ――父上の教えの一つだ。
そんなルヴィエ公爵が絵に隠さなければいけないほどの言葉とは。俺とアドリエンヌが見つめる中、ルヴィエ公爵は疲れたような笑みを浮かべる。
「ハチミツ美味しい、さ」
直接言え。




