ジェラルド
手に馴染んだ剣の重さが懐かしい。先王ジェラルドは武器を鞘に収めて立ち上がった。
「前線に送る荷物は、これで最後か」
「はい。滋養のある食事を、というクリストフ様の命令通りに」
馬車には木箱が積んである。中に入っているのは数種類の薬草と調味料、乾燥させた野菜だ。
野菜はエクトルが技術者と開発したという手法で、紙のように軽く加工されている。凍らせて乾燥させると説明を受けたが、ジェラルドには原理までは理解が及ばなかった。とにかく長距離輸送に耐え得る食料を作った、ということらしい。分からないなりに画期的な技術と感じ、必要経費を与えていたのが功を奏したようだ。
――俺なんぞよりも、クリストフの方がエクトルのことを理解している。それで十分だ。
エクトルが何かを作るたびに大袈裟に誉めていると思っていたが、こうした未来を予想していたのだろうか。次々と作り出される奇妙な道具を悪く言わなかったのは、恐らくクリストフだけだろう。
クリストフは波風を立てることを極端に嫌う。他人との協調を選び、時には誰もが見向きもしないことを支援している。だがそれは時間をかけて大きな成果となって返ってくるのだ。
「ジェラルド君、待たせたわね」
愛妻であるレティシアが優雅な足取りで馬車の側へ来た。いつものドレス姿ではなく、平民が着るような質素なスカート姿だ。だが目の肥えた魔導士が見たなら、それがただの服ではないと気づくだろう。
生地には魔法との相性が良いミスリル蚕の糸が使われ、強化魔法を使わずともナイフ程度なら余裕で防いでくれる。日差しと埃よけのために羽織っているようなローブは、内側に魔法への備えが刺繍されていた。敵の魔法攻撃を弾き、何倍も威力を高めて相手に返す効果がある。
レティシアが持っている杖や靴にも、何かしらの効果が付与されているそうだが、詳細は聞いていない。女の秘密よとはぐらかされたので、きっと恐ろしい効果があるのだろうとジェラルドは思っている。
「愛する妻の身支度なら、いくらでも待つさ」
「あらあら、そう言われると急ぎたくなるわね」
馬車の空いたところにレティシアを乗せた。用意ができたことを知らせると、御者台にいる兵士が馬車を発進させる。馬車は全部で四台。ジェラルドは愛馬に跨り、馬車を守る護衛と共に並走した。
比較的、平和なコルヴィエといえども積荷を狙う賊への備えは必要だ。武装した騎士相手に無茶をする者はいないだろうが、何事にも例外はある。
「懐かしいわね。貴方が王子だった頃は、暗殺者から逃げるために国境付近によく潜伏していたもの」
「ああ。お陰で王国の地理には詳しくなったな」
「あら、詳しいのはコルヴィエだけではないでしょう?」
悪戯を企むようにレティシアが微笑む。お互いに歳をとったが、彼女の美しさは変わらない。いつでも良き理解者として隣にあり、王位を退いても共に行動してくれる。
「若い頃は随分と無茶をしたものだ」
王子という身分に嫌気がさして隣国へ遊びに行くこともあった。息子と違い王子らしい風格など身に付いておらず、誰もが流浪の傭兵だと思って接していたのだ。
「その頃の経験が生きているから、良いではありませんか」
外国の侵略を退けられたのは、敵の気質を知り、地形に詳しかったからだ。人生、何が役に立つか分からない。エクトルの発明のように。
「国王として優等生でいるのは、性に合わない。俺は傭兵崩れが似合いだ」
クリストフは十分に成長した。多少の甘さはあるが、他人の意見に耳を傾けられるなら道を誤ることもないだろう。反クリストフ派を粛清ではなく心を変えさせることで味方につけた手腕なら。
「レティは城にいなくても良かったのか?」
ジェラルドが尋ねると、レティシアは拗ねたように目を逸らした。
「ジェラルド君だけ楽しもうなんて、許さないわよ。もう素敵な王妃は辞めました」
「そうかい」
「それに、貴方を匿った日に、とっくに心を決めました。私は一生、貴方の隣に立ち続けます」
馬車は王都を抜けて街道を進む。目的地である国境まで、まだまだ先は長い。
「では元王妃様、俺と一緒に魔獣退治でも始めませんか」
「ええ、よろしくてよ。久しぶりに思いっきり魔法を使いたい気分なの」
レティシアは杖を振った。白い光が馬車の後ろに現れ、角が生えた白馬へと変化する。彼女が使役する精霊だ。優雅に飛び乗ったレティシアは、ジェラルドの馬に速度を合わせた。
「お前達は予定通りに進め」
「かしこまりました」
輸送団をまとめている騎士に声をかけ、ジェラルドはレティシアを伴って街道を駆けた。
「まずはホーンブルを仕留めようか」
「そうね。前線にいる兵のために、滋養のある肉を狩りましょう」
かつて殲滅の魔女と恐れられた愛妻が笑う。彼女にかかれば、凶悪なホーンブルという魔獣もただの肉扱いだ。
魔獣の肉は家畜よりも栄養価が高く、特に労働者や前線の兵に好まれる。独特の風味を消すために何種類も香辛料を使うことと、危険な魔獣を仕留めなくてはいけないため、あまり市場に出回らない。
だが今回は前線に送れと王が命じた。国を守ったことに対する褒賞のため、貴重な薬草や香辛料も同様に集められることになった。そこへ面白そうだと思ったジェラルドが魔獣討伐に名乗りをあげ、レティシアも過去に使っていた装具を持って参戦することに決めたのだ。
王として国を背負う息子のため、裏方となって国を支える。己が王として君臨するよりも、はるかに国のためになるだろう。
「戦場で鬼神と恐れられたジェラルド君の剣が見られるのね。楽しみだわ」
「ふ……期待に応えねばならんな。レティが応援してくれるなら、竜ですら相手にしてみせよう」
背負った大剣が、主人の心に呼応するかのように淡く光る。
街道を馬で走る先王とその妻は、忘れていた新婚時代を思い出し、穏やかに微笑んだ。
なお、前線にはホーンブルの他に飛竜の肉が届いた。
潜入していた密偵は、国王からの差し入れだという情報や、肉の鮮度から、それが狩られて数日しか経っていないと判断した。また盗み聞きした会話の断片により、王族が仕留めた獲物であるとの確証を得る。
すぐさま本国への書状に『コルヴィエ国の王は自ら飛竜を狩り、前線に分け与える』と記して送ったという。




