即位、侵略の夏2
寝て起きたら、領土が拡大していた。
もう一度言おう。
即位式を終えて寝て起きたら、領土が拡大していた。何を言っているのか分からないと思うが以下略。
夜の間に何があったのだろうか。俺は一晩しか寝ていないつもりだったが、実は一年ぐらい時が流れていたのか。誰かそうだと言ってくれ。
「誰か、詳細を」
玉座に座る俺は、かろうじて王としての威厳を保つべく、短く問う。長く喋るとボロが出そうだ。
見た目だけは取り繕った俺の言葉に、集まった臣下の間に緊張が走った。互いに探るような視線を交わしあい、やがて元帥であるフランツ・ド・ジレが口を開いた。
「かねてより我が国への侵攻を企んでおりましたグリーエン王国が、昨夜、兵を挙げました。国境を越えて明らかに侵略の意を見せましたので、国境守備隊を以て撃破、追撃に至った次第であります」
厳格な老人の低い声が玉座の間に響く。平民からの叩き上げで将にまで上り詰めた老人は、先王である父上の右腕と呼ばれた傑物だ。
「そうか、追撃か」
現場を見ていないので迂闊なことは言えない。国境に配備された兵が必要と感じたからこそ、彼らは逆に国境を越えて敵を追い詰めたのだろう。
まずは国を守ってくれた者を労おうとした俺は、いつになく空気が張り詰めていることに気がついた。
どうしたと問うよりも早く、フランツ元帥が首を垂れる。
「申し訳ございません。グリーエンの首都までを献上したかったのですが、国境守備隊の戦力では如何ともしがたく……!」
当然のように献上されても困る。誰も国を落とせなんて言っていない。俺は別に追撃が手ぬるいと批判したわけではないのだが。
この国の人間って、こんなに血気盛んだっただろうか。もっとこう、大陸の端にある田舎王国って馬鹿にされるぐらい、のほほんとしてたはずなんだけど。
「陛下の治世に華を添えられなかったこと、甚だ遺憾ではございますが、どうか平にご容赦を」
即位してすぐに隣国を落とす王とか嫌だよ。
「許す許さないの問題ではない。皆は侵攻する敵を退け、この国を守り抜いてくれた。救国の英雄として偉業を讃えよう」
「あ……ありがとうございます。前線の兵らにも早速伝えましょう」
こちらが驚くほど、皆の姿勢が低い。俺が戦果に満足できずに暴れると思われていたのだろうか。ちょっと心が傷ついた。
「ときに、こちらの損害は?」
尋ねたいことは山のようにあるが、ひとまず敵を撃破した国境守備隊のことが気になる。友好とは言えない国と国境を接しているので、装備には気を使っていたようだが。失ったものは取り戻せないのだ。
「軽微です。人員、軍馬ともに欠員はおらず」
「……死者がいなくて何よりだ」
敵を国境で追い返しただけでなく、誰も犠牲にならなかったことに安堵した。暗い中での戦いだっただろうに、よく勝ったものだ。国境守備隊には後で栄養のあるものでも送っておこう。
次は領土が増えたことについて説明を求めようとした時、入り口に伝令が到着した。
「陛下、隣国の使者が面会を求めております」
「……通せ」
俺、まだ一日しか王様やってないんだけど。国内の地盤を固める前に、戦後の話し合いか。全ては隣国が悪い。そういうことにしておこう。
入室を許可されて入ってきた使者は、両側に並ぶ臣下の間を恐る恐る進む。可哀想になるほど青ざめた顔で膝をつき、俺への挨拶を口にした。
「お目通りが叶いましたことを感謝いたします。この度は我がグリーエン王国の兵が貴国に対し非礼を働いたことについて、しょじゅ――」
噛んだ。
「……書状をお持ちいたしました」
敵に囲まれた状態だもの。仕方ないね。この時ばかりは殺気立っていた臣下も、敵であることも忘れて同情していた。
見たところ、そこまで位が高い人物には見えないし、くじ引きで使者にされたのかもしれない。ここに来るまで、散々脅されたのだろうか。いきなり首を刎ねたりしないから、そんな捕まったウサギのような目で見ないでくれ。
護衛が書状を受け取り、罠が仕掛けられていないか調べてから、俺に渡された。長々と挨拶と謝罪が綴られ、全面的にグリーエン側の責任であると前置きがしてある。
もっとごねるかと思っていただけに拍子抜けだ。外交で弱みを見せると食い尽くされるのが常識だから、お前も悪いと言ってくるかと思っていたのに。現に国境侵犯を理由に隣国の一部を占領しているわけだから。
貴族らしい言い回しを解読して要約すると、そっちが奪った町をあげるから許してね、と書いてある。
「ここに記してある和平の条件だが」
俺が使者に発言を許すと、彼は必死に命乞いをするように饒舌に喋り始めた。
「ええ、はい。全てはそちらの要望通りに。人質の姫につきましては『輿入れなどと贅沢は申しません、どのような仕打ちにも耐えるので、グリーエン人の殲滅だけはご容赦を』と申しております」
「人質?」
書状を読み返すと、最後の方に書いてあった。文字が滲んでいることに、書いた人物の心情を察する。
人を勝手に残虐非道な王にするのは止めてもらえませんかね。一体、グリーエンでは俺の姿はどんな風に伝わっているのだろう。言葉の端々から滲み出る残虐感が酷い。
身に覚えのない風評被害に震えている俺は、左側から寒気を感じていた。さっきから喋っていないアドリエンヌの圧がすごい。浮気なんてしないから、光が消えた目で、瞬きもせずに見つめないでほしい。
「アドリエンヌ」
「殲滅ですね」
「違います」
小声で話していたお陰で、俺たちの会話は臣下や使者には聞こえていなかった。そうでなければ、以心伝心で隣国の消滅を狙う悪魔夫妻として有名になるところだ。
「俺はアドリエンヌ以外を妻にする気はないよ。愛人もいらない」
「ですがクリストフ様は王です。王として外国との外交を考えなければいけない時もございましょう」
「君以外の女性には興味がない。婚姻で結ばなきゃいけない外交なら、最初から交渉の席には着かないよ」
「あ、あら……そうですの?」
「うん、そこは安心して」
アドリエンヌの瞳に光が戻った。嬉しそうに頰を赤らめて微笑んでくれる。結婚してから発覚した彼女の怖さは、俺の困惑を鎮める副作用があったようだ。使者には追って連絡すると言い渡し、玉座の間から退出してもらう。
国賓として丁重にもてなすよう言いつけると、なぜか使者に絶望的な顔をされたのが気になる。本当に、国境からここへ来るまでに何があったのだろうか。まさか斧を持った蛮族に面白半分に追いかけ回されたのか。
いや、そんな蛮族うちの国にはいないけど。いないはず。
「人質は却下。領土はこの山脈の辺りまでもらうことにして、後は少額の賠償金と不可侵条約だ」
あまり強欲にするとよくないからね。ほどほどに絞っておかないと。
「陛下がそう申されるなら……」
「されど、グリーエンが示した土地よりも少なくなりますが」
俺が提案した案に、賛成と反対が同時に起きた。反対しているのは、主に文官側だ。
「新しく併合した土地は、慎重に統治しなければ。反感を持つグリーエン人がほとんどだろう。統治に手間取っているところを、グリーエン側から再び攻め込まれないとは言い切れない。グリーエンが示した町は、守りに向いていない地形だ」
フランツ元帥が俺が言いたかったことを代弁してくれた。険しい山は天然の要塞だと教えてもらったことがある。ある程度の賠償を取って、こちらが甘い相手ではないと他の国にも示さないといけない。
弱い国なりに存続するには、汚い手段も使わなければ。
「なるほど。まずは国力を高め、覇権国家としての足掛かりを築くのですね」
俺を支える賢妻の顔で、アドリエンヌが大胆なことを仰る。不服そうに聞いていた反対者は、その一言にハッとして俺を見上げる。
違います。
頼むから、大国への第一歩みたいな顔して俺を見ないで。踏み出さないから。
*
俺は疲れていたが、悪戯と知恵の神の祠へ来ていた。
いつも通りに桃を祭壇に置き、神への言葉を述べる。
「どうか外国に滅ぼされませんように」
国境線が変わるとうるさい国が出てきそうだ。
「神様も他人事じゃないんですよ。我が国が滅びたら、あなたを信奉する信者がいなくなるんですから」
水盆の水が跳ねた。予想していなかったことを聞き返されたような反応だ。
「知らなかったんですか? 悪戯と知恵の神を信仰しているのは、このコルヴィエだけです。侵略してきた国はこの国の文化も否定するでしょうし、特に宗教の弾圧はあるでしょうね」
ふるふると水が震えている。神でも動揺することがあるのだろうか。少し地鳴りもしている気がする。
俺は祭壇から離れた。
「そうならないように頑張るんで、見守ってて下さいね。自信はないけど」
俺が神へ祈りを捧げた数日後。友好国への暴挙に対する報復として、我が国への侵攻を準備していた某国で、大規模な地震があったと報せが届いた。幸いにも死傷者は出なかったが、軍事上重要な街道が寸断され、今も復旧作業に追われているそうだ。
神は信者がいなくなることが、よほどショックだったらしい。




