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婚約破棄してほしいと頼んできた令嬢から決闘を申し込まれました  作者: 佐倉 百


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11/30

結婚、暗殺の春


 ついにこの日が来てしまった。いや、本番はもっと先なんだけど。

 俺は悪戯と知恵の神の祭壇の前で、そっと桃を供える。


「今日は結婚パレードの打ち合わせ。分かっているとは思いますが、結婚式の時に何かしたら……」


 祭壇をそっと撫でた。真っ白な布で覆われ、シワもシミもない。色とりどりの花と、果物や菓子の貢物。香炉が焚かれた空間は甘い芳香に満ちていた。

 しっかりとお布施をしているおかげで、この祠はいつ来ても清浄な祈りの場を保っている。


「何かやらかしたら、この祭壇を腐ったサバで満たしてやる」


 水盆の水が震え、それっきり静かになった。

 どうやら神は俺の本気を理解して下さったらしい。

 良きかな。



 *



 一部の女性には、結婚式に対して理想があると聞いたことがある。結婚式を行う場所や日取り、ドレスに貴金属。会場を飾る花。招待状の封筒に至るまで。とにかく花嫁が主役であるが故にこだわりが強くなるのだと。


 王族の結婚式でも例外ではない。王族ゆえに花嫁だけが主役とは言えなくなるが、人生の先輩である母上によると『それなりに要望を叶えてもらった』そうだ。

 それなり。

 隣で父上の目が死んでいることで、俺は察した。ああ、逆らってはいけないんだな、と。


 さて、犠牲者(ちちうえ)の話はともかく。


 王太子の結婚という一大行事は国民にも大々的に告知される。王都では馬車に乗ってパレードも行われ、集まった民衆へ手を振らなければいけない。アドリエンヌの花嫁姿を広く知らしめるのは俺も大賛成なのだが、大勢の前に出されて見せ物にされるのは苦手だ。


 俺は軍部から回ってきた書類を伏せたまま、アドリエンヌに問いかけた。


「アドリエンヌはどんなパレードがしたいかな?」


 できる限り、花嫁の要望に沿う形で。俺が両親の背中から学んだことだ。アドリエンヌにとって、最高の日にしてあげたい。


「そうですわね……」


 アドリエンヌは可愛らしく首を傾げた。澄んだ薄青の瞳がテーブルに置かれた地図を見つめている。


「パレードの経路は警備を考えて、この道順でしょうか。建物の屋上に配置する弓兵ですが、一区画に最低三人は必要かと。私がいる左側の警備兵は人数を減らし、クリストフ様が民衆へ晒される右側を強化いたしましょう」


 誰が警備計画を話せと言ったのか。

 キリッとした顔で言うんじゃない。そんなアドリエンヌも可愛いけれども。


 俺は伏せていた書類の名前を確認した。フランツ・ド・ジレ、現職の元帥の名前だ。

 アドリエンヌが話していた内容は、軍部が提出してきたパレードの警備計画とほぼ一致している。違うのはアドリエンヌがいる左側の警備兵の数だけ。シンクロ率が高過ぎて、アドリエンヌが最高責任者なのかと思ったぐらいだ。


 思わず三回ぐらい書類上の名前を確認したけれど、ちゃんと元帥の名前になっている。もちろんアドリエンヌと元帥に血の繋がりはない。お互い会話どころか顔すら知らないはずだ。


「あとは馬車を飾る花、でしょうか」


 ようやく令嬢らしい話題になって、俺は安心した。そうだよ、結婚式には花だ。


 今年はコシェ男爵が花の栽培に力を入れてくれたおかげで、どんな花でもふんだんに使っていいと聞いている。春の花だけでなく、アドリエンヌの希望に合わせてあらゆる花を用意すると請け負ってくれたのだ。


「もう少し量を増やしましょう。クリストフ様の胸元を隠せる盾を馬車に仕込み、その上を花で隠蔽しなければ」


 そっちの希望か。


「あー……その、アドリエンヌが好きな花は?」

「私が好きな花、ですか?」


 アドリエンヌが地図から顔を上げた。真正面から彼女の可憐な顔を見ることになり、俺は心の準備ができずに固まった。会うたびに綺麗になる彼女に見つめられると、思春期に逆戻りしたように何も言えなくなる。


 年相応に精神が落ち着いてきたと思っていたのに、まだまだ未熟だったようだ。綺麗な婚約者に心を振り回されるのは嫌いじゃないけど、きっと王太子としては失格だ。


 かろうじて王子スマイルを保っている俺に、アドリエンヌは柔らかく微笑む。薔薇色の唇が開く様子が、今日は蠱惑的に見えた。


「私はカトリールの花が一番好きですわ」


 知ってる。それ非常食になるやつ。


「ムラサキヨモギも素敵ですわ」


 止血薬だね。


「ハリガネ菊も」


 解毒剤の材料。


「……ちょっと話題を変えようか」

「はい」


 胃痛を訴え始めた体のために、俺は話題を終わらせた。純真無垢な笑顔でサバイバル知識を披露する令嬢が、素直に従ってくれたのが幸いだ。

 なんとかして普通の結婚らしい話題を引き出せないものか。俺は結婚に関する乏しい知識を引っ張り出す。


「ええと……ドレスはもう完成してるんだっけ?」

「はい。この後、最終調整を行う予定です」

「アドリエンヌのドレス姿……当日が楽しみだね」


 どんなドレスなのか、俺には一切知らされていない。花婿には当日まで絶対に見せないという、我が国の伝統だ。ただ言葉で伝えることは許されていて、男は花嫁の姿を想像して心待ちにする。


「スカート部分には薄刃のナイフ、胴体部分に父が量産に成功したミスリル蚕の糸を仕込んでおります。襲撃に備えて手袋に唐辛子のスプレーを隠しましたの」


 それは本当に花嫁衣装なのか。


「アドリエンヌ様、そろそろ……」

「まあ。もうそんな時間?」


 俺が悶々としている間に、控えていたアサシンメイドがアドリエンヌに耳打ちした。アドリエンヌは俺に淑女の礼で退室を告げる。


「クリストフ様。名残惜しいですが、次の予定が来てしまいました」

「あ、ああ」

「当日は私も含めてしっかり警護を致しますので、どうか未来の君主の姿を民衆に知らしめて下さいませ」

「俺は君の花嫁姿を皆に自慢したいんだけどな。結婚式って花嫁が主役でしょ?」

「ふふっ、ご冗談を。私はクリストフ様の添え物ですわ」


 冗談で『俺だけが主役だ』なんて言う花婿がいたら、ぶん殴ってもいいと思う。

 アドリエンヌは立ち去る姿も美しく、花のような香りを残して俺の執務室を出ていった。

 俺は後ろに控えていた補佐役のローランに話しかける。


「なあ、ローラン。君は確か、記憶力はある方だって言ってたよな?」

「ええ、まぁ」

「俺、婚約者に鎧を作れって言ったっけ?」

「私が覚えている範囲では、全く」

「だよな」


 長いため息が出た。


「ローラン」

「は」

「よく効く胃薬、知らない?」

「……全ての情報を遮断して休養されるのが一番かと」

「……そうか」

「本日の夕食は消化に良いものを要望しておきましょうか」

「頼む」


 遠慮を搭載していないはずの冷血男が優しい。

 明日は土砂降りかもしれない。

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