ケヴィン
雪の上に転がされた男たちは、全員が隣国の軍服を着ていた。周囲に溶け込めるよう、真っ白な素材で仕立てられている。
山に潜伏している敵がいると密かに伝えられ、捕らえてくるよう命令されたのがつい先ほど。気配を殺して捜索していたところ、宿営準備に取り掛かっていた男たちを見つけた。
携行している道具や武器から、どう見ても民間人ではない。冬の山を越えて潜入してきた敵だと判断し、可能な限り生け捕りにした。
気絶している男たちが身につけていた武器を取り上げながら、ケヴィンはため息をつく。
「やれやれ。いきなり山の中を探してこいなんて言うから、何事かと思ったら……」
「クリストフ様が発見されなければ、このまま潜入を許すところでしたね」
手勢として連れてきたトマスが言った。手足を縛った男たちをソリへと運んでいる。
「男たちの荷物の中に、こんなものが」
他の護衛が筒のような道具を持っていた。筒は伸縮式になっており、両側にガラスが嵌め込まれている。隣国で望遠鏡と呼ばれている道具だそうだ。
試しに小さな穴の側から覗いてみると、遠くのジョレット湖で釣りを楽しむ庶民の姿が見えた。
「殿下はこのガラスに反射した光を目撃され、侵入者の存在に気づかれたのでは?」
「それは……」
そんなことが有り得るのだろうか。ケヴィンは望遠鏡を折り畳んだ。あの時のクリストフは、アドリエンヌと魚しか見ていなかったと思うが。
疑問を抱くケヴィンの隣で、トマスが歓喜に声を滲ませて言った。
「さすが『千の目』と呼ばれる方だ」
「……千の目?」
「知らないんですか!?」
ケヴィンは危うく望遠鏡を落としそうになった。己が仕えている王子に、ご大層なあだ名がついているとは初耳だ。ケヴィンの動揺には気づかず、トマスは茶色い瞳を輝かせて語り出す。
「クリストフ様は数々の陰謀を見抜き、裏から手を回して解決してきたんです。一昨年に白狐の毛皮の大規模密輸がありましたよね? 殿下がたった一言だけ真実を仰られたとか」
「……そんなこと言ってたっけ?」
ケヴィンは記憶を掘り起こした。
クリストフの警護につくようになってから数年経つが、あの王子が密輸事件の解決に貢献したところは見ていない。毛皮で覚えている発言といえば『白狐って温かいけど汚れが目立つよね』だったはず。
「汚職について言及され、捜査を進めていくうちに密輸を発見することになったんです。捜査に関わった友人によると、クリストフ様の一言が無ければ誰も気が付かないほど巧妙に隠されていたとか」
――汚れ、つまり汚職ってことか?
ケヴィンは無理矢理すぎないかと首をひねる。
話している間に敵兵は全てソリに積み込まれ、作業を終えた他の護衛も集まってきた。
「俺も殿下の武勇伝を聞いたことあるぞ。贋作を言い当てたんだってな」
「殿下が『俺、この画家の絵って好きになれないんだよね。エロスが足りないじゃん』って言ってんのは聞いたことあるけどなぁ」
どうもケヴィンが知っている話とは違うようだ。
「美術品のすり替えを指摘したり」
「確か、花と鳥が描かれた、レオナルディ作と伝わっていたツボだろ?」
「俺と殿下がペンを剣代わりにしてふざけてたら、割っちまったやつか。あれ、ニセモンだったのかよ。減給されなかったから不思議だったんだが、そういうことか」
弁償させられなくて良かったと心から思う。国宝だったら一生働いても返せない。
「毒入りの紅茶を飲まなかったり」
「あの人は猫舌だから、冷ましてるうちに飲まないと判断されて下げられただけじゃ――」
「カッコイイですよね、殿下は」
「俺は見たことないが、剣の腕も立つんだろ? 悪名高い外国の騎士を一騎討ちで倒して、悪の道から改心させたんだよな。騎士は恩義を感じて、この前の馬上槍試合へ出たらしい」
「それほどの腕がありながら、謙虚に振る舞っておられるとは」
「あれ? 俺が知ってる殿下とは違う……?」
ケヴィンのつぶやきは誰も聞いていなかった。それぞれが高揚した顔で、ケヴィンが知らない『クリストフ』の功績を語っている。
――毎日、書類に追われてて、胃痛を訴える王子しか知らないんだが。打ち合ったこともあるが、剣の腕も平均よりちょい強いぐらいだぞ。
そしてあの槍騎士の中身はアドリエンヌだ。いつ悪の道に堕ちていたのだろう。噂に尾ひれどころかドラゴンに変身して火を噴いている。
ケヴィンはソリに乗せられた敵兵を見た。これはクリストフのどの発言が勘違いされたのだろう。そういえば山を見て、何かを言っていたような気がする。
「……まあ、細かいことはいいか。お前ら『お客さん』を連れて帰るぞ!」
組織で長生きする秘訣は、適度に鈍感になることだ――若くして王子の護衛を務めている男は、厄介そうなことには関わらないと決めてソリに手をかけた。偶然の産物で捕まった敵には同情するが、己の命の方が大切に決まっている。
――とりあえず、あの坊ちゃんの言動には気をつけておくか。
さすがに毒見は引き受けたくないが、武器を持った客ぐらいは率先して片付けておきたい。仕えているクリストフは護衛対象の中では破格と言えるほど待遇がいいのだ。
守られることに文句は言わず、わがままで周囲を振り回すこともない。予定外の仕事を頼むときは、しっかりと報酬も用意している。貴族に雇われている私兵の中には、主人のわがままに耐えきれず、辞めていった者もいると聞く。
「うっかり死なれると困るしな。いい食い扶持は守らないと」
ケヴィンは仕事に感情を持ち込まない男だった。




