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婚約破棄、馬上槍試合の春


 馬にまたがり槍を構えたその騎士は、試合の始まりを待っていた。


 観客の静かな熱気にあてられた馬が暴走しないよう、巧みに抑えつけている。その堂々とした佇まいで、あの騎士が初登場だと分かった者は皆無だろう。俺だって中身を知らなければ、小柄だが熟練の騎士だと思うに違いない。


「どうしてこうなっちゃったのかなぁ……」

「殿下、今更それを仰いますか」


 俺のつぶやきに、後方で警護をしているケヴィンが律儀にツッコミを入れる。


「いや、だって、ねえ?」


 騎士の正体を知られないよう曖昧に笑った俺は、もうどうにでもなれという気持ちで試合を見守った。


 事の起こりは数日前に遡る。



 *



「クリストフ様、突然ですが婚約を解消していただけませんか?」


 春の花が咲き乱れる庭園で、俺は婚約者のアドリエンヌからそう切り出された。


「アドリエンヌ?」

「そして私と決闘をしていただきたいのです!」

「ちょっと待って」


 俺は静かな闘志を纏わせる婚約者をなだめた。


 仮に、アドリエンヌが俺に何かしらの不満を抱いているとしよう。考えるだけで気持ちが落ち込んで泣きそうになるが。ただの仮定と割り切って、心当たりがない瑕疵があったと無理に考えてみる。


 アドリエンヌは俺には分からない何らかの不満がある。ここまではいい。そこからどこをどう飛躍すれば、決闘という結論へと着地するのだろうか。


「アドリエンヌ。まずは婚約を解消したい理由を聞いてもいいかな?」


 俺は努めて冷静に尋ねた。みっともなく狼狽える姿は見せられない。顔は引き攣っていたかもしれないが、王太子としての仮面で動揺を隠す。


「それは……」

「アドリエンヌ。隠さずに話してくれ。婚姻に不満があるなら、遠慮せず打ち明けてほしい」

「そんな、不満だなんて」

「じゃあ、どうして婚約破棄してほしいなんて言ったのかな?」

「クリストフ様は私の夢をご存知ですよね?」

「もちろん」


 ああ、やっぱりかと俺は思う。


 アドリエンヌは美しい公爵令嬢として有名だ。輝くような金の髪に冬の湖畔のような薄青の瞳。白い肌は滑らかで、シミ一つない。完璧な造形の顔立ちは、ただそこにいるだけで人目を惹きつける。ドレスを着て歩くたびに誰もが振り返る、淑女として完璧な振る舞い。


 美しさは見た目だけではなかった。公爵令嬢として、王子である俺の婚約者として、常に向上心を忘れていない。他人を卑下することなく、真摯に向き合う姿勢もまた、彼女の評判を良いものとして押し上げていた。


 ついアドリエンヌの魅力を長々と語ってしまったが、それは彼女が素晴らしい女性であるが故と思ってもらいたい。


 さて、このアドリエンヌ嬢には幼い頃からの夢がある。ひっきりなしに縁談が持ちかけられる令嬢の夢――大抵の人は、どんな甘い夢だろうかと良い方向に想像してくれることに違いない。


「騎士になりたい、だね」


 俺は外面を取り繕い、何か問題でもあるのかという態度で言った。


 ――騎士。


 令嬢が、だ。

 ペンより重いものは持てません、と全身で主張しているような女性が、騎士になりたいと仰る。


 誤解のないように言っておくが、ただの無謀な夢ではない。彼女の日課は剣の素振りであり、趣味は装具の手入れ。軍馬を巧みに操り、時に公爵領に出没する魔獣を嬉々として狩ってくる。公爵家の護衛とは剣で語り合う仲。実際に見学をさせてもらったが、あれは護衛が手抜きなど一切していない、実践さながらの剣戟だった。


 この夢を初めて聞いたのは、彼女が五歳の頃だった。少しだけ歳上の俺は、女性が騎士になりたいということが、どういう意味を持つのかを知らなかった。むしろ彼女のことを『女のような顔の男の子』と思っていたのだ。ドレスを着ていたのに。


 当時の俺は限りなく馬鹿だった。六歳の男の頭なんて、悪戯とご飯のことしか考えていない。


 そう、俺は馬鹿だった。


 男と勘違いした挙句、騎士になりたいなら、なればいいじゃないかと言い放ったのだ。挙句、将来は僕が王様になるから、ちゃんと守ってね、と。


 きっと俺の一言が、彼女を騎士の道へ歩ませるきっかけになってしまったのだろう。後押しどころか全力で突き飛ばしてしまったような感じではあるが。


 アドリエンヌの父親である公爵は、既に色々と諦めている。虚ろな目で、どうか娘をよろしくお願いしますと頭を下げる姿は、哀愁が漂っていた。母親である公爵夫人に至っては、剣の道以外はまともですから、と震え声で目を逸らす。


 うん、彼らの気持ちは分かる。そこらの男よりも強いことが公になったら、縁談は一つも来なくなる。それが貴族社会というものだ。アドリエンヌも理解しているからこそ、外では完璧な令嬢を演じている。


 アドリエンヌは悲しみを滲ませて呟いた。


「私は、死ぬ時には剣を手に死にたいと思っております」

「戦場で死にたいとか、男でも滅多にいないよ」


 物騒な夢だと思ったことは伏せておく。紳士は淑女が語る夢を貶してはいけない。


「クリストフ様はいずれ国を背負うお方。その伴侶ともなれば、剣よりも内側から支えなければいけません。剣を手に戦場を駆け回るなど……」

「難しいだろうね」


 そんな王妃がいたら色々な意味で伝説になる。いっそ諦めて伝説にしてやろうかな。このまま何も問題が起きなければ、俺が王になるんだし。


「叶わぬ夢を抱いて嫁ぐなど、王子への冒涜ととられても仕方ありません」

「俺はそんなこと思ってないよ」

「それで私は思ったのです。そうだ、婚約破棄を申し出よう、と」

「何でそうなる」


 そんな気軽に申し出されたら、俺の立場がない。


「格下の私の方から婚約を取り消すなど、本来であれば絞首刑になってもおかしくありません」

「おかしいのは君の理論だよ。王家っていっても、そこまで物騒じゃないからね? どこの王家の話かな?」


 せいぜい女に逃げられた俺が笑われるぐらいだ。腹が立ったからといって、令嬢を絞首刑にしていたら、いつか反乱が起きる。


「王子は婚約を取り消そうと画策した挙句、決闘を一方的に申し出てきた私を合法的に始末できる絶好の機会ですよ!」

「とりあえず落ち着こうか」


 人を殺人狂のように言うのは止めてほしい。誰か俺の代わりに、この娘を説得してくれないだろうか。淑女として扱えばいいのか、話を聞かない部下を教育する上司として振る舞えばいいのか迷う。


 俺はすっかり冷めてしまった紅茶を飲んだ。近くで控えていた使用人が温かいものに取り替えようとしていたが、生憎と猫舌なので交換されると困る。勤勉は時に毒だ。


「じゃあ、馬上槍試合に出てみる?」

「えっ」


 アドリエンヌを落ち着かせてから、俺はそう提案した。


「年に一回の馬上槍試合。本当は俺も出ないといけないんだけど、後継者は代理人を立てることができるんだよ。ほら、王子とか嫡男がうっかり死んだら問題があるでしょ?」

「い……いいんですか!?」


 俺の言葉を理解したアドリエンヌの顔が輝いた。期待で頰が紅潮している。好きなものが目の前に現れた子供のようだ。


 可愛い。

 もう細かい慣習とかいいから、今すぐ結婚できないだろうか。俺とアドリエンヌが婚約していることは皆が知っているんだから。


 俺は緩みかけた表情筋を引き締めて、アドリエンヌを落ち着かせる。


「その代わり一定以上の強さじゃないと出さないからね。判定は俺の代理人に任せるから」

「はい!」

「あと婚約破棄するなんて言ったら、大会に出さないよ」

「かしこまりました」


 しれっと破棄を撤回させることは成功した。素直な婚約者で助かる。問題は俺の代わりに戦って、アドリエンヌに勝ってくれる代理人を見つけることだが。まあ、何とかなるだろう。

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