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閑話 彼の前世

累計七話目にして閑話を挟む作者がいるらしい。

 

 ――――彼は、かつて勇者であった。


 勇敢に魔物と戦い、何度死しても蘇っては、人々の平和のために、魔王を屠るべく剣を取った。人々にとって、彼は正に英雄と呼んで差し支えなかっただろう。

 しかし、どんなに強靭であろうとも、どんなに聡明であろうとも、全人類に好かれる人間は存在しない。それは、戦いの最前線で人類を支える彼も例外ではなかった。

 魔物によって人々が死ぬ度に、彼は非難を浴びた。


『勇者が来なかったせいで魔物の被害を受けた』

『勇者の強さが至らなかったせいだ』

『なんて使えない奴なんだ』


 人々は、彼の働きを当然のものとして見てしまっていた。

 彼は、別に全人類から好かれたかったわけではない。多くの人間がいたら、自分を嫌いな人だっているだろう、と割り切ってはいたのだ。

 だが、守ることができなかった人がいるという事実は消えない。そのことが、彼の心を抉った。

 割り切っていたとしても、傷付かないわけではない。彼の精神は、魔物を殺し続ける日々と、心ない人々の言葉によって、少しずつ疲弊していった。

 それでも彼は、人々を守り続けることを選んだ。家族や友人を守りたかった。世話になった人が沢山いた。

 彼は、この世界が大好きだったから。


 ●


 ――――彼の心に限界が訪れた。


 魔物の勢いは収まるところを知らず、むしろだんだん強くなっているようにも思えた。

 それに伴い、人類の被害も増えていく。彼に対して投げ掛けられる言葉も悪意のあるものが増えていった。

 文字通り粉骨砕身して、必死に人々を守り続けて、ふと後ろを振り返った時、もう、そこには誰もいなかった。

 激しさを増す魔物の勢いに、仲間たちは、一人、また一人と倒れていった。立ち向かえるのは、勇者として蘇生が可能であった自分だけだった。

 支え続けて、必死に支え続けて、いつの間にか支えてるのは自分だけになっていた。

 死んだ回数は100を越えた辺りで数えるのを止めてしまったけれど、彼が最後から2番目に死んだ時に教会の神官が言い放った言葉は、深く彼の精神に刻み込まれた。


「蘇生も、タダじゃ出来ないというのに――――」


 彼は、死ぬことさえ許されていなかった。


 ●


 彼は、宿命から逃げた。使命から目を背けた。運命に背を向けた。彼は、何もかもを放り出した。

 彼の目には、もう何も写っていなかった。大切な家族も、気の合う友人も、もう彼には見えなかった。

 ついには、勇者を蘇生させる教会の数々を徹底的に破壊するという強行手段にうって出て、彼は強いだけの罪人となった。少なくとも勇者という清廉潔白で人類のために尽くすことが宿命付けられている者とは思えない行動だった。

 それでも人命を奪うことがなかったのは、彼に僅かだけ残っていた理性だったと言えるだろう。

 そうして彼は、戦場から姿を消した。


 ――――その、筈だった。


 ●


 勇者という屋台骨を失った人類は、たちまち魔物の軍勢に圧されていった。勇者を要としていた戦線は早々に崩壊した。国になだれ込んだ魔物により、過去に類を見ない甚大な被害が生じ、多くの人々の命が潰えた。

 その度に、彼は変わらず悪評を広めていった。彼は逃げようと逃げまいと、正当な評価が下されることはなかったのかもしれない。

 それでも勇者は戦場に戻ることはなかった。かと言って、魔物の進撃から逃げ回ることもなかった。半端に死ねないほど強靭になってしまった彼は、いずれ自分の町へと魔物が攻め込むときまで、田舎町で死んだように生きようと思っていた。

 そんな中、とある知らせが世界を駆け巡る。魔王が勇者の不在を機として、とある魔物を人類に向けて放ったらしい。

 魔物の名は『煉獄龍プロミネシア』。業火を司り、翼を羽ばたかせて起こる熱風でさえも、全てを爛れさせると言われている。魔王を除く全魔物の中でも最強クラスの魔物、龍種であった。

 魔王領に近かった国はことごとく焼き尽くされた。そうでない国の住民たちは、今もなお進撃を続けるプロミネシアの脅威から逃れんとして、国を捨てての避難を余儀なくされていた。

 しかし、そんな中でも逃げない者が、幾人かいた。

 元勇者の彼も、そのうちの一人であった。


 ●


 彼は、無人になった町並みを眺める。

 生きる理由もない彼に、逃げる気力など存在しない。何より、半端な魔物では、強くなってしまった彼を殺すことはできない。無気力に死を求めていた彼にとって、プロミネシアの進撃は僥倖であった。

 彼は、ゴーストタウン化した街に佇み、目と鼻の先にまで迫る自分を殺す相手(プロミネシア)を見つめていた。

 だが。


「そこに、誰かいるのかい?」


 誰もいないと思っていた彼の耳に、しわがれた声が飛び込んできた。声が聞こえた方向は、町の広場の噴水。そこには、一人の老婆が座っていた。

 久しく感情を動かされなかった彼も、さすがに予想外の出来事に少し驚いていた。

 思わず老婆の前に立ち、声をかける。


「何故、避難しない。魔物が迫っていることを知らないのか?」

「ああ、知っているとも。娘や孫たちは、全員避難したさ。私はもう、体が満足に動かない。あの子たちの足手まといになるのは御免なのさ」


 その声は弱々しかったが、死の恐怖は感じなかった。


「お前さんこそ、どうしたんだい。よく見えないが、まだ若いんだろう? さっさと逃げな」

「ここで死ぬ気なんだ、その必要はない」

「せっかくの命だ、若いのに死ぬなんて勿体ないよ」

「死んだこともないのに、随分と分かったようなことを言うんだな」


 彼は本心からそう言った。事実、彼より死んだことのある人物はいないだろう。

 一方で、久しく会話をしてこなかったせいか、知りもしない初対面の老婆に粗暴な言葉を投げ掛けるようになった自身の変化に驚いていた。

 それを気にしていないのか、老婆は笑って語りかける。


「大人は皆、口を揃えて『誰かを大切にしなさい』って言うけどね、それだけじゃあ駄目だ。それも大事だけど、一番に、誰かを大切にする自分を大切にしなきゃ駄目なんだ。そうじゃなきゃ、大切な人が、身勝手にいなくなっちゃう世界になっちまうだろう?」


 その言葉に、彼の記憶が呼び起こされる。そういえば彼は、戦場から消えるその時まで、自分のために生きたことはなかった気がした。


「……なら、お前はどうなんだ」

「どうしても自分を大切に出来なくなったとき、人間は老いぼれになっちまうのさ。人生、長く生きるほど、大事なものが持ちきれないほどに増えていくからねえ」


 老婆は、諦めたように笑う。


「だからね、お前さんみたいな若いのが自分を大切にしないで、救える世界なんかないよ」


 彼は、思わず目を見開いた。


「いつか必ず、皺寄せが来る。きっと、今まで自分を犠牲にしてきたその人は、逃げたら悪辣な言葉を吐かれるだろう」


 まるで自分のことを言っているかのような言葉に、思わず彼は動揺する。


「けれどね、それがどうしたって言うんだい。守れなかったものを一瞬悔いて、守ったものを一生誇りな」

「……お前、まさか」

「お前さんが守ってくれたこの命を捨てて、家族を守れたんだ。これからは、お前さんが大切なものと自分を、大切に守って暮らす番だよ」


 そう言う老婆は、強い目で、彼を見上げた。


「逃げなよ、勇者様」


 その視線は、ゆるぎなく彼を見ていた。

 その時の彼の心情は、推し量れない。何度も言葉を紡ごうとして、口にすることなく消えていった。

 暫しの間、何か迷った風に逡巡して、


「――――知るかよ」


 ようやく彼はそれだけ言うと、老婆に背を向け、どこかへと歩き出した。

 老婆は、悲しそうに目を伏せると、そっとため息をついた。


 ●


 煉獄龍プロミネシアは悦楽の中にいた。気ままに蹂躙の限りを尽くすことはプロミネシアにとっての生き甲斐であり、焼き払うことこそが存在理由だった。

 しかし、いくつもの国を業火で包み込んだことでご機嫌なプロミネシアだったが、段々と退屈さを隠せなくなっていた。


「……グルゥ」


 人間どもが避難を開始してからというものの、悲鳴を聞いていない。自身より矮小な存在が苦しむ姿を見ることに快楽を見出だすプロミネシアにとって、この状況は退屈極まりない。

 そうして飛行するうちに見えてきたのは、何の変哲もない小さな町。だが、ここも他と違わず、住民の避難が粗方済んでしまっているようだ。

 だが、プロミネシアは、無人の町を徹底的に破壊することにした。生産性などはまるでない、ただの腹いせではあるが、人類が幾年もかけて必死に作り上げてきた街を枯れ木のように燃やすのは、胸がすく思いだった。


「グルァァァァァ!」


 そう決めたプロミネシアは、口内から火炎のブレスを射出しようとして――――


「らァァァァァァァァァァァッ!」


 ――――裂帛の気合と共に街から飛来した、謎の衝撃波に顎を弾かれた。


 ●


 (勇者)は、手に取るのも久方ぶりな剣を、全力で振り抜いた。空中を悠々と飛ぶプロミネシアに、剣が当たるはずもない。

 だが、剣から放たれる剣圧が衝撃波となり――――プロミネシアの顎を撃ち抜いた。

 プロミネシアが放つ炎は不発に終わる。その瞬間を見計らい、彼は地を蹴った。


 そうして彼は、()()

 単純な脚力のみで、彼はプロミネシア目掛けて飛行した。ただの跳躍が生み出す衝撃波により、石畳の街道に大きな罅が入り、建造物の窓ガラス木っ端微塵になるが、彼は毛ほども気にしない。

 彼はプロミネシアの胴まで接近し、再び剣を振る。だが、剣は届くものの、その身体を切り裂くまでは至らない。龍の鱗の硬さは彼も知るところであるし、地に足がつかない空中では、彼も全力で剣を振れない。

 だが、そのまま腕力のみを使い、プロミネシアの体躯を弾き飛ばすくらいの芸当なら、彼には可能だった。


「グルァァァァ!?」

「がァァァァッ!」


 そうしてプロミネシアは、先刻自身が焼き払った、かつて町だった場所に沈む。

 そして体を起こした時には、彼はプロミネシアの目の前にいた。正確に言えば、一度彼が元々いた町に降り立ち、一瞬のうちに走ってプロミネシアが落下した街まで辿り着いた。

 なるほど、彼は勇者。まさに実力は規格外。しかし、対するプロミネシアも、魔物としては規格外である。油断こそしていたものの、彼を敵と認識して本気を出したプロミネシアに、先程のような隙は存在しない。


「来いよ、龍。最期の殺し合いだ」


 彼がそう呼び掛けた直後、プロミネシアの爪と、彼の剣が激突する。その衝撃が、周囲の焼けた家屋を消し飛ばした。


 ●


 彼の心情は、彼自身にも理解できていない。彼は今でも守りたい人間が見えていなかったのに、彼は再び戦場に立った。

 あの数分話しただけの老婆の言葉が、彼の何かを変えた。人類を滅ぼさんとするプロミネシアくらいは、止めなければならないと思わせた。

 彼は、訳もわからない激情に身を任せ、剣を振っている。再び戦いに身を委ねた自分自身に対する悔いは、確かに存在した。されど彼は止まらない。

 業火に身を焦がし、後悔に心を焦がし、されど彼の剣は止まらない。

 足が宙を舞おうと、目が潰えようと、肺が焼けようと、されど彼の剣は止まらない。


 彼は、嫌えなかったのだ。必死に守った人々が自身を責めようと、彼は人々を嫌えなかったのだ。

 一度は目を背け、自分には関係ないと放り出した使命を捨てきれなかったのだ。

 少なくとも、自分以外の人が、命をもって命を救おうとすることを許せなかったのだ。

 老婆が善意で放った言葉が、彼を人間から勇者(ばけもの)に戻してしまったのだ。

 人々を見殺しにしてしまった悔いを、二度と戻らないと思っていた戦場に再び死にに戻ってしまった悔いを、かつて自分一人で戦線を支えられなかった悔いを――――矛盾した並々ならぬ悔いを糧に、彼の剣は更に加速する。


 加速する。


 加速する――――。


 ●


 そして、永遠にも思えた長い時が経ち、焼けた戦場に立っていたのは、勇者である彼だけだった。


 彼は、足元で倒れ伏す龍を見下ろす。ほとんど開かないであろう瞼を見開き、激情を浮かべて睨む龍に、彼はその名を発した。


「名乗ってなかったな。俺の名は、ウィル。勇者ウィルだ。お前を殺すクソ野郎の名だけでも、刻んで死んでいけ」


 人類を滅ぼすことさえも可能だったプロミネシアは、たった一人の勇者の剣によって討たれた。

 しかし、光の粒子となって消えるプロミネシアを見る彼も、無事とは言いがたい状態だった。体のほとんどが爛れ落ち、もはや人とは呼べない何かに変貌してしまっていた。その容態は、命があるだけ異常なほどだった。

 彼は、自らの死を悟った。しかし、その表情は穏やかだった。自らの人生を終えること自体に恐怖はない。

 しかし、


「このまま魔王と刺し違えるつもりだったんだが……鈍りすぎたな」


 彼が死ぬことは、彼だけの問題ではないことを、彼自身がよく理解していた。

 彼は、遺していく者たちの行く末、そして、


「俺が死んだあとに、また別の勇者が生まれてしまったら……地獄を強いてしまうな」


 自身が死んだあとの世界に思いを馳せた。彼が逃げて以来、長らく考えることもなかった世界を夢想した。


(人々よ、存分に恨め。俺を、そして魔王を。決して絶やすな。憎しみを、自分と大切な人を守る慈しみを。そして、決して忘れるな。人類を支える勇者は、()()()()()。人類が支えるべき存在だったということを――――)


 そうして彼は、重い瞼をゆっくりと閉じる。

 人々により壊され続け、後悔に溺れ、道を踏み外し、それでもなお人類のために身を滅ぼした勇者、彼の人生は、こうして幕を閉じて――――


































 ●


 ――――()()()()()


※本作の主人公とは明確に別人です。


本日の投稿は以上になります。

一章完結までは、基本的に1日1話ずつの投稿になる予定です。


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『続きが気になる!』

『さっさと続きを更新しろやブン殴るぞ』


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