第五話 樋上柚月と、その開花
本編五話目です。
叩かれた経験くらいなら、人生を振り返ればあるかもしれない。だが、流石に棍棒で思い切りブン殴られた経験はない。
何が言いたいかというと、木は想像している以上に硬いということだ。
「痛っっっっっだぁっ!?」
明らかに俺の頭部を狙ったレッサーゴブリンの攻撃。反射的に棍棒での打撃を腕で庇ったが、直撃した左腕は痛みのあまり、もう動かせそうにない。
獲物を狩る目をしている魔物がこちらを見た瞬間、俺は反射的に駆け出した。
「グギャギャギャギャァ!」
「うわああああああああああ!?」
目の前に迫る、死という恐怖。全ての思考が抜け落ち、俺は情けない叫び声をあげながら、全速力で逃げ惑った。
死ななかったから生きてきただけの人生とはいえ、こんな結末は望んじゃいない。
しかし俺のすぐ後ろには、目を鋭く光らせ、歓喜の笑みを浮かべるレッサーゴブリンが、すぐそこまで追いかけてきている。
「やばいやばいやばいやばいやばい!?」
左側通行作戦のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。通ったこともない道を、無茶苦茶に走り回り、涙を流しながら進む。もう来た道も分からない。
そして、闇雲に逃げたことが仇となる。
「い、行き止まり……!?」
振り返ると、追い込んでやったと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべた、レッサーゴブリンがいた。
【レッサーゴブリン Lv.3】
こんな事態でも、鬱陶しくも頭上の文字が表示される。今度は間違いなくレッサーゴブリンらしい。
だが、レッサーだろうが普通サイズだろうが、俺の命の危機には変わりがない。
「来るなぁ!? 来るんじゃねえ!」
壁に背を向けてへたり込み、腕を滅茶苦茶に振るだけの俺に、恐怖を煽るかのようにゆっくりと歩み寄るレッサーゴブリン。
――――だが、よく見ると、それは違うように思えた。
「ギィ……ギィ……」
「……んぇ?」
よく見ると、レッサーゴブリンはひどく体力を消耗しているかのごとくふらついていた。そのまま、側面の壁に手をついて、肩で息をする。
その瞬間、ほんの少しだけ冷静になれた俺は、あることに気付いた。
レッサーゴブリンの持っている棍棒が、何者かに砕かれたかのように欠けていた。
その光景に既視感を覚える。たしか、俺が初めて居合わせたレッサーゴブリン同士の戦闘後には、周囲に似た木片が散らばっていた筈だ。
そして、レッサーゴブリンの身体は深い傷だらけであり、血が流れた跡がくっきり残っていた。
それこそ、ふらついている程度で済んでいるのが不思議なほど、満身創痍に見えた。
思い返してみれば、妙である。レッサーゴブリンは、そんなに鈍重そうな見た目をしているわけでもない。それに、俺のレベルが1なのに対して、レッサーゴブリンのレベルは3である。RPGと同じシステムと考えるなら、レッサーゴブリンの方が俺よりも格上。なのに、一瞬とはいえ、俺は走って逃げることが出来ていたのは何故だ?
あの巨大樹木に巣くうゴブリンは、明らかに違う生物を食べていたのに対して、レッサーゴブリンが共食いするのに至ったのは何故だ?
脳内に浮かぶ点と点が、徐々に線を形成し始める。
ゴブリンとレッサーゴブリンという、ほとんど見分けがつかない2つの種――――それが、本来同一種だったのだとしたら。
その2つの種の違いが、身体の大きさとか、強さだけなのだとしたら。
「俺と同じ……?」
ステータスも低くて、強力であったはずの固有スキルは無いも同然なおかげで、足手まといとして神殿から追い出された俺。今の俺と、息を切らしながらも目の前に迫るレッサーゴブリンの境遇は、ほとんど同じなのではないか。
同一種でありながらも、生まれ持った体格や能力の差で巣を追い出され、迷宮をさ迷い、同じ境遇の奴らを食い合うだけの存在になっているのではないか。
証拠など一切ありはしない。だが、何故だか俺は確信していた。生まれた種族が違っただけで、コイツは俺なのだと。
レッサーゴブリンが俺に襲いかかるまでの刹那の思考で、俺はそこまで考えるに至った。
そして――――俺は、逃げるのを諦めた。
「戦わなきゃ――――勝たなきゃならねえ」
俺の手が、無意識のうちに力んで拳をつくる。
追放されただけで飽き足らず、ほぼ同じ境遇の魔物からも背を向けて、どうしてこの迷宮から生きて出られようか。
涎を滴らせながら近付くレッサーゴブリンを正面から見据える。
コイツは、俺を食うために、俺を殺そうとしてくるだろう。そして、俺も生きて地上に戻るために、いつかは魔物を殺さねばならない。そして、最初に殺す魔物は、然程レベルが高くはない、それでいて手負いの魔物が最適だろう――――今、目の前にいる魔物のように。
だからこそ、今の俺らは、ただ食い食われるだけの関係ではいけない。互いに食うか食われるかの関係にならねばならないのだ。
俺たちは、生きるために、目の前の生物を殺さなければならない。
「……怖いなあ」
背後の壁に右手をつき、一度は砕けてしまった腰を上げる。
「――――でも」
覚悟は決めた。
「生きるぞ、ユズ」
自分で自分を鼓舞し、俺はレッサーゴブリンと向かい合った。
出会ったときと同様に、欠けた棍棒を正面から大きく振りかぶった。
と同時に、俺は真横へ転がるように避ける。
「うおおお! ドロップキィィィィック!!!」
そのままレッサーゴブリンが防御できないうちに、渾身の蹴りを叩き込む。アドレナリンに溢れた勢いで叫んでみたものの、ほとんど片足しか上がってない時点でドロップキックでも何でもない。その上、背中から落下するというおまけ付きだ。
だが、壁に叩きつけられ、床に倒れ伏したレッサーゴブリンよりは被害は小さい。
「まずは、その棍棒!」
迅速に起き上がり、俺が最も恐れる棍棒を持つ右手を、全力で踏みつける。そして、レッサーゴブリンが手放した棍棒を、全力で彼方へと蹴飛ばした。
だがその瞬間、左足首に激烈な痛みを覚える。
「グルルルァ!」
「いっでぇ! 噛むんじゃねえ!」
左足を食い千切らんとレッサーゴブリンに噛みつかれた拍子に、バランスを崩した俺はまたもや背中から倒れる。されどレッサーゴブリンは離さず、俺の左足首の傷口からは、絶えず血が流れ続けている。
破傷風とかになりそうだが、そんなことを気にしている場合じゃない。
「あぁクソが! 離せ!」
「グゴァ!」
無事な右足でレッサーゴブリンの顔面を蹴るも、三発目にして、両手で右足を掴まれ、鋭利な爪で皮膚を切り裂かれる。
「うがぁ!?」
痛みのあまり攻撃を途絶えさせる俺に、チャンスとばかりに立ち上がるレッサーゴブリンは、俺の右膝を両足を使って全力で踏みつけた。
俺の身体の内側から、バキボキと嫌な音が響く。
「がああああああああっ!?」
先程とは非にならない痛みが俺を襲う。痛みのあまり一瞬意識が飛びかけるが、なんとかして踏み留まる。
噛みつかれた時点で全く無事ではないが、今しがた使い物にならなくなった右足よりは動く左足で、なんとかレッサーゴブリンの体を蹴り飛ばす。
「あんにゃろ……」
左腕は、最初に棍棒での打撃をくらって、ほとんど動かせない。右足は膝を砕かれ、痛みの警告を放ち続ける。
だが、俺は立ち上がる。それは、俺の唯一の意思であり、何より、全力で生きようとするレッサーゴブリンへの敬意でもあった。
すると、気のせいかもしれないが、レッサーゴブリンが笑った気がした。
「ギギィ……」
目は鋭い殺意を放っているが、鋭利な牙を覗かせる口は、やはり笑みを浮かべているように見えた。
見間違えかもしれない。満身創痍の俺がおかしくなっただけかもしれない。だが、確かに俺にはそう見えたのだ。
戦えば、気持ちが通じる――――とは思わない。だが、奴自身と同様、俺が必死に生きようとする様が、俺を餌から敵という認識へと変えたのかもしれない。
そうであれば嬉しい……なんてことは決してないが、どこか気が満ちる。
「……は」
そう思うと、俺の顔にも、自然と笑みが溢れた。
左腕と右膝の痛みは消えず、重心を支えている左足からは絶えず血が流れている。普段なら立ってもいられないはずだが、それでも俺は気にせず笑った。
「ギュギィ!」
「来い、チビが!」
迫り来るレッサーゴブリンに、動けない俺は、目を見開いて迎え撃つ。
身体能力は恐らくレッサーゴブリンが格上。だが、種族の違い故の体格差は、俺にアドバンテージがある。
右腕を振るい、人生で誰にも向けたことのない全力の顔面パンチをお見舞いした。
「そのまま碾き潰す!」
「ギ……ガァ!」
「!? 嘘だろ」
顔面を殴られながらも、レッサーゴブリンは突進の勢いを止めず、そのまま俺の腹部に両手の爪を突き立てた。
腹の肉を抉る度に、制服が鮮血に染まる。正直メチャクチャ痛いが、この短時間に痛みに鈍くなっているらしい。そもそも、いちいち反応していられない。
両足共に負傷していて、さっき立ち上がれたのが奇跡のようなものだ。このまま勢いで倒されると、立ち上がることはほぼ不可能。そうなってしまえば、俺はなすすべもなく殺される。
「クソッ……!」
しかし、負傷している左足だけでは突進の勢いを止められるはずもなく、俺の重心は、レッサーゴブリンと共に後方へと傾く。
俺は闇雲に、ほとんど動かない左腕を虚空へと伸ばした。
「倒れて、たまるか!」
――――その瞬間、俺の左手が、何かを掴んだ。
まるで、透明な何かを掴んだかのように、俺の左手が何もない空間を捉え、体が一瞬だけ重力に逆らう。
負傷した腕に俺のほぼ全体重の負荷がかかり、すぐに手を離してしまう。だが、この一瞬のうちに、覆い被さるような形で倒れんとしていたレッサーゴブリンと、位置が入れ替わった。
「――――お、あァァァァ!」
喉からは、最早意味などない雄叫びが溢れ出る。
何が起こったのか欠片も分からないが、チャンスであることに変わりはない。
落下の勢いでレッサーゴブリンを床に叩きつけ、足を足でもって押さえると、右手だけでレッサーゴブリンの首を絞める。
「落ちろォォォォォ!」
「グ……ガ……ガァァァァァ!」
レッサーゴブリンの足こそ押さえたものの、手は普通に自由なので、もがく拍子に腕や腹を爪でズタズタにされる。負傷した左腕は心臓を防御するのに使っているため、右手だけでは首の拘束力が甘いのか、いつまでも気絶さえしない。
気付けば俺は生傷だらけになり、レッサーゴブリンは自身の血と俺の血でまみれていた。見た目の重症さはレッサーゴブリンと然程変わらない。貧血の影響か、視界が揺れる。
「――――ァ!」
声にならない叫びと共に、レッサーゴブリンの爪が俺の頬を切り裂く。
と同時に、俺が頭を振り下ろした。
「しッつこい!」
俺の渾身の頭突きが、レッサーゴブリンの顔面にクリーンヒットする。
レッサーゴブリンの鼻から、そして俺の額からも血が流れる。そして、レッサーゴブリンは白目を向き、手から力が抜けた。
気絶したレッサーゴブリンの首から手を離し、ここぞとばかりに顔面を右手で何度も殴った。
「ら゛ァァァァァァッ!」
――――そして、13回目の拳が顔面を抉ると共に、
――――レッサーゴブリンの体が光の粒子になって消えた。
●
「すげー。勝っちゃったよ」
そこは、『牢獄迷宮』ではない、とある一室。そこに、その少女はいた。
少女の傍らには、ガラスでできたような透明かつ巨大な魚が浮いており、その眼球から照射された光が、自身の眼前に、ホログラムのように映像を映し出していた。その映像に映る少年――――樋上柚月を眺め、さも意外と言わんばかりに、少女は肘をつく。
「さっきの左手は、多分あの固有スキルだよね。『発芽』したって考えていいのかな……?」
そう推測する少女は、空色の頭髪から飛び出す、獣のような耳を細かく動かした。
「あー、監視って面倒だなー。これだから人類領は嫌いなんだ。迂闊にサボれないし」
この世界には、人間、魔族、魔物の他に、亜人と呼ばれる種族が存在する。一口に亜人と言ってしまっているが、彼女のような獣人から、エルフといった種族まで、その存在は多岐に渡る。
要するに、彼女がいわゆるケモミミ属性を持っていたところで、特段珍しいわけではない――――閉塞的で、人間から排他的な扱いを受ける亜人が人類領にいること自体は珍しいのだが。
だが、彼女が異質であるのは、そこではない。
「この服も、動き辛そうだしさあ」
彼女は、メイド服を着ていて、
「この包帯は、便利だからいいけど」
そして、その左腕は包帯を巻かれており、唯一手首の部分だけが、頭髪と同じ空色に染まっていた。
「ま、何はともあれ、ここを乗り越えたんならどうにでもなるでしょ。アネモネちゃんが気に入ってる子だし、見所はあるね」
彼女は気楽に呟くと、ホログラムに映る樋上柚月を眺めながら、けらけらと笑った。
●
レッサーゴブリンが、消滅した。
まるでゲームのような消滅の仕方だったが、そういえばこの世界はゲームのようなシステムだったのだと思い出す。
直感的に、レッサーゴブリンに勝てたのだと確信した俺は、そのまま仰向けに倒れる。アドレナリンが切れたのか、全身に痛みが迸ったかと思うと、次の瞬間には、一気に意識が遠くなる。
「は、はは」
だが、俺は笑っていた。
何やら脳内に、経験値がどうとか、レベルがどうとか響いている気がするが、そんなことはどうでもよかった。
「ははははハハハハハハ!」
今大声を出したら魔物を誘き寄せてしまうとか、そもそも無防備に床に転がっているのは危険すぎるとか、そんなことが頭によぎったが、どうでもよかった。
「ハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハ!」
今まで、何も誇るものがないまま生きてきた。
何事も並程度にしかこなせず、誰からも注目されない人生。誰からも、本当に必要にされない人生。そんな人生を受け入れ、俺は、生きていた。
――――否、生きていたのではない。ただ、たまたま死んでいなかっただけだったのだ。死んだように生き延びてきたのだ。
だが今、俺は初めて生きた。
死の縁に蹴落とされ、それでも本気で生きたいと願い、地べたを這いずり回り、命を守り抜いた。
俺は初めて、生きることを選択した。
そのことに、俺は強い満足感を覚えていた。
「――――ハハ。生きてるぞ、俺は」
今、自分は意識が落ちる寸前なのだろうと、そう悟った。気絶している間に魔物に殺されかねないとは感じたが、それでも気分は晴れやかだった。
残した悔いは、大いにある。だが、人生の小さな目的は達成したような気分だった。少なくとも俺の人生に、何か1つの区切りがついた気がした。
そして、ゆっくりと目を閉じかけた、その時。
――――仰向けに倒れている俺の視界に、何かが入り込んだ。
シルエットを見るに、どうやら人間らしい。『牢獄迷宮』に来てからというものの、会うのは魔物ばかりで、人間を久し振りに見たかのような錯覚を起こす。
俺は最後の気力を振り絞り、ぼやけた目を凝らした。
それは、赤い髪の少女だった。
いわゆる魔法使いのような三角帽子を被り、ローブを着ていた。どこか大人びた印象を受けるから、多分俺より年上なんだろう。
少女は、俺を見下ろして、
「――――よく、生き残ったね」
そう呟き、手袋をしている右手をこちらに伸ばした。
もう、その少女の表情さえも見えなかったが、その冷静だが安堵したかのような声色を聞いて、
「すっげえ美人……」
呑気にも『こういう人のことを、クールビューティーって言うんだろうなあ』と考えながら、何やら自分がとんでもないことを宣った気がしつつも、俺の意識は途切れた。
メインヒロインちゃん、ようやく登場。
次の投稿もだいたい一時間後ですが、閑話なので本日の本編の投稿はこれが最後になります。
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