第一話 樋上柚月と、記憶の彼方
主人公の登場。
本編はここからになります。
もう二度と触れられない、手がある。
確かな質感を知ったからには、戻れない。
もう二度と合わない、視線がある。
言葉のいらない会話が、交わされることはない。
もう二度と届かない、心がある。
奇跡とは、気紛れで、いい加減だ。
想っていたって、神様はいちいち見向きもしない。
空を仰いでも、知らん顔の青があるだけ。
それでも。
光の眩しさに目を焼かれても、雲が何も映さなくても、雨が涙と混ざりあっても、下を向いちゃいけない。
歩いた果てには、素敵な終幕があると信じて。
例え、君はいないと分かっていても。
忘れられない、記憶に囚われていても。
血が、その名を呼び起こそうとも。
生きて、生きて、生きて、生きて、生きて。
また、巡り会うために、生きていようと思う。
だって、その先で、愛は――――。
●
――――目が覚める。
……いや、目覚めること自体はさしたる問題じゃない。それよりも、俺はいつの間に眠っていたんだ?
体を起こし、今はぼんやりした思考しかできない重い頭を抑え、冷静に欠落した記憶を手繰り寄せる。
俺の名前は樋上柚月。仲の良い奴には、ユズって渾名で呼ばれようとしていたが、あまりにも浸透しなかったため泣く泣く断念した。
一般的な家庭に生まれ、ごく普通に愛を受けて育ち、平均的に完成した高校二年生。
人生において、何も誇れるものがないことがコンプレックスである。突出した才能もない。かといって何か欠落したものもないから、努力して何かを勝ち取ったこともない。
そんな人生を歩んできた影響か、漠然と『自分が生きていることに何の意味があるのだろう』とか考えてしまう面倒なガキが完成してしまった。このことをそれとなくSNSに書き込んでみたところ、答えは『中二病』と呼び返されることで示されていた。
まあ、我ながら面倒な頭の悩ませ方をしていると自覚しているところではあるし否定はしないが、実際、俺にとっては目下最大の苦悩なのである。
大袈裟に言ってしまえば、死ななかったから生きてきた――――そんな奴なのである。決して死に対して無抵抗というわけではないのだが、自分が生きる意味を見出だせていないのは事実だ。
ユズという渾名だって、手始めに何か特別なものになろうとした結果だ。まあ、コレに関しては効力どころか最初の一歩も踏み出せず終わったんだけど。
そんな俺は、今のところはさしたる大事件に巻き込まれることもなく、寿雲高校という可もなく不可もない公立高校に通い、面白味の薄い日々を過ごしていた。
……よし。俺自身の基本的なことについては、割と過剰なくらい思い出せる。
今度は更に直近のことを思い出すんだ。
そんな俺の記憶が辛うじて残っている最後は、学校のとある日の昼休み。それも、昼休みが終わりかけている時間帯だ。にも関わらずその時の俺は、わざわざ購買に向かってダッシュしていた。理由はとっても簡単。
『なァ、樋上。カツサンドでも買ってきてくれよォ』
という具合に、クラスの中心である男子生徒、鈴木有吾にパシられたのである。
クラス内カースト上位に君臨する鈴木に言われてしまえば、俺は従うしかなかった。俺は、間違ってもカースト上位ではない微妙な位置を揺蕩っているのだから。
という訳で、五時間目の始業時間が迫る中、どうにかカツサンドを無事購入した俺は、迅速に教室に戻らなければならないのだが、どうにもそれが出来そうになかったのだ。
原因は、不運にも教室に戻ろうと階段を昇っていたとき、上から見知らぬ男子生徒が転がり落ちてきて衝突したこと。
俺には怪我はなかったものの、その生徒には保健室まで付き添う必要があった。結果、保健室を脱出できたのは、始業のベルが鳴った後。
鈴木有吾のお使いをこなせなかったことは勿論問題だが、何より五時間目の授業は現代文であり、つまりは金崎先生の授業であることが最大の問題だ。
金崎先生は、色黒でガタイが良くて、確か何らかの格闘技で全国大会に出場していた経験もあるらしい。メチャクチャ強そうな見た目だから、正直人柄とか関係なくただただ怖いし、何でわざわざ現代文の教師やってんだって感想を抱いてもおかしくない風貌なのである。
数分の遅刻に対して滅茶苦茶に説教するタイプではないことは把握しているが、それはそれとして怖い。
始業から数分後、何とか教室の前まで辿り着いた。
――――俺が覚えているのは、ここまでだ。
なるほど?
「一番肝心な部分が一切思い出せてねえ!」
恐らく最近で一番の声量で、頭を抱えながら思わず叫ぶ。
どーすんだよ、これ。正直、今思い出したことなんて心底どうでもいい。俺がいつの間にか眠っているのは、そして起きたら記憶が消えているのは、多分この後に起こった『何か』が原因だ。じゃなければ、いくらなんでも前触れがなさすぎる。
そこで何が起こったのかを思い出さなければ、現状を打破できる要因には繋がらない。
――――そう、俺は記憶を取り戻し、現状を打破しなければならないのである。
「……はあ」
散々現実から目を背けていた俺は、辺りを見渡す。
俺が今いるのはベッドの上。ただ、一般的に知られているごく普通の家庭に置かれているようなベッドとは、雰囲気が違う。
1人用なのだろうが、1人で寝るにはやたらと広く、手で触れると弾むような感触のベッドは、とんでもない高級感を漂わせる。頭上を見ると、ベッドを縁取るように、清らかな布が垂れ下がっていた。確か、天蓋とかいうものだったっけ。
どうにも1人で住むには広い部屋を見渡すと、これまた豪華そうな家具が点在している。
どことなく、テーマパークの中にいるかのような非日常感を感じる。これではまるで、ここが日本じゃなく、中世ヨーロッパ風の王城の一室とでも言わんばかりである。
端的に纏めると、今の俺は記憶が一部消えている上に、
「……どこだよ、ここ」
更には自分が今いる場所すらも、不明なのである。
●
かくして彼の物語は、この見知らぬ部屋から始まり――――彼女の物語と繋がる。
即ちこれは、愛と狂気と運命に絡め取られた少年と、世界を知り神を憎んだ少女の、二人の物語。
異世界転生・転移モノが既に廃れているって本当ですか?
予定より時間が押しているので次話は30分後に投稿します。
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