第十五話 ユズと、類友戦場
それを表現するなら、肉の塊だった。
しかし、注意深くそれを見ると、肉の塊の正体はゴブリンの集まりだということが分かる。
ユズは偽ゴーレムを初めて見たときには『ゴブリンが合体した姿』と言って即座に否定していたが、今回ばかりはその表現が的確だ。
死んだ、あるいは生気を感じられないゴブリンメイジが強引に合体させられ、巨大な球体を形取り、空中に浮遊していた。見るものが見れば、その浮遊は魔法が為しているものだと分かるだろう。
そして、その肉塊の頂点に位置するのが、唯一生きているゴブリンメイジの長。モノクルをかけたそのゴブリンメイジは、片手に古びた書物を、片手に杖を持ち、万全の対策を講じた上で、牢獄迷宮に近付いていた。
更なる魔力を求めて狂ったゴブリンメイジたちが、自らを集約することで生まれてしまった超生物。
その恐ろしいまでの狂気と、膨大な魔力を持った魔物は、ボスモンスターの1体として、『鬼術師団ウィザリア』と呼ばれ、自らもそう名乗っている。
――――以上が、今まさに牢獄迷宮の外にてウィザリアと対峙している、ラゼが知っている限りの情報である。
「『〔[{〈《あなたが、かの有名なラゼ・カルミアですか。お噂は兼々》〉}]〕』」
一人の魔法使いを前にして、頭上に【鬼術師団ウィザリア Lv.87】の表示を浮かべるウィザリアは、恭しく言葉を発する。
一定以上の知能を持った魔物は、人語をも解し、使う。
身体を形成する死んだようなゴブリンメイジの全員が口を開くため、言葉が重なるような感覚に、ラゼは顔をしかめた。
「『〔[{〈《あなたへの個人的な興味は尽きませんが、此度、遠路はるばるここまで来た理由はあなたではなく、その迷宮の中にいる存在なのです。退いていただけないでしょうか?》〉}]〕』」
ウィザリアは、そうラゼへと語りかける。
ボスモンスターという名の絶対的強者から投げ掛けられた、『見逃してやる』という言葉。
それを、ラゼは、
「残念だけど、あなたの相手は私だよ」
否と返した。
「『〔[{〈《……理由を、お聞きしても?》〉}]〕』」
「ユズ君を死なせるわけにはいかない。それに……」
そうしてラゼは、ウィザリアに杖を向けて微笑む。
「あなたがここに来た理由の半分は、私が原因だからね」
「『〔[{〈《ああ、成る程。そういうことでしたら……》〉}]〕』」
何か納得した風のウィザリアは、頂点のゴブリンメイジが杖を振ると同時に、幾つもの巨大な魔方陣を空中に顕現させる。
「『〔[{〈《ならば、まずはあなたから――――同胞の仇は、取らせていただきましょう》〉}]〕』」
「悪いけど、ユズ君を待たせてる。さっさと終わらせるよ」
ユズにより殺戮の限りを尽くされ、ゴブリンメイジからのSOSを受け取ったウィザリア。そして、間接的とはいえ、その原因でもあるラゼ。
世界屈指の魔法使いは、今ここで激突する。
●
『私が急いでウィザリアを追い払うから、それまで何としてでも生き延びて。いい? 生き延びることだけを考えて。出来るなら逃げて』
俺とティザプター、ラゼとウィザリアのタイマン形式に持ち込むという提案を受けたラゼはしばらく悩んでいたが、やがて観念するように承諾した。
そして、その際にこの言葉を何度も念押しされたのだが。
「こんなん相手に逃げ切れるわけねええぇぇぇ!?」
俺を執拗に追うティザプターの攻撃を何とか回避しつつ、悲痛な叫びが牢獄迷宮に木霊する。
俺を囮にして、ラゼを逃がし、先んじて牢獄迷宮の外へ送る作戦事態はどうやら成功したらしい。
ラゼはやれることはやる人だ。それに、『追い払う』と言っていたから殺し合いまではいかないだろう。ラゼの心配はあまりしていない。
ぶっちゃけ俺が超危険だ。
「あ゛あああああああ! 死ぬううううっ!?」
ティザプターが振り下ろした拳が俺を掠め、地面が砕ける。風圧で瓦礫と共に吹き飛んだ。あー。
「あかんて! こんなもん反則だろ!?」
恐らくティザプターは一切の反則をしていないのだろうが、それにしたって叫びたくなることを許してほしい。
『フォールンセイントほどじゃないけど、ティザプターも長年生きてステータス補正がかかってる。それに、あの手枷は封印の証。封印が少し破られて、動けるようにはなったけど、本気は出せてない』
とラゼは言った。ラゼの言うことだし疑ってはいない。
だから俺は自分の目を疑う。ティザプターが一度腕を振るっただけで、十メートルほど向こうにいる魔物がピンボールのように吹き飛んでいる現状をどう信じれば良いのだ。
今の俺は、護鎧の剣を抱えながら全力で逃げている最中だ。今の生命線はこの剣だ。この剣の耐久値がゼロになった瞬間、ピンボールの果てに死ぬ。
幸いにして、ティザプターは頭がよくない――――いや、恐らく違う。闘志が先行して、理性が飛んでいる。良くも悪くも一直線な戦い方をしているためか、直接的なダメージは受けていない。
だからこそ、余波でここまで被害を被っているのがヤバすぎる。
「とりあえず距離をとって時間を稼ぐ。前衛と後衛を俺とラゼとで分担すれば……」
ティザプターが生む地響きによろめきながらも、俺は懸命に走りながら、脳内で生存方法を探る。
そうなのだ。俺だけだったらジリ貧だが、ラゼという攻撃ソースがいれば話は変わってくる。ラゼが来るまで時間を稼げるかどうかだ。俺が生き延びるのは、ラゼからの指示なのだから、逃げるのが正解だ。
逃げて逃げて逃げて、とにかく逃げて時間を稼いで……。
……。
「ラゼが来てさえくれれば、ラゼが来るまで、ラゼが来てくれれば、ラゼが戻るまで、ラゼが戻ってくれれば、ラゼがウィザリアを追い払ってくれるから――――」
足が、
「――――ラゼが、俺を、助けて――――」
重い。
「……」
その足取りが、完全に止まった。
すぐに俺に追い付いたティザプターは、唐突に逃げるのをやめてしまった俺を見る。
僅かに理性が残っているのか、少しの間は訝しんだようだが、すぐに考えるのを止めたかのように、その拳を俺へと振るう。
地盤を砕く拳の重圧が、俺の身体を容赦なく押し潰さんとして――――
「ヒュハハハ……俺は何を気後れしてんだ」
俺は俺を叱咤していた。
逃げるのではなく、近付く。拳を寸前で回避し、固有スキルで宙に躍り出て、ティザプターの胴へと前進する。
その明らかにファンタジーな挙動に、血走ったティザプターの眼の向こうに動揺が映った。
そうだ。ティザプターは初めて俺の固有スキルを見たんだ。俺は今までティザプターに、戦い方の1つも見せちゃいない。
それで、何故諦めていられる。何故みっともなく逃げていられる。
「ラゼに負けないくらい強くなりたいって、言ったそばからそのザマかよ?」
ラゼが助けに来てくれる? バカ言え。俺が助けに行くくらいの気持ちでおらんかい。
ラゼが来るまで逃げる? 腑抜けてんじゃねえ。ティザプターもウィザリアも纏めて逃げ出すくらいの気概を見せんかい。
どの道、逃げるのだってジリ貧だったんだ。なら俺が出来ることは、いつだって1つだった。
血が支配する死の縁で、殺し合う他にないだろうに。
俺が渾身の力を込めて横に薙いだ護鎧の剣が、ティザプターの胸に薄い傷を作る。
その瞬間、バックステップと同時にティザプターの蹴りが俺を天井へと打ち上げ、瓦礫を作りながら地に沈んだ。
痛い。護鎧の剣込みでも、アホみたいなダメージをくらった。普通の攻撃が亡獄以上とか――――いや、亡獄も実質通常攻撃と変わらねえんだよな。必殺技ではあっても、攻撃力が高い技とかではないんだよな。
システムといい魔物といい、相変わらず世界はどんだけ俺を置いていけば気が済むんだよ。
「ぜああああああああっ! まだ俺は生きてっぞ、ボケがああああっ!?」
それなら結構。圧倒的な格上に一方的にボコられるのは、ラゼの魔撃で慣れてる。
クソしょーもない二番煎じ共に、くれてやる命はない。
「待たせた、ティザプター。寝ぼけてたわ」
今の一撃で、瞬く間に血だらけになったが、何の問題もない。いつものことだ。むしろラゼの髪色と共通点ができて最強の気分なんだが?
気合いで立ち上がり、瓦礫を押し退け、護鎧の剣を拾って、ティザプターと向き直る。
それは、明確な戦闘の意思表示。狂った殺し合いへの参加の合図表明。
ラゼは、出来るなら逃げろと言った。生き延びることだけを考えろと言った。
だが、この行動は、その言葉には反していない。
俺が一番生きたいと願うのは、殺し合いをしている時なのだから。
「殺意が分散してる。誰でもいいから叩き潰したい。つまり、その衝動は憎しみじゃねえんだろ?」
聞いているとは思えない。それほどまでに、ティザプターの表情には理性が感じ取れない。
だが、まるで俺の言葉に耳を傾けるかのように、今はその身体を静止させている。
「その衝動は、闘争心。ただ強い奴と戦いたい、殺し合いたい。多分俺が持っているのと似たようなもんだ」
理性がないと思われていたティザプターの眼球が、僅かに俺の方を向いた気がした。
しかし、構わず語りかける。
「だからこそ、もう一度言おう。待たせた。消化不良な前哨戦が終わって、ようやっと体が暖まってきたところだ。お前のその狂気に、巻き込まれてやろうじゃねえの」
それを聞いた瞬間。
ティザプターが、唐突に頭を振り下ろし、俺の眼前の地面へと叩きつけた。
ただそれだけで何度も砕かれていた地盤がついに崩れ、俺とティザプターは一階層下へと落下する。
固有スキルを使える俺と違って、ティザプターは重力に従って地面と衝突する。見る限り盛大な自滅だが、血を滴らせながら上げるティザプターの顔は、理性があるように思えた。
そして、初めて口を開く。
「あア、もッタいネえ。コんナ好敵手ヲ前にしテ、喜ビを感ジ取レなイマま終わルトこロだッタ……」
「お前も喋れんのかよ……」
魔物が喋ること事態は驚きもなくなったが、こんな理性がブッ飛んでいた奴も喋るとなると、さすがに予想外だ。
ティザプターは同類を見て、狂喜の笑みを浮かべる。
「あレだケ啖呵切っタんダ、人間。簡単ニ死ンでクれルナよ?」
「また聞いたな、その言葉。ここでは流行ってんの?」
俺はその笑みに対し、同類の笑みで返す。
命と戦いに取り憑かれた者たちの、凄惨な殺し合いの場と化す。
ティザプターの眼から、再び僅かに理性が消えた。
それが開戦の合図であるかのように、ティザプターが歓喜の咆哮を上げる。
「オオオオオオォォォォォ!」
「ラゼの御命令なんでな。お前はここで碾き潰す」
地盤が揺れ、空気が震え、両者が動いた。
●
ユヅキ・ヒガミの強さとは何か。
彼が異世界に来た直後の、リルティアからの評価は散々であった。
魔法の一発も撃てないほどに、魔力は脆弱。
固有スキルは、空気に触れて空中に留まったり、魔力に触れて投げることで魔撃を再現したりと、想定よりは使えはしたものの、現状の使い方では風属性の魔法使いの下位互換と言っていい。
そんな彼の強さは何か。
恐らく、牢獄迷宮での彼を見た者がいたとしたら、恐らくステータス、あるいは戦闘における技能と答えるだろう。かつては特出してもいなかった彼の戦闘能力は、牢獄迷宮でのラゼの特訓を経て、凡人のそれを凌駕している。
でなければ、レベル76の差を覆すことなど本来不可能だ。なるほど、彼の強さであると言えるだろう。
現に、最初はラゼもそうだと思っていた。
――――答えは、半分正解である。
そして、もう半分は、彼自身の――――殺し合いが好きという特性そのもの。
相手を殺すことが好きなわけでも、いたぶることが好きなわけでもない。
ただ、殺意をぶつけ合い、命を賭け合い、己の全力で碾き潰し合う戦いにこそ、彼は惹かれる。
平凡な世界で生きる意味を見失っていた少年が、異世界で初めて命を守り抜いた日。レッサーゴブリンと、初めて殺し合った日。彼の眠っていた、浮かび上がるはずのなかった激情が目覚めた。
殺し合いこそが、彼の独壇場。命を散らす渦中にいることで、彼の内側で溢れ出すアドレナリンが、彼の世界を鋭利に加速させる。
その狂気とも言える彼の本能が、身体のリミッターを外す。
――――さて、突然だが、ここでこの世界のステータスについて語ろう。
ステータスの数値は、正確なものではない。あくまで指標である。
例えば、攻撃力が100の人間がいたとする。その人間が相手を弱めに殴れば攻撃力90相当のダメージしか与えられないし、全力で殴れば攻撃力110相当のダメージも叩き出せるだろう。
つまり、理論上はステータスの表記以上のパフォーマンスは可能なのである。
しかし、ステータスはあくまで戦闘時に用いられるもの。そこそこ力を込めた状態のものが指標となっている。しかし、理論上可能なパフォーマンスの上限でないということが重要だ。
なら、指標を軽々と飛び越えたパフォーマンスが可能な人材がいたら、どうなるのか。
ステータスという体系によって分かりやすく成長して、凡人とは別生物レベルに超越した者が、改めて身体のリミッターを外すということは、一体何を意味するのか。
ユヅキ・ヒガミは普通の少年である――――否、かつては普通の少年だった。
彼が異世界に来てしまったことで、発現した異常性は3つ。
1つ目は、ラゼへの愛。
簡単に自分より想い人を優先してしまうような、あまりに危ういその習性。
2つ目は、殺し合いへの異常なまでの執着。
言うまでもなく、彼の中でも最も分かりやすい異常性であり、元の世界でも生まれた場所によっては発現してもおかしくなかった地雷。
そして3つ目は、こと殺し合いになると、彼の体内のアドレナリンとリミッターは、簡単にタガが外れてしまうということである。
――――かくして、感情の怪物と正真正銘の怪物は、似た者同士、牢獄迷宮にて激突する。
主人公は個性的にすべき派VS無個性にすべき派の仁義なき戦いは果てることなく続いていますが、私は個性的にしたい派です。
だから作者は、主人公のシーンは『いや、こんな奴に感情移入、ましてや自己投影とか絶対出来ねえだろ……』と思いながら書いてます。
(ウィザリアの台詞は文字数稼ぎじゃないよ、本当だよ)
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『さっさと続きを更新しろやブン殴るぞ』
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