一話 月の雨
プロローグ
かつて世界大戦が起こった。
いくつもの国を巻き込み、日を追う事に戦火は広がり多くの死者を出した。
そんな大規模大戦に終止符を打ったのは一人の少女の犠牲であった。
一話 月の雨
一章
ほんの少し冬の気配を纏い始めた朝の空気が空いた窓から列車内に吹き込む。
小気味よい一定のリズムを刻む蒸気機関車。
自分の内から聞こえる心臓の鼓動とリンクする。
自分は生きているのだと実感する。
それと共に自分のやるべき事を反芻する。
(僕のようないらない人間が自分で見つけたやるべき事。
どれだけ困難でもやり遂げよう…
この力を本来の持ち主に返すんだ…)
流れゆく景色に今でも鮮明に思い出される村での日々を置き去りにして僕は自分の決意をより大きなものにした。
ー-僕は誰にも必要とされていない。
そんなことはずっと前から分かっていた。
能力が発言する前は都合のいいストレス発散の道具。
能力が発言してからは村のために僕の力を利用した。
村の人間は僕の能力を都合よく利用するだけで本当の意味で僕のことを必要としている訳ではなかった。
それでも誰にもなんの感情も抱かれないよりマシだ。
けれどその必要とされる理由である能力ですら僕のものではなかった。
村のものから僕の力が借り物であることを聞いたとき、僕は自分が価値のない人間であることを思い出し、そんな自分がこの力を持っていることがとてつもなく申し訳ないことのように思えた。
その日僕はこの力の持ち主を見つけ出し、力を返すことを決意し村を出た。
二章
列車は長い旅を終え、終着であるこの国の首都キビアスへとたどり着いた。
真夜中に村を出立し、キビアスに着いた頃には日が傾き始めていた。
駅に降り立つと多くの人が駅前の広場を行き交っている。
生まれてこの方見た事もない数の人に圧倒されその場に立ち尽くす。
途端に後ろから衝撃。
「あっ、すいません…」
「……。」
ぶつかった相手から返事はない。
それどころか睨まれてしまった。
(これだけの人が行き交っているのだから止まると危ないのか…)
僕は都会のルールをはじめて知り、人の波に逆らわず歩き出した。
人の波に乗って歩いていると少し開けたところに出た。
どうやら街の広場に出たようだ。
真ん中には噴水があり、その周りは円形上に石造りの建物が建っている。その隙間を放射線状にいくつかの道が伸び、そのどれもが石畳で舗装されている。
(絵になる街並みだな…
木造平屋で、土がむき出しの狭い道しかない村のメインストリートとは大違い…
そして何よりも人の多さが段違いだ…)
夕暮れに染まる広場は多くの人で賑わい活気づいていた。
綺麗な街並みと人々の笑顔が一体となっておりそれがこの街の日常なのだと感じた。
僕が都会の雰囲気に圧倒されつつも感心していると人々がにわかに騒ぎ出す。
「あっちで言魂使いが芸を披露してるんだって!」
「見に行こっ!」
人々の流れを目で追っていると噴水の前に人だかりが出来ていた。
(…言魂使い?)
僕は聞きなれない単語が気になって近づいてみると、どうやら大道芸人が芸を披露しているようだ。
シルクハットにタキシードを着た男が仰々しく礼をし、ショーは開幕した。
男は自分の前に水が並々に入った大きな桶を置く。
その上に男が手をかざし、何やら言葉を唱えると桶に入った水がいくつもの玉になり空中に浮かび上がった。
観客からは驚きの声が上がる。
男が再び言葉を唱えるとその水の玉がジャグリングの容量で空中を円形の軌道を描き動き出した。
その後も男が何か言葉を唱える度に水は形やその動きを変えた。
その度に観客からは歓声が上がった。
そうしていよいよフィナーレ。
男がいつもより長めに言葉を唱える。
すると水の玉は空中で細かく切り裂かれ、周りに霧のように霧散し、男の周りに漂う。
そして水が夕暮れの光を反射し、男を輝かせる。
男は恭しく礼をし、ショーは幕を閉じる。
観客たちからは今日一番の歓声と割れんばかりの拍手が惜しみなくおくられた。
観客たちはチップを払うと散り散りになった。
僕は男が起こした不思議な現象にただならぬ胸のざわつきを覚え、その場に留まる。
すると横を手を繋ぎ笑顔で会話する親子が通り過ぎた。
「ねぇ、お母さん。
なんでお水が浮いたり動いたり弾けたりするの?」
「あれはね言魂っていう不思議な力が起こしているのよ。」
「言魂?
それって私にも使えるかな?」
「うーん…
言魂は生まれつきの力みたいだから無理かな…」
「そっか…
残念…」
僕は何気ない親子の会話が妙に気になった。
(言魂…
不思議なことが起きる力…
もしかしたら僕の能力を知る手がかりになるかもしれない…)
「よし。
まずは街のこと、不思議な力のこと、他にもいろいろと情報収集しなきゃ…」
今後の方針を決め、僕はある場所へ向かった。
三章
冬の日暮れは早く、先程まで夕暮れに染まっていた街が今はガス灯の明かりで等間隔にぽつりぽつりと明るくなり幻想的な様相を見せる。
大きな酒場通りは人通りもそこそこあり、ほろ酔い気分の大人達が愉快に千鳥足で歩いていく。
夜になると家々から微かに漏れるロウソクの光くらいしかなく、人通りが全くない村とは大きな違いだ。
僕はそんな人たちの間を抜け酒場へと歩を進める。
僕が目的地としたのは酒場だった。
色んな情報が集まるのは酒で判断力が低下し、口が軽くなる酒場だ。
僕は酒場の中に入り、そこそこ酒が入り、盛り上がっている人を探す。
そして見つけると近づき声をかける。
が、いざ声をかけようと思ってもなんと言っていいか分からない。
(そう言えば村でも街に出てきてからもまともに人と会話したことがなかった…
声ってどうやって出すんだっけ…?)
どうしたらいいか分からなすぎて思考も身体も動かなくなる。
その場で棒立ちになっていると声をかけようとしていた酔っぱらいの男が僕に気づく。
しかも向こうから声をかけてくる。
「ん?
なんだい、兄ちゃん、見ない顔だね…
じっと立ち尽くしてどうしたんだい?」
正直助かった。
男に話しかけられたおかげで再び思考が正常に動き出す。
だが、人と話すことに慣れていない僕がすぐに対応出来るはずもなく。
「えと…」
ようやく出た言葉はそれが精一杯だった。
僕の挙動は明らかに不審だっただろう。
それでも男はそんなこと気にしていないようで、気さくに言葉を返す。
「随分緊張してるな…
さては兄ちゃん、田舎から出てきたばかりだな!」
「はい…
今日村を出てきたばかりで街のこととか色々分からないことが多くて…」
「そうか!
なら俺になんでも聞いてくれっ!
俺は生まれてからずっとこの街で育ったからな!!」
「では、遠慮なく」
その酔っぱらいの中年男性は本当に親切に色々と教えてくれた。
酔っているとはいえ根が世話焼きなのだろう。
僕が街に来てはじめてしてしまった失敗の話をすると男は笑って街での歩き方を教えてくれる。
「兄ちゃん、本当になんも知らないんだな!
それにさっきから表情一つ変わらねぇし…
まだ緊張してんのか?」
「いえ、そういう訳では。
人と話すことに慣れてなくて…」
「なんだよ、ハッキリしねぇ男はモテねぇぞ!
ま、俺くらいはっきりしているとカミさんに逃げられちまうんだがな?
ハハハハハッ!!!」
「はぁ…」
「兄ちゃん、今のは笑うところだ!
ま、無理に笑うのも楽しくないわな!
で、他に聞きたいことはあるか?」
「はい。
言魂?っていう不思議な力について聞きたいです。」
「兄ちゃん、言魂も知らねぇのか…
ま、俺も深くは知らないがな!
なんせ使えねぇから!」
「言魂は使うものなんですか?」
「いや、そこらへんの詳しいことは俺も知らん!
だが言魂という不思議な力を使えるやつらのことを言魂使いと呼ぶ。
だから俺たち能力を持たないものも"言魂を使う"っつうんだ!」
「なるほど」
僕は質問を続ける。
「言魂は生まれつきの力なんですか?」
「そうだって言われてるな…」
「そうですか。
言魂を人から借りることは出来るんですか?」
「うーん…
そんなことが出来るとか聞いたことがあるような…」
「本当ですか。
それはどうやって--」
「そこまでは知らねぇよ…
それに他人の言魂をどうこうするのは合法じゃねぇ…
あんまり大きな声じゃ言えねぇけど、言魂使いから言霊を奪って商売してるあくどい連中もいる…
あんまり深入りするもんじゃないぜ…」
「………」
僕には途中から男の話が入ってこなかった。
(言魂が人から譲渡可能だという情報は有益だった…
でもまだ、情報が足りない…
もっと詳しいことを聞くにはもっと色々な人に聞いてみないとダメか…)
男は僕が話半分に聞いていることを察すると心底残念そうな表情をした。
が、男は大袈裟に思い出したような表情をすると大きめの声で主張するように話し出す。
「兄ちゃん!
言魂使いについて知らないってことは世界大戦についても知らないだろ?」
「世界大戦?」
僕が再び自分の話に興味を示したことが嬉しかったのか男は得意げな顔で話し出す。
「兄ちゃん、歳はいくつだ?」
「19です」
「じゃあ知らねぇのも無理はねぇ!
世界大戦はお前さんが産まれる前に終息したからな…
少し長い話になるがいいか?」
「はい」
僕は居住まいをただし男の話に耳を傾ける。
その様子に男は満足気に話し出す。
どこか遠くの景色を観るように--
「今から20年前、世界中を巻き込む大戦争が起こった---」
---トリオン暦5036年
大国トリオンが周辺諸国との間に起きた領土問題を巡り戦争がおきた。
その戦火は日毎に規模を増し、果ては世界中を巻き込んだ長期戦争となった。
この戦争で世界中の多くのものの命が喪われ、建造物や文化が破壊された。
世界戦争が長期化したのには大きな原因がある。
それは言魂使いの存在だ。
戦前は不思議な能力を使う奇妙さから迫害の対象であったが、その能力が戦闘に利用できると分かってからは積極的に戦争に動員された。
言魂使いたちが使う人智を超えた力は戦争をより激しいものにした。
ある者は街一つをたった一人で壊滅させ、またある者は地図を書き換えるほどに地形を変化させた。
やがて人々は言魂使いを畏れるようになった。
この泥沼の戦争は膠着状態が続き終わりが見えないかに思えた。
そんなあるとき一人の言魂使いの少女がトリオン大国の戦士として戦線に参加した。
齢はたったの5つ。
けれど彼女の言魂使いとしての能力は群を抜いていた。
彼女の力は言葉を発することなく外界に影響を与えるほど強く、それは言魂使いの根底を覆し、戦況を大きく変えるものだった。
それどころか彼女は参加した戦線で国を一つ消してみせたのだ。
そこにあった建物、国土、人、文化、言葉の全てが一瞬で消えてしまった。
このことをきっかけにトリオン大国と敵対していた国が次々に和解を持ちかけた。
トリオン大国もこの和解をすぐに承諾した。
この戦果にはトリオン大国としても予想外であったらしく彼女の能力を畏れた。
世界大戦終息後直ぐに参戦国間で声明が発表された。
--本戦争で一国が消滅した事態を重く受け止め、声明参加国により彼女の能力を永遠に封印することを決定した。と。
「--こうして世界に再び平和が訪れたのさっ!めでたしめでたし!」
男は昔語りをお決まりの文句で締めくくった。
「あの、その少女はどうなったんですか?」
「たしか言魂使いとしての能力を使えないようにされて今はどこかで普通に暮らしてるって話だ!案外そこらへんに住んでたりしてなっ!
ハッハッ--」
「言魂使いの能力を使えなくするというのはどうやって?」
「おいおい、食い気味に質問攻めとは随分と興味をもったものだな!」
「すいません……」
僕はその話にとてつもなく興味を引かれた。
自分が産まれる前に起こったことなのに、なぜだか自分とは無関係な気がしなかった。
「いやいや、俺がした話に興味をしめしてくれたみたいで嬉しい限りだ!
質問のことだが、なんでも力の核をいくつかの言魂に分けてそれぞれ別々の国で封印しているらしい…
分けた言魂だけでもすごい力らしいからな…
それぞれの国が均等に強い力を持っていることで互いに睨みをきかせて均衡を保っているんだろうよっ!
これじゃ、戦争があってもなくても国同士の関係性はさっぱり変わっちゃいない!
国にいいように使われた言魂使いの嬢ちゃんが不憫でならねぇ…
大体国が--」
そこから男は国に対しての不満を延々と話し始めた。
(力の核を分けて能力を封印した…?
言魂を分けることが出来るのか?
だったらその言魂を他人に渡すことも……
少しずつ近づけてる気がする…
でももっと、もっと色んな情報が必要だ…)
「あの、親切に色々教えていただいてありがとうございました。」
僕は男に深々と礼をする。
「そんな政策じゃ--
っお、おう!もう行くのか?」
「はい、本当にありがとうございました」
僕はもう一度深々と礼をする。
「おう、またいつでも頼れ!
お前のような礼儀正しい若者は好きだからな!
次会う時は緊張せずに俺の話で存分に笑えよ!
ハッハッハ!!」
「はい、笑えるように頑張ります。
失礼します」
男は一瞬固まったがすぐに大声で笑いながら僕に手を振った。
僕は再び礼をして男のいる酒場を去った。
四章
その後、3、4軒の酒場を回ったが最初の酒場以上に有益な情報がきけたところはなかった。
それどころが数を回るうちに僕が話しかけると怯えながら去っていくものが増えてきた。
(もしかして避けられてる?
僕の噂が酒場の間で広まっているんだろうか…)
そうして6軒目の酒場を出た時、ふと人通りがまったく無いことに気づいた。
(あれ?
店に入った時はもっと賑わっていたと思ったんだけど…)
小さな変化に疑問を感じつつ次の酒場をめざして歩き出す。
先程から当たり前のようにあった闇が妙に気になる。
夜の街はガス灯に照らされていないほとんどの所は一切の光がない真っ暗闇である。
それに今は雲がかかっているせいで月明かりや星々のほのかな灯りすらない。
今までは人の活気であまり気にならなかったが人気が無くなった今は闇が急に自分の足元まで這い寄ってくる感覚がある。
それでいて何故か視線を感じる。
僕は自然と歩調を速める。
何かが今までと違う。
(早く人のいる所へ…)
焦る気持ちがそのまま歩く速度に変わる。
痺れを切らして大通りへ向けて走り出したとき--
突然。
目の前に数人の人影が現れる。
「…っ!」
僕はぶつからないように足を止めた。
だがすぐにそのことを後悔する。
数人の人影は僕の逃げ道を塞ぐように立ち、ゆっくりと距離を詰めてくる。
その目は弱者をいたぶるときの恍惚にも似た色を帯びている。
それは僕がよく知る眼差しだった。
(村の人たちが僕をいたぶるときと同じ表情…)
鼓動が身の危険を感じ、徐々に早まるのを感じる。
咄嗟に逃げようと後ろへ切り返す。
だがそこにも数人の男が待ち構えていた。
(かこまれてる…
どうする、突っ切る?いや、この人数だ、すぐに捉えられる。命乞いする?いや、そもそも相手の目的が分からない。
…もう、どうしようもない……)
自身の状況が追い込まれていることに気づいたとき、ふっと身体から力が抜けた。
諦めが逆に身体に入っていた変な力みを抜き、思考をクリアにする。
(ここは逆らわないことが最善手…)
僕は向かってくる男たちに向き直った。
「僕に暴力を振るうならご自由に。
でもそれ以外に目的があるなら教えていただけますか」
男たちは僕の態度があまりにも冷静であったことに驚き、たじろいだ。
そのとき男たちの後ろから声がする。
「こんな状況でよくそんなことが言えるなぁ!」
その声を合図に男たちの壁は開き、一本の道を作り出す。
そこからスーツを着込んだ恰幅の良い男性が優雅に歩いてくる。
「よっぽど肝が座っていると見える…」
「いえ。
諦めが良いだけですよ。」
男は僕の言葉を受け、片方の眉毛をピクリと上げると品定めするような視線で僕を下から上まで見回した。
そして凄みのある睨みを利かし口を開いた。
「お前に質問がある。
正直に答えれば痛い目には合わないぜ。
ここらで言魂使いについて聞き回ってるらしいじゃねぇか…
なにが目的だ?」
僕はしばし沈黙した。
(ここで嘘をついても状況は好転しそうにない…
正直に答えておくのが得策か…)
「僕はただ自分のことが知りたいだけです。」
「ほぉ…じゃあ、お前は言魂使いなのか?」
「それが分からないので確証が欲しいだけです」
「ははっ、俺は心底ついてるな!
おい、こいつを連れて行け!!」
「はい、頭!」
その言葉を合図に静観していた男の部下たちが距離を詰めてくる。
「話が違うじゃないですか。
正直に答えれば危害は加えないのでは?」
「無関係のやつならそうしてたさ。
だがお前が言魂使いなら話は別だ!」
「まだ僕が言魂使いだと確証が--」
「違ったらその時はその時だ!
おい、さっさと連れて行くぞ!!」
独自の理論を展開する男が対話に応じるとはとても思えない。
(こんなのめちゃくちゃだ…
捕まったらどんな目に遭わされるかわかったものじゃない…
逃げなきゃ…)
だが、事態は最悪。
多勢に無勢。
こんな状況から逃げ出す手立てなんてさっぱり思いつかなかった。
打つ手なし。
思考が止まる。
「…詰み、かな……」
思わず心の声が口をついて出る。
すると途端に何もかもがどうでも良くなる。
だかそれと相反するようにこれから自分に起こることを忌避したいと思っている。
(まだ、村から出てきて数時間しか経っていないけど、街の景色に圧倒されて、温かい人がいることを知って、危険があることを知った…
いいことも悪いことも何もかもが新鮮で、自分の中で何かが動き出すのを感じる…
村では味わったことの自分の変化…
こんな所で捕まりたくない…
僕は目的を果たすんだ!)
生まれて初めて自分の意思で発露した強い感情。
僕は自分の中から溢れてきた強い気持ちを込めて…。
涙を流す。
---ポツリ。
唐突に空から冷たい雫が落ちてくる。
「ん?雨か?」
その場の全員が空を見上げた瞬間。
降り注ぐ雫の勢いは一瞬で土砂降りの域にまで達した。
その場にいる全員が慌てふためいている。
僕を除いては。
この隙をついて男たちの間を抜けようと走り出す。
その間も僕の涙と雨は途切れることなく勢いを増していく。
(すごい…
こんなに激しい雨、初めて能力が発言したとき以来だ…
いつも通り涙を流しているつもりなんだけど…)
この土砂降りは想定外だったが今の僕には寧ろそれが好都合と言えた。
勢いのある雨は水のカーテンとなり僕の姿をうっすらと隠してくれる。
それも手伝って順調に人と人の間を抜けて大通りを目指す。
だが手下のひとりが僕の動向に気づき手をのばしてくる。
(マズイ…
捕まる…)
思わず目を瞑るが、決して走る速度は緩めない。
意を決して突き進む。
--僅か5cm程度の紙一重。
追いかけてきた手下をかわすことに成功した。
(助かった!
よし、この調子でいけば逃げ切れ--)
だが僕の思考は絶望によって中断された。
手下の男がいた方とは逆方向。
走るために身体の後ろへ引かれた腕を。
頭の男が必死の形相で掴んでいた。
「捕まえたぞっ……」
そう言う男の目に宿る圧に肌が粟立つ。
僕が気圧された瞬間、しっかりと力を貯めた右拳が僕の左頬を的確にとらえる。
その衝撃に従い後ろへと飛ばされる。
そのまま地面に広がる水溜まりに盛大に水しぶきを上げて倒れ込む。
思い切り殴られたことで一瞬意識が飛ぶ。
そのせいで僕の涙は止み、それに伴ってバケツをひっくりかえしたような大雨は夢幻のようにピタリと止まる。
「ガキが!調子に乗るんじゃねぇ!!」
頭の男は僕を殺意の籠った目で見下ろす。
僕は地面に叩きつけられた衝撃で立ち上がれず、上半身を少し起こすのが精一杯だった。
そこに間髪入れず頭の男の蹴りが入る。
「---かはっっ」
その衝撃で肺の中の空気が勝手に出る。
頭の男はなおも僕を蹴り上げ、踏みつけ、踏みにじり執拗に暴行を加える。
口の中には血の味が広がり、身体の至る所に鈍い痛みが走り、時々衝撃で肺から空気が吐き出され自由な呼吸が出来ない。
一撃一撃が村で受けていた暴行とは比べ物にならないくらい重い。
思わず涙が滲む。
するとポツリポツリと小雨が降り出す。
だが、もう誰も動揺しないし小雨では姿を隠すことも出来ない。
それどころか冬の気配を孕んだ秋の雨は冷たく、濡れた身体に僅かに残る体温さえ容赦なく奪っていく。
(この力は決して僕の味方ではない…
他人の力なんだから当然のことだ…)
改めて思い知らされた現実はこの雨のように冷たい。
五章
雨は止み、頭の男も気が済んだのか暴力も止む。
「もういい連れていけ!
こいつが言魂使いだと分かったことだしな!
さっさと売っぱらうぞ!
外見はどうせ後で始末する。多少手荒でもかまわん」
「はい!
おら、さっさと起き上がれ!」
もう立ち上がる気力も体力もなくなった僕の身体を部下の男が両脇を抱えて無理やり歩かされる。
頭をあげる気にもなれず視界に映る地面をただの視覚情報として受け入れることしかできない。
(…妙に明るい……)
思考が上手く働いていないせいでそれが月明かりなのだと気づくのにいつもの倍の時間がかかる。
周りが暗いせいか月明かりに照らされた地面が際立って明るく感じる。
そこにふっと、人影が落ちる。
上から差す月明かりの中に人影が落ちたことに違和感を覚え顔を上げると--
突き当たりに建つ建物の屋根の上。
人が立っている。
そしてその後ろから妙に大きな満月が顔をのぞかせる。
「おいおい、こんな明るい満月の夜に人攫いとは…
よっぽど肝が据わってると見える」
月の中の人影は少し大袈裟に言う。
だがその声に違和感を覚える。
「貴様、何者だ!」
頭の男が屋根を見上げ凄みを聞かせて言い放つ。
頭の男を含めその場の全員の視線が月の中の人影に注がれる。
「誰だっていいじゃねーか…
私はちょっと聞きたいことがあるだけだ。
なぁ、さっきの言魂は誰が使った?」
「そんなこと部外者の貴様に答える義理はない!
今ここで見た事を忘れて立ち去るなら特別に見逃してやる!
さっさと行け!」
「私も質問にさえ答えてくれたらさっさと行くよ。
その後で人攫いでもなんでもやりゃあいい。
もう一度聞く、さっきの言魂は誰が使った?」
「しつけぇな!
忠告はしたぞ!
きかないてめぇが悪いんだぜ!
おい、あいつを始末しろ!!」
「はぁ…
なんで悪い奴ってのは揃いも揃って素直じゃないかね…
さっさと答えりゃそれで済むのに…
あぁ、めんどくせぇ…」
(そうか…
声が幼いんだ…)
先程抱いた違和感の正体に気づく。
その声は金糸雀のように高く美しい旋律を奏でる少女のような声色だった。
「何をブツブツ言ってやがる!
降りてこい!!
じゃないと鉛玉を--」
「うるせぇな…
そんなにお望みなら降りてやる、よっ!」
とたん月の中の人影が消える。
そして---
「ぐへっ!」
頭の男の情けないうめき声が聞こえる。
男は地面にうつ伏せに倒れ付し、その身体の上に小柄な少女が立っている。
「おっと、これは申し訳ないことをした…
降りてこいと言うからてっきり着地を手伝ってくれるものだと思ったが、どうやら違ったようだ」
少女はその可憐な見た目に似合わず、片方の口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。
「「頭!」」
部下たちは少女に狙いを定めて一斉に襲い掛かる。
それを間一髪のところで真上へと飛び上がりヒラリとかわす。
その後も襲いかかってくる部下たちの間を軽やかにまるでダンスでも踊るようにかわしていく。
そして僕の目の前まで来ると両脇を固める部下の男たちを簡単にのしてしまう。
「ありがとうございます」
「あぁ、ついでだから礼はいい。
にしても、こんなタチの悪い連中に絡まれるとはお前ツイてねぇな…」
少女は僕の腕にポンッと手を添えた。
(近くで見ると小柄なのが際立つな…
こんな小さい身体のどこに大の大人を圧倒する力があるんだろう…?)
年齢は12、3歳だろうか。
おそらく同年代の少女より小柄だ。
そんな少女が屈強な大人数人を相手に大立ち回りしていたことが未だに信じられない。
そして少女の高い声に少々乱暴な大人びた言葉遣いはなんともミスマッチで特徴的だ。
僕はまじまじと少女を観察してしまう。
そのとき場の空気が急激に変化する。
「おい!糞ガキ!!
よくもやってくれたな…
ぶっ殺してやる!!」
その一声でその場の空気が震え、肌をひりつかせる緊張感に包まれる。
声のした方を見ると少女に踏みつけにされていた頭の男が部下の助けで起き上がり、とてつもない剣幕で激昂している。
僕は男の剣幕に押され、緊張から来る喉の乾きを生唾を飲み込むことで潤す。
(彼女の雰囲気に飲まれてすっかり忘れていたけど男たちに囲まれている状況は変わっていないんだった…)
僕は横目で少女を見る。
少女は頭の男の殺気をもろに受けても態度を変えることなく、また片方の口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。
「ぎゃあぎゃあうるせぇな…
赤子でももっと静かなもんだぜ」
火に油を注ぐ。
その言葉が相応しいくらいに頭の男は顔を真っ赤にして烈火のごとく怒鳴り散らす。
「糞ガキ!
ぶっ殺してやる!!
おい、横のガキ諸共殺せ!
蜂の巣にしろ!!
ミンチになるまで撃て!」
頭の男の号令で倒れていた部下たちも起き上がり一斉に大小様々な銃を構え発砲態勢を整える。
(相手はいつでも撃てる体勢…
一歩でも動けば撃たれる…
この状況下で逃げ出すのは無理だ…)
まさに崖っぷち。
冷や汗が額からこめかみを伝う。
今眼前には死が迫っており、その引き金は些細な言動ひとつで引かれかねないのだ。
両者動かず20秒くらいたっただろうか。
ほんの一秒が何時間にも感じられる。
少しの身動きも許されない緊迫した雰囲気。
それを打ち破ったのは金糸雀のささやきだった。
「あれ?
撃たねぇのか?」
水を打ったような静けさが場に広がる。
そんな中でも少女は気にせず言葉を続ける。
「それに蜂の巣なのかミンチなのかハッキリしてもらわねぇと…
パンケーキの上に乗せられるのかパテの上に乗せられるのか分からねぇじゃねぇか」
この軽口が引き金になった。
傍目にもわかるくらいに頭の男の堪忍袋の緒がきれた。
顔を真っ赤にして空気を目一杯吸い込み、火山のような大爆発を起こす。
「撃てえええぇぇぇぇぇぇっっ!!!」
それを合図に一切射撃が開始される。
弾丸がこちらに向かってくる。
(もうダメだ…)
僕はその場に呆然と立ち尽くした。
だが急に腕を捕まれ、とてつもない勢いで引かれる。
その力に従い身体が勝手に飛んでいく。
それと着弾はほぼ同時だった。
先程まで僕がいた場所に大量の弾丸が降り注ぐ。
「あんなに撃ったら本当に蜂の巣みたいになっちまうな」
僕の手を引いた少女は相変わらずの軽口をたたく。
「すいません。ありがとうございます。」
「お礼を言うのはまだ早いぞ。
ほら、次だ!」
大量の発砲音がする。
少女は再びすごい力で僕の手を引く。
それに伴いすごい速度でその場を移動する。
先程少女が見せた目にも止まらぬ速さでの移動を強制的にさせられる。
だがそのおかげで敵は少しの間僕たちを見失う。
「また当たってないぞ」
「おい、どこに行った?」
部下の男たちの戸惑う声が聞こえる。
この調子で逃げていれば弾丸に当たる心配はないのかもしれないが状況が好転したとは言いがたかった。
ちらりと横にいる少女の様子を覗き見る。
少女は余裕の笑みを浮かべ満足気な表情をしている。
「よし…
これだけ派手にやってくれりゃあ正当防衛も成り立つな!」
そういうと少女は僕を銃の当たらない物陰に連れていく。
「危ないからお前はここで大人しくしていろ!」
そういうと少女はあえて目につきやすい場所に出て部下の男たちを真っ直ぐに見据えた。
「おい、いたぞ!
撃て!」
案の定見つかり全弾打ち尽くさんばかりの一斉射撃が行われる。
少女は不敵な笑みのまま大きな声で言い放つ。
『"激"場開幕!』
すると少女を中心に幕のようなものが広がり僕や敵全て含む辺り一帯を包み込んだ。
さながら円形の舞台上のように。
だが変化といえばそれくらい。
少女はその場から一歩も動いていないし、敵にもなんの変化もない。
否。
少女に向けて放たれた銃弾の着弾音が一切しない。
少女の様子からして避けたわけでもなく、少女に着弾したわけでもなく、地面に着弾したわけでもない。
その事に敵も気づき再び一斉射撃。
だがやはり発砲音はするものの着弾音は一切しない。
誰もが何が起こっているのか分からなかった。
するとそれまで黙っていた少女がくつくつとこらえたような笑い声を上げた。
「くくくくっ。
いやぁ、愉快なものだな、他人の呆け顔というのは」
「貴様、何をした!!」
「大したことはしてないさ…
あ、そうそう!
落し物だぜ」
少女が握っていた手のひらを開くと何かが大量に地面に落ちる。
それは銃弾だった。
「お前らがろくに狙いも定めずにぶっ放すもんだから集めるのが大変だったんだぜ…」
(まさか撃たれた銃弾を集めた…?)
「何デタラメ言ってやがる!
おい!
どんどん撃て!!」
「はぁ、何回やっても同じだってのに…」
少女はため息とともに呟き、また向かってくる銃弾を一切避けようとしない。
そしてまたジャラジャラと掴んだ弾を地面に落としてみせる。
「私にとっては栗拾いみたいなもんなんだからやめとけって…
弾の無駄だぜ」
「う、うるせぇ!
構わず撃てえええ!」
「はぁ…
ま、こっちもそんなに悠長にしていると時間が勿体ないからな…
そろそろきめるか…」
少女はスカートの端を持ち舞台上の役者のように恭しくお辞儀をする。
そして天上に浮かぶ月を真っ直ぐに見据え一言。
『激情---』
その瞬間場の空気が一気に澄んだものへと変わる。
『時の流れは激湍のように私を飲み込み攫うだろう。』
月の光をピンスポットのように浴びて少女は朗々と語り出す。
その間も弾丸は止むことがない。
少女は弾丸を紙一重で避けながら言葉を紡ぐ。
『激しきこの怒りはどこに行き着くのだろう。
この憤激は詭激へと成り、呪へと形を変え再び地を巡るだろう。』
少女は詩のような言葉を言い終えると始まりと同じように恭しくお辞儀をする。
その姿はあまりにも美しくら名画のようにいつまでも見つめていたくなるものだった。
その場には絶え間なく銃弾の雨が降る。
なんともミスマッチだ。
だが少女がそこに存在するだけでそれすらも劇の演出であるように感じるのだ。
少女が礼を解き、顔を上げたとき先程のどこか厳かで澄み渡った表情とは違い、いつもの片方の口角を上げ人の悪い笑みを浮かべていた。
「全員まとめて、ぶっ飛ばす!」
そう少女が言った途端、敵の真ん中を一筋の光が走った。
その瞬間銃声は止み、敵は頭の男を残し全員倒れた。
そして光の終着点には少女が立っていた。
少女は気だるげに手首や足首のストレッチをしている。
「あー、かったる…
これでひとまず雑魚は片付いた…
あとは、情報を聞き出して終わりだな」
そういうと少女は頭の男を睨む。
頭の男はジリジリと後退する。
少女はそれを追い詰めるかのように一歩一歩確かに距離を詰める。
「私をぶっ殺すんだっけ?」
「い、いや…」
「ちょっとこの分だとそれは無理そうだな…
なんせお仲間皆、夢の世界に旅立ってる訳だし」
少女は倒れた部下の方をちらりと見る。
部下の男たちは誰一人としてピクリとも動かない。
少女は人の悪い笑みを浮かべ頭の男を見る。
次はお前だという無言の圧力。
頭の男の表情は怯えきっていた。
「な、何が欲しいんだ?
金か?
なんでもやるから命だけは!」
「私が欲しいのは情報だけだ、それ以外に興味はない」
「分かった!
何について聞きたい?」
「さっきも聞いたんだがな…
手の平返しとはまさにこの事か。
ま、いい!
さっきの言魂はお前が使ったのか?」
「いや、俺じゃない!」
「本当か?
あの場で言魂持ってそうなのはお前だけだと思うが?」
「本当だ!
俺じゃない!!
あ、アイツだ!」
頭の男は僕を指さした。
少女の視線もその方向へと注がれる。
少女とバッチリ目が合う。
「へ〜…
これは意外な線だったな…
無害そうに見えて人は見かけによらないものだねぇ」
少女は値踏みするような視線で僕を見つめ、ゆっくりと近づいてくる。
それによってできた隙で頭の男が逃亡を計る。
「それはそれとして--」
少女はくるりと向きを変え地を蹴る。
「お前は逃がさねぇけど」
少女の、文字通り目にも留まらぬ速度エネルギーを込めた膝蹴りが頭の男のみぞおちに入る。
「カハッ」
男は肺の空気を吐き、倒れる。
『これにて閉幕』
少女は大の大人を一撃で沈めた後になんとも似つかわしくない恭しい礼をする。
そしてゆっくりと顔を上げる。
直後には先程までの可憐な雰囲気が嘘のように乱暴な言葉遣いと掴みどころのない態度が戻ってくる。
「逃げようとしやがって…
お前がいないと罪を擦り付けられないだろ!
銃弾でここら辺一帯穴だらけなんだから…」
確かに辺りの壁は銃弾で穴が開き、酷いものは壁にヒビまで入っている。
(これは軍に捕まったら大変なことになりそうだ…)
この後全ての罪を被り、軍に捕まり牢に入れられるであろう頭の男のことを思い少し気の毒に思ってしまう。
(ま、元々悪い人たちだから余罪が少し増えるだけかな…
それならいいか)
思わず顔の筋肉が動くのを感じる。
眉が下がり、目が細められ口の両端がうっすらと持ち上がる。
「はははっ…」
「ようやくまともな表情したじゃねぇか…
あんな状況下だったとはいえ随分顔が変わらねぇとは思ってたんだ…」
少女は僕の顔をまじまじと見つめていた。
少女に指摘され僕は自分の顔を両手で触り確認する。
(表情…
それに今、声が自然と漏れてた…)
「あの!」
僕の突然の大きな声での呼び掛けに少女は一瞬驚いたが、小首を傾げ僕の次の言葉を待ってくれている。
「これ、なんていう表情なんですか?」
「え?」
少女は間抜けな声を上げてフリーズする。
それから物凄い速さで瞬きを繰り返した。
「えと、苦笑だと思うが…」
「苦笑…
それはどういう時にする表情ですか?」
「呆れたとき?…とかか?」
少女の語尾にも疑問形が滲む。
「では呆れるってどういう---」
「待て待て待て!
私をよく分からない質問攻めにするな!」
「あ…
すみません…
初めての事だったので気になってしまって…」
「苦笑がか?」
「はい。
自分の顔の筋肉が勝手に動くことなんて滅多にないので…
それに胸の辺りに違和感を感じることもあまりないので…」
「胸の辺りに違和感って…感情のことか?」
「感情…
この違和感が感情って言うんですか?」
胸の辺りに手を当てる。
(不思議だ…
温度は変わっていないはずなのになんだかポカポカする…
それに鼓動がいつもより早くて、何かが下から勢いよく上がってきそうな感じがする…)
自身の中に生じた激的な変化を実感し、急に足元の覚束なさを覚える。
今までの人生で積み重ねたものが崩れていく感覚。
でも不思議と嫌じゃない。
崩れた先には新たな世界が拡がっていたのだから。
それも今のものよりずっと素晴らしい世界が。
「お前どんな環境で育ったんだ?
世間知らずってレベルの話じゃねぇぞ?」
少女が眉をひそめて僕を見る。
「僕の世界には悲しみの感情しかありませんでした。
村の誰もそれ以外の感情を求めていなかったから…
でも、今日それが変わったんです。
街に出てきてから胸の辺りが暖かかったり冷たかったり何かが湧き上がってきたり…
それに伴って鼓動が速くなったり、身体が震えたり、顔の筋肉が勝手に動いたり、声が大きくなったり…
感情って凄いですね!」
「…っ!」
少女が僕の顔を見つめて目を見開き息を呑む。
だがすぐに片方の口角を上げてニヤリと笑う。
「お前はロマンチストの不思議ちゃんか?
言ってる意味が全然わかんねぇ。
だが、その顔は悪くねぇと思うぞ?」
「どんな顔ですか?」
僕は自分の顔を触り表情を確認する。
「ああー、また私を変な質問攻めにするなよ!」
「教えてください…
お願いします…」
「表情がほとんど変わらないくせに子犬ちゃん顔は上手いの何とかしろよ…」
「子犬ちゃん顔?」
「その顔だよ!
って、そうじゃない!
---っ、あああ、もう!
お前と話してるとペース持ってかれる…
私はお前に聞きたいことがある!」
少女から表情が消え、雰囲気が変わる。
頭の男に向けたような刺々しい気配を僕に対して向けてくる。
「言魂を使って雨をふらせたのはお前か?」
「はい」
「そうか…
その言魂こっちに渡してもらえるか?」
「それはできません。」
「ま、そーなるわな…
言魂使いじゃないやつからしたら、それは手放しがたい力だろうからな…
お前のことは気に入っていたんだがな…」
少女は脱力し、地を勢いよく蹴---
「この言魂は持ち主に返すと決めています。
そのために村から出てきたので」
少女は繰り出そうとしていた蹴りをすんでのところで止める。
「お前今、言魂を持ち主に返すって言ったか?」
「はい。
そのためにはどんな暴力に晒されようとも譲る気は無いです」
とたん少女から敵意が完全にそがれた。
「なら話は早い!
いやー、よかった…」
「へ?」
てっきり蹴られると思っていたので拍子抜けしてしまい気の抜けた声が出てしまう。
少女はそんな僕の様子にはお構い無しで質問をしてくる。
「お前、その言魂いつどこで手に入れた?」
「分からないです。
ある日突然、雨を降らせることができるようになったので。
力が使えるようになってしばらくたった頃に村の人間の噂話でこの力が自分のものでは無いことを知りました。」
「じゃあその力を得た経緯も出処も分からねぇつうことか…
手がかりになると思ったんだが期待は出来ねぇな…
実はお前が持っているその言魂は世界大戦で封印された言魂の一部だ。
そしてその言魂は元は私の言魂だった。」
「え?
それじゃあ大戦を終息させた言魂使いは貴方ということですか?」
「ま、そうなるな。」
「あの、失礼ですけど、どう見ても僕より年下ですよね?
大戦は20年前の出来事だと聞きました。
貴方があの言魂使いだとすると年齢が合いません…」
「ご最も。
お前の言うことは正しい」
少女はあっさりと肯定し二の句を紡いだ。
「だが、それは普通はという話しだ。
これは言魂の知識が乏しいやつに信じてもらえるかはあやしいんだが…
簡潔的に言うと終戦後に私の言魂は封印されたんだが、それと一緒に時間も封印されちまったらしい。」
「どういうことですか?
言魂を封印?時間を封印?
そんなことが出来るんですか?」
「できる。
だがお前はこれ以上聞くべきじゃない。」
「何故ですか?」
「これだけ危険な目にあっておいてそれを聞くか?」
少女はため息をつく。
「言魂っつうのは人知を超えた力だ。
持たないやつには魅力的な力なんだと。
だからそこに転がってる奴らみたいに違法に言魂を売り買いするやつがいる。
奴らは手段を選ばない。
言魂使いから言魂を奪うために攫ったり、殺したり。
言魂使いじゃなくても言魂使いの情報を持っていると言うだけで何をされるかわかったもんじゃない。」
(確かにあいつら僕が言魂使いだとわかる前から攫う気満々だった…)
「思い当たる節があるようだな…
だからお前はこれ以上言魂使いについて知るべきじゃない。
私に言魂を渡して平和に暮らしな。」
「………。
分かりました。
返します。」
「え?」
「え?」
「いや、お前持ち主に返すまで何がなんでも返さねぇって姿勢だったからダメ元で言ったんだが…」
「だってこの言魂の持ち主なんですよね?
なら返しますよ。
それが僕の目的ですし」
「お前…
疑ってないのか?
時間を封印されたとか信じられないだろ?
それに言魂について詳しく話してくれる訳でもない…
不信感をより煽る気がするんだが?」
「信じるも何も事実なんですよね?」
「……お前危なっかしいぞ!
都会には怖い大人がいっぱいいるんだ!
そんなんじゃすぐ騙されて身ぐるみ剥がされるぞ!」
「でも貴方はそんな事しないですよね?
僕だって何も考えずに信じたわけじゃないですから」
「あー、もう…
お前と話すと本当に調子狂うな…
何を根拠に…」
「信じたいと思ったからですかね?」
「はぁ、聞いた私が馬鹿だった…
で、言魂返してくれるんだろ?」
少女は手を出す。
僕はしばし考え少女の小さな手を握った。
「えと、握手ですか?」
「そんな訳あるか!
早く出せって言ってるだろ」
「あの、出すとは何を…」
「言魂が宿ってる物だよ!
言魂使いじゃねぇやつが言魂を使う時には言魂使いの魂を宿した言具言具を使うだろ?」
「言具ってなんですか?」
「は?
知らねぇのか?
じゃあ今までどうやって言魂を---」
少女の言葉が途切れ、深刻な顔つきへと変わる。
「まさか…
おい、お前どうやって言魂使ってた?」
「えと、使うって意識はあんまりないんですけど、涙を流すと自然と雨が降り出します…」
少女は僕の返答を聞くとしばし沈黙した。
5秒程の沈黙の後、静かに口を開く。
「言魂を使ってみろ…」
「はい」
僕は少女のただならぬ雰囲気に押されながらもいつも通り、作業的に淡々と涙を流す。
ポツリポツリと小雨が降り出す。
少女はその様子を見届けると、
能力を使う僕の胸に手を添える。
すると胸のほぼ中心が今まで感じたことがないような温かさに包まれ発光しだす。
そして胸の温かさが一定のリズムを刻み、身体の中心から徐々に末端へと広がって行くのを感じる。
そのリズムに合わせて光が明滅する。
「やっぱりか…
まいったな…」
少女は絞り出すような小さな声でつぶやき手を離す。
そして片手を頭の上に置き、大きなため息をつく。
そして僕に対し、ことの説明を始めた。
「さっきの光は共鳴だ。
お前の持つ言魂が持ち主の存在を感じて合図を出したんだ。」
「胸のほぼ中心が温かくなって身体に拡がっていく感覚も共鳴ですか?」
「そうだ。
そしてその胸のほぼ中心に位置しているのが心臓だ。」
「それはどういうことですか?」
「つまり私の言魂はお前の心臓を器として能力を発揮してるってことだ…
いや、もしかしたら言魂自体が心臓の代わりをしているのかもしれねぇ…」
「言魂が僕の心臓…」
「他人の言魂を感情使って操作するなんて、それくらい密接に繋がっていなきゃできる芸当じゃねぇ…」
二人の間に沈黙が降りる。
少女は口を開こうとするが何かを躊躇って言葉にはしない。
「それは、僕が貴方に言魂を返すと死ぬってことですか?」
おそらく少女が口にすることを躊躇っていたであろう言葉を口にする。
少女は何も言わず静かに頷いた。
「そうですか…」
再びの沈黙。
1秒がこんなにも長く感じられたことは今まであっただろうか。
村での辛く苦しい迫害の中でもこんなに時間を長いと思ったことなどなかった。
このいつまでも続くかに思われた沈黙を破ったのは僕だった。
「いいですよ」
「え?」
「貴方の言魂お返しします」
「お前、話聞いてたか?
言魂を返したらお前は---」
「分かっています…
それでもいいんです。
僕は必要のない人間なので…
そもそも言魂を持ち主に返すと決めて村を出てきたはいいですけど、返した後のことは考えていませんでした。
僕が望んで死を選ぶんです。
貴方が手を降す訳では無いので安心してください」
僕は少女の罪悪感を取り除き、安心させたいという一心で表情を動かす。
その表情を見た少女の時が再び止まる。
それから顎に手を当て何やら思考をめぐらせているようだ。
そしてこの沈黙は少女の大声で終わりを告げた。
「あああぁ!
色々考えてたら段々腹が立ってきた…」
少女は僕の方を向きこちらへと向かってくる。
そして僕の目の前まで来るとしっかりと視線を合わせる。
その顔は目元が鋭く細められ、眉間に皺を寄せて僕を睨みつけている。
先程の殺気や敵意とは違うが思わず後ろに下がりたくなる。
だが今までのどこか無理して作っていた似合わない表情ではなく、彼女自身のものだと感じて好感が持てた。
少女は大きく息を吸い込むと物凄い勢いで話し出す。
「だいたい何が必要ない人間だ!
人の価値は人が決めるもんじゃねぇ!!
自分で決めんだよ!!
もっと利己主義でいいんだよ!
私が自分の言魂取り戻すのだって誰にも望まれてねぇよ…
だがそんなの知ったこっちゃねぇ!
世界平和のためとか多くの人々の幸せのためとか…
んなもんクソ喰らえだ!!
そもそもこんな小娘ひとりの犠牲の上に立つ平和なんて大した平和じゃねぇんだよ!!」
全ての言葉を吐き出すと少女は肩で息をする。
「すまん、つい勢いに身を任せすぎた…
あと後半はお前に言うことじゃなかったな…」
「いえ…
初めて貴方の本心が見えて素敵だと思いました。」
「…っ!
これで無自覚だってんだから怖いよな…
この天然タラシが…」
「…?
あの、それはなんという感情ですか?」
「これは怒りだ。
怒りは人間が持つ最も激しい感情だ。
感情自体が激しすぎて暴走しちまいがちで、あまり好ましい感情ではないな…
私の怒りはお前のその徹底した自己評価の低さやそんな思考にさせたやつらに対してだな…」
そういうと少女は真剣な顔に戻り、僕を真っ直ぐに見つめる。
表情からは読み取れないが瞳は雄弁で覚悟を決めた目をしていた。
(僕の言魂を受け取る覚悟を決めたんですね…
)
僕はそっと目を閉じる。
少女の手の感触が胸に触れる。
再び胸の辺りが温かくなり、眩い光を放つ。
(これで目的を果たせる…
僕は多少価値のある人間になれたでしょうか…?)
光が強さを増した。
「チッ…
本当に命を失う事を一切躊躇わないんだな…」
嫌悪感溢れる少女の悪態が聞こえたかと思うと光は消え、胸にあった少女の手の感触も離れていく。
僕が目を開けると少女は僕の目を真っ直ぐに見つめて片方の口角を上げてニヤリと笑った。
「よし、決めた!
お前の言魂を今貰うのはやめておく!
かわりにお前は私と一緒に来い!」
「え…?」
「丁度助手が欲しかったんだよ。
この姿だと何かと不便でね…」
「なんで…
僕は言魂を持ち主に返すという目的を果たさないとただの役立たずに戻ってしまう…」
「その考えが気に食わねんだよ…
私は善人じゃねぇからお前の望み通りになんてしてやらねぇよ!
言魂を持ち主に返すのが目的なら私の傍にいればそれはいつでも達成できるだろ?」
「確かにそうですけど…」
「黙って私に利用されておけ!」
僕は静かに頷く。
「はい…」
「よし、そうと決まればさっさとここを離れるぞ。
軍が集まってきたら厄介だ…」
少女はさっさと歩き出す。
僕も急いで彼女の後をついていく。
「あ、そういえば--」
少女は急にくるりと振り返った。
危うくぶつかりそうになってしまった。
この場合ぶつかると体格差的に少女を吹っ飛ばしてしまいそうだが…
「名前聞いてなかったな。
私はベルティア・サンドリオン。
お前は?」
「僕はリヒト・ゾネ。」
「よし、リヒト。
私がお前の言魂を奪うまでの付き合いだが、よろしく」
ベルティアは小さな手を僕に差し出した。
その手を恐る恐る取るとベルティアはしっかりと握り返した。
そうしてまた僕の前方を歩き出した。
「あの!」
今度は僕が彼女を引き止める。
ベルティアは再びくるりと振り返る。
「言い忘れてました。
助けてくれてありがとうございました」
そうして深々と頭を下げる。
「死にたがったり助けて貰って礼言ったり忙しいやつだな、お前…
ま、退屈しなくていいが」
ベルティアはいつもの笑みを浮かべる。
「おら、早く行くぞ!」
「はい」
僕は小走りで前を行くベルティアを追いかけた。
こうして僕たちの言魂を巡る旅が始まったのだった。
はじめまして。
日向月華と申します。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。
正直、自分で読んでいても拙い文章だと感じるのでさぞ読みづらかったことでしょう…。ここまでたどり着いてくださった奇特な方に重ねて感謝申し上げます。
さて、話は物語の内容に移りますが、この物語はずっと前から考えていた話でここ最近になってようやく筆を取る気になったお話です。まだ物語の核心部分が全く語られていないので(言魂とは何か、ベルティアが幼い理由、ベルティアの能力など)どんな物語か想像もつかないかと思いますが、次で一気に説明しますのでお付き合いいただけますと幸いです。その前に前日譚を投稿したいと思っておりますので、そちらも合わせてよろしくお願い申し上げます。私自身リヒトとベルティアが掴みきれておりませんが、二人の完成形の関係性は脳内で描けているので出来れば物語の最後まで読んでいただけると幸いです。
また、勝手がわからぬ初投稿でしたので「読みづれぇぞ!改行、スペース何とかしろや!」等々のコメントをいただけますと有難いです。勉強しますので!
長々と書きましたが、一重にこの至らぬ新人を応援していただけると感無量です!ということが言いたいのでどうか、どうかよろしくお願い致します。
それではまた二話でお会いいたしましょう。