対峙
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市街地。路地裏。屑と瓦礫の道。
気温約15度。湿度約6割。
前述の件を報告する為自分達は馬車を通して街へと一時帰還した。
広範囲に大々的な混乱を招く可能性を孕んだキノコが蔓延しているのにも関わらず、たかがキノコと侮ったギルドの管理不足故に、未だに街は平穏な場と化している。とある雑誌店を垣間見た際にも、やはりキノコの件に関する記事は見当たらなかった。
そうなると、ある程度疑問が生じてくる。
ギルドですら気にしなかったキノコの蔓延の件に対し、いち早く今後の事態を予知しギルドにクエスト依頼を申し出た人物は誰なのか。
繁殖場が建設される前の期間、そのキノコは何処で育ち、誰に見つけられたのか。
何故それ等が異常な繁殖力を持つにも関わらずそれが周囲に認知されなかったのか。
ギルドの方にこれらに関する一切の疑問を投げかけたが、相手は一向に口を割らない。恐らくギルドの運営自体がそのキノコの生態を良く知らなかったが為に回答が出来なかった。と言うのが正しいのかもしれない。
仕方なく、再度改めてクエスト内容が書かれている資料を読む。ギルドがクエストの内容を理解せずにそのクエストを了承する訳が無いと見込んだからである。
...やはりあのキノコはただの植生では無い可能性が浮上して来た。数々の疑問を残したソレは最後に、まるで今までの全てがただのおふざけに過ぎなかったかの様に、おもむろに疑問点の核心に突く現象を引き起こしたのだ。
キノコに関しての情報が書かれた箇所、即ち今正に目を通そうとしていた箇所のみが何故か綺麗さっぱり、強いて言うなれば「白紙」に置き換わっていたのだ。
自分達にとってあまりにも唐突過ぎたその異常性は、相変わらず自身等に何故と言った莫大な疑問しか残さなかった。
当然被害はこれだけに収まる事は無かった。既に皆の脳内からあのキノコに関する全ての知識や記憶が無くなっているのだ。恐らくはあの雑誌店も実際はキノコに関する記事が掲載されていたのにも関わらず、自分達がクエストを受注した時間帯前後にはもう既に異常性が発現していたのかもしれない。
胞子を吸い込むとキノコを認識できなくなる様な異常性かと考察したが、そうなると何故胞子が蔓延しなかった市街に影響が出ているのかの説明が付かない。ましてや自分達は躊躇なくあのキノコの溜まり場と化した廃棄場へと足を踏み込んだのにも関わらず、それまでの記憶を保持しており、加えてこの街の民衆がキノコの件について全く触れていない事に対する違和感を実感する程に自らの記憶は鮮明なのだ。
気が付けば既にそのクエスト内容は本来ならサブクエストであった野生生物の標本資料の収集に置換されており、クエスト発行日や依頼者の名前、加えて既にあのキノコを培養していた繁殖場の記述でさえも消滅していたのだった。
あのキノコの異常性の影響範囲はとてつも無く広く、強く、今もきっとこの目で確認せずとも活動範囲を広めている事だろう。目に見えない漠然とした脅威に対し、手遅れになる前に何かしらの手を打つべきだと思うに至った自分達は、クエストボードの中央に大きく貼られた「急募/大規模討伐3日目」のクエストを受注し、その成り行きで例の繁殖場に向かう事にした。
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郊外の道。繁殖場への道。狭く薄暗い道。
気温約16度。湿度約7割。
キノコの異常性に関して、ある程度こうではないかと言った考察は出来ているが、本当にこの考察が正しいか否かは実際にこの目で確かめないと判別出来ない。ましてや今回の異常性は明らかに人類の存亡に影響を与えかねないものであるため、例えその考察の99%が正しかったとしても、残り1%の油断によって他の全てが狂う事の無い様に留意すべきなのだ。
自分達は例の繁殖場へと向かっている。恐らくはこの場所に、この異常性の正体を解き明かす鍵があると見込んだのだ。繁殖場への道は薄暗く、微小ながらに胞子が確認出来る。所々に小規模な苗床が確認出来るが、どれも成長段階にあり、またそのどれもが枯れていなかったのだ。
通常、植物というのは簡潔に説明すると種子から芽生え始め、育ち、いつかは枯れるといった過程を繰り返す生態だが、何故かこのキノコに関しては育つ過程までほぼ全てのキノコと何ら変わらない成長を遂げるが、その状態が収まる事はなく、また枯れる事なく成長を続けている。当然胞子の状態から成長する段階までずっとそこで観察し続けた訳では無いが、あまりにも周囲に凋落したキノコを見つける事が出来なかった為、その結論に至った。
となると恐らく、異常性の影響が最も大きく現れるのは胞子の段階のキノコであると仮定した。胞子の量の多少で説明が付く事象も事実いくつか存在した為、この胞子を辿っていけば微小ながらに異常性の正体に気付けるかもしれないと考えたのだ。
しばらくの間、ずっと同じ風景の続く道を進んだ。肌寒い空気、乾燥した水溜り。無機質で幾何学的な街壁。そのどれもがどうもキノコを生やす要因にはなり得ない環境ばかりだった。しかし間違い無くそこには小規模なキノコの集合が点々としており、また1日経てばそれらは1〜2m程の成長を遂げるのだ。やはり自分達の次の代にまでにこの現象を解決しなかった場合における被害は尋常では無いのだ。
異常性は「何故」といった莫大な疑問しか残さない。つまりはその異常性の発現以前は明らかに何かしらの要因、又は人為的な原因が関わって初めてその異常性が機能し始める。即ち、今回の異常性は繁殖場に勤務する職員の一人が人為的なミスを起こしたが為に異常性を保持したキノコの胞子が蔓延、拡散したのだ。
きっと誰もそいつを責める事はしないだろう。
だがきっと、自分を含め誰一人としてそいつを責めなかった訳でも無いのだろう。
自分は目前にこの狭く薄暗い道の出口を捉えた。まだ確実に今から赴く先でキノコについての全てを理解出来るとは到底思えないが、少なくとも、そのキノコの目指す未来さえ判明すれば、後はそれに向けて対処をすれば理由を知らずとも結果を知る事が出来るのだ。
そういった上皿な発想の下、薄暗かった道が段々と開放し目の前の視界が晴れてくる。
目の前には、ただのさら地と化した土の地面と、申し訳程度の周囲の木々の風景しか残されていなかった。
-14-
さら地。土の地面。繁殖場の痕跡無し。
気温約19度。湿度4割。
無。そう表現するに相応しい光景だった。繁殖場は愚か、今まで付き纏う様に点在していたキノコも胞子も全て消え去った。あの無性生殖と化したキノコを育てていたはずの繁殖場跡のはずが、周囲には一切のキノコの痕跡も見当たらなかった。
すぐに今目の前に広がる光景を信じ切る事は到底出来なかった。しかしたった今自分達に見せられた景色は、間違い無く「キノコも胞子も元から無かったかの様に消え去った」とでしか表せない光景であり、それはそもそも繁殖場だなんて建造物は無かったのでは無いか。ましてやあのキノコの存在自体元から無かったのではないか。といった、何度も言うようで申し訳ないが前述の通りそういった発想を彷彿とさせるに至るに十分な光景であった。
改めて考え直してみれば、既にギルドから支給されたファイルには一切キノコに関する情報は無く、加えて自分達はそのファイルを通して繁殖場の存在がある事を知った為、結局自分達は未だに実物をこの目で見た事が無かったのだ。普通ならば、このキノコの存在はどの様な次第をとっても説明できないのだ。
皮肉な事に、あのキノコのクエストが掲示されていなければ、自分達は元よりこの異常性に頭を悩まさずに済んだのかもしれないし、あのキノコについての事の重大さに意識を傾ける必要も無く、今すぐにでもあの街に被害が及ぶ可能性のある大規模討伐クエストに徹底出来たかもしれないのだ。
少なくとも今は、先程まで存在していたあのキノコが何故消滅するに至ったのかの過程を考察しなければならない。前述した通り、キノコ自体には異常性は無く、その前の段階である胞子に異常性が宿っている可能性が高い。だが、胞子の影響を受けていなかった市民等が何故キノコの存在を全くもって知らないのかといった問題が解決すれば、ある程度そのキノコの持つ異常性を翻訳出来るかもしれないのだ。「何故」といった莫大な疑問に対しての多少の対処が施せられれば、それ以上その異常性に干渉する事も無くなるだろう。
自分達は、何も無かったその場所から撤退する事にした。途中の帰り道には一切キノコは確認出来ず、ただ一つとして胞子が飛び回っている事もなかった。
刹那、脳裏にある説が浮かんだ。
胞子を吸い込まなければ、そもそもこの異常性は発現しなかったのでは無いか。
当たり前である。何なら今さっきまでその事について必死に頭を悩ませていたのも重々承知である。
だが、やはり今までの異常性の特徴を見るからに、胞子の影響受けていない者に対して何かしらの害があったと言い切ることは出来ないのだ。即ち、今現在に被害が及ぶ事も無いし、胞子を吸い込まなければ未来に影響が及ぶ事も無いのだ。むしろ、そのキノコの存在自体を知らなければ、胞子の存在も同様に確認出来ないままだったのかもしれない。
自分達はキノコ採取のクエストからそのキノコの存在を知ってしまったが、常に何千何万と依頼されるクエストを機械によって判別していたギルドの皆はその異常性を被る事は無く、他の人々も急募である大規模討伐クエストに釘付けだったが為に、誰一人としてたかがキノコの採取クエストに目を向ける者が居なかったのだ。
そして何よりも、そのクエストに目を向けてしまった自分が一体どれほど低い確率を引き当てたかを思うと、よっぽど自分は不幸なのかもしれないと思ってしまう程だった。
アレは、あのキノコは恐らく生き物の記憶や想像を苗床にし、その生き物の思うキノコに対する未来の容姿を糧に、その生き物の想像通りに成長し続ける異常性なのかもしれない。
きっと自分はどこかのタイミングで、あのキノコの将来が引き起こす惨事よりも、隣にいる彼女の目指す先の未来の方が大切だと、自身の興味をより惹いたのかもしれない。
何故あのキノコは生物の記憶を苗床として成長するに至ったのか。
何故現代に至るまで絶滅する事なく、気付かれる事も無く子孫を残せていったのか。
そして何よりも、
何故、廃棄場にキノコの苗床と化した死体が存在していたのか。
異常性は、我々に「何故」といった莫大な疑問しか残さない。
加えて、異常性は、知識ある生命体が利用する事でその生命体に多大なるメリットを与える事が出来る。
果たして生態ピラミッドを破壊しかねない異常性を持つ事が必ずしも知識ある生命体にとってメリットになるのか?
記憶に残らない事を良い事に、犯罪に手を染めている輩が街のどこかに潜んでいるのか?
相変わらずその異常性は、自分達に「何故」といった莫大な疑問しか残さなかった。
気が付けば、彼女の持ち物から山ほどあったキノコは何処へと消滅してしまっていた。