ある独白
計画はしない。最初の一動作だけはある種の決意を持って行うが、次はその結果に対する自動的な反応、その次もそれに対する同じく自動的な反応…以降は完成まで延々とその繰り返しだ。作業の全工程は大まかに言って二段階に分けられる。比喩的な表現でよければ、(1)基本構造と(2)肉付けと言えばわかってもらえるだろうか。(1)と(2)のそれぞれで用いる反応のアルゴリズムは異なるが、いずれも極めて単純で、それぞれ1種類ずつしかない。これを私はただひたすらに、粛々とこなしていく。私のこの作業とその結果には、感情とか思想とかメッセージなどといった、センチメンタルな要因が紛れ込む余地はない。あなたは私の作業の結果を見て、その精妙さ――あるいはあなた方の価値観に照らしての「美しさ」――に感心し、賞賛さえするかもしれない。しかしその賛辞は私に向けられるべきではない。この場合最も適当な評価は、「作品」の合理性に対してなされるべきだろう。合理とはすなわち必然であり、もし賛辞を与えるとすればそれは私ではなく、この世界を支配する物理法則に向けられるべきである。そもそも私は自分の「作品」を鑑賞する視点を持たない。作業中はもちろん、完成後もそれを俯瞰する機会は私にはない。それは「作品」のスケール(私の体の数十倍にもなる)のせいでもあるが、それよりも、完成と同時にそれは私の道具となるというのがその理由の大部分を占める。再度比喩的な表現を許されるならこう言おう。実はこれは私の住居なのである。