結婚した? 誰が? 俺が?
知らなかった。俺、結婚してたのか。
こういう回想をすると、まるで俺が頭を打って記憶喪失にでもなったみたいだ。いや、ちょっと混乱はしているが。
少し落ち着いて考えよう、と外に出て見かけたドーナツ屋に入る。カフェオレと適当なドーナツ二個を選び、空いてる席に座る。
平日の昼間、客は少なくガラガラだ。仕事してた頃はこんな平日の昼間は、忙しなくダンボール箱と戦う仕事をしていたのだが。いきなり倒産するとは。
どうして俺が就職する会社は倒産するんだ? これで六つ目だ。これじゃまるで、俺が疫病神のようじゃないか?
次の仕事先は、慌てて見つけたりはしない。それでまた潰れるところに引っ掛かっては敵わない。じっくりと腰を据えて、失業保険を期間いっぱい使うつもりでちゃんとしたところを探そう。
あと、勤め先が潰れて失業して、暇ができたから、久しぶりに実家に顔を出しておこうか。親父もお袋も、職を無くした俺の顔を見たいかもしれないし。
しかし、日本の会社って簡単に潰れるもんだ。皆、どうやって定年まで働いているんだ? いっそのこと日本を出てバンコクで仕事を探した方が、いいのがあるかもしれない。
それで田舎に戻り呑気にやってる親父とお袋に会う。相変わらず元気そうだ。また勤め先が潰れた、と言うと親父とお袋にゲラゲラと笑われた。
「相変わらず、ツイてねえなあ、易幸」
「これで六つ目? 仕事運無いわね」
「向いてねえんじゃねえか? もう仕事探すの諦めて、畑耕して自給自足したらいいんじゃねえの?」
「高崎のじっ様にイノシシ狩りを教えてもらってきたら?」
そして相変わらずの事を言う。自分の子の苦労が楽しいのか、俺の勤め先が潰れたことをケラケラ笑う両親。まあ笑うしかないか。人材不足、なんて言うが今の日本、企業の倒産も店舗の閉店も増えてバランス取れてんじゃねえか?
「で、シケた顔して里帰りか?」
そのあんたの息子のシケた顔を見て、呑む酒は旨いかよ、親父。
「そんなんじゃ、いつになったら結婚できるのやら」
「はあ? 何を言ってんだ親父は? 結婚なんてのは金持ちの道楽なんだよ。愛とか恋とか、金にならないものに時間と労力を費やすだけの、ゆとりのある奴等の娯楽なんだよ。親父の若い時とは時代が違うんだよ」
「負け組は結婚もできねえってか?」
「稼ぐものを稼がなきゃあ、まず自分が生きてくこともできないだろ。余裕なんか無いっての」
やたらと金持ってる女が俺に一目惚れするとか、そんなマンガみたいな話しでもなけりゃ、俺には一生、結婚なんて縁が無いだろうよ。俺も今年で38歳だ。結婚なんざ諦めた。
「て、ことは、易幸は結婚する気も、その相手もいないってことだな?」
「いないね、そんな相手。孫の顔が見たいとかいうのは、諦めてくれ。宝くじにでも当たるようなことでもなけりゃ、俺には一生無縁なものだろ」
「いや、それを聞いて安心した。あのな易幸」
親父は酔っぱらった顔で俺に言う。なんだよ。なんで俺が結婚できないと安心すんだよ。
「易幸はな、もう結婚してるぞ」
「は?」
俺が結婚? してるぞ? 親父はテーブルの上に紙を置く。これは、戸籍謄本?
「それ見れば解るだろ。易幸はこのカルミアって娘と婚姻したことになってる」
俺が? 婚姻? 誰だよそのカルミアって? テーブルの上の戸籍謄本を見る。俺の配偶者に、Carmiaって名前が書かれている。おい、こいつ何処の誰様だよ?
「おい、親父、婚姻したことになってる、てのはなんだ?」
「話せば長くなるんだが」
「かいつまめ」
「俺の友人がやってる会社にな、フィリピンから来たカルミアって娘が働いていてな。これが真面目な働き者のいい娘でな」
「かいつまんで、まとめて言え」
「そのカルミアって娘のビザが切れそうなんだわ。だったら日本人と結婚したことにして、戸籍に入れちまえば、配偶者ビザが取れる。易幸とカルミアちゃんが結婚して、カルミアちゃんは配偶者ビザで今の仕事を続けられる。いいことだろ?」
「つまり、なんだ? そのカルミアって奴のビザの為に俺が結婚したってのか? だけど俺は結婚も、婚姻の手続きもしたことねえぞ?」
「そりゃそうだろ。日本は世界の中でも簡単に結婚ができる国だ。婚姻届にハンコに証人が二人要れば、結婚する本人が居なくても役所の処理は通っちまうのよ」
「勝手に俺の名前で婚姻届出したってのか? 俺はその婚姻届にハンコもサインもしてねえぞ?」
「別に本人が書かなくてもいいし。だから俺が代理人ってことでチョイチョイって」
「チョイチョイじゃねえよ! 何を勝手に俺を結婚させてんだよ!」
「易幸、お前一生結婚に縁が無いとか言ってただろうが。だったら別にカルミアちゃんと結婚したっていいだろうに。どうせこれから一生顔を見ることも無い相手なんだし。これに不満があるなら日本の法律に文句言ってくれ」
「その法律を利用して何を言ってやがる」
「今さら文句を言っても、易幸とカルミアちゃんは二年前に結婚してるんだよ。戸籍がそうなってる」
「二年も前かよ! 知らねえよ!」
「そんなわけで、易幸、お前はこの先一生結婚できないから。例え惚れた相手ができても、その相手と結婚したら重婚になっちまうからな」
「じゃあ、そのカルミアってのと離婚をしなきゃいけないのか?」
「どうやって離婚すんだ? 離婚は結婚より手続きが面倒だぞ? 易幸よ、顔も知らない何処に住んでるかも解らないカルミアちゃんから、どうやって離婚届に一筆書いてもらうんだ?」
「なんだよそりゃ……」
日本の法律、ザルだな、適当だな。結婚ってもっとめんどくさいものかと思ってた。まさか、本人の同意もいらない、本人が知らなくてもいいなんてな。こんな、いつのまにか結婚させられていることがあるなんて。
「ほら、易幸。宝くじなんぞ当たらなくとも、簡単に結婚できたぞ。もっとも易幸は一生その奥さんの顔を見ることも無いわけだがな! がはははは!」
相変わらず親父は、親父だった。その親父の友人という、カルミアという女が勤める会社の社長から、いくら貰った? 機嫌よくがははと笑いながら酒を呑む、くそ親父。
知らなかった。俺、結婚してたのか。
ムカついて親父に殴りかかったが、柔道三段の親父にあっさりと投げ飛ばされた。痛い思いをしただけだ。
「易幸、お前には運も無けりゃ力も無え。高望みなんぞ諦めてその日暮らしでもしてりゃいいんだよ」
相変わらずムカつくことを言う。
「伝さえあれば、こうして息子を結婚させて金にもなる。お前にはその伝さえ無いだろうが。本気で金を稼ぎたかったら盗んだ物を売るなりなんなり、やりようはいくらでもあるだろうに」
そういうやり方が嫌だからマトモなとこを探してんだろうがよ。俺には見つけられなくて、見つけたとこも次々と潰れていったけどよ。
実家に戻ったことを後悔して、さっさと住み慣れたアパートへと戻る。結局のところ、悪事をしなきゃ金は稼げないってことかよ。やれやれ、クソな世の中だ。
しかし、俺がもう結婚していたとはね。
ドーナツ屋の中、チョコのかかったドーナツをかじりながら、戸籍謄本を見る。なんとなく持ってきたこの紙には、俺の家族の名前が書いてある。
こんな紙切れに一緒に名前が載ってるだけで、家族とはね。
俺の配偶者、カルミア。フィリピン出身。
気になって調べてみたが、俺のように知らないうちに結婚させられてるのは日本にそこそこいるらしい。中にはそれで重婚になると、結婚を諦めた者もいる。結婚の為の手続きよりも、離婚の為の手続きの方が面倒だ。その上、自分の結婚した相手が何処に住んでいるかも分からない。これではどうやって離婚すればいいかも解らない。弁護士に法律の相談ができる金のある奴は、なんとかなってるのかもしれないが。
こういうのもこの国の少産化に繋がってんじゃないのかよ?
外国人は日本人と結婚することで帰化が優遇されて、国籍なんかも取りやすくなるらしい。中にはこれをビジネスとしてるのがいるらしい。上手くやってる奴がいるもんだ。
俺の配偶者というカルミアが、何処にいて何をしているかはまるで解らなかった。真面目に仕事をして家族に仕送りするために、配偶者ビザで日本で働いているのだろうか?
俺は知らないうちに結婚していた。顔も知らない異国の女と。カルミアの方は俺のことをどう思っているのだろうか? カルミアに男がいて、カルミアに子供ができたら、この戸籍謄本に名前が載って、その子は俺の家族ということになるのだろうか? なんだか家族というのはアホらしいもんだ。
会ったことも無い俺の嫁さん。カルミア。この先一生顔を会わせることも無いだろう。まぁ、俺とこの国の制度を利用して、それで幸せに暮らせるならそれでいいんだろう。
そういう使い方ができた、ということで、なんだか俺の産まれてきた役割とは、この為だったのか? だったらもう死んでもいいか。
改めて仕事を探してみても、どこの会社も数年で潰れるような気がしてならない。いっそ空き巣でも生業にしてみるか? それで捕まって刑務所に入っても、刑務所には屋根もあるし飯もある。ホームレスよりマシそうだ。あー、未来のことなんか考えたくも無い。
二個目のドーナツに口をつける。俺の嫁さんのカルミアも、何処かでドーナツ食ったりしてるのか。
まあいい。顔も見たことの無いカルミアさんの、幸せな人生を祈っておこう。俺の戸籍が彼女の役に立てるなら、それはそれで何かいいことをした気分に浸れる。
ん? 思い返してみると、一人の女のことをこんなに長々と考えたことは、これまでにあったか? アイドルとかに入れ込んだことも無く、勉強ばかりしていたような。高校を出てからは、金を稼ごうとバイトに派遣といろいろしてきてたが。頭の悪い運の無い奴は、騙されて奪われて終わりの世の中。俺も碌でも無い目にあって、女がどうこうという暇も余裕も無かったような。
一人の女のことを、こうしていつまでも長々と考えてるなんてのは、まるで恋みたいじゃないか? そうか、俺はカルミアさんて人に恋をしているのか。今の俺は片想い状態か。
……アホらしい。
取り合えずカルミアさんて人と離婚するのは難しいというのはわかった。日本の法律がそう言っている。だが、それは俺がこの先、誰とも結婚することにならなければいいことだ。
だったら何も変わりはしない。いつも通りに変わらない。俺の生活には関係無い。
お見合い結婚から、恋愛結婚の時代になり、次はビザ結婚の時代になったというだけのことだ。
ふと、手にするドーナツを見る。丸くて穴が空いている。穴の回りはチョコがかかり、白いココナッツの粉が散り賑やかだ。穴は空虚に何も無く、向こうが見える。
回りだけは賑やかで楽しそうで。空っぽの穴には何も無くて。中まで熱を通すのにドーナツとはこの穴の空いた円形がいいらしい。
俺の人生は、このドーナツの穴みたいなもんなんだろうな。
胸のポケットの中から震動がする。スマホを取り出して見れば電話の着信。登録してない見知らぬ電話番号。スマホをタップして耳に当てる。
「もしもし?」
『モシモシ? あの、ヤスユキさん、ですか?』
女の声。名字じゃなくて名前を聞いてきた。誰だよ? 登録した派遣会社の人か?
「どちら様ですか?」
訪ねてみると、電話の相手はひとつ深呼吸してから、こう言った。
『わたし、カルミア、といいます』
……は? なんだ?