リハビリ
久しぶりに文を書く。キーボードに指を軽く乗せて、ストーリーなしに考えつくままに言葉を連ねる。画面には打ち込んだ文字が流れるように表示され、時々流れが止まる。窓から入ってくる五月の風が部屋の空気を入れ替えて、廊下に出ていった。小説を書かなくなって、かなり経つ。SNSでみんな小説の話をしていたが、私はその輪に入れずにいた。小説を書いていないから。書けなかったから。今だって、ちゃんと書けているわけじゃない。
今、私がいる環境を文字に起こしてみようと思う。
キーボードを細い指が押すたびに、カタ、カタを音がなり、パソコンの画面に黒い文字が表示される。キーボードが熱を持ち、手のひらはじんわりと汗ばんでいた。
太陽の光だけで過ごすには少し部屋が暗い。画面に映る文字を目で追いながも、途中で視線を別のところに移動させて、それをどう表現するのか迷った。マウスの隣に、食べかけのポテチ。左側にはタブレットが置かれている。最近絵をタブレットで描いていて、朝起きて夜寝るまでずっと描いていることも珍しくはない。指先に感じる熱さを逃がすために、手を振ったり、指先に息を吹きかける。
私がどうして書けなくなってしまったのか考えてもはっきりとはわからない。でも、書きたくなくなったわけじゃなかった。書きたいけど書けないもどかしい状態がずっと続いてる。書けるときは数時間ノンストップで書けるのに、書けなくなると一文字も出なくなる。
両親は買い物にでかけ、リビングには私一人。静か、といえば静かだが、「シーン」という音が耳を澄ませば聞こえた。外から子供の声がしない。私が小学生の時は、夕方はいつもどこからか子供の声が聞こえていたが、大人になるにつれ、子供の声が聞こえなくなっていた。少し寂しいと思う。
時々聞こえるのは、近所で飼われている犬の鳴き声。それから、奥様方の井戸端会議のみである。
まだこの時点で八百字もない。あと十字たりない。八百。やっと八百を超えた。
インプットをしてないから書けないのだろうか……?
今度はシチュエーションを決めて書いてみようと思う。明け方、これにしよう。
山の方から、キュ――っと高い鳴き声が聞こえ目を覚ました。まだ外は薄暗く、東の空は淡い紫色をしている。指先に感じるぬくもりを払うように窓に指をくっつけて窓を開けた。この季節にしては少し冷えた風が体の熱を奪う。毛布を手繰り寄せ、肩にかけた。私の体温が毛布には残っていたようで、まだ温かい。
どこからかバイクの音が聞こえ、新聞配達の時間なのだと悟った。
私はこの時間がとても好きだった。静かで、どこか神聖さを感じていた。昼間の静かさとは違う、儚さがあるこの時間が好き。
昨日から今日に変わったと実感することができた。
今の私ではこれぐらいが限界らしい。