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第24話 荒城の残火(3)

ヒミツの交際がばれます。

 その晩は、静かだった。


 身を清めた家政婦長を、寝床に抱き寄せる。

 昼の仮面を脱ぎ捨て、一人の女になった恋人の瞳。

 紫色に色づいた宝石は、彼一人だけ視界に収める。

 口づけを交わすたび、心と体、結びつきを強めていく。

 互いの唇を貪りながら、(ささや)く呼び名と愛の言葉。

 切羽詰まった鳴き声が、彼の本能を呼び覚ます。


 形よく実った、恋人の白い二つの果実。

 鳥の如く(ついば)む、ぷっくりと膨らんだ(つぼみ)

 脳裏に響く、甘く切ない喘ぎ。それは、人払いの魔術の賜物。

 どんなに声を()らして叫んでも、室外に漏れ聞こえはしない。

 互いに募った寂しさを埋めるため、つないだ両手を握り合う。

 彼女を寝床に組み敷いて、しなやかな両脚を抱え、杭を打つ。


「ああっ、またッ! ダメ、ダメ、もうダメッ、シャルル様ァ――ッ!」


 わき目も振らず、今宵も励んでいた秘密の逢瀬(おうせ)の最中だった。

 寝具を握りしめたヘレナが、絶叫とともに何度目かの高みを迎えた。

 その瞬間に――。


「い、いけません! ラエティティア様ッ」

「カロルス、起きろッ! 出てこーいッ!」


 施錠したハズの扉が吹っ飛ばされ、扉の取っ手が寝床の近くに転がる。

 艶やかなレースの寝間着(ネグリジェ)姿のアグネアが、みだれ髪に櫛も通さぬまま、ズカズカと飛び込んできた。


「はぁはぁ」

「なっ……」

「……あっ」


 言葉に詰まった。

 夢見心地でまどろんでいるヘレナと、引き攣った顔のアグネアを。

 交互に見たシャルルを睨み、カッと見開かれた紅い瞳。


「この一大事に、何をしているんだ、お前たちは――ッ!!」


 かわいらしい寝間着姿で、靴下が半脱ぎになった侍女のクロエ。

 そんな彼女が張った「人払いの魔術」はあくまで完璧だったのだ。

 髪を逆立て、羞恥で顔を真っ赤にした、アグネアの怒る声が()()されるほどに。


 ***


「……その、先ほどは……済まなかった」

 

 ひどく不機嫌だった家政婦長が水浴びに行った後に。

 寝ぐせが立った赤髪の連絡将校は、非常に気まずい顔を隠さなかった。


「まぁ、しょうがない。誰にも秘密だったしな」


 湯に浸した布切れで身体を拭く彼。

 覚悟を決めた、神妙な横顔で呟く。


「できれば、今夜の件は何も見なかったことにしてくれ。最悪俺はどうでもいいが、エレーヌの体面にかかわる」

「女神様に誓おう。私は何も見なかった」

「恩に着るよ」


 腰布一枚で身体を拭いた彼が礼を言う。

 魅惑的な寝間着姿の彼女がはにかんだ。


「話の腰を折ったな。一大事ってなんだ」

「カンボスが攻撃を受けた。その第一報が、姉の許に届いた」

「なんだって!? イメルダの仕業(しわざ)かッ?」

「わからない。だが、その可能性が高そうだ」

都督府(ととくふ)はもう動いているのか?」

「正直に言う。何もできちゃいない。情報が錯綜していてな」


 呆気にとられ、開いた口がふさがらなかった。


「なんでだ、どうなってる」

「皆、自分が何をすればよいか、わかっていないんだ」

「ちょっと待て、正規軍はこの国の精鋭なんだろう?」

「ペレッツ卿が幹部をごっそり引き抜いて、ラリサに行った。それがまずかったかもしれない」

「みんな下っ端かよ、残った連中は……なんてこった」

汗顔(かんがん)(いた)りだ。申し訳ない」


 寝間着姿とはいえ、正規軍の連絡将校の顔。

 そんな彼女に、思い出したように彼は問う。


「そうだ、軍務卿閣下は?」

「情報収集に全力を挙げている。斥候を送ったところだ。召喚術師も鳥類を使役し、上空から哨戒に当たっている」

「増援は?」

「まだ無理だ。状況がわからないうちに、郡都の部隊を引き抜くわけにはいかない。ここが攻め落とされたら、何もかも御仕舞いだからな」

「あぁ、畜生……ッ」


 夜が更けている。

 状況がまったくわからないうちに動くのは危険だ。

 それが頭でわかっているだけに、もどかしかった。


「すぐ着替える。その間に、アグネアも着替えてくるといい」

「わかった。オクタウィアも起こすか」

「いや、やめておこう。まだお嬢に無理をさせたくねぇ。敵の機動甲冑が出てきたら嫌でも矢面に立たされるんだから」

「承知した。明朝オクタウィアには事情を説明しよう」


 クロエの助けを借り、急いで着替えを済ませた。

 すると、水浴びを済ませたヘレナが戻ってきた。


「エレーヌ、大変なことになった」

「……ええ。覚悟は決めています」

「いや、そっちの問題は片付いた」

「え?」

「アグネアは今晩、何も見なかった、だそうだ」


 見開いた目がほんの少し光った。

 ほっと胸をなでおろした彼女に、酷な話をしなくてはならない。


「敵に攻め込まれた。戦地に行かなきゃいけないかもしれねぇ」

「えっ……まさか、アグネア様は」

「それを俺に伝えにやってきた。だから、許してやってくれ」

「かしこまりました。あとで私も、お礼申しあげておきます」

「ありがとう。助かるよ」


 その後、軍服に着替え、髪を整えたアグネアが彼を迎えに来た。

 ともに都督府に向かう準備は、彼もできていた。


「行ってくるよ、エレーヌ」


 アグネアに礼を述べ、わだかまりが解けた唇を奪った。

 彼女のほか、その場に居合わせたクロエ、アグネアも。

 予想だにしなかった行動に、皆が唖然とする。


「じゃ、留守を頼んだぞ」


 冬の夜更けに、寝入ったところを叩き起こされた、屋敷の使用人たち。

 寝ぼけ眼で見送る者も多い中、春風のような爽やかさで屋敷を発った。


惚気(のろけ)め、何も見なかった人間に、わざわざ見せつける奴がどこにいる」


 道中、アグネアに揶揄(からか)われつつ、カルディツァ都督府を訪ねた。

 夜更けだというのに、真昼のように官僚が慌ただしい。

 その理由はすぐにわかった。


「カンボスが完全に包囲されています。ネズミ一匹抜け出せぬほど」

「完全に包囲? 敵の数はどれくらいなんですか」

「目測で多くて二〇〇〇、少なく見積もっても一〇〇〇は下らないかと」


 彼にそう語った、軍務卿ユスティティア。

 行燈(ランタン)の明かりに浮かび上がる、険しい表情。

 それが事態の深刻さを物語っている。


 カルディツァ郡を南北に貫く大動脈。

 湊町と漁師町につながる浜街道と、イメルダ領のアンフィラキアを経てテッサリアの主都ラリサにつながる中街道。

 これと領内を東西に貫くパラマス川の交点がカンボスである。

 国境の町にして、交通の要衝だった。


「軍務卿。駐留正規軍の現有兵力は?」

「全部で六百数十名。このカルディツァに二個中隊二五〇名、カンボスに一個中隊一二〇名、パラマスに一個小隊四〇名。残りは隣のキエリオン郡全域に、一二〇名余りが分散配置されています」

「あとは、カルディツァ都督府が一個中隊一二〇名規模だ。だが、幹部を抜かれて、機能していない。このままでは使い物にならん」

「ペレッツの部隊は王都でも指折りの精鋭ですが、その留守を狙われましたね」


 カルディツァ都督(ととく)ペレッツ。

 ラリサを発った後、テッサリア領内の捜索活動を継続中と聞く。

 ラリサを出る時点で中間報告書とともに証拠品となる土を王都に運ばせていたが、彼女と大部分の監察官らはまだ、テッサリア領に留まったままだ。

 事実上、街道を封鎖されて連絡が取れない。

 腕組みしたアグネアが唸り、こう口にした。


「サイフィリオンは動かせん。エールザイレンに留守を衝かれたら、カルディツァが破壊し尽くされるかもしれない」

「そいつは元も子も失うってヤツだな」

「あとはカロルスの私兵。訓練を終えた実動部隊が三個中隊、輜重隊(しちょうたい)が一個中隊。他、追加で集まったばかりの五〇〇人、これは訓練を始めたばかりだ。今すぐ役には立つまい」

「輜重隊以外は全部アルデギアか……」


 いつか戦争が起きた時の手駒。そう考えて育てた私兵たち。

 海産物が豊富に獲れる、海沿いの漁師町近郊で訓練を重ねていた。

 だが、街道を封鎖された今、彼女たちと連絡を取るには、北回りで迂回しなければならない。

 その時間が取れるか――そんな不安がよぎった矢先の急報。


「申し上げます! テッサリア軍一個大隊がカンボスを離れました。湊町に向かい、街道を進んでいます!」


 飛び込んできた斥候の報告に、赤髪の連絡将校が怒鳴る。


「バカなッ。こんな真夜中に進軍だとッ!?」

「ラリサの所属を示す軍旗を掲げておりました。間違いありません」

「夜間に行軍だなんて。寄せ集めには不可能です。高練度の常備軍でしょう」


 その軍務卿の見解に、青ざめる一同。

 湊町パラマスに駐留する部隊は一個小隊、四〇名ほど。

 対するテッサリア軍一個大隊、五〇〇余名は下らない。


「敵はイメルダの旗本。彼我(ひが)の戦力比は十倍以上。これを食い止めても、増援を送り込まれたら」

「……パラマスは、守り切れんか」

「おい! 今パラマスを落とされたら、アルデギアが丸裸じゃねぇか!」


 小麦が根付かず、寂しい漁師町が広がるだけ。

 それはもう、過去の光景だ。

 貴重なたんぱく源である海産物が水揚げされ、牡蠣養殖まで行われるその一帯は、イメルダ・マルキウスの勢力圏から最も遠く、私兵の一大根拠地となっていた。

 ここを喪うこと。

 それは、これまで積み上げたすべてを喪うに等しい。

 脳天をぐさりと突き刺した痛み。

 悲観的観測、絶望的戦況が頭を()ぎる。


(あー、クソッ。動かせる駒がねぇ……どうすればいいんだッ!)


 頭を抱える。

 脂汗が引っ切り無しに垂れている。

 そんな彼に、どんな声を掛ければよいか、誰もわからなかった。

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