第22話 荒城の残火(1)
コミケの作業ができない間に書いていたエピソードが書けたので、更新です。
あと、作品のサブタイトルとあらすじをちょっといじりました。
テッサリアの主都、ラリサ。
豊富な穀物を産み出す、テッサリア平原最大の都市。
王国最南東の商都、サロニカに並ぶ賑わいを見せる。
その中心に聳え立つ迎賓館は、王都をも凌駕する繁栄の極み。テッサリア豪族なら誰もが羨望する、マルキウス士族の権力の象徴。
そこに隣接する太守の居館で、化粧で皺を巧妙に隠した五十過ぎの婦人がいる。
娘たちが纏う赤や黄といった華やかなドレス。それに比べれば、落ち着いた色彩の着飾りが終わった頃合いに、六十手前のしわがれた声がかかる。
「御屋形様、ご報告がございます」
「……ファビアかい、入りな」
肥えた体形に合わせた、寒色系のロングドレス。
群青と黒を織り交ぜ、太い体格をスッキリと魅せる。
指には白銀の指輪。天然自然の宝石をはめ込んだものだ。
これから祝勝の晩餐会に臨むイメルダに、最敬礼するファビア・ウァルス。
召使たちが揃って部屋を去り、戸を閉め、皺を湛えた譜代の臣の口が開く。
「軍務卿クラウディウス伯がカルディツァに入り、現在も滞在しております。最初、資格者でもある娘に会うためと考えましたが、どうもそうではない様子」
「テッサリアに探りを入れる魂胆かい。はぁ、陛下もご執心でいらっしゃる」
先日、親署が入った勅書がイメルダの許に届いた。
それは資格者への「召喚状」。女王直筆の署名がインクで記された書は、外交文書並みの体裁が整った詔書に近い代物であった。
このような格式の文書、イメルダが戴いたことなど、これまでの人生でただの一度もない。
しかし、その「召喚状」に資格者の名前はもちろん、機動甲冑の名称も記載されていなかった。
当然であろう。
そんな情報、一切漏らさないよう、箝口令を敷いていたのだから。
結局、イメルダは知らぬ、存ぜぬと最後までしらばっくれた。
『人探しのご依頼でしたらば、テッサリアの太守たるわたくしイメルダも忠節を示すべく、全力を尽くしたい所存。しかしながら、ここには探す人間の人相はおろか、名前すら書かれてございませぬ。これで何を探せとおっしゃる。わたくしめに頓智を利かせてみよと?』
勅書を持って現れた、王都の使者を煙に巻いて、体よく追い返してしまった。
王都の使者がすごすごと引き下がった後、正直ホッと胸を撫で下ろしたものだ。
(トリカラを潰すまで、『アレ』を先方に引き渡すもんかい)
だが、あまり悠長に構えてはいられない。
王都に比べると、カルディツァはラリサに近すぎる。
テッサリアの河川水運の根幹、ペネウス河にも近い。トリカラへ通じる大動脈でもある大河は、テッサリア側の作戦行動に欠かせない。
この場所に、軍務府の事務方を束ねる存在が留まっている。実に邪魔くさい、目の上のたん瘤だ。
「カルディツァのアントニウスはどんな様子だい?」
「近頃は王都に戻らず、せわしなく領地を飛び回っております」
「なんてこった。王都に居てくれた方が好都合だったろうに」
「間者を送り込んで、ヤツの周囲を探らせます。ご心配には及びません」
すでに相当な数の間者が、カロルス・アントニウスの領地に入り込んでいる。
民心を握るために、草の根の活動が欠かせない。流言飛語もその手段の一つ。
強面の腹心、ファビア・ウァルス。この手の謀略に最も長けていた、彼女の目は鋭く、微塵も迷いがない。
「わかった。そっちは引き続きファビアに任せる」
恭しい最敬礼で見送られ、イメルダは迎賓館へ。
テッサリアの支配者として、威風堂々たる体躯を豪勢なドレスで着飾って、褐色のスキュティア人など、不調法な田舎者と嗤う「テッサリア辺境伯」。
百戦錬磨の彼女は、悠々と「出陣」していく。社交界という「戦場」へ。
先に来賓を歓待していた娘たち、そしてテッサリア各地から集まった来賓たち。
彼女らの明るい眼差しに、自信に満ち溢れた笑みで応えて、ともに杯を仰いだ。
テッサリア中部、マレシナ郡をトリカラから奪還せり――。
この知らせは、東方のスキュティア人に怯える諸豪族たちに軒並み「朗報」として受け止められていた。
戦勝祝いの晩餐会でイメルダに忠誠を誓う者、次の出兵に我も兵を出したいと志願する者、そんな諸豪族たちに囲まれて、美酒を楽しんでいた――宴も酣な頃。
マレシナ郡の郡都から、早馬が駆けてきたと一報。よい報告を期待し、席を立ったイメルダが耳にした、衝撃的な報告。
「なんだって……キルデール・コッターが死んだァッ!?」
期待を裏切られ、思わず目を見開く。
戦勝の殊勲者、コッターに守らせていた砦が忽然、廃墟と化した。そんな凶報に、つい、口元を押さえていた。
「いったいどうしたんだい。そうだ、『アレ』は無事なんだろうねッ!?」
「それが、消息が……」
「何グズグズやってるんだ、手を尽くして探しなッ! 先方に見つかる前にッ!」
「かしこまりましたッ! 直ちに伝えますッ!」
額を床に擦り付けるほど、平伏し、肩を震わせた伝令兵の姿。
ハッと我に返った。こう付け加える。
「少し言い過ぎたようだ。アンタが悪いわけじゃない。ご苦労だった!」
「……はっ!」
「気合いを入れて捜索する余り、目立ち過ぎてはいけないよ。いいね?」
「承知いたしました!」
イメルダの前から伝令兵が発ってゆく。
彼女が残した、前線からの報告書。それを読み、唇を噛んだ。
(大した被害じゃないか、コイツは……)
城壁を破壊され、炎上する砦。
夜通し燃えた戦火は、八マイルほど離れた郡都からも観測された。
今もなお、山火事として、周辺の森を焼き続けているという。
翌日、向かった郡都の斥候が見つけた、夥しい大量殺戮の痕跡。
両軍の軍旗が踏み荒らされ、死屍累々として赤黒く染まった地獄。
敵味方区別なく、一方的に屠られた。そうとしか考えられない様相。
(こんな真似ができるのは、ドラゴンか……あるいは)
機動甲冑。それは只ならぬ兵器。
竜をも殺す、古代から現代への置き土産。
イメルダも理解する。自分の理解を遙かに越えた何かだと。
(何が起きた。奴に『アレ』を預けておいたのに……まさかッ)
頭を過ぎる、最悪の展開。
王都の機動甲冑が追跡を続けているのではないか。
両者の機動甲冑が再び交戦――そうでもなければ、敵味方入り乱れての虐殺など、あろうはずがない。
身が震えた。だが、もう一人の自分が否定する。
(いや、違う。そうじゃない……秘密裏に『アレ』を辺境に送ったじゃないか。偽装は完璧だったはず)
ラリサから前線に送り出した軍船。
その中に漆黒の機動甲冑を隠してあった。
機動甲冑は分解、組み立てが容易な構造になっている。ゆえに最前線へ送る物資に混ぜて、ラリサから存在を消し去った。
(ここに『アレ』があると看做して、先方は召喚状を送ってきた。まだ消息を掴んでいない証拠だ! 望みはあるッ)
冷静さを取り戻し、イメルダは平然と祝勝会に戻っていった。
***
マレシナ郡の東の砦が「消滅」した。
ペネウス河を見下ろす地点にある要衝で起きた惨劇。
急報は間諜を通じ、カルディツァ都督府の第二軍務卿にも届いた。
「これは……機動甲冑の仕業なのですか、本当に?」
それにしては不可解なことが多すぎた。
娘のオクタウィアが交戦した、機動甲冑『エールザイレン』はテッサリアの手中にある。ずっとそう考えていた。
にもかかわらず、テッサリアの最前線にある要害が、機動甲冑としか考えられない規模の攻撃を受けて、燃え落ちてしまったのだ。
その被害は、あまりに甚大。砦を取り囲んでいた森林に燃え移った山火事は、郡都から応援に向かったテッサリア軍が一進一退、何とか延焼を食い止めているらしい。
砦を守っていたテッサリア軍、砦を攻めていたトリカラ軍、その両軍が壊滅状態となっている事実を見るに、ともに機動甲冑の攻撃に晒された様子。その操縦者の意図がわからない。
敵であるトリカラ軍を殲滅する。それだけならまだしも、味方まで滅ぼしてしまう道理があるだろうか。
「まさか……アルス・マグナ以外の機動甲冑は、一機だけでない?」
伝承によれば、機動甲冑は十二機あった。
アルス・マグナのカリス・ラグランシアから、そのように説明を受けた。
その他の機動甲冑が見つかる、その可能性は十分にあり得る。
「いったい、何がどうなっているのか」
わからない。それが、ため息となって零れ落ちる。
「この頃、根を詰め過ぎなのではないですか。姉上は」
妹のラエティティアが茶を持ってきてくれた。
声を掛けられるまで、それに気づかない。それほど集中していたと我に返る。
「フリッカが見つけた、『トリフォリウム』という植物のお茶です。蜂蜜を垂らすと美味しいというので、試しに作ってみました」
「まぁ! ありがとう。いただくわ」
カルディツァ郡の西部で見つかった新種の植物。
隣接するキエリオン郡で栽培され、その一部は株分けされ、痩せ切った休耕地にも植えられている。不思議なことに、荒れた土地にも根付きがよいらしい。
試しに軍馬に食わせてみたところ、好んで食したという。不足しがちな飼葉の代用品にもなるのでは、と期待されていた。
「いろんなものがあるのね。アントニウス卿の領地には」
農業、水産業、畜産業の奨励。
それらの産物を、生産地から領内に広く行き渡らせる、物流の整備。
軍馬に荷馬車を引かせ、海沿いからは漁獲物や養殖した貝など、内陸からは農作物や固形物に加工した乳製品などを運んでいる。
それだけではない。食べられる部分を取って、要らなくなった貝殻や骨を焼いて、砕き、灰にしてから、内陸の農地に運ぶ。それを土に撒くのだという。
直轄領のどこを探しても、他にそんなことをやっている場所はない。
この輸送に従事するのは、彼が創設して間もない輜重隊。
気位の高い正規軍兵士の感覚では、とても考え及ばない運用だ。
軍事の専門家であるユスティティアには、貴重な軍馬をそのような目的に用いる、その理由が理解できない。ただ、彼が何か特別な意図を持っている。そう理解できるところがあった。
「最近、カロルスは新しい研究を始めたようです。獲れた魚を干物にせず、内陸まで持ってくる方法だとか」
「生け簀の馬車には度肝を抜かれたけど、あれは大掛かりすぎるわね」
「あれが使えるのは道がしっかりしたカルディツァか、せいぜい頑張ってキエリオンまでじゃないでしょうか。もっと小さくしないと、糧食としては使い物にならん。こう言ってやりました」
石畳のバルティカ街道が整備されたカルディツァ郡。それに比べ、隣のキエリオン郡は未舗装の悪路が大部分を占める。
先日、アグネアが訪ねた辺境、ラリサ郡とキエリオン郡の境界付近は、農道をただ広くしただけに過ぎず、物流の効率が悪いままだ。
水運という代替策はあるが、河沿いに限られることに加え、途中でラリサ郡を抜けなくてはならない。
仮に、ラリサのイメルダと再び緊張状態に陥った場合、キエリオン郡の南半分には物資が届きにくくなる。これがアグネアの予想だった。
そして、その予想は思わぬ形で現実となる。




