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第20話 攻城の月

 月は出ているか?

 トリカラ軍閥から取り返して間もない郡都ジルトゥニオン。そこを守る最も重要な砦を任されたばかりの指揮官キルデール・コッターは大仰な装丁のされた書物に目を落としながら、控えていた兵に問う。


「月、でありますか」

「そうだ。今夜の月はどうか」


 コッターがこうした疑問を投げかけることは今に始まったことではない。


「ほぼ、満月かと……」

「そうか。わかった」


 回答に対し(とが)めるものがなかったことに胸を撫で下ろした兵。

 ここ数日、さしたる問題が内外であったわけではない。だがこの最前線の砦に彼女が着任してからというもの、独特の緊張感が常に充満し兵たちの喉を絞めていた。

 筋骨隆々で大酒呑みで如何(いか)にも武人然とした前指揮官には程遠く、瘦せ型で根暗な学者然とした風貌の彼女はかつて王都に遊学したと評判の召喚術師。鳥類を使役して敵の動きを逐一把握し報告した作戦遂行の立役者である。いまだ軍閥の支配下にあるヴィオティア郡との境目に近い砦の指揮官に抜擢されたのはその功績による。

 自ら槍を手にトリカラの騎馬隊を迎え撃って、勝利を目前に流れ矢に当たり死んだ前指揮官は勇敢で立派だった。それだけに功績あるとは言えども、何を考えているかわからない召喚術師は(いささ)心許(こころもと)なくも見えてしまうのだ。

 その召喚術師コッターの手にする本。一見では薄ぼけた茶褐色であり、おそらくは動物の皮で作られているのだろうとわかる。頁数も多く分厚い。金属の留め具で角を縁取られそれ自体が鈍器として機能するほどの重量と硬度を持つ凶器と言えた。

 だが、真にこれが恐るべきところは別の所にある。


「幾度となく読み返しても実に興味深い……」


 骨ばった指が本の文字をなぞる。

 記述された内容は古代帝国以前の旧時代――数千年も大昔に記された物だと兵たちは聞き及んでいた。すなわち、記された内容は人智の及ばぬ黒い叡智(えいち)である。


「竜の召喚と使役か、たしかにここに書かれていることが事実であれば確かに可能であるな。なにしろ災いを呼ぶ伝説の怪鳥すら召喚できたのだから」


 半年ほど前よりテッサリア領内で出回っている魔導書『Rの書』。ほとんどが粗悪な装丁と雑な風化処理を施した写本、言うならば劣化模造品であり、魔導書としての質は見る者が見れば大いに疑問の残る偽書と言えた。

 それらの偽書(バッタもの)は原本があるからこそ存在する。

 巷で出回っているRの書の冒頭にはこうある。『鱗の無き火蜥蜴(サラマンドラ)の皮を本書に縫い止めた。それゆえより我が魔術は完成に至った』と。

 では――果たしてその原書は実在するのか。


「鱗の無いトカゲなど、いるわけがない。トカゲ如き地を這う(むし)の皮で魔術の叡智を極めるなどおこがましいにもほどがある」

「…………」


 どう相槌を打てばよいのか困惑の色を深めながら伺う指揮官の顔色。


「殺される折に恨み言の一つでも言う獣の皮であれば、あるいは力ある書にもなろうが、な」


 音を立てて本を閉じ、立ち上がる。

 小脇に抱えたその裏表紙には、今にも叫喚の音色を届かせんとこわばった女の顔が張り付いていた。


 コッターが見上げる月は満月にはあと一歩及ばぬ九分の輝き。

 これが王都の正規兵であれば星読みなど欠くべからざる教養であろうに。

 なるほど。我がテッサリア、我が砦の兵の練度も底が知れる。

 天体、特に月や太陽の在り方は現代の魔術において最重要な情報だというのに。

 その嘆かわしさに頭を抱えて周囲を改めて見回す。

 鬱蒼(うっそう)とした黒い森に囲まれた河沿いの崖上にある砦。

 (わず)かな篝火の他に灯火はなく、崖下を流れるペネウスの河面(かわも)が銀色に(きら)めくほかは()ゆる(ほし)()()して青い月光が降り注ぐだけ。

 今夜は静かだ。野犴(やかん)の遠吠えも耳にした覚えがない。

 しかし、風の揺らす木々のざわめきの中、僅かな揺らぎ。鷹の目の如くコッターは見抜いた。


「あれは……ッ!?」


 すぐさま石畳を走り、兵員詰め所の扉を割り砕くかの如く叩いた。


「敵襲だ、総員配置に着け! 見張り兵は何をしていた!」

「み、見張りは今夜はモエトのやつですが、本当に敵が……?」


 鬼気迫る表情で新任の将が場を急かす。


「そうだッ! どうせ遠見の術でも使っていれば良いと思ったのだろうが、私の目は誤魔化せん! 敵は木隠(こがく)れをしているぞ! 速やかに森に矢を放て!」

「は、はい!」

「石弓もだ! それと『アレ』も叩き起こす! 魔術師どもの配置も急がせろ!」


 各所で尻に火を点けられた兵士たちが動き出す。

 間もなくここが最前線となる。なればこそ、為すべきを為さねば死ぬ。


 ***


 月明かりが木々の合間から降り注ぐ。

 夜の森は人間の領域ではない。それ故に誰しもが細心の注意で一歩を歩む。

 風や大地とともに生きるスキュティアの民は身を潜めることに長けている。

 音のみならず視界をも遮る木隠(こがく)れの術式は家族、部族の固い結束の賜物。

 言葉に()らず身振り手振りだけで意思を通じ、夜の闇に紛れて前進する。

 目標の関まではあと僅か。半マイルほどで作戦の配置に着けるだろう。

 緊張感は一歩一歩と歩む都度に兵たちの間で高まっていた。

 何かの拍子で張り詰めた弦が弾けかねないほどの冷たい空気の中、静寂が打ち破られる。

 空気を切り裂く刃が降り注ぐ。

 続けてどこかで悲鳴が上がる。

 たちまちにそれまで一言たりとも口を開くことの無かった兵士たちから無数の叫びが上がった。


(こちらの動きを読まれたッ!?)


 その事実に気付いた指揮官はすぐさま散開の指示を飛ばすが、もう遅い。

 突然の矢の豪雨。

 緻密に組まれたはずの策が打開された瞬間からもうそれは失敗だったはずだ。

 ならば、引き返すのが最上の手段。

 だが、そのような上等な手が選べたのであれば、こんな突発的な事態に陥ったとしても次善策の一つ二つはすぐさま取れたであろう。


(我が命に等しい軍馬を喪った騎馬民族(スキュティア)足掻(あが)きを見せてやるッ!)


 彼女らが取った手段は唯一つ。散開して予定通りの攻撃準備を強行。

 それが地獄への一歩だと知る由もなかった。


 ***


 炎が走る。

 どちらの陣営が放ったとも分からない炎で砦を覆う木々が焼かれていく。

 突然の災厄に見舞われた獣たちの遁走の叫声。

 矢が飛ぶ。

 その都度に誰かが倒れていく。

 関の役目を果たす門扉には巨大な石杭で穿たれた孔。

 しかし未だ閉ざされている。地獄の門とてここまでの厚みはないだろう。

 ではここはなんだ。

 ここが地獄だ。

 切って落とされた火蓋は止むことのない地獄を広げていく。

 街道の間隙、辺境の地で起こった小競り合いであろうとも確実に血が流れていく。

 砦の守りを任されたキルデール・コッターは敵の稚拙な攻城策を鼻で笑う。


「落とせんよ、ここは」


 トリカラ側が裏で糸を引く一揆か、あるいは軍閥の反抗か。いずれにせよ間もなく賊も総て殲滅出来るだろうと踏んで秘蔵のワインの封を切るか――そんな考えを巡らせていたまさにその時。


「召喚獣だッ! 門が破られるぞ!」


 予想外の報告は即座に彼女の脳裏に浮かんでいた楽観を叩き潰した。

 眼下では魔術により呼び出された巨大な獣たちが砦の門に突撃を繰り返していた。

 見えるだけで熊、狼、猟犬、大蜥蜴(オオトカゲ)まで魔術の使役を受けたであろう組織的な攻撃を繰り広げる光景に脂汗がどっと滴り落ちる。


「冗談ではない! 敵はまさかトリカラの正規兵と魔術師どもかッ!」


 完全にそれは想定していなかった。せいぜいが東に追いやった軍閥の一部の兵士の凶行だと断じていた自らの愚かさを悔いる。

 しかし、だとすれば……東のスキュティア人どもは本気で戦争を始めるつもりだと言えた。


「仕方があるまい、『アレ』を出せ!」

「しかし、我々の指揮下ではありませんよ!」


 そうだ。ラリサの上層部からなにかの折を見て使えとは言われたが、同時に制御の効くような物ではないとの噂もあった。


「将軍! このままでは門が破られます!」


 舌打ちが止まらない。


「構わん! 門を開けよ!」


 判断は早かった。

 すぐさま門の(かんぬき)が引き抜かれ、留めていた鎖が巻き取られる。

 確かに万が一に備えて叩き起こせとは命じていた。だが、流石にここまでの攻勢は頭に無かっただけに、この先のことをコッターは頭に描き始めた。


 ***


『システム、リスタート』

「……起きろ、エールザイレン」

『起動プロセス、再設定を省略。戦闘起動開始』


 少女の瞳の中に無数の情報が映り込む。

 鋼の胎内で魔力の胎動を実感するのは、彼女にとって生の実感に近い。

 それはまるで使い込んだ手袋のようにぴたりと吸い付き、履き慣らした靴のように馴染む。

 もっとも、彼女が靴を初めて履いたのはここ一ヶ月のうちのことなのだが。手袋に至っては三日目のことだ。

 投薬直後の高揚感や過剰な目の冴え、絶頂するほどの快楽とも違う。

 離脱症状による吐き気や頭痛、全身の倦怠感からも開放される。

 万全の身体である、というのがここまでの幸福感をもたらしてくれるのかという(たかぶ)り。

 少女は操縦桿を握る。

 間もなくしてその扉は開かれる。


『ハーモニクスアジャスター感度、グリーン。ニュートロン・エンジン、クォーターからハーフに移行』

「最初から全開だ」

『了解。フルドライブまでカウント開始。魔力転換炉、稼働レベルフォーで固定』


 苛立ちがあった。先の戦闘で殺しきれなかった。

 (くすぶ)ったままでいる少女の胸中の火は、彼女が(ふいご)で慰めていた。

 鉄門の軋む音と鉄巨人の鼓動が心地よい。

 嗅ぎ取れないはずの戦場の臭いがした。


 ***


 力で圧倒するという決まりきった言葉があるが、まさにこのことだと眼下に広がる光景を見てコッターは思った。

 決して開かぬと思われた鉄の扉が開かれ、勝鬨を上げたのも束の間。それは絶句、そして阿鼻叫喚へと変わった。

 深い夜の闇よりなお黒い(かげ)が開け放たれた扉より歩みを始めた。

 得体の知れない鉄の巨人に対し、寝物語で聞かされた巨人を回想した者もいたが、直後に理解する。

 あの扉は決して開けてはならない物だったのだと。

 殺戮が訪れる。

 戦場に嵐が吹き荒れる。

 巨人の振るった巨大な刃の一閃で召喚された獣たちは尽くが血溜まりにされた。

 放たれた森の炎に照らされた巨人の輪郭が明確に見え、恐怖が伝播していく。

 即座に撤退を決め込んだ者たちは幸福であっただろう。

 その場に踏みとどまった者たちは幸福であっただろう。

 背を向けた臆病者は、死を自覚する間も無く蒸発した。

 立ち竦んだ愚か者は、臆病者よりも数秒は生き残った。

 捉え損ねた目標に対し炎を放ち、刃が振るわれる。

 愚図もノロマも愚鈍にも、別け隔てなく公平に与えられる破壊と殺戮と暴力。

 人間に振るうべきではない力であり、人間が振るっていい力でもない。

 それらが容赦も慈悲もなく戦場に広がる。

 雨だ。切り刻まれた肉から赤い雨が降る。

 巨人の胎内で少女は恍惚の笑みを浮かべていた。

 全身の鼓動、あらゆる血流に快楽物質を滝のように流し込む。

 薬物によるそれとは段違いなまでの覚醒物質による悦楽の波。


「楽しい! 楽しい! 楽しい! 楽しい、楽しい、楽しい! 楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しいなァッッ!!!!!」


 機動甲冑の操縦は彼女に全能感を与えた。

 否、それは戦場においては間違いなく全能の存在足り得た。

 手にした力を振るうだけ振るい、やがて目の前から逃げる者も抵抗する者も全て動かなくなった。

 残ったのは……背後で羽蟲(はむし)のように騒ぐ声だ。

 ゆっくりと振り向くその鉄巨人に対し、砦の兵士たちは自らの手柄のように(わめ)く。


(うるさ)いな。エールザイレン、黙らせろ」

『了解』


 少女が脳裏で描いた様が数秒で現実となる。

 無敵を誇った砦壁に炎が走り、石壁が破砕する。

 誰もが困惑した。その中でも最も怯えた顔をした女に対し少女は標的を定め、手にした刃を全力で振り抜いた。

 地獄は公平だった。敵にも、そして味方にも。


 ――もっとも、彼女にとっての「味方」とは果たして誰なのだろうか。


 答えてくれる人間は既にこの場には誰ひとりとして残らなかった。

 月だけがこの夜の全てを見つめていた。

テッサリア軍に対するトリカラ軍閥の攻城戦を描いたエピソードでした。


>なにしろ災いを呼ぶ伝説の怪鳥すら召喚できたのだから


「太平記」における怪鳥「以津真天(いつまで)」のようなものを想定しています。

鳥は感染症を媒介する生き物です。鳥インフルエンザとかしばしば問題になりますよね。

つまりマレシナ郡で多発した奇病は怪鳥がもたらした感染症だったわけです。

こんなことが領民に知れたらテッサリアが酷い目に遭うので最高機密扱いですけれども。

作戦上層部からの口止め料を含んだ論功行賞がコッターさんの抜擢でもあったわけです。


>私の目は誤魔化せん! 敵は木隠(こがく)れをしているぞ!


木隠れの術とは、大気(というか大気を構成する気体の分子)に魔術的に干渉して可視光線や音波の伝播を操作するもの。

コッターさんはその微妙な揺らぎを見つけて術を見抜いていますが、敵の姿自体は見えないので矢の雨を降らせる面制圧を試みています。

伝統的に風と大地とともに生きる遊牧民であったスキュティア人は馬術、弓術のほか、このようなゲリラ戦を得意としています。


>タイトル


土井晩翠と瀧廉太郎による歌曲「荒城の月」から。

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